#93.そらのたび、りゅうのくに
「――うっひょぉぅっ! すげえっ、こりゃすげえやっ」
セニアで仮面の老人と合流したセシリア一行は、今、巨大なモフモフの背に乗り、空を進んでいた。
空の王フレースベルグの背は、セシリア達が全員乗っても尚、余裕のスペース。
瞬く間に王国領を抜け、今は遥か先に広がる海が間近に近づいているのを全員が感じていた。
「はははっ、はしゃぎすぎだぞシェルビー。君がそんなに大騒ぎするなんてな」
「んな事言ったってよぉ。空なんて、気球に乗るか魔法で飛ぶかでもしねえ限り飛べないじゃんよ。俺、こんなに風を身体で感じたの、初めてだぜ!」
いつになく興奮しているシェルビーに、「こんな一面もあるんだな」と、知らなかった顔を見た気になって、セシリアはどこか嬉しく感じてしまっていた。
地上にいたのでは、恐らくよほどでもない限り見られないであろう仲間の姿だった。
風に揺れる髪を押さえながら「私もだ」と微笑む。
「しかしなんだ、これだけ風を受けているのに、寒くもないし疲れも感じない。不思議なものだな。これがご老輩の『術』とやらなのか?」
「お爺ちゃんの術はこういう時にすごく便利なんです! こういう時にしか使えないんですけど……」
「かゆいところにしか手が届かんものが多いからのう。おかげで戦力としては数えられんかったわい」
吹きすさぶ風の中、けれど一行は、その風を冷たいとも、痛いとも感じていなかった。
シャーリンドンやアルテなどは捕まっていられず吹き飛んでしまってもおかしくないくらいであったが、全く問題なく絨毯のようなモフモフの上に座っている。
髪や衣服が風に揺れるのは気にして押さえはいるものの、疲労や苦痛を見せるものは一人もいなかった。
「……よく言うよ。狼老」
「ふぉふぉふぉ……お主くらいだのう。ワシを初見で脅威と見たのは」
「セシリア様、こいつ、気を付けて」
何やら確執のあるらしい名無しだったが、老爺は仮面のまま、表情の読めぬままに笑い声のみを聞かせる。
一見して怪しい老人ではある。
どんな人物なのか気にはしていたが、改めて気を付けろと言われ、一行は老人に視線を向けた。
「気を付けろっていうけどさ、何に気を付ければいいんだよ、ポーターちゃん」
「狼老は神の魔物の中で一番狡猾な奴なの。力はないけど、そんなのが問題にならないくらいに知恵が回る。ケットシーと組むと手が付けられなかった」
「マジか……策士タイプとかそういうアレ?」
「そういうアレ」
セシリアが黙ったままなので、と代わりに聞いたシェルビーに、名無しはむっとした顔のまま答える。
一見してそうは思えない……というより、そんなイメージが湧かない、そんな老人であったが。
「使い勝手の悪い『術』を、全く問題なく駆使して、ボクらの裏を掻いたのがこいつなの。レーゲンヴェリエでの大決戦の際に、こいつはその術で、フレースベルグを分身させてボクらを欺いたの」
「何せ神界に大天使が居たままであっては、とてもではないが勝ち筋など見えぬとワシは思っておったからのう。陽動は必要だと思ったのじゃ」
「仔猫ちゃんの真実を見る能力と狼老の先を読む能力のおかげで実行できた策よねえ。ミー君説得できたのは狼老の口先のおかげだしぃ?」
「えーっと……その、大決戦の話ってのは俺には今一解らねえんだけど、つまり、ポーターちゃんが裏をかかれたから、危険な存在だと思ったって事か?」
「恐らくは、勇者ウォレスたちも参戦したと言われている地上最後の決戦のお話……だとは思うのですが……」
むー、と頬を膨らませながら狼老を睨みつける名無しではあったが。
かつては美しかったその顔も、今は幼い少女のそれでしかなく、シャーリンドンなどは「かわいいですわ♪」と微笑ましい気持ちになっていた。
そしてその話もまた、遥か古代の、文献にすらほとんど残っていない時代の話なのだ。
アルテの補足を聞いて尚、シェルビーは口元をヒクつかせながら「そんな知らない時代の話されてもなあ」と苦笑いする。
「あの時は、地上に大天使らを釘付けにしている間に、フレースベルグをはじめ可能な限りの戦力を神界に戻し、魔神の援護に回る……これらが可能な策がそれだった、というだけよ」
「話が壮大すぎてついていけねえけど、言ってみりゃ昔の話なんだろ? 今も俺達騙そうとしている、とかなら無視はできねえけどさ」
「むむむ……それは、そうだけど……」
