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4 特務任命将校 (2)



 気落ちした日本人の心情を見取ったのか『Z』は続けた。

「少なくとも、サンスワンに関しては成果はあった。三十年の時間をかけて、サンスワン川流域は大耕作地帯となり、下流には世界各国からの石化プラントが建設され、一大エチレンセンターと化した。ジャワ島東部の奇跡とまで言われている。

 たしかユキムラ・グループも進出しているはずだな」

 紫月はうなずいた。以前の部下の一人が配属になっている。

「ダムが破壊されたら、満水の奔流は耕作地を押し流し、飽き足らず下流工場群まで潅水させる。プラントの一時操業停止は、世界中に少なからず影響を与える」

「……沢山の住民も、傷つくわ……」

 舞のつぶやきが、一番胸にこたえる。最悪の結果が出たら、彼女は悲しむだろう。何も知らないまま、TVのニュースで聞く以上に、複雑な心情で胸を痛める。

「まだ起きたわけじゃない。そうだろ?」

 小さく耳に囁いてやった。

「……私のことは気にしないで。自分で決めて、兄さん」

 ここまで気遣われて、紫月は強くうなずいて返すしかない。

「ビジネスの話しをする気になったか?」

 紫月を言いなりにさせる最大の弱点として、舞をここに残したのなら『Z』の作戦勝ちだ。だが経営者として、FISのトップとしての紫月は、まだ慎重だった。

「どうして、ここまで肩入れする?」

「さあな。運悪く、私はこの国に居る。私なら、最小の被害で問題を解決できる。

 ……大した自信だ。

「そこまでお人好しだとは知らなかったな」

「まだ気付かなかったとは、不感症か」

 これが違う状況であったら。たった今、交渉決裂している。

「ダム破壊工作の阻止だけか依頼は? もったいつけずに手の内を見せてもらおうか。時間が無いんだろう……!?」

「依頼は、ダム破壊と内乱の阻止」

「! 思い出した……。エミル・サリム国防相が視察に向かっているのがサンスワン・ダムだ。たしか今日。二時には会見を」

 メギナも思い当たり、顔色を変えた。

「午後十二時三十分。彼等はダムに到着する。サリム国防相とラハルディ環境相。一時間の視察の後に、現地で会見を行う。敵の狙いは視察中だ。機密扱いのため、ダム・コントロール部に関しては、記者たちはシャットアウトされる。狭い空間なので同行のガードも減らされる。そこが狙いだ」

「まて……。ということは職員も仲間なのか……?」

 それには答えず『Z』は話しを進めた。

「大臣二人を拉致し、会見場で声明を発表する。同時に、会見の生中継を見た仲間が、それぞれの場所で蜂起する。ジャワ東部は混乱に陥り、東ティモール解放軍本隊が殺戮を始める」

「東ティモール解放軍……!? 奴らの仕業なのか?」

 旧ポルトガル領ティモール。インドネシア諸島東端最大の島、ティモール島で七十六年、内乱が起きた。それに乗じて同地域は一方的にインドネシア政府によって併合された。島東部の豊かな地下資源が最大の目的と噂されている。だが東ティモールの独立を目指すゲリラ組織が反政府活動を開始。十二万人が虐殺されたとの報告もある。方や、国連決議により、島からのインドネシア政府軍の撤退が可決されているにも関わらず、内政干渉として政府は拒否。双方の対立は過熱するばかりであった。

「確かな情報では、現段階、東ティモールのゲリラは、この作戦に乗り気ではない。誰もが血で血を洗う内戦をいつまでも望んでいるわけではないからな。その上、後味の悪いことに、ダム決起部隊は捨石とわかっている。奴らはダムに籠城する以外無い。国軍が投入されれば、簡単に全滅に追い込まれる」

「見殺しに……?」

「スケープゴートだ。国軍に攻撃をさせて、その非情さをマスコミであおる。命令を下した政府にも矛先は向く。

 他にも、民主派として国民に人気のサリムが戦闘に巻き込まれ死ぬことになれば、政府内部の強行派には願ってもない」

 どさくさに紛れ、サリム国防相が暗殺される……。軍司令官を兼任している彼がそんな目にあえば、国軍は黙ってはいない。

「政府の中にも、加担する者が居るのか。なんてことだ……!

