小さな墓標
捨て猫である。
無責任な飼い主というのは、どこにでもいるものだ。
おおかた増えすぎるかなにかして飼えなくなり、軍務省の前に捨てたのだろう。
憤慨の吐息をついた彼女が、箱を覗き込んだ。
と、仔猫とメイリーの視線が交錯する。
猫に限らないが、子供の最大の武器は愛らしさであるという。たいていの場合、これに負けてしまうのだ。人間は。
そして、メイリーもまた敗北してしまった。
白く小さな躰を抱き上げ、
「ん~。どーちたんでちゅか~? すてられちゃったのかにゃ~」
なぜか幼児語で話しかける。
抱えられた仔猫の方は、しばらく怯えたような仕草をしていたが、やがて安心したのか、メイリーの鼻に自らの鼻を、ちょん、とくっつけた。
まるで、よろしくお願いします、とでも言うように。
喜んだメイリーが、仔猫を抱きしめた。
むろん、仔猫の行為は、ただの習性である。
それを都合良く解釈してしまうのだから、人間というものは度しがたい。
あるいは、彼女の優しさの現れだったのかもしれない。
なんにしても、メイリーは仔猫との約束(?)を果たすため歩き始めた。
目指す先は、軍務省の中にある白の軍の隊長オフィス。
すなわち、ウズベルの部屋だ。
ペットを飼うというのはけっこう大変で、隊長にして恋人たるウズベルに世話を手伝ってもらおうという魂胆である。
まあ、動物が好きな人だし、こころよく協力してくれるだろう。
「ウズベル。ちょっと相談が」
とくにためらいもなく扉を開く。
「なんだいメイリー。きみの頼みを断る術を、私はもっていな……」
と、そこまで言ってウズベルが言葉を切った。
青い瞳に、緊張の光が揺れていた。
「メイリー……その猫……」
絞り出すような声が紡ぎ出される。
「ちょっと外で拾ったんだ。飼っても良いよね?」
騎士の様子に気づかず、嬉しそうにメイリーが提案した。
しかし、返ってきた返答は、彼女の予想の外側にあるものだった。
「ダメだ!」
と、ウズベルが怒鳴り声をあげたのである。
あまりの剣幕に鼻白むメイリーの腕を乱暴に掴み、彼は早足で歩き出した。
「ウズベル痛いよ……どうしたの? いったい」
「いいからくるんだ!」
微弱な抵抗をする彼女を、半ば引きずるように外へと連れ出す。
「なんなの。もう」
「捨てなさい」
「え?」
「いますぐ、街の外に捨ててくるんだ」
面食らうメイリー。
ウズベルは、なぜか周囲を気にしながら冷酷なことを言う。
そんなところに捨てたら、三日とはもたないだろう。
「酷いよウズベル! そんなことしたら、この子、死んじゃうじゃない!」
思わず、メイリーも口調を激化させた。
「捨てないなら、私が斬るまでだ」
そう宣言した彼が、腰の剣を抜く。
白刃が陽光を照り返して、ぎらりと光った。
信じられないものでも見るかのように、メイリーの瞳が見開かれる。
彼女とウズベルの付き合いは長い。
なにしろ生まれたときからだから。
良いところも悪いところも、みんな知ってる。
なのに、ここまで、無理解で残酷で暴力的なことを言い出すとは。
メイリーの頭に血が上る。
「なんてこというの!? 絶対にそん……」
売り言葉に買い言葉。
あるいは、いつもの口喧嘩だと思う心が、メイリーのどこかにあったのかもしれない。
両手で仔猫を持ち上げている彼女が、恋人に言いつのろうとする。
だが、メイリーは最後まで言い切ることができなかった。
無言のまま、ウズベルが剣を一閃させたからである。
滑稽なほど軽い音を立てて、仔猫の頸が地面に転がる。
切り口から噴き出した血が、メイリーの白い手を深紅に染める。
立ち竦む彼女の手から、かつては猫だったモノが滑り落ちた。
「嫌ぁぁぁぁ!!」
自分の口が悲鳴を上げるのを、メイリーは聞いた。
信じられなかった。
恋人が小動物を虐待するとは。否、虐待などという生易しい次元の話ではない。
殺したのだ。
彼女の目の前で。
頸を刎ねるという惨たらしい処刑法で。
夢だと思いたかった。
だが、メイリーの手に残る鮮血の暖かさが現実の証明である。
壊れかけの自動人形のように下を向く彼女の瞳に映ったものは、血まみれの両手と地面に横たわる首のない死体だった。
悪夢のような非現実感のなかで、彼女の耳は、小さな音を捕らえた。
視線を動かす。
と、ふたたび信じられない光景がメイリーを襲う。
地面に転がった猫の首に、ウズベルが剣を突き刺しているのだ。
唖然とする彼女に声が木霊する。
「……これで良し」
と。
これで良し!? これで良しとはどういうことだ!
罪もない小動物の命を奪い、あまつさえ、その亡骸を侮辱する。
そのような行為をしておいて、これで良し!?
