悪魔と呼ばれるようになった理由
車に乗り、ドアが閉まったのを確認して、将に問いかけた。
「お母さんはどうしてこの町の人に嫌われているの? 悪魔って何?」
将は知美の頭を軽く撫でる。
「気にしなくていい」
「わたしにとってお母さんは怖い人だった。でも、悪魔だとまでは思わない。クラスのみんなはお母さんを悪魔だ、人殺しだと言う。でも、おばさんも校長先生もお母さんのことを良い子だって言うの。もう、意味が分からない」
知美の目から大粒の涙があふれ、手の甲を浸していく。
将は延々に続くのではないかと思える長い息を吐いた。その息の最後に言葉が続く。
「ある女の子が中学生の時、事故が起こったんだ。修学旅行に向かうバスのブレーキが効かず、多くの人が亡くなった。原因は乗っていたバスの整備不良だったと警察は判断した。大きな事故だったし、ニュースでも取り上げられた」
事故という言葉に先程の真美の姿を思い出し、体が震えた。
「でも、それが最初じゃなかった。その前からその子の学校、いやあの町全体でおかしなことがおこっていた。階段から落ちたり、火事になったり、骨折をしたり、物が落ちてきて頭を打って大けがをしたり。最初は不注意が続いているだけだと誰もが思ったんだ。だが、そうした事故が積み重ねていくにつれて、ある噂が流れた。あの子に関わったら死ぬ、と」
知美がクラスに来て言われた中傷がその女の子の過去と重なり合う。
「その子は学校に行くのを止めたんだ。そしたらクラスの人が事故に遭うことはなくなったし、怪我する人も確実に減っていた。偶然かもしれない。でも、ここに無理に住む必要はないと思ったその子の両親は、引っ越そうとした。その方向で話がまとまり、それで終わると思っていた」
将の表情が苦渋に満ちる。彼は言葉を切ると、目を瞑った。
知美は喉の渇きを覚えながら、やっとの思いで言葉を発した。
「その子はお母さんなの?」
将は無言でうなずく。
「新しい引っ越し先を決めた帰り道に、交通事故に巻き込まれ、僕と美佐だけが助かった」
知美は言葉を失う。過去を聞かされても、心のどこかでただの偶然だと信じたかったのかもしれない。
「両親を失い、引越しどころではなくなり、美佐は今まで以上にふさぎ込んだ。僕が話しかけても無視するようになっていた。大学一年だった僕は大学を辞めて、働こうと思ったんだ。そしたら、彼女を連れて別の街に引っ越せるとね。でも、それを拒んだのは誰でもない美佐だった。自分のために学校を辞めないでほしい、と。幸い親の残してくれた保険金もあった。だから、これから二人でどうすべきか時間をかけて話し合おうとしたんだ。美佐は中学を卒業して、ここから離れた高校に入学はしたが、ある日突然姿をくらました。探さないで欲しいし、警察にも届けを出さないでくれと書き残して」
将の噛みしめるように発された言葉が、知美の心を引っ掻いていく。
「それからどうしたの?」
「再び美佐に連絡がとれたのはそれから一年後だった。正確には美佐からではなく、川瀬さんから連絡があったんだ」
「わたしのお父さん?」
「お父さんのお母さんかな。美佐は手帳を持っていて、そこにこの家の電話番号が書いてあったらしい。向こうは美佐の荷物を勝手に調べた事と、ずっと連絡が出来なかったことを謝っていたけど、僕は美佐が元気でいてくれてほっとしたよ。川瀬さんと話し合って美佐が連絡を取ろうとするまで会わないことになったんだ。美佐が元気なら、それで十分だったから」
「そのお父さんの家にいる間は変なことは起きなかったの?」
将は頷いた。
「川瀬さんには美佐と同じ年の娘がいたらしい。その時にはもうなくなっていたらしく、娘が帰ってきたような気がしたと。その時は幸せだったんだと思う。美佐に再会してからも、その時の事を楽しそうに話してくれたよ。それから三年後、美佐から電話がかかってきた。結婚することになった、と。相手は川瀬さんの息子さんで、良い人だったよ。僕は彼女が幸せになれると、喜んでいた」
だが、疑念が心を過ぎる。美佐の周りには誰もいるように思えなかったのだ。
父親もそうだし、彼の両親と思われる人もいない。写真さえもあの家にはなかった。
知美の頭を将が撫でる。
「知美ちゃんは察しが良いね。そう、幸せは長く続かなかったんだよ」
彼はそこまで言うと、運転しながら話すと車のエンジンをかけた。
「知美ちゃんにどこまで話をしていいか分からないけど……。間もなく美佐は赤ちゃんを妊娠したんだ」