 敵味方の思惑が複雑に絡んで、最高のお膳立てだな。

 完璧な火種。一つのきっかけがあれば、全土を巻き込んだ内戦がはじまるぞ。……この国に、そんな組み合わせを思い付くようなテロリストが居たのか?」

「首謀者は東ティモール解放軍の中でも最悪の強行派。ダリ・ハッサムということになっている。人数は少ないが、殺戮を好む。ダム占拠の実働部隊も奴が指揮する。血の気の多い頭脳より腕力を信じる男だ。参謀役が背後に居るだろうが、奴しか知らんだろうな。すでに内部手配者によって、ダム内部に潜伏している。奴らだけは脱出ルートがある。卑怯な男だ」

 吐き捨てる『Z』に、初めて紫月は共感できた。卑怯な人間には、その行いに相応しい死が与えられるべきだ。

「国軍が動いては、奴らの思う壷か。といって、見過ごして好きなようにさせるのもリスクがあるな……」

 紫月は時計を見た。また視察の一行は出発前のはず。

「視察を中止に出来ないのか。そこまで分かっていて」

「どんな理由をつける? ダム職員全員が反乱に加担していると言えばいいのか? 全員を囲んで皆殺しか。それもマスコミが喜ぶネタだな。それに、中止イコール決起と奴らのシナリオには書かれているはずだ。同じことだ」

 手を貸すか、拒否するか。やるならば失敗は許されない。

 他に方法が無いのなら……。

 紫月の思案を、ゆらゆらと歩み寄るメギナが破った。蒼白な顔色で、紫月の前に跪いた。

「……ダムには私の息子が……。でも反乱に加担するような……、そんな子ではありません……。どうか……」

 気丈に、泣き崩れもせずに、そのまま紫月へ頭を下げる。

 駆け寄る舞の手から、メギナを引き取ったのは『Z』。肩を抱え、自分がかけていたソファへ彼女を座らせた。

「ジュベル・アサ君ですね」

 驚きで大きく目を見開き、彼女は『Z』にうなずいた。

「あなたにも礼を言います。彼が知らせてくれました。現場の者もほとんどが脅されているそうです。彼は、ナミルノという男に今朝、危険を犯し電話をくれました。自分はどんな犠牲を払っても構わないから、阻止して欲しいと」

「息子が、兄のように慕っている方です」

 彼女は目を見開いたまま涙を溢れさせた。

「現在は私の生徒です。彼は自分のチームのメンバーにもその話を伝え、彼等が訓練を抜け出し向かおうとしたので、訳を問い詰めたら白状を」

「教官の鏡だな。訓練途中のひよっ子を、死なせたくはなくて自分が?」

「私は最善を尽くしたいだけだ。端から殺されるような部下と戦場に出るつもりはない」

「その台詞、FISへの褒め言葉として受け取っておくぞ」

 紫月は、両手で顔を覆い声もなく泣き出すメギナに言った。

「心配しないで下さい。我々の能力は確かです。それに、誰よりも真っ先に正義を行ったあなたの息子を、バリの神々が救わないはずはない」

 腕を組み、長身で見下ろす男が低く告げた。

「作戦の指揮はお前が取れ」

「適任はそっちだ」

 紫月は慌てて言い返す。

「責任者の私が、戦闘を指揮するわけにはいかない」

「お前の計画だ。自分でやればいい!?」

「勿論。この手でケリはつける。だが指揮官にはなれない」

 紫月だけを見据え『Z』は続けた。

「私に指揮を取らせて部下を死なせたいか? それよりも自分で指図し、うまく私を始末する方が得策ではないのか?」

 考えてもいなかった。この高圧的で人を指図するのに慣れた、群れなすことを嫌う孤独な男が。……僕の指揮に下る?

「……。お前も、出るつもりか?」

「当然だろう。私の立てた作戦だ」

「……」

「何をためらう。悪くない条件だろう?」

「……僕は休暇中だ!! それに、今、自分で言ったはずだ。反日家どもを日本人が蹴散らすのは……」

「お前たちは私が雇う私兵だ。国籍などない。言う通りに動けばいいんだ」

「……。断る。戦闘の指揮官の経験などない。狩野。たった今、降格する。機動部付きに回れ。作戦のすべてを任せる」

「他の六名も休暇中止でよろしいですね」

「ああ。彼等も君の配下に回す」

「お引き受けします」

「……その前に。今更聞くが、使えるガードは居るのか? ジャングルの中でのゲリラ戦だぞ」

 紫月の不安はこれだけだった。FISの機動部メンバーは、誰もが十分な訓練と経験を積んでいる。わかってはいるが。

「問題はありません。六名中、五名までが野戦の経験があります。うち四名はカンボジア、エクアドル、ミャンマーなどで数年間。バリ及びジャワ島東部の地理に詳しい者も同行しています」