「無論、今のワシらにそんな悪意はないわ。一歩違えただけでそこな大天使に首を斬り落とされかねんし、なあ」
シェルビーに諭され、面白くなさそうな顔になる名無しに、狼老はからからと笑うばかりであった。
「――お話し中悪いけれど、もうすぐ目的地よ。着陸に備えて頂戴」
そうして、その中にあって、会話に混ざっていなかった竜鱗の女戦士が声をあげる。
一人、フレースベルグの頭部にて、道行く先を見ていたのだ。
『ティアマートよ、我は奴らの郷には顔が出せぬ。要らぬ混乱を招くわけにもいかぬ故、ちと手前に降りるぞ?』
「それでいいわ。お願い」
『うむ』
空の旅のまま終わるかに思えた旅路は、けれど、別の目的地に寄る事が予め伝えられていた。
それがこの、竜人ティアマートの故郷、『竜の国』である。
「寄り道するってのは聞いたけどさあ。このまま直接行くのはダメってのはなんでなん? 襲われるから?」
わざわざ高速移動できているのに手前で降りるというのが今一謎だったシェルビーは、早速その疑問を問うが。
髪を抑えながらに、ティアマートは苦笑いしていた。
「どちらかというと、あっちがパニックに陥っちゃうでしょうからね」
「なんで? フレースベルグがでかすぎるから?」
「『食べられる』と思っちゃうから」
「ぶっ」
冗談のような返答に思わず吹いてしまうシェルビー。
だが、彼に限らずセシリアPTの面々は、ティアマートが顔に似合わなず冗談を言ったのだと思っていたのだ。
場を和ませるために笑いを取ろうとしたのだろう、と。
「フレースベルグは、竜すら捕食するからのう。というか、サイズ的に、竜くらいでかい生き物を食わんと腹が満たせんのだ」
「え……冗談とかじゃなく、ほんとに食っちゃうの? 竜を?」
「ああ、頭からバリバリとな」
「あれは中々迫力あったわよねえ。フーレちゃんったら、生きたまま食べるから……」
「私はちょっと怖かったかも……」
『あの頃の我はグルメだったからな』
グルメ感覚で捕食する相手があまりにもスケールが大きすぎて、シェルビーは「ははっ」と、乾いた笑いを浮かべた。
冗談ではなく、実際にそうだったのだと神の魔物たちが証明していた。
「つまり竜にとってフレースベルグは天敵……な訳か」
『そういう事だ。我が奴らの郷に近づけば、皆がパニックになり竜どもはどこぞへと四散してしまう事だろう』
「よく天敵と一緒にいられますわね、ティアマートさん……」
「私は強い者と競り合えれば何でもよかったからね。でも、多くの竜はそうではなかった。自分の力に慢心し、自分より強い存在が地上に存在したなんて、思いもしなかったから」
竜とは、人間達の国においては、最も強大な魔物と考えられていた。
魔族と伍する知恵を持ち、巨大なトカゲのような化け物ではあったが、その体躯からくる破壊力は地上でも最強だと言われている。
そんな竜だが、時折集団暴走を起こしては通り道になった街や城をズタズタにしていく為、これへの対処が各国の軍隊の最大の課題となっていた。
当然、それはセシリアも知っていたが。
「セシリアのかーちゃんってすごかったんだなあ」
「竜位なら私も倒せるが?」
「いやあんたも十分すげえけどさ」
騎士団長から聞かされた『先代団長が単独で竜のスタンピードを蹴散らした』という話を思い出しながらしみじみ呟いたシェルビーだったが、妙に張り合おうとしているセシリアにはつい笑ってしまっていた。
確かにセシリアはすごいのだからそこは否定しようも無かったのだが。
「海洋国家なんかだと水竜騎士が居たりして、なんだかんだ人類と竜が共存してる国もあるとは聞くけどよ……でも、神の魔物になると人型になったりするもんなのか?」
「ええ、私は人と同じサイズになれる事を願ったからね。より強い者達と戦うために」
この拳一本で、と、ぐぐ、と掌を握りしめるティアマート。
ぎちり、と竜鱗の腕の筋肉が引き締まったのを見て、セシリアは「素晴らしい筋肉だ」と感心した。
「竜の姿のままでは、見えない世界があったのよ。私はそれを見た。だから、ケットシーたちと暮らす前に、一度それを故郷の者達に伝えたかったの」
強さとは、生まれ持ってのモノだけではないのだ、と。
そう願いながら、ティアマートは口元をにやけさせる。
それができるのだ、と。万願叶う瞬間が近いのだと、そう感じながら。
『降りるぞ。皆の者、備えよ』
ほどなく、フレースベルグが下降してゆく。
海の先の大地に、セシリアたちは上陸したのだった。




