予兆 10
八割方は決まっていた使者人事が覆され、ドリエル伯爵がその任にあたることが決定したのは、十日後のことだった。
白の軍の工作と、リリエンクローン公爵の口添えが功を奏した結果である。
簡単だったわけではないが、上手くいって良かった。
「また、ウズベル卿に恩ができてしまいました。妾が生きているうちに返せれば良いのですが」
とは、アクセル伯爵の言葉である。
場所は私の屋敷。
アクセル伯の使者就任祝賀パーティーをする予定が、急遽残念会になってしまった。
というのが表向きの事情だ。
王国の使者に抜擢されるってのは、対外的にはものすごく名誉なことだからね。
しかも十代の若さでってことになると、普通はどんだけすごい人なんだって思われる。
でもその人事はひっくり返り、壮年のドリエル伯爵に決定した。
まあ、小娘につとまる仕事ではない。当たり前だろう。
宮廷での評はだいたいそんな感じ。
これこそが、パリスやロバートがやってくれた情報工作である。
政治の世界だ。
人倫がどうこうって、論法はあんまり通用しない。
だからこそ工作は、アクセル伯を貶めるカタチでおこなわれた。
頭から蒸気を吹き上げているであろうアトルワに対して、こんな小娘が毅然とした対応が取れるのか、とか。
失敗したら戦だ。
負ける戦じゃないけど、損害がゼロというわけにはいかない。
それどころか、伯爵がほだされちゃって寝返り、アクセル領そのものがアトルワについちゃうかもしれないのである。
こういう危険性を、それとなーく政府高官の耳に入れ、失敗を計算して小娘を送り込むより、人格的にも安定していて人生経験も豊かなドリエル伯爵の方がいいんじゃないかなーって思考を誘導した。
我が部下たちながら、こういう陰に回った工作はすっごい得意だよね。
おっそろしいわ。
「生き続けてくださることが、最大の恩返しですよ。アクセル伯。なにしろ私には貴族の後ろ盾がありませんから」
頭を下げる伯爵に、偽悪的なことを言って私が笑う。
数少ない貴族の知己を失うわけにはいかないのだ。
くすりとアクセル伯が微笑を返す。
なんというか、すべて判ったような笑みだ。
だが、だからこそ彼女は話題を変えたのだろう。
「それにしても、もう二度と会うことはないといって別れたのに、一年もしないうちにこうして再会するとは、なんとも微妙な気分ですわ」
「気まずいですよねぇ」
「縁というやつじゃろう。どうせならそのままくっついてしまえば良いのじゃ」
歩み寄ってきたリリエンクローン公爵が言う。
手に酒杯を持っているし、すこしお酒を召されているな。この御仁。
「洒落にならんことを言うのはやめてくださいよ。ラズリット卿。私にはちゃんと恋人がいるんですから」
先日いらい、私と公爵は名前で呼び合う仲となっている。
おそれおおいことだけどね。
あと、気安い関係になったせいで、こーゆー洒落にならないことをいってくるんだよ。このじーさんは。
「ウズベルほどの男なら、愛妾の十人やそこら抱えていたって、べつに不思議ではないじゃろう」
どんだけ肉食系だよ。私は。
隣席はメイリーひとり分しかないの。
二人も三人もは座れないんです。
ただ、それをストレートに伝えると、さらに言い返されちゃうから私は作戦を変えることにした。
「ラズリット卿の分の料理は減らすように伝えておきますね」
「おうふ。それはずるいぞウズベル。料理を人質に取るなんて」
おおげさに嘆いてみせる公爵閣下。
たまらずアクセル伯が噴き出した。
大貴族と四翼の会話とは思えないバカっぽさだったからね。
仕方ないね。
「あ、ご挨拶が遅れました。リリエンクローン公爵閣下。このたびの骨折り、感謝の言葉もございません」
ドレスの裾をつまみ、優雅な一礼。
「なんの。礼ならこの若いのに言うことじゃて。儂は手伝っただけじゃからな。しかも袖の下をもらって」
「あらあら」
その袖の下ってのが、メイリーの料理だ。
協力を願いにいって以来、彼はときどき私の屋敷やロウヌ家を訪れる。
メイリーご飯を食べるため。
ちょっと口はばったい言い方をすれば、友達づきあいをしてくれるようになった。
「我が国で一、二を争う大貴族を動かしたほどの料理とは。ウズベル卿の恋人はすごいのですね」
すごいのです。
が、その言い方にはすこし語弊がある。