「戦争を始める気があったのは、お前たちの方だな」

『Z』にまで、肩をすくめ感心された。

「理由を聞かせろ。ここに来る直前に、ガードを全員入れ替えたな。こうなると見透かしていたとでも?」

「いえ。私が考えられる限りの最善を尽くしただけです。実際に、活用することになるとは、思いもしませんでした」

 狩野は顔色一つ変えず答える。すべての感情を穏やかさの中に隠すのが彼の特徴だが、こんな風に戦いを前にしてさえ静か。それも、蓋を開けたら完璧に戦争の準備はなされていた。

「ボスは部下の気持ちを知らないらしいな。

 お前の腹心は、国軍を髪の毛の先ほども信用しいていなかった。何が起きても、自前で逃げ出せるように準備していた。

 ガードから離れるという愚行は、これが最後にすることだな。余計な手間をかけさせるだけだ」

 紫月は、変化の無い狩野の顔を見上げ、ゆっくりと顎を引き額に手を当てた。開いた指の隙間に、メギナの肩を抱きながら、紫月を振り返る長い黒髪の少女。潤んだ黒い瞳。

 ……僕は、戻りたかっただけなんだ。昔のように、父親の傘の下で、二人きりで過ごした時代のように。君は小さな子供で、僕はティーン・エイジャーで。あの頃はまだ、世界は狭かった。学校と広い家と君と僕と、ごく親しい人々だけ。

 あんな時代に戻りたかった。二人きりで向き合った毎日。父親は仕事で帰らなかった。君はじっと、寂しさを堪えていた。

 君は僕の側をいつも離れずに居て、少し困ることもあったけど、僕は君の時折弾ける笑顔だけで、すべてを許せた。狭い僕の世界中に、時折影指した不快なこと、すべてを。

 もう戻れないらしい。君はあの頃のままではないし、僕も変わった。何より、父という頑丈な傘を無くした。君を守る役目は、僕に回ってきて、他に託す相手はない。いや……、君が生涯かけて愛する男が現れるまで。期限は短い。せいぜいで、十年あるかどうかだな。考えれば、なんて短い時間だ。ガーディアンを襲名して二年経つ。

 たった二年で、この役目の辛さに挫けたくなるとは。

 たとえ他の男に譲ったとしても、僕は君の第二の傘になることを望む。きっと一生。死して後も、君の命がある限り。

 君の笑顔を独り占めにして暮らす時間は短い。短いとわかっているから、時間が欲しかった。君は年々、変化してゆくから。

 急激な羽化。少女たちは、みんなそんなものだ。若く不安定な時期に、別の美しさを得る……。

「すまない、狩野。勝手に、ここに決めてしまった」

「これが私の仕事です。ボスがどこに行こうと、同じことをするでしょう」

 額を押さえた手を、狩野は握り取り紫月の膝の上に戻した。

「少なくとも脱出用に十人は乗れる船があるな?」

「ええ。消音スクリュー付きの高速艇が、下の入り江に。多少の銃器も積んであります」

「……違法行為だぞ」

 呆れるという以前に、紫月はさすがに怒りを感じた。当の二人は涼しい顔だ。

「国軍の警備担当者には、レジャー用だと断ってあります。チェックは遠慮しましたが」

「十五分以内には、全員を集められるな」

「十分です。すでに緊急召集信号は出しました。あなたの顔を見た瞬間に」

「それはいい判断だったな」

 薄く片頬だけで含み笑い『Z』は腕時計を目元に差し上げた。

「では十五分後に、ここから出る。すぐにブリーフィングだ」

「了解。作戦参謀殿」

「……僕も忘れるなよ。狩野。僕のアタッシュケースをよこせ。

 お仕事の時間だ」

「イエス。ボス」

「そこのボーイ。もっと広いテーブルを持ってこい」

「どうやってダムに辿り着く?」

「参謀殿の頭には、その経路も入っているでしょう」

「地図を出せ。詳細な地図を。天気図も必要だな」

「天気? 霧でも出ていないか、調べるのか?」

 狩野と『Z』は、ボーイが運んだ広いテーブルに、自分の携帯パソコンを広げる。お互いにネット上でリンク完了。

「………雨ですわ」

「え?」

 一同が、力無く呟いたメギナの声を振り向いた。

「ちょぅど昼過ぎから三時まで、雨が振ります。強い雨。あそこは多少高地にあたりますので、落雷も発生するでしょう。

 息子が申しておりました。二メートル先も見えなくなる滝みたいな雨だと……」

 狩野と『Z』は顔を合わせた。

「使えますね」

「雨雲の位置を確かめておけよ。不確定な情報に振り回されるわけにはいかん」

「……。難しいですね。インドネシア政府は、この国では雨は当然と思い込んでいる脇の甘さがありますから」

「それでも、だ」

 二人とも顔を上げず、キーボードを選び続ける。

 地理的状況の確認、タイムテーブルの設定、インドネシア政府オンラインから抜き出した視察スケジュールとの擦り合わせ、等。

 本来なら、事前に何人かでするべき作業を二人で、短時間で行おうとしている。その上で、あらゆる情報を頭に叩き込み、作戦を詰めていく。紫月は狩野の補佐役を務めている。必要なデータを検索取捨し、狩野の端末へ送り込んでいた。

「ボス? 少し休まれては?」

「僕を追い払う気か?」

 怒る気力も無い。意識を集中させ、滲みかける画面を見据える。『Z』の冷ややかな背中だけが、気力を支えていた。

「僕が余計者かどうか、思い知ってもらおうか?

 狩野。こちらのラインを使え、間違いなく正確だ」

「なるほど……。この手がありましたか……」

 舞が狩野の端末を覗き込む。

「これは。ユキムラ・グループの専用オンライン?」

「東ジャワにあるグループの石化プラントの管理用オンラインに繋がっている。

 以前の部下が別れ際、アドレスとパスワードを預けてくれた。

 彼等を救うためでもある、好きなように使っていいだろう? 現地のリアルデータは完璧のはずだからな」

 軍服の前ボタンを外した『Z』が振り返る。

「……もう少し早くに気付け。三分もロスした」

「お…お前、まさかハッキングを……?!」

「最後のゲートはどう開ける? 今後の為に聞いておこう」

「! 黙れっ。次は無いぞっ。グループのセキュリティは何をやってるんだ……!!」

 ……こんな奴に、たった三分で最終関門まで破られるだと?

 事前に、ある程度までの解除ルートを掴んでいたとしか思えない。定期的にパスは変更になっている上、複雑な暗号キー仕立てのはずだ。それとも内部に協力者が、まさか……!

 視線に気付く。『Z』が、紫月の怒りを見取っていた。

「グループは弱体化している。お前が居た頃とは違う」

「その話しは禁句です。ボスは耳を貸しません」

 狩野が諌めた。珍しく『Z』は黙って引き下がった。

 未だに、グループへ戻れと言ってくる。誰というわけではない。昔の部下や、役職たち。グループに背く後ろめたさがあるのか、声高に語りはしないが、求めてくる。請われるのが不快なのではない。会いたくない人々でもない。だが、すでに別の世界の人間同士。FISとして走り続ける紫月には、過去は無用で、考えたくはない。……だが。足元が腐りかけている、らしい。

「舞。二人に何か飲み物を」

 強張った頬を見られたのだろう、舞は不安な顔をしている。

「私はコーヒーを。ストレートでお願いします。あなたは? メギナのコーヒーは最高だそうですよ」

「私は酒だ。クラッシュした氷にパッション・フルーツを加え、よく潰した中にアラックを」

 アラックはココヤシの蒸留酒。三十五度の強さがあるはずだ。

「……。それで生きて帰ってこれるのか?

 手を滑らせて味方を撃ち殺す気か?」

「疑う前に、自分も試してみろ」

「訂正します。私も同じものに」

「狩野……?!」

「ボスもいかがです?」

「舞? 兄貴の分もだ」

 狩野と『Z』の息の合う様子と、複雑な気分の紫月を思いやって、舞はほっとしていいのか、怒り顔をしていいのか。迷いながら、リビングの出口で一度振り返り、肩をすくめて姿を消した。



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