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マリー  作者: 沢村茜
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12/21

茶に混じる黒髪

 知美がここにきて、一か月以上が経過し、夏休みも目前に迫っていた。

 太陽の日差しも強くなり、空気もからっとする。

 ここにきて初めての夏休みだった。


 今までの夏休みは友達の親がプールや映画館に連れて行ってくれた。

 今年の夏休みはどうなるか想像もつかない。

 友人に送った手紙の返事は戻ってこず、友情の切れ目は意外と脆いのだと知った。


「どうかした?」


 黒目がちな目に顔を覗き込まれ、知美は笑みを浮かべる。


「何でもないよ。ぼうっとしていたの」

「元気ならいいんだよ。今度、買い物行かない? 知美が前住んでいたところに行ってみたいの」

「いいよ。でも、子供だけで大丈夫かな」

「大丈夫だよ。電車乗ればすぐだもん」


 彼女がそういうならと知美も次の日曜日に一緒に出かけることになった。

 もっとも伯父夫妻の許可を取れたらという前提条件付きだ。

 あの街を出たのは雨の滴り落ちる梅雨の時期。

 意外に長い時間が経っているのだと気づかされる。



 知美は自分が住んでいた街に行きたいと夕食が食べ終わった後、将と伊代に真美との約束の件を伝えた。


「子供だけで大丈夫かしら。車で送るわよ」

「ありがとう。でも、真美は電車に乗るのも楽しみみたいだから、大丈夫だよ」


 真美自身、親と一緒に買い物で知美の住んでいる街に足を踏み入れたことが何度かあったらしく、電車に乗った事は数えきれない程あると言っていた。基本的に駅で降りればいいし、構内であれば駅員に聞けば教えてくれる。だから、心配する必要はないと思ったのだ。


 将と伊代は心配そうに、目を合わせる。二人は目で意見を交わすと、知美を見る。


「二人で出かけてみるのもいいかもしれないわね。もし何かあったら電話してね。わたしの電話を貸すわ」

「いいの?」

「どうせほとんどかかってこないから平気よ」

「ありがとう」


 他愛ない会話で盛り上がっている時、音を立てずにリビングの扉が開けられるのに気づいた。その隙間から冷めた目をした優子が顔を覗かせる。

 彼女は知美と目が合うと、そのままドアを閉めた。


 階段の軋む音が微かに届いていた。

 その時の優子の挑戦的な表情が気になったが、彼女が知美をそんな表情で見たのは一度や二度ではない。そのため、あえて気にしない事にした。



 ごはんを終えると、鼻歌を歌いながら自分の部屋に戻る。

 ドアをあけたとき、暗がりに人の気配を感じた。部屋の入り口にあるスイッチを押すと、白色の光が辺りを包み込む。

 優子が知美の机の傍に立ち、マリーの胴体をわしづかみにしている。優子は不適な笑みを浮かべる。


「何か用?」

「意外と普通の部屋ね」

「だから何?」


 優子はマリーの髪の毛を引っ張る。髪の毛だけつかまれ、腕や足が垂れ下がる。


「この汚い人形って何? お母さんからの贈り物?」

「やめて」


 マリーを取り返そうと駆け寄ったが、優子はその人形を上方に持ち上げる。知美より背丈の高い彼女が持ち上げたマリーを取り戻すことはできなかった。

 そのとき、部屋の奥で何かが弾けるような音が響く。振り返ると、突っ立てにかけていた鞄が床に落ちていた。


「この年になっても人形なんて本当、暗い子。だから真美以外に友達が出来ないのよ。真美だってあんたみたいな暗い子と一緒にいたくないって思っているのよ。あの子は典型的ないい子だから、あなたと一緒にいてあげているだけ。勘違いしていて呆れちゃう。わたしの両親だってそう。可哀想なあなたの話し相手になっているだけ。あなたはこの家の子供じゃないからあえて気を使ってあげているの」


