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マリー  作者: 沢村茜
11/21

母親の記憶の断片と煙のにおい

 笠井が転落してから二週間が過ぎた。教室は活気を取り戻しつつあったが、一部の人間以外は今まで以上に誰も知美と関わろうとしなかった。


 それは高田も例外でない。例え、知美が忘れ物をしようと、宿題を不注意から忘れても、彼は「そうか」で終わらせる。周りも不満を持っていたようだが、彼の行動が問題になることはなかった。


 周りの鬱憤とした気持ちを察し、知美も出来るだけ周囲には近づかないようにしていた。


 学校に行きたくないという言葉を言い出せずにいたのは、将や伊代に迷惑をかけたくないという気持ちと、真美が出来るだけ知美と一緒の時間を過ごそうとしてくれたからだ。


 彼女は前言を撤回する事なく、知美の傍にい続けていた。


 笠井の件があってから、知美は彼女に自分と一緒にいないほうが良いと言った事がある。


 その時、真美から返ってきたのは「自分のことが嫌いか」という問いかけだ。


 知美はその言葉を否定し、真美まで巻き込まれてほしくないという本心を語った。



 彼女はそれなら知美と友人でい続けると口にし、知美が何を言っても聞く耳を持たなかった。



 いつも知美と真実は県道沿いの信号の前で別れる。

 その日も真実と別れ、家に帰ろうとした知美の足は自ずと止まる。近くの民家の塀の陰に身を潜ませた。


「どうかしたの?」


 別れたはずの真美が、知美の様子がおかしいのに気づいたのか、知美の傍にやってくる。

 彼女は前方に立つ人を見て、ああと言葉を漏らす。


「前田君のお母さんか。少し遠回りになるけど、こっちから帰ろう」


 彼女は前田の言っていた話を知っていたのか、知美の手を引くと、歩き出した。

 彼女はまだ道も十分に分からない知美を家の傍まで送ってくれた。


 玄関の扉を開けると、ブルーのサマーニットに黒のパンツを履いた伊代と顔を合わせる。


「買い物に行くの?」

「お肉を買い忘れてしまったの。すぐに戻ってくるから、大丈夫よ」


 分かったと伝えるために頷いた時、優子が履いている黒のスニーカーがハの字を形作るように置かれているのに気づいた。まだ、将が帰宅するまで時間がある。


「わたしも一緒に行っていい?」


「いいわよ。今日は少し遠出をしましょうか」


 伊代は理由を聞かずに、知美の願いを聞き遂げていた。



 以前、伊代と一緒に行ったスーパーの前で車を止める。この町にはもう一つ小さなスーパーがあり、地元の人はそこで買い物をしていた。伊代も普段はそこで買い物をしている。


 薄い黄色のランプがともっている肉売り場に行ったとき、先ほど見た女性がいるのに気づいた。

 伊代もその存在に気付いたのか、知美の手を握る。


「あとで買いましょう」


 伊代が知美の手を引き、その場を離れようとしたとき、低い声に背中を叩かれる。


「白井さん、珍しいわね」


 彼女は肉売り場を離れ、知美と伊代の前に立ちふさがる。


「クラスでけがが頻発しているらしいわ」

「関係ありません。子供の前でやめてください」


 伊代は静かに、落ち着いた口調で言い払う。


「修学旅行に行くらしいと聞いたけど、本当なの?」


 射抜くような瞳に、知美は身を怯ませた。


「うちの子に何かあったらどうするの? 責任取れるの?」

「関係ありません。怪我は本人たちの不注意でしょう。何でこちらの責任になるんですか」

「あの時もそうだったじゃない。あなただって知っているのよね」

「知っているからこそ、不注意だと思うんです」


「あなたはどう思うの? 自分のせいでクラスメイトが死んでいいの?」


 そう前田は挑発的な目で知美を見る。

 クラスメイトを快くは思っていない。だが、その感情と彼らの生死は別問題だった。

 唇を噛み、何も言えずにうつむいた。


 伊代は知美と彼女の間に割って入る。知美の手をつかむと、歩き出した。


「あの時に似すぎているからよ。あの子まで奪わないで」


 以前前田が言っていた、美佐が彼女の姉を殺した話が頭を過ぎる。



 だが、伊代は立ち止まろうとも、振りかえる事さえしなかった。


 伊代の手が離れたのは店を出てからだ。さっきまで店の中に響いていた騒々しい音楽が一掃され、じめじめとした風が肌にまとわりつく。


「ごめんなさいね。将さんに買って帰ってきてもらえばよかったわね」


 車のエンジンをかけたとき、伊代がそう言葉を漏らした。


「あの人の姉がお母さんに殺されたって言っていたの。それは本当なの?」


 心の中の晴れない感情をすっきりさせたくなり、伊代に問いかけた。

 伊代は目を見張る。そして、目を閉じると、首を横に振った。


「学校までそんなことが広まっているのね。そんなことはありえないわ。だた、大きな事故があったの。誰の責任でもない。それに巻き込まれたのよ。美佐ちゃんも、彼女の姉も」


「事故?」


 伊代はうなずいた。


「美佐ちゃんは助かって、彼女のお姉さんはなくなったの。その時に、彼女のクラスメイトの多くが亡くなった。最初はみんな美佐ちゃんに同情的だったのよ。悲惨な現場を見てしまったのだから。でも、いつかその同情が憎しみに変わったの。何で彼女が生きていて、自分の子供が助からなかったのか、と」


 彼女の眼にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「それからいつの間にか話が変わって、クラスメイトの責任は全て彼女が原因になった。それからよ。彼女が悪魔や人殺しだと言われるようになったのは。前田君の家もその一つ。両親や祖父母が姉を溺愛していて自分の娘にそう言って聞かせたの。大切な人を失って怒りの行き場を求めていたのは分かるわ。でも、だからって当時中学生で何の原因もなかった美佐ちゃんの責任を押しつけるのは間違っている」


 彼女の絞り出すような言葉に、悔しさと悲しみが滲み出ていた。

 氷のような美佐の一端をほんの少しだけ覗き見た気がした。


「ここから少し離れたところに私立の学校があるの。大変だったらそこに転校しても良いわ」

「どのあたり?」

「車で一時間程。歩いては無理だから、電車とバスを使うことになるけど」

「大丈夫。教えてくれてありがとう」


 理由を知り、少しだけ納得した。

 偶然であれば、いずれ周りも分かってくれるだろう。

 そして、同時に伯父夫妻にこれ以上迷惑をかけたくないと思ったのだ。


 朝、煙のような匂いで目を覚ます。辺りを見渡してもいつもと変わった様子はない。首をかしげ、リビングに行くと伊代と挨拶をして、テーブルの上にベーコンが置いてあるのに気づいた。これが匂いの原因だと納得した。


 その日、学校に行くと、クラスがやけに騒がしい。


「何かあったのかな」


 いつもはクラスの前で別れる真美も知美についてきてくれた。


 真美は教室の扉を開ける。


「前田君の家が昨日、火事になったって。全焼には至らなかったようだけど」


 その言葉に驚く。前田の机を見ると、まだ学校に来ていないようだった。


「あんたのせいじゃないの?」


 知美の体に影がかかる。


 優子は腕を組み、冷たい視線で知美を見る。


「そんなこと」


 昨日の伊代の言葉が頭をかけめぐり、何を言っていいのか分からなくなる。


「聞くけど、その時間帯、知美は家にいなかったの? その家はいつ頃、火事になったの? 一緒に暮らしているなら分かるわよね」


 優子はたじろじ、あからさまに嫌そうな顔をした。


「いつごろ火事になったのか、誰か知らない?」

「十二時くらい。俺んち、あいつの家と近いからさ。その時間に救急車が来て、大騒ぎだったから」


 そう得意げに言ったのは岡江だった。


「知美はその時間、どうしていたの?」

「寝てたし、そんな時間まで起きておけない」


 十時を過ぎれば頭がうつろになる。


「家にいたんだね。知美がいたから火事になったなんてデマもいいところじゃない。それともあなたたちは知美に超能力でも使えて、放火もできるとか本気でそう思っているの?」


 誰も真美の言葉に反論しない。悪魔だ、人殺しだとののしってもそれが非現実的でないと多くの人が感じていたのだろう。


「もし、何か言われたらわたしに言ってね。わたしは知美の味方よ」

「でも真美に何かあったら」


 真美は知美が何を言いたいのか理解したのか、彼女の腕を引くと、教室の外に連れ出す。


「余計な心配はしない。大丈夫だし、そんなことを言ったら怒るよ」


 真美は腰を手にあて、上半身を前方に乗り出してきた。


「本当に?」

「本当。約束」


 そう言うと、真美は知美に小指を絡めてきた。


 知美は目頭が熱くなるのを感じ、頷いていた。


 

 前田の家の家事は台所近辺の出火が原因とされた。前田の母親は頑なに火の管理はしていたと否定していたが、その決断が覆されることはなかった。



 知美の真美と過ごす時間は増加の一途をたどっていた。真美がはっきり言った事で、知美の陰口を叩く人はいたかもしれないが、以前のようにあからさまなものはなくなっていた。


 学校は楽しいとは言い難いが、知美にとって真美と過ごす時間は他の何よりも楽しい時間だった。将や伊代にも真美との間にあったことを良く聞かせるようになった。


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