予兆 9
「アトルワ男爵領をご存じですか? 隊長」
緊張を含んだ副官の声。
冗談で混ぜ返せるような雰囲気ではない。
「行ったことはない。北東辺境地域だな」
「です。その地で政変が起きた由」
「ふむ?」
たしかに変事だけど、政変なんていつでも起きてると思うぞ。
ルーン王国には貴族領だけで百州もあるんだからさ。
それでも私の耳に入れておきたいくらいの事態ってことなのかな。
「アトルワ男爵は急な病にて死去。跡目たる男爵公子も病死、その弟たちもぜんぶ病死して、男爵位を継いだのは妾腹で女児のアリーシア嬢とのこと」
「うわぁ……」
なにそれ。
親兄弟ぜんぶ殺して、権力を奪ったってことかい。
すげえ女傑だなぁ。
おっかねぇ。
病死なんて嘘っぱちに決まっている。
なにしろ私だって、先代のアクセル伯爵を病死と発表してるしね。
「けど政府が認めるかな?」
「認めんでしょう。ここまで露骨な権力奪取ですからね。近々、改易の沙汰が下るかと」
「だよなぁ」
ちょっと露骨すぎる。
これを認めちゃったら、貴族社会に対して示しがつかない。
王国政府としては厳しい処分で臨まないといけないだろう。
でないと、同じことをしちゃう輩が、次々と出ちゃうからね。
末子とかに生まれたから、兄たちを皆殺しにして、父親も殺して爵位を得るなんて、まさに骨肉の争いだ。
もっとも、そういう事例がないかっていうと、そんなことはない。
貴族社会なんて、裏にまわれば暗闘と暗殺の歴史しかないのだ。
それが処罰されなかったのは、上手く事を運んだから。
うわぁ暗殺くさいなぁと周囲が思ったとしても、調査すらされないことだってよくある。
根回しの結果としてね。
このケースでいえば、自分が男爵になったほうがお得ですよ、と王国政府や大貴族たちに、アリーシア嬢なる人物は充分に鼻薬を嗅がせるべきだった。
ぶっちゃけた話、ど辺境の男爵が誰だろうと、ルーン王国にとっては関係ない。
興味だってないだろう。
けれど、ここまで大っぴらな権力奪取をやっちゃうと、さすがに黙ってみていることはできないのだ。
「で、ここが問題なのですが、王国が使者に立てる人物として、アイシア・アクセル伯爵が内定したようです」
「は?」
副官の言葉に、思わず間抜けな声を出してしまう。
アクセル伯は、つい先日叙任されたばかりだ。
まだまだ自領のことで手一杯で、とても他領への使者などする余裕はない。
まして、彼女は妙齢の女性。
暗殺による権力奪取が起こった場所への使者としては適任ではない。
殺されるかもしれないから。
まあ、男が使者だったとしてもその可能性はあるけれど、女性の場合は他にも心配しないといけないことがあるしね。
普通に考えた場合、王国からの使者に危害を加える、なんてことはありえない。
宣戦布告と一緒だからね。
もし使者に万が一のことがあった場合、それがたとえ本当に病死や事故死だったとしても、アトルワの立場は非常に危うくなる。
だから、むちゃくちゃ丁寧に扱うはずなんだ。
普通なら。
「けど、この場合は、改易を告げる使者だからな。腹いせに斬られたってべつにおかしくない」
「ですなぁ」
だって、唯々諾々と従ったら領地も爵位も失っちゃうからね。
自棄になって王国に対して反乱を起こすかもしれないんだ。
そうなったとき、最初の犠牲者になるのは使者となった人物だろう。
と、そこまで考えて、私はある可能性に気付いた。
「……なるほど。そういうことか」
「隊長もそう読みましたか」
パリスと視線を交わして頷きあう。
アクセル伯に与えられるのは、最初から燃やされるために作られた人形としての役割。
年若い女性が偉そうに除封改易を命じたら、そりゃアトルワの連中は面白くないだろう。
激昂のあげく、暴行して殺しちゃうってことになっても、ぜんぜん不思議じゃない。
そしてそれこそが政府の描いたシナリオだ。