 優子は知美を肘でついた。その反動で、知美は尻もちをつく。

 マリーが床に転がる。そして、栗色の髪が数本、マリーの体に降り注ぐ。


「あ、髪の毛抜けちゃった。こんな古い人形だもんね。仕方ないか。これも自然の摂理だもん」


 彼女はにやついた笑みを浮かべながら、腰に手を当て、知美の顔を覗き込む。



「お父さんとお母さんに話そうなんて思わないほうがいいわ。だって、偶然だし、よその子のいうことと、わたしの言うことならどっちを信じるか明らかでしょう?」


 彼女はそう言い残すと部屋を出て行く。

 知美はマリーを抱き寄せると、抜け落ちた髪の毛を彼女の頭につけようとした。だが、すぐに滑り落ち、指に絡みつく。


「ごめんね。マリー。もっと見つかりにくい場所に置いておくべきだったね」


 マリーを抱きしめる。

 優子の言葉を思い出し、知美はそっと唇を噛んだ。



 翌日、甲高い悲鳴が知美の眠りを妨げた。顔をあげると、辺りを見渡す。

 痛む頭を抱え辺りを見渡し、記憶の中で響いた悲鳴の記憶を手繰り寄せる。

 優子の声だと気づき、ベッドから身を起こすとドアを開けた。

 隣にある優子の部屋の前に行く。彼女の扉は開いており、既に将と伊代の姿がある。


 優子は伊代の体にしがみつくように泣きじゃくっていた。いつもの彼女とは別人のように見える。


「夢を見たんじゃないの?」


 伊代が優子の背中をさすりながら、そう諭した。


「違う。誰かが髪の毛を引っ張って首を絞められたの」


 将と伊代は顔を見合わせ、困ったような顔を浮かべていた。


「お父さんもお母さんも誰も見ていないのよ。だから、大丈夫よ」


「でも、確かに首が締められた。髪の毛が抜けても、首が締まっても偶然だと言っていたの」


 彼女はそこで言葉を切る。


「茶色の髪が見えた。金に近い明るい色の目をした女」


 知美はその言葉に体を震わせる。

 不意に顔をあげた優子と目が合う。そのとき、彼女の唇が不適に微笑むのを見逃さなかった。その様子に身震いし、思わず部屋に戻る。


 優子の虚言だろう。そう言い聞かせてもクラスで語られた女の話が頭を過ぎり、何度も深呼吸をして乱れた呼吸を整える。


「もう会社に行くから、優子のことを頼む」


 将の声が聞こえた後、重い足音がドア越しに伝わってくる。


「今日は学校休んでいいから、ゆっくりしておきなさい」


 知美はその言葉を聞き、マリーを衣装ダンスの奥に片づけた。

 優子が一日中いたら何をされるか分からない。


「知美ちゃん、そろそろ起きないと遅刻するわ」


 部屋のドアを叩かれ、知美はまだ寝間着のままだったことに気付く。

 洋服を着替え、鞄に手を伸ばすと、ノブに触れる。

 伊代や将は優子の話を聞き、どう思っただろうか。

 彼らも悪魔の話を知っているのだ。

 不安で胃の奥が押しつぶされそうになる。


 知美は迷った結果、食事を摂らずに家を出る事にした。

 忍び足で階段を下りたとき、リビングの部屋が空いているのに気づいた。

 伊代の何か言われるかもしれない。そう思い、リビングの前に来た時、強い口調の優子の声が響く。


「あの子を追い出してよ。あの子が原因なの」


 優子は拳を握り、流し台にいる伊代に迫っている。


「それは話が飛躍しすぎでしょう。知美ちゃんは関係ないわ。噂話を夢で見ただけなのよ」


 伊代の言葉に安堵する。彼女はあくまで美佐の事は噂話だと思っているのだろう。


「学校でいろいろ起こっているのよ。岡江君も、前田君も、加奈子もみんなあいつの被害者なのよ。わたしだって首を絞められた」

「誰がそんなことをするのよ。知美ちゃんがそんなことをするわけないでしょう」

「あの女が原因なの。子供がどうなってもいいの?」

「優子、あなたは他人の話を真に受け過ぎよ。どうしてそんなことをする必要があるの? あの子はあの人達と会った事もなかったのよ」


 振り返った伊代と目が合う。彼女は申し訳なさそうに、目線を逸らす。

 優子は顔をあげるが、一度俯く。彼女は突然振り返ると、知美を指差した。


「こいつがわたしたちを恨んでいるからよ」

「恨むって、何かしたの? 知美ちゃんに」

「悪魔だからわたしを恨んでいるの」


 優子は伊代の問いかけには答えなかった。


「優子、あなたは普段の自分の行動をどうにかしようと思わないの。あなたのその暴言でどれだけの人が傷つくか考えたことないの?」

「人殺しと一緒になんか暮らせない。このままじゃわたしが殺される」


 乾いた音がリビング内を駆け抜けた。


「いい加減にしなさい」


 頬を抑えた優子の切れ長の瞳に大粒の涙が溜まり、光を帯びる。彼女は唇を強くかむと、伊代を睨んでいた。


「分からずや。近所の人からも文句を言われているんでしょう。何であの子を庇うの? 施設にでも預ければいいじゃない」


 そう言うと、優子はリビングを飛び出す。彼女の体が扉を潜り抜けると、すぐに低い音が響き渡った。


「あの、わたし」


 自分がいたせいでこの家族が崩れてしまったのだと察したのだ。出て行かないといけないとそう強く思っても、その後をどこでどうしたら良いのかという迷いから、その言葉を発すことができなかった。

 知美の体に影がかかる。

 悲しい目をした伊代が知美の目の前に立っていたのだ。


「ごめんなさいね。あの子はすぐ人の言う事を信じてしまうのよ。知美ちゃんは気にしないでね。今のまま、この家にいてくれていいのよ」


 伊代はそう言うと、知美の頭を撫でていた。


 学校へ行くと優子の姿を探していた。彼女はいつものように友達と談笑している。だが、知美と一瞬目が合うと、眉根を寄せ、顔を背けた。

 今朝の家での出来事を感じさせないくらいいつもと同じ日が流れていた。


 放課後、真美は忙しいらしく別々に帰ることになった。眩い光に顔を叩かれ、思わず目を細める。

 だが、知美は一日中、今朝あったことを考えていた。

 自分の存在が優子を傷つけ、将や伊代を苦しめている。

 こんな思いをするなら、美佐と二人で暮らしていた頃の方が幸せだった。


 そのとき、背後から名前を呼ばれた。振り返ると岡崎の姿があった。彼は知美と目が合うと、笑顔を浮かべる。


「さようなら」


 知美はぺこりと頭を下げる。


「途中まで一緒に帰ろうか?」


 岡崎の誘いを受けて、一緒に帰ることになった。  


 信号の近くで二人の足が止まる。


 知美は転校初日に岡崎が伊代が来るまで送ってくれた事を思い出していた。

 彼も知美にとっては将や伊代と近い人間だった。

 信号が青に変わり、歩き出そうとしたとき、穏やかな声が耳に届く。


「君にとって、お母さんの美佐さんはどんな人だった?」


 知美は驚きながら彼を見る。


「お母さんのことを知っているんですか?」

「昔の教え子だよ」


 知美はその言葉にそうとうなずく。


 問いかけに答えようと思っても、美佐に対する様々な感情が入り乱れ、端的にまとめるのは難しい。頭の中の情報を整理して、事実だけを告げることにした。


「お母さんはわたしのことを嫌っていたみたいです。だから、今、死んでしまったけど、幸せだと思います。わたしがいないんだもの」

「嫌っていた?」


 眉根を寄せる岡崎の言葉に頷いた。


「あまり話すとお母さんと悪口みたいになってしまうから」


 彼女はそう言うと、口を噤む。


「もしよかったら聞かせてくれないか? 知りたいことがあってね。あまりに辛かったら無理にとはいわない」

「一つ教えてくれるなら」

「何?」

「お母さんってどんな子供でした? 友達とかいたんですか?」


 知美は具体的に悪魔の話は出来ず、ぼかして問いかける。


「明るくて、友達の多い子だったよ。学級委員をよくしていたし、一人でいる子を放っておけなくて、自分から話しかけるような子だった。小学生の時の話だけど、勉強も運動も得意で、音楽が好きな子だったよ」


 彼の言った美佐の姿は伊代が言っていた内容と重なり合う。

 その美佐を変えたのは何なのか、知美にはその答えが分からない。だが、その理由を目の前の岡崎に聞いてよいかは決めかねた。


 知美は短く息を吐くと天を仰いだ。


「ありがとうございます。次はわたしの番ですね。いつもお母さんはお仕事が大変そうで、疲れていて。仕事が大変なのにって言って怒鳴っていました。わたしのことを邪魔だとよく言っていました」


 その言葉に岡崎は目を見張る。


「どうかしましたか?」


 そんな彼の態度に違和感を覚え、尋ねる。彼は首を横に振るだけだった。


「いや、何もないよ。今は、白井さんの家ではどう?」

「伯父さんも伯母さんも良くしてくれます。でも、たまにわたしのことを悪く言う人がいるみたいで、申し訳なく思っています」


 知美にはそれ以上何も言えなかった。

 岡崎は知美の頭を撫でた。


「何かあったらわたしに言えばいい。力になるよ」


 知美はなにかみながらも笑みを浮かべていた。だが、知美には今まで自分の身に起こった事を言えない。

 だから、岡崎の優しさを今は受け止め、十分だと思う事にした。


 家に帰ると伊代に声をかけ、部屋に戻る。その足で、ベッドに倒れ込む。

 目を強く閉じ、このまま目を瞑って永遠に起きないとどんなにいいだろうと願っていた。

 偶然だと思いたかった。だが、ここまで周りの人に嫌悪感を与えるものなのだろうか。

 知美は体を起こすと、マリーを引きだしから取り出す。だが、栗色になびく髪に見慣れないものがついているのに気づいた。


 知美の髪の毛よりも太く、黒々とした髪。真っ先に連想したのは優子の髪の毛だ。

 クラス内で言われていた茶髪の女の話が脳裏をよぎる。

 優子は幾度となく知美に嫌がらせをしてきた。今回もそうかもしれない。

 だが、そう思いながらも、マリーを抱きしめる事が出来ないでいた。



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