「……兄ちゃん。自分が何をしたかわかってるの?」
少女の口が無機質な言葉を刻む。
まるで棒読みだった。
整合されない感情が、かえって直線的な怒りの発露を妨げたのである。
しかしそれも一瞬のこと。
理性のブレーキがはじけ飛び、ウズベルの頬が音高く鳴った。
精悍な顔に赤い手形が残る。
「……悪魔。卑怯者。恥知らず。二度と、私の前に姿を見せるな!!」
大粒の涙を飛び散らせ、メイリーはその場を走り去った。
泣きはらした真っ赤っかな目で仕事をされたら、上司としてはどうすればいいのだろう。
午後も遅くになって出仕した秘書の姿に、ルーン王国の女王であるアルテミシアは大きなため息を吐いた。
メイリーには、やはりひまわりのような笑顔が似合う。
「あなたらしくもなく雑な掃除ねえ」
やや意地悪な口調を作って話しかける。
というのも、いささか馬鹿馬鹿しさを感じているからだ。
メイリーがこうなった理由について、アルテミシアはちゃんと知っている。
白の軍の隊長の名で、報告があがっているから。
どうして仲直りの手伝いをしてやらねばならないのか。
むしろこのままケンカしていてくれた方が、メイリーを独占できるじゃん。
なーんて考えちゃったりもするのだ。
「……申し訳ありません。陛下」
「ウズベルのこと、信じられなくなった?」
「…………」
「報告書が出されていたわ。猫の左眼球は義眼で、中には魔導撮影装置が仕掛けられていたそうよ。ドイル製の」
「え?」
メイリーの目が驚きに見開かれる。
あの仔猫はスパイだったということだろうか。
「でも……」
「どうして、ウズベルにそれが判ったか、でしょ?」
先回りしアルテミシアが説明を始めた。
普通、猫という生き物は、明るいところでは瞳孔が細くなり暗いところでは広がる。
ところが、あの猫の左目は薄暗い室内でも細かった。自然に失明したとか潰されたとかいうなら、瞼は閉じられたままだろう。
ということは、あの猫は普通の猫ではではないということである。
そして、普通の猫でないなら導かれる結論はひとつしかない。
仔猫は最初から王国関係者に拾わせるために、あの場所に置かれたのだ。目的は、むろん内部調査である。
なんと卑劣なやり口であろう。
罪もない小動物を使うとは。
「ついでに言うと、ウズベルはあの猫に無用の苦しみを与えたくなかったみたいね。一撃で息の根を止めたでしょ」
女王の言葉に、メイリーははっとした。
「さらに言えば、彼はあなたを守ろうとしたのよ。情報が流出した場合、あなたの立場は悪くなるわ。通謀罪が適応されるもの。故意だろうと過失だろうとね」
アルテミシアの言葉は、どれもメイリーの心を揺さぶった。
すべては彼女の浅慮が招いたこと。
いまさらになって実感する。
たとえばウズベルは、猫を殺すまで一度も彼女の名を呼ばなかった。
盗聴を警戒してのことだろう。
それに引き替え、自分は幾度ウズベルの名を口にしたことか。
撮影機が仕込まれた猫を連れて、機密中の機密である軍務省内をうろうろするとか。
ドイルにしてみれば、笑いが止まらなかっただろう。
切り落とされた頭に剣を突き刺したことも、いまなら理解できる。
より慎重に行動しようとすれば、当然の行為だろう。
ウズベルに罪はないのだ。
もちろん猫にも。
すべての罪は、卑劣なドイル王国と愚劣な自分にある。
うつむいて唇を噛みしめるメイリー。
「行ってあげなさいメイリー。彼は内院にいるわ」
「ありがとうございます!」
元気に頷いたメイリーが、夕映えに髪を踊らせながら走りだす。
宵闇が迫る。
土を盛る音が、規則正しく響く。
スコップを握った青年が、黙々と陰鬱な作業に従事していた。
ウズベルである。
自分が手に掛けた猫のために、墓標をつくっているのだ。
好きこのんで殺したわけではない。
あのとき、他に選択の余地はなかった。
自分はともかくとしても、メイリーの名をドイルに知られるわけにはいかなかったし、後々になって彼女が責任を取らされるような事態になってはもっと困る。
そのことに関して、ウズベルは悔いてなどいない。
しかし、罪は罪である。
その自覚が、彼に墓づくりを命じたのだった。
「兄ちゃん……」
静寂を圧して、小さな声が響いた。
「……メイリーか」
「陛下から聞いたよ。ごめん……」
誠意を込めて頭を下げるメイリー。
ウズベルは直接には応えなかった。
完成したばかりの墓の脇に置かれた、花束を持ち上げる。
「一緒に供えるか?」
不器用に言うウズベルに、メイリーが泣き笑いの表情で頷いた。
軍務省の内院。
その片隅に、小さな墓標が建っている。
墓碑銘もない簡素な墓だ。
だが、そこには、いつも花が供えられているという。
まるで、酬われることのなかった命を惜しむかのように。
慰めるかのように。