そのとき知美は首をかしげる。十八か十九で結婚したであろう美佐が自分を生んだのは二十二のときだ。間もなくというには時間が空きすぎている気がしたのだ。
「それはお母さんが何歳のとき?」
将は短く息を吐いた。
「美佐は流産をして、赤ちゃんを産んであげることができなかった、と言っていた」
知美はその状況を想像して唇を噛み締める。
「もうやめよう。すべてを知るには辛すぎる」
「いいの続けて」
知美は首を横に振り、彼女を気遣った将の言葉を遮った。
彼女が嫌われている理由を知りたいと思うなら、決して避けて通れない道だと思ったのだ。
「そのときの状況は見れたものじゃなかった。それでも知美ちゃんのお父さんの手伝いもあってなんとか落ち着いた。それからしばらく経って、知美ちゃんを妊娠したことが分かって、すごくうれしそうだったよ」
知美には彼の話はいささか信じられないものだった。だが、口に出すことはしなかった。話の骨を折りたくなかったから、ただ相槌を打つ。
「知美ちゃんを産む直前に慎一さんが事故で亡くなったんだよ」
知美は何も言えなくなり、自分のお腹をさすった。心臓が大きな音を立てて震え、喉の水分が干上がる。
「それからどうなったの?」
「美佐は必死で立ち直ろうとしていたよ。僕も力になりたかったから、実家か、他の場所で一緒に暮らそうと提案をしたけど、彼女は頑なに拒んでいた」
「お父さんが死んでしまったから、わたしが邪魔になったのかな」
「そんなことはないよ。美佐は知美ちゃんのことが大好きだった」
「でも、お母さんはわたしのこと嫌いだって言っていたよ」
将は知美を見ると、首を横に振った。
「美佐には友達がいたように見えた?」
突然の問いかけに戸惑いつつも首を横に振った。家の電話が鳴るのは九割以上セールスだった。たまに美佐の仕事関係の電話がかかってくることはあったが、彼女の友人らしき存在を感じたことは一度もない。
「去っていく人もいただろうけど、ほとんど自分から関係を絶ったと思うよ。知美ちゃんにも辛く当たっていたのも、知美ちゃんを失うのが怖かっただけなんだ」
彼の話を受け入れられないと思いながらも、知美の目元からは涙が零れ落ち、朱に染まった空の光をわずかに反射させた。
将の車が家の前に止まる。彼はエンジンを切ったが、身動き一つしない。
「伯父さん?」
「知美ちゃんに一つ謝らないといけないことがあるんだ」
彼はハンドルを握ったまま、項垂れた。彼の髪がハンドルに触れる。
「美佐が亡くなる二日前に彼女から知美ちゃんをしばらく預かってほしいと言われたんだ。でも、美佐が知美ちゃんを心から大切に思っているのは分かっていたから、説得した。いくらでも力にはなるから、美佐が育てたほうがいいと。美佐の幸せには知美ちゃんが必要不可欠だと分かっていたし、美佐自身にも幸せになってほしかった。でも、今となってはそれが正しかったか分からない。引き取ると言っていたら美佐はまだ生きていたかもしれない」
彼は涙を浮かべた瞳で、天井を仰ぐと、息を吐いた。
彼の語った話は、今でも脳裏によみがえる彼女の鋭い視線から解放させてくれたとともに、いいようのない感情と彼女の死に対する疑問が心の奥から湧き上がり、胸を締めつけていった。
玄関に入ると、伊代が出迎えてくれた。
「大丈夫?」
彼女は大きな手を知美の頬に充てると、覗き込んだ。
知美は目を逸らし、頷いた。
何か言わないといけないと思い、言葉を絞り出そうとするが、言葉が紐のように絡み合う。何をどう言うべきかも分からなかった。
「何も言わなくていいわ。今日はゆっくり休みなさい。学校も行かなくていいから」
彼女はそう言うと、知美を抱き寄せた。
視界が奪われ目を閉じた知美の目から大粒の涙が溢れ出した。
知美はそのまま落ち着くのを待って部屋に戻った。
そのままベッドに横になる。
朝目覚めて、今日の出来事が全て夢で、目覚めた時真美がいつものように待ち合わせ場所に立っていてくれたら良いのにと考えていた。
その時、笑い声が知美の耳を掠める。
冷たくて乾いた声。背筋に一筋の水が流れ、身を縮める。重い体を起こし辺りを見渡す。
だが、誰もいない。
優子かと思い、部屋の外を見るが、人の気配さえ感じられなかった。
気のせいだと思うたびに、笑い声が耳元で蘇えるの繰り返しだ。
その日の夜、将の携帯に電話がかかってきた。
真美の命の灯が消えたとの連絡だった。