リリエンクローン公爵は、食欲によってのみ私と親好をもってくれているわけではないと思うよ。
そういう幸福で安楽な世界に、貴族たちは生きてないからね。
「貴族さまと百騎長がそろって、今度は何の悪だくみですか?」
悪意のない口調で言って総料理長か近づいてくる。
アクセル伯爵とは初対面のメイリーだ。
「お初にお目にかかります」
微笑とともに一礼する女伯爵。
「お目にかかれて幸いです。ロウヌ家のメイリーにございます。アイシアさま」
礼を返すメイリー。
さすがに私や白の軍の面々にとるような、フランクな態度ではない。
こればかりは仕方がないけどね。
彼女の立場って、あくまでも王国騎士ロバート・ロウヌの娘ってだけだから。
私の恋人ってのはべつに何の肩書きにもならないんだよ。
結婚しちゃえば、百騎長の妻ってことになるけどね。
けっこう対照的なふたりである。
アクセル伯は、いかにも貴族の令嬢といった感じの歴然たる美女。
すらりとした体型で身のこなしにも隙がない。
メイリーにはそういう雰囲気はまったくなく、下町の太陽! って感じ。
ちょっと太めの身体には、ぱんぱんに元気が詰まっている。
「そろそろ料理を運び込んでよろしいですか?」
視線を動かし、質問は私へ。
「涼皮はあるかね? メイリー」
なのになぜかリリエンクローン公爵が返事をしたりして。
どんだけ涼皮にこだわってるんですかっ。
「ふふふ。さあどうでしょうか?」
明確な回答を与えず、頷いた私を確認して厨房へと戻ってゆく。
「楽しみですわね。御前会議の噂は、不敏なる妾も聞き及んでおりますわ」
涼皮の虜になったり、国務大臣が電撃引退したりした、あの事件だ。
どんなふうに伝わったのか、ちょっと怖いよ。
ともあれ、我が白の軍は一連の出来事で貴族の知遇を得ることになった。
公爵と伯爵。
なんというか、本当に奇妙な縁だよね。
べつに貴族の後ろ盾がないことを不満に思ったことはないし、むしろわりと忌避してきた部分はあるんだけどさ。
「私たちは武人だ。政治に口を出すべきではない」
というのが、私の持論だし。
「しかし、そうも言っていられなくなったというのが事実であろうな」
ジェニファのセリフだ。
使者が送られてから二月あまり、事態は予想だにしない方向へと進んでいる。
あ、残念会の食事は問題なく美味しかったよ。
アクセル伯が食べ過ぎで倒れた以外は、とくに問題も起きなかった。
いやあ、あれはびっくりだったわ。
私やラズリットどのの分の料理にまで手を出したあげく、倒れちゃうんだからね。
まさかアクセル伯爵があんなに愉快な為人だとは知らなかった。
楚々たる貴婦人ってイメージなのに。
問題は、使者としてアトルワへ赴いたドリエル伯爵の方である。
交渉そのものは不調に終わった。
これはもう予想通りなので、誰も驚かない。
あんたはクビ。財産も没収。そんなこと言われてへらへら笑ってられるとしたら、たぶんその人は山に籠もって仙人にでもなった方がいいからね。
で、当初予定にしたがって、隣接するバドス男爵とアキリウ子爵がアトルワ討伐の任を帯びることになった。
「まともに考えれば、アトルワに勝機などない」
「だね。ジェニファ」
男爵の位にある貴族が保有している武力ってのは、そんなに大差ない。
ということは、アトルワとバドスがほぼ互角ってこと。
これにアキリウが加わるんだから、勝敗の帰趨なんか論じるに値しないくらいなんだ。
「なのにまだ決着しない。異常な事態だぞ。ウズベル卿」
「まったくだよ。どうにもアトルワとバドスが結んだってことらしいんだけどさ」
「ほう?」
ラズリットどのからの情報だ。
貴族と交流を持つことによって、私の元には多少の情報が入ってくるようになった。
情報上の島流し、ということにはならなくなったのはありがたい話である。
「しかし、男爵二人で子爵に勝てるか?」
首をかしげるジェニファ。
「ひとりで戦うよりは、勝算は高いだろうね」
一割だったのが三割くらいまでは跳ね上がるだろう。
三割を勝算というのか、それはそれで微妙なラインではあるが。
「隊長。ジェニファどの」
またまたノックもなしにパリスが入ってくる。
この登場いやだなぁ。
凶報なんでしょ。どうせ。
「黒の百騎長。ランティスどのが辞表を出されました。後任には、副官のイスカ・ホルンを推された由」
はい?




