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プロローグその1

 

 全身に纏った漆黒のマントは朽ち果て、欠け落ちた仮面から覗くその目には焦燥が色濃く滲む。

 魔王。

 深い怨嗟を込めてそう呼ばれたその男は、今、その全霊をもって一人の青年と対峙していた。

「ぬう!」

 魔王は裂帛の気合と共に掌を翳し眼前の敵へと向けた。

 掌から暗黒の闇が奔る。闇は地面を這いずる大蛇のように唸りを上げて青年へ襲い掛かった。

 大地を抉り、常人ならば後退りしてしまいそうになるほどの威圧感を放ち青年に迫る漆黒の大蛇。  

 魔王の名を冠するに相応しい強大なその力。

 しかし。

月影ルーナ

 青年は僅かの焦りも恐怖も感じさせない静かな声でそう呟いた。

 すると彼の左手の指輪が澄んだ黄色の光を放ち始める。

 光は小さな粒子となって集まり人一人を覆い隠すほどの大きさの光球を少年の前に作り出す。

 それはこれまで彼の命を何度も救ってきた優しげな月光の盾。

 一瞬の間をおいて魔王の放った黒蛇が光の盾へとその牙を突き立てた。

 激しい音を上げてぶつかり合った光と闇は一瞬拮抗したが決着はすぐについた。

 大蛇は幾筋もの闇に分かれ小さな月を避けるように通り過ぎ、青年の背後で爆ぜた。

「馬鹿、な」

 その有様を見て仮面から除く魔王の目が大きく見開かれた。

 魔王たるこの自分の力が容易く退けられたという事実に魔王は慄然とする。

 一方、青年の精神はこれ以上なく研ぎ澄まされていた。

 もうすぐ。もう少し。長かった戦いの終わりももう目前に迫っている。

 やっと帰ることができるのだ。自分の居るべきあの場所へ。

 魔王の様子は青年にそう確信させた。

「あらゆるもの――オムニア、か。なるほど大したものだ。聞きしに勝るな」

 青年の指輪とそこにはめ込まれた青い宝石を憎々しげに見つめ、魔王が吐き捨てるように言う。

「いや、恐れるべきなのは『勇者』などと謳われる貴様自身の才か? それならば儂としても多少は救われるのだがな」

 青年は返事をしなかった。

 この男を倒して全てを終わらせる。

 その意志を剣のように研ぎ澄ませ一瞬も緩ませることなく魔王の喉元へと向け続ける。

「ふん」

 青年の反応に魔王は面白くもなさそうに鼻を鳴らし

「だが!」

 懐から掌に乗るくらいの大きさの黒い結晶を取り出した。

 青年の表情に今度は戸惑いの色が浮んだ。

「黒い、溜結晶るけっしょう? 」

 青年はその黒石が自分の持つオムニアに使われている石と同種のものだと見て取った。

 透き通った青色の自分の溜結晶とは全く異なる濁った黒色。

 見ているだけでも深い沼の底にいるような息苦しさを覚える程のどす黒い力を感じる。

「勝つのは儂だ!」

 魔王は高々と黒い石を翳した。

「断じて、お前では……お前たちではない!」

 魔王から黒い霧のようなものが立ち上り始める。

 青年は黒い霧の放つ波動からそれが世界の万象に宿るコルと呼ばれる神秘のエネルギーであることを感じ取っていた。

(同調しているのか? あの黒い溜結晶と? ……いや)

 一瞬浮かんだ考えを彼の直観がすぐさま否定した。

 あれは、オムニアと人間との『同調』のような対等な関係ではない。

 黒い石が魔王のコルを飲み込んでいる。怒りと憎しみとそして命と。その全てを奪い尽くしていく。

『搾取』。

 魔王の姿にそんな言葉が浮かんだ。

「見ろ、この素晴らしい力を! 正しかったのは儂の選択なのだ!」

 魔王の叫びは青年には断末魔の悲鳴の様に聞こえた。

 やがて石を翳した姿勢のまま魔王はがっくりと首を折った。

 おそらくは終わったのだ。たった今、彼の人としての一生が。

 魔王のコルを吸い尽くした黒色の繭は内に溜め込んだエネルギーに破壊されるかのように弾け飛んだ。

 放出された力の余波が爆風となって周囲に放たれる。

 青年は素早く月影の盾を発動させ衝撃波とそれによって吹き飛ばされた瓦礫と砂埃とをやり過ごした。

 それまでの戦いと打って変わった静寂が空間を支配する。

 時が止まったかと錯覚しそうな静けさの中、舞い上がった砂埃がゆっくりと晴れていく。

 そして青年はそれを見た。

「何だ?」

 並の人間の背丈の数倍はあろうかというその巨体。

 太くがっしりとした胴体とその割には細身の長い四肢を備え一応は人と同じ形をしている。しかし、頭部がない。

 その黒色の体躯は黒の水が人の形に固まったかのように滑らかで生物感が全く感じられなかった。

 先程まで魔王がいたその場所にそれは佇立していた。魔王は怪物の足元に仰向けに倒れておりピクリとも動かない。

 異形。

 そうとしか言い表せない怪物だった。

 怪物が咆哮した。身体全体を震わせて身が竦むような怨嗟の声を発散する。

 伝わってくるのは鋭い殺意と敵意。炎の様に熱い憤怒。氷のように冷たい憎しみ。

 それらは青年だけではなく人間全て、あるいは、この世界全体へと向けられているように感じられた。

 そこに現れたのは実体と底知れぬ力を持った負の感情そのもの。

 全てを破壊し全てを殺す。

 それが魔王の最後の遺志なのだ。

「とんでもない遺言だね」

 青年は苦笑する。

「僕はそれも悪くはないと思うけれど。そうではない人も多いようだから」

 青年は両手を広げた。

天空トリプレクス

 意識を集中し、静かな口調で言葉を紡いでいく。

「へーリオス。ルーナ。ステルラ」

 右手の指輪から左手の指輪そして首飾り。青年が言葉を発する度に順に金色の眩い光を放ち始める。

 自分の肉体に宿るコル、オムニアが湛えるコル。それらゆっくりと練り合わせていく。

 光はその強さを増し小さな太陽のように優しくも凶暴な輝きを放つ。

 彼の脳裏を守るべき者たちの顔が過っていく。

 共に戦った仲間たち。

 故郷で帰りを待ってくれている家族。

 大切なあの人たちに託された思いを込めて。

 輝きは少年の目の前で集束し、一振りの光の長剣となった。

 脳裏に最後に浮かんだのは一人の女性の優しい顔。

 誰かの笑顔を守るために。

 そう言ってほほ笑んだ彼女は、他の誰よりも輝いて見えた。

 この世界にも守るだけの価値があるのだと、そう教えてくれた彼女の笑顔に応えるために。

 これからも彼女の隣にあるために。


 ゆっくりと剣に手を伸ばす。

 青年を中心に静かな闘気が波紋のように広がった。

 怪物が闘気に呼応して動き出した。

 両腕を左右に広げると胸のあたりが陥没した。窪みの前に黒の霧が集まり、やがて、集束した霧は人間ほどの大きさの漆黒の玉となった。

 光と闇と。

 対峙した二つの膨大な力が大気を震わせ、壁や天井に無数の亀裂を走らせる。

 常人であればとっくに逃げ出しているような圧力の中、青年は流れるような動作で光剣を構えた。

 その動きには一切の淀みがなくなんの恐れも感じさせない。

「終わりにしよう、魔王よ」

 青年が言葉だけを残して音もなく地を蹴る。

 怪物が咆哮し黒の球体を打ち出したのはほぼ同時のことだった。




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