幕間 砂漠の聖女6
アッザリア軍事施設から数キロ離れた、砂漠の岩陰。
息を潜めていたレイブンスウッドのステルス輸送機のコックピット。
パイロットはおもむろに夜空を見上げた。
スタティック・ウェルのある方角の夜空。
そこには作戦の第一段階完了を知らせる信号弾が赤く空を照らし出していた。
同時刻。
無残に崩壊した第零区の正門ゲート前。
アラステア・ヴォーンもまた、
煙の向こうに浮かぶその赤い光を見つめていた。
その鼻先を紫の雷撃が炸裂音と共に通過する。
だが、それは彼の背後で不気味に口を開けた漆黒の闇へと、
音もなく飲み込まれていった。
「クッ……!忌々しい……どこを見ていいる!
まだ我々は屈してなどいないぞ!アッザリアを滅ぼすのではなかったのか?」
蒼耀卿リチャードの整えられた金髪は乱れ、息を切らせながら、
アラステアを睨みつける。
展開されていたはずの無数のサファイアの破片が足元に散らばり、
彼の軍服はボロボロに引き裂かれていた。
「……潮時だな。悪いが興も削がれた」
アラステアは短く呟き、持っていた煙草に火をつける。
至る所に巨大なクレーターと溶解したガラス状の砂が広がっていた。
その一方でアラステアは、ローブの裾に砂埃一つ付いていなかった。
「ふざけるな……! 貴様一体何をしに来たと言うのだ、アラステア……ッ!」
口元に血を滲ませながら睨みつけるリチャードを、
アラステアは哀愁を帯びた瞳で見下ろした。
「古い盟約を果たしに来たまでだ。
ドノヴァンとその輩も不在。これ以上ここに用はない」
ズドォォン!!
突如としてアラステアの足元の地殻がせり上がり、
彼はその黒い巨岩の上へと静かに跳躍する。
「いずれまた会う機会もあるだろう。
それまで壊れた巣の修繕に励むことだ、
蒼耀卿リチャード」
アラステアを乗せた黒い巨岩は砂煙をあげながら地中深くへと沈んでいく。
「アラステアーッ!」
リチャードは慟哭と共に力なく膝を付いた。
アラステアが消えた後に残されたのは、
深淵まで続くような底の見えない裂け目だけだった。
同時刻のスタティック・ウェルの中層エリア。
そこでは、激しい破壊の嵐が吹き荒れていた。
「ああぁぁッ!! 死ね!! 塵になれェッ!!」
発狂する琥珀卿ローレンスが、
灰色の肌から無尽蔵に琥珀の針を射出し続ける。
だが、その致死の暴風は、
レグルスの背後から展開される黄金の剣雨による精密な迎撃網によって、
尽く空中で相殺されていた。
「ルカ、異相の歪曲を見逃すな! クロエを上手く誘導しろ!」
「了解! 次、右前腕部に高密度異相粒子反応!」
「おっけー!!」
ルカのナビゲートに合わせ、
クロエの放つ極大の『イグニス・ファトゥス』が、ローレンスに放たれる。
タイミングを合わせ、レグルスの的確なアシストが逃げ場を奪う
クロエの重爆撃が見事に目標へと着弾した。
アシストに徹するレグルスと、クロエのデタラメな重爆撃。
完全に理性を失い、広範囲攻撃を繰り返すだけのローレンスの猛攻は、
『調和の門』と呼ばれるティファレトの連携の前に、
完全に封じ込められていた。
今しがたの爆撃によって、ローレンスの右腕はドロドロに溶けていた。
しかし、それもしばらくもすると、不可解な灰色の物質が上皮を形成し、
瞬く間に再生してしまう。
「くそ、まただ。何なんですか、あいつ?キリがないよ……」
クロエが額の汗を拭いながら、呟く。
レグルスは焦りなど微塵も見せず、淡々とその問いに答えた。
「問題ない。無限の再生力など存在しないんだ。確実に削っていくぞ」
「……はい!!」
クロエは力強く返事をしたが、その顔には疲労の色が濃い。
ローレンスの異常なまでの耐久力もあり、戦況は膠着状態に陥っていた。
その時、レグルスのインカムにパイロットからの通信が入る。
『――レグルス様。ヒルデガルド様が目標を達成。これより離脱します』
「了解した。我々も残敵の処理を済ませ次第、すぐに離脱する。
2番機をこちらに向かわせてくれ……お前達はすぐに発て」
レグルスはそう命じると、目の前の異形の怪物へと剣先を向け直す。
「お前達もここまでよく耐え凌いだ。撤退するぞ、殿は私が受け持つ」
「やった……」
「よしっ!やっと帰れるー!」
ルカとクロエに安堵の表情が浮かぶ。
レグルスの表情には、部下たちと「全知の巫女」を確実に逃がすという、
揺るぎない決意が満ちていた。
ー同じ頃、ヒルデガルドを乗せた輸送機。
すでに浮上し、夜の砂漠を滑るように離脱していく薄暗いカーゴルームの中。
ヒルデガルドは、簡易ベッドに寝かせたリリアの静かな寝息を確認すると、
ズルリと壁にもたれかかるように座り込んだ。
向かいの壁際には、ガレスとパーシヴァルが横たわっている。
二人とも一命は取り留めているものの、全身の骨が砕け、
ひどい出血を伴う重傷だった。
待機させていたドローンが辛うじて彼等の命を運んだのだ。
彼らの犠牲の上に成り立った、奇跡的な成功。
ヒルデガルドは血の滲む拳を握り締め、作戦の代償を噛み締めていた。
だが。
ふと、冷たい疑問が彼女の頭をよぎった。
(……私は何故ここにいる?)
