確証のない約束と確信めいた約束
辺りはすっかり暗くなり、空を見上げれば今日も満点の星空が眩く輝いている。
日中とは違う、頬に当たる涼しげな風を感じていた。
目の前のテーブルには洋燈が置かれ、煌々と光を放っている。
「ディオ様、紅茶です。どうぞお召し上がり下さいませ」
「ありがとう、マリー」
マリーはラモンドが用意してくれた紅茶の容器を掴み、自ら注いでくれた。高級であろうティーカップには花と蔦のレリーフが刻まれている。
お世辞にも俺には似合っていないと思う。
カップに注がれた紅茶から立ち昇る湯気と共に、甘い香りによって鼻腔が燻られる。
紅茶を一口含み、その美味さに目を細めた。
「はぁ…美味しいね、これ」
「ふふ、ありがとうございます。良い物が手に入った様です。ディオ様の好みに合わせて少し花の蜜を多めに入れておくようにお願いしておきました」
腹一杯ご馳走してもらった後、館の中庭にあるテラスへと移動し、マリーと俺は2人で紅茶を楽しんでいる。
勿論、じいやであるラモンドは、マリーの傍で指示があればすぐに動ける様に一歩下がった所で静かに待機している。
テラスでマリーと向き合い紅茶に舌鼓を打つ。
先程から自然と「はぁ~…」とか「ほぉ~…」とか美味しい溜息が漏れる。
ちらりとマリーを見れると、満足そうな顔をしている。
「ディオ様、ディオ様はこちらの方ではない。と昨日仰っていましたが、ここに来る前はどちらに居てらしたのですか?」
マリーが尋ねてきた。
そうだな、陸路で遠路遥々ラ・シーンまでやって来る前か…。
俺は正直に答えた。
「妖魔領だね」
「!?」
マリーの顔が驚いたものになる。
つい2.3年前まで人間と妖魔が大小の戦争を延々と繰り広げていた場所だ。そんな大陸で最も危険な場所にいたのだから、驚くのも無理がないのかもしれない。
ラモンドは相変わらず静かに佇んでいる。
「あの妖魔領ですか…?北の大地の果て。黒き大地が覆い尽くし、人が住む事を許されない死の世界。空は常に暗黒で、この世の終わりと言われる場所…」
よく見るとマリーの額には薄らと汗が滲み出ていた。
しかし、かなり誤解がある内容だな。
「マリー、君は妖魔領の事を誰から聞いた?」
マリーは何かを思い出すように視線を宙に彷徨わせた。
「えぇ…と…、女中の方々からですわ」
「そうか。俺の見てきた妖魔領とはかなりの開きがあるね。まず妖魔領の大地は別に黒くない」
「え?そうなのですか?」
「あぁ、あの場所は火山地帯と言って火山活動をしている山がいくつもある。確かにその火山近くの大地は灰にまみれて、雨でも降ってれば黒い大地に見えない事もないけどね」
「で、では!空が常に暗黒と言うのは!?」
マリーが目を輝かせ、テーブルに両手を付いて顔をグイっと突き出し訊いてくる。
興味津々なようだ。
大陸は広大だ。
口伝えに聞いた話がどこかで変わってしまったのだろう。
俺は誤解をしているであろうマリーの驚く反応に気分を良くし、数年前までいた場所の事を少しずつ話してあげた。
「空が黒く見えるのは、今言った火山が活動して溶岩が噴き出るんだ。それはもう人が触れれば一瞬で消し炭になってしまうような溶岩が。噴火の際飛び出る火山灰が出るだろ?宙を舞い続け、そして大地に落ちてくる。その舞い続けている間は太陽の光を飲み込むから『常に暗黒』って言葉は間違えではないけれども『場所によっては暗黒』が正しいかもね」
くいっと紅茶を口に運ぶ。
決して主張し過ぎない甘さが口全体に広がる。
「ふぅ…。それ別に『人が住む事が許されない世界』って訳でもなかったよ。実際妖魔領よりはベイオール側だったけど、近郊に生活している人間を俺は見た」
「え!?まさかそんな危険な場所にですか?」
「あぁ、そうだ」
「でも妖魔は人を喰らうと言われています。妖魔は言う事を聞かないい子供がいれば、どこからか現れて、その子供を食べてしまうのですよ!?」
「…ぷっ!」
「どうして笑いますの!?」
いやいや、それはどう聞いてもあれだろう。
言う事を聞かない子供に言う事を聞かせる様にする為の話だ。それを真面目な顔で話す彼女がおかしくて、堪えきれず少し笑ってしまった。
「マリー…、それはいつ聞いた話?」
「子供の頃に、ばあやに聞かされました」
「うっ…くくっ…ふ、あはