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幕間 砂漠の聖女1

幕間というにはかなり長くなってしまっていますが、第2部を書くのに必要な情報を書いていたらこうなってしまいました。。前回までのミオの過去編は前後編となっていて後編に続いていきます。

今回は2部から本格的に登場するリリアとアッシャーの光輪、セブンゲートの過去のお話です。

全6話になる予定です。


 生温い液体の感触が肌を撫でる。

 吐く息が液体を押し分け、気泡となって舞い上がっていく。

 厳重に囲われた、円筒形の液槽の中。

 銀髪を揺らめかせた少女――幼き日のリリアは、

 ゴボゴボというその音で目を覚ました。

 

 少女は恐る恐る、重い瞼を押し上げる。

 揺らぐ視界の先、液槽のガラス越しには、

 ほの暗い無数の機械群がそびえ立つ、巨大で冷徹な研究施設だった。


(ここはどこ……?体……浮いてる……水の中?息は……できてる)


 その幼い外見に似合わない異常なほどの落ち着きで、

 彼女は自身の状況を俯瞰した。

 人の気配はない。

 四肢は冷たい拘束具で固定され、顔の半分を覆う無骨な呼吸器が、

 肺へ強制的に酸素をねじ込んでくる。

 腕には何本もの太いチューブが突き刺さっていた。

 

(何かが体に繋がって……)


 腕に何本もの太いチューブが突き刺さっているのを視界に捉えた瞬間、

 内臓を鷲掴みにされたような激しい吐き気とめまいがリリアを襲った。


(何……これ!?一体何をされて……だめ、ここで吐いたら……)

 

 リリアは口を覆うマスクの中が嘔吐物にまみれることを思い踏みとどまった。

 その時、脳髄を直接閃光で焼かれたような、強烈な錯覚。

 視界が真っ白に飛び、浮かんだ疑問に対する「答え」が、

 意志とは無関係に脳内へ強制ダウンロードされていく。

 

 ――砂漠の果ての城塞都市の中心地。

 歴史を感じさせる街並みの中央に一際高く佇む塔。

 憲兵に抱えられ塔の中へと連行されるリリア。

 待ち構えていたのは自分を”ナハシュ・アルール”と呼ぶ、

 薄気味悪い司祭達と煌びやかな祭壇。

 記憶というより記録を見せられているような感覚。


(……ここは……アッザリア連邦の地下施設……。

 ナハシュ……違う、私はそんな名前じゃない)


(名前……自分の名前思い出せない……)


 記録は尚も再生され続けた。

 ――砂漠の南端、緑豊かな海辺の都市サリア。

 その高地に建つ白亜の豪邸。

 イギリスから逃れた由緒正しき血を引く、貴族の末裔。

 そこで上級貴族の一人娘として生まれた少女は、

 稀有な才を持つ一人娘として両親から深い愛情を注がれていた。

 難解な古文書の文字を読んで見せ、高等教育の数式を解いて見せる。

 父が誇らしげに頭を撫でてくれる。母が淹れてくれた紅茶の甘い香り。

「リリアの将来が楽しみで仕方ないわ」

 両親が口を揃えてそう語る。陽だまりのような、完璧で優しい世界。


(リリア……私の名前……お父様……お母様)

 

 記録の奔流の中で見つけた、紛れもない自分自身の記憶の欠片。

 不意に溢れ出た涙は、頬を伝う前に溶液へと混じって消えていく。

 記憶は今だ混濁している。

 だが、この映像こそが自分の記憶なのだと、すぐに理解できた。

 

 映像は続く。ある日、白亜の邸宅に異教の神父が来訪してきた。

 彼は間もなくこの幸福な家庭に悲劇が起こると告げ、

 イギリスに逃げるよう勧めた。

 ”アッザリア連邦”の上流階級に位置する両親は、激怒し彼を追い払った。

 

 しかしその後すぐに、神父の警告は現実のものとなる。

 突然原因不明の高熱でリリアは意識不明に陥った。

 ベッドで苦しむ彼女の胸元に、じわりと浮かび上がった八つの傷。

 交差してダイヤの紋様を描くその印を見た時の、主治医の恐怖に引き攣った顔。

 彼は苦悶の表情でこう口にした。

 

「アルールの……烙印」

 

 両親が悲鳴を上げる。

 その名をアッザリアに住む者なら誰でも知っている。

 それはアッザリアの指標においての呪いの印。

 人類に原罪を唆した蛇に見染められた、呪われた器の証だった。

 生かしておけばその器は蛇の器として完成し世に呪いを振りまく。

 そうなる前に必ず”処理”しなくてはならない。

 アッザリアという国家の心臓部、

12人の枢輝煌からなる”アッシャーの光輪”。

 彼等の手で魂を清浄化し神の身許へと送るのだ。

 両親の必死の懇願を無視し、主治医は”アッシャーの光輪”へ密告した。

 

(嫌……これ以上見たくない……)

 

 リリアの拒絶を無視して、映像は無慈悲に進む。

 邸宅のドアが蹴破られ、武装した異端審問官たちが土足で踏み込んでくる。

 リリアは見た。

 あんなに優しかった父が、権力と教義の恐怖に顔を歪め、

自分を差し出す光景を。

 母が顔を覆い、自分から目を逸らした瞬間を。



(やめて……)


 映像は無慈悲に切り替わり、

 冷たい石造りの大聖堂――異端審問の公開法廷を映し出す。

 熱に浮かされ、

 みすぼらしい罪人服を着せられて冷たい石畳に引きずり出されたリリア。

 周囲を取り囲むのは、かつて彼女の才を褒めそやしていたはずの民衆たちの、

 軽蔑と嫌悪に満ちた無数の視線と罵声。


 だが、リリアの心を完全にへし折ったのは、民衆の悪意ではない。

 証言台に立たされた、愛する両親の姿だった。


『――ウィクリフ卿。あそこに引き出されたる不浄なるものを、

 貴方と夫人の血を引く実の娘だと認めるか?』


 高い壇上から見下ろす裁判官の冷酷な問い。

 かつて誇らしげにリリアの頭を撫でていた父は、

 権力と教義の恐怖に顔を青ざめさせ、

 小刻みに震えながら首を横に振った。


『……認めません。あれは、私たちの娘の皮を被った悪霊のたぐいです……』


『夫人はいかがか?』


『違います。あれは呪われた蛇によって遣わされた……

ナハシュ・アルール(原罪の器)です』


 母は自分から目を逸らしながら消え入るような声でそう答えた。

 その瞬間。リリアの中で何かが、音を立てて粉々に砕け散った。


『――連れて行け。”ナハシュ・アルール(呪われし原罪の器)”め』

 

(……忘れて……しまいたかったのに)

 

 嗚咽の混じった吐息がアブクとなって液相の天井へと昇り消えていく。

 そんなリリアの慟哭もお構いなしになおも再生は続く。

 砕け散ったリリアの心。

 その隙間を縫うように、冷たい牢獄に囚われたリリアの頭の中では、

 自分のものではない何千、何万という「世界の記録」が、

 絶えることなく流れ込んでくるようになったのだ。

 数百年前に滅びた王の絶望。

 見知らぬ世界の学者の知識。

 老いた預言者の視た未来の景色。

 そして光に包まれた異界の光景。

 すべてが自分の記憶のようにひしめき合っている。


(そうだ……記憶が混濁して……

 私、自分が保てなくなっていったんだ……)

 

 目覚めた時の、あの「異常な落ち着き」。

 あれは自分が強いからでも、冷静だからでもない。

 膨大すぎる他人の記録アーカイブに、

 自分自身の感情が押し潰され、麻痺して、心が死にかけていた結果。

 皆の態度を豹変させた「ナハシュ・アルール」という器に、

 まさに成り果てようとしていたのだ。

 

(痛い……苦しい……でも、この痛みがあるうちは……まだ「私」だって証)

 

 疑問を抱けば、見知らぬ数多の知識が自動的に頭に流れ込む。

 これがナハシュ・アルールと呼ばれる者の特性なのだと理解した。

 自分が「人間」から「知識の端末」へと変質させられていく悍ましい感覚。

 

(私はリリア・ウィクリフ……ナハシュ・アルールなんかじゃない……でも……)

 

 先ほどまでの胸の痛みが嘘のようにすでに落ち着き始めている。

 自分と何か別の魂が溶け合ってすでに別の何かになり始めているだとしたら。


(それでも……私はリリアなんだ……もう、忘れたりしない)

 

 意識を外へ向ける。

 ここは地の底まで伸びる巨大な縦穴のような施設。

 兵士達がその場所を”スタティックウェル”と呼んでいた。

 見上げれば、どこまでも続く高い壁に観測用の窓がある。

 そこには何人かの人影が見えた。

 

(あれから……何があった?どのくらい経ったの?)

 

 浮かぶ疑問に映像が答えを教える。

 疑問の答えが書いてあるページを、誰かに捲られているような感覚。

 次の映像ではマスクを付けられ自分の腕には何本かの針が差し込まれていた。

 

 「ナハシュの写本……取り出せなければ……かもしれない」

 

 奇妙なマスクを付けた仰々しい司祭服の男が何か言っている。

 断片的にしか聞き取れない。

 針に繋がるチューブの先にはパッケージがあり何か書いてあるのが見える。

 薬剤のパッケージに書かれた文字が、知識として流れ込んでくる。


(食塩、ブドウ糖、それにアミノ酸?マスクのおかげで呼吸もできてる)

 

(殺すつもりはないの?じゃあ何の為?

 ナハシュの写本……?知識を取り出そうとしてる?)

 

 何の為に、という問いかけに閃光は反応しなかった。

 答えの出ない思考をなんとか引き出そうと少女は記憶を辿る。

 しかし深く潜ろうとすればするほど、

 誰のものかも分からない知識が流入し意識が朦朧としてくる。

 このまま流れに身を任せれば、痛みも悲しみも消え去り、

 ただの巨大なデータベースの一部になってしまうだろう。

 だが、それは死ぬよりも恐ろしいことだ。

 家族に、主治医に、国家に裏切られた「悲しみと痛み」。

 皮肉にも、それこそが「自分がリリアという人間である」という、

 最後の証明だった。


 (駄目……このままじゃ……押し潰されてしまう)


 少女は自分の置かれた状況を認識すると、そっと目を閉じた。

 知識の洪水から、自我の崩壊から逃れる為に少女は数を数え始める。

 1,2,3……101、102,103……1001、1002……

 

(あとどれだけ、こんなところに閉じ込められるのか分からない……)


 10001,10002……

 

(けれどもう、忘れたりしない……私は私なんだ……)


 少女は暗い縦穴の底、抗うように、たった一人で数字を数え続けた。

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