自身の記憶を辿る。
最深部で、彩晶卿アルジェンタと対峙した。
ガレスの障壁は紙切れのように粉砕され、パーシヴァルは一瞬で沈められた。
ウィスパーズの予知を使っても、
自分は彼女の放つ銀貨の直撃を免れるだけで精一杯だった。
あの化け物に、自分は為すすべもなかった。
それなのに、なぜ自分はこの惨状で、リリアを抱えたまま生還できたのか?
その間の記憶が、スッポリと抜け落ちている。
考えられる答えは一つ、”逃がされた”のだ。
(……洗脳? いや、思考はクリア。その線は薄い。
だとしたら……条件付きの記憶操作?
それにしても、あれだけの戦闘力に精神系の能力?
複数のスキルだなんて聞いたこともない……)
冷たい汗が、ヒルデガルドの背筋を伝う。
わざわざこんな面倒をしてまで、レイブンスウッドへ自分を帰還させる理由。
最悪の想定が、彼女の脳裏に閃いた。
(事後催眠か、あるいは……五感の……共有ができる……?
だから泳がせたっていうの?)
対峙したから分かる、彼女の底の知れなさ。
もし、自分の視覚や聴覚が、今この瞬間も「敵の監視カメラ」
として筒抜けになっているとしたら。
自分がこのまま組織に帰還すれば、レイブンスウッドの機密も、
そして何よりリリアのこれからの未来も、
すべてアッザリアに握られることになる。
(……なんて悪辣な……)
ヒルデガルドは大きく息を吐き、
静かに自身の太もものホルスターからコンバットナイフを引き抜いた。
手が微かに震える。
(ここで命を落とすわけには行かない。確実に彼女を送り届けるまでは。
けれど、敵に情報を渡すわけにも行かない)
迷いはない。
彼女の能力『囁く者』は、ミオとは少し違う。
彼女ほど強力な未来視ではないが、
数秒先の未来の情報を脳内に直接「音と映像」としてフラッシュさせる。
仮に視力を失おうと、戦闘や生活が不可能になるわけではない。
(……あの子の未来も、人類の未来も、好きにはさせない……!)
ヒルデガルドは、眠るリリアの顔を最後にその目に深く焼き付けると、
バックパックからバーナーを取り出しナイフの刃先をあぶり始める。
そして鋭い刃の切っ先で、ためらいなく自身の両目を素早く裂いた。
暗いカーゴルームに、くぐもった呻き声が響く。
少女と世界の未来を守るために、自らを永遠の暗闇へと落とす。
それが第9の門「イェソド」サブマスター、ヒルデガルドの選択だった。
薄暗い瓦礫の上。
鼻歌を歌いながら楽しげに宙を見つめていたアルジェンタの視界が、
唐突に激しいノイズと共に真っ黒に塗り潰された。
「……あ」
共有されていたヒルデガルドの視界の喪失。
そして、ナイフと熱で瞳が焼き裂かれる悍ましい痛覚のフィードバック。
「……っつ」
彼女は瞳を押さえながら肩を震わせる。
「フ、フフッ」
ゆっくり立ち上がり、
誰もいない瓦礫の底でパチパチと拍手を送る。
「すごい、すごいよ! お姉さん!」
普通なら悶絶するようなその痛みの残滓を感じ取りながらも、
アルジェンタは怒るどころか、頬を紅潮させて歓喜の声を上げた。
「自分の目を潰しちゃうなんて!
そこまでして私からリリアちゃんを隠すなんて!
あはははっ、傑作! やっぱり私の見込んだとおり!」
特等席の監視カメラは、たった今、物理的に破壊された。
だが、アルジェンタの心に不満は微塵もない。
むしろ、自分の仕掛けた絶対的な悪意を、
想像を絶する「覚悟」で力技で叩き割ってみせたヒルデガルドという人間に、
歪んだ賞賛すら抱いていた。
「あーあ、見えなくなっちゃったのは残念だけど……ま、いっか」
アルジェンタは血だまりを避けながらスカートを翻し、
瓦礫の奥へとスキップを踏む。
その手の中で弄ばれる銀貨が、チャリン、と暗闇に冷たい音を響かせた。
「ん? でも、これドノヴァン様になんて言おう……」
ふと、立ち止まり一瞬の戸惑いを浮かべるアルジェンタ。
「ま、いっか!ナントカなるなる♪」
そう言って彼女は再び軽い足取りで瓦礫の奥へと消えていった。
砂漠の聖女編は今回で終わりです。
幕間はもう少し続きます。
この後はリリアとミオ、2人の物語が始まります。5-6話の想定です。