使者の殺害を理由として、アトルワを攻め落とす。
正規軍を動かすか、周辺の貴族軍を動かすかは微妙なところであるが。
「おそらくは後者でしょうね。隣接する貴族に切り取り次第の許可を与える。そんなところじゃないですか」
「私もそう思う。お利口なことだ」
我ながら口調に悪意が滲んだ。
この方法であれば、政府はまったく損をしない。
アトルワ男爵領を潰し、アクセル伯爵領のトップも消してしまえる素敵な策。
考えたヤツは、よほど良い性格をしているのだろう。
「どうします? 隊長」
「せっかく助けたアクセル伯を、こんなところで死なせるのは嫌だな」
「ですね。工作資金もかかってますし」
今後、白の軍の後ろ盾になってもらわないと、と偽悪的に笑う副官。
そんなつもりで助けたわけじゃないけどな。
とはいえ、アクセル伯が私たちに好意的な人物であることは間違いない。
そういう人物を無為に失うのは、白の軍にとっても面白い事態ではないのだ。
「助けるぞ。ギュンター」
「御意。すぐに工作に入ります」
使者には誰かが立たなくてはならない。
この部分はいじりようがないし、その人物が命の危険にさらされるという事実も変えようがない。
誰が火中の栗を拾うのか。
王国政府としては、諸侯とはいえまだまだ権力の小さいアクセル伯爵を使おうとした。
死んでも惜しくないから。
じつに判りやすい理由だが、白の軍にとっては事情が異なる。
我々こそが強力にバックアップして、彼女を伯爵位につけたのだ。
と、王宮内では思われている。
だからこそ、使者にアクセル伯爵をという意見には反対するのは、予想の範囲内だ。
「リリエンクローン公の、お力添えをたまわりたく」
一日、公爵の屋敷を訊ねた私は、深々と頭を下げて懇請した。
パリスたちの工作は順調である。
アクセル伯爵に内定した使者人事をひっくり返すための。
我が副官が白羽の矢を立てたのは、ドリエル伯爵。
壮年の貴族で、これといった特徴のある人物ではないが、貴族的な外交に長けているという。
まあ、ようするにどこにでもいる偉そうなお貴族様、ということだ。
パリスから秘密裏に使者の話を打診されたときも、むしろ食いついたほどだったらしい。
殺されてしまう可能性ってやつを微塵も考えていないようだった、とは、戻ったパリスの感想である。
たいして難しくもない仕事で点数を稼げる、とでも思っているのだろう。
実際、危険度を無視しちゃえば簡単なんだよね。
改易なんて命令に、アトルワが素直に従うわけがない。
だから隣接するアキリウ子爵とバドス男爵に、先に話を通しておく。
切り取り次第だぞ、と。
で、こういうのはある程度の位階にある貴族じゃないとできないから、伯爵って名前でも権威づけできる。
最初から攻める準備して交渉すれば、害される可能性も低いしね。
殺したら即開戦だぞって脅せるからね。
ドリエル伯爵は、たぶんそんな風に計算しているんだろうと思う。
楽な仕事だ。
もちろんそう考えるのは、彼の自由である。
「おなごに任せるような仕事ではない。それは事実じゃ。じゃが、内定した人事をひっくり返すのは、容易ではないぞ。ウズベル」
私の名を呼び捨てにするリリエンクローン公爵。
親愛の情だろうか。
「承知しております」
「儂にとっては益なき無茶じゃ。これは判るな」
「は」
「無茶を通すためには、必要なものもある。これも判るな」
「は」
芸もなく繰り返す。
賄賂を要求されているのだ。
大貴族のコネクションを使うとは、そういうことである。
公爵がにやりと笑った。
「では、今宵あたり一席もうけてもらおうかの。もちろん白の軍の専属シェフが腕を振るってくれるのじゃろう?」
不器用に片目をつむってみせる。
この人は……。
金でなく、権益でなく、一回の食事で無理をしてくれようというのか。
なんという大度。
もう一度、私は深く頭を下げた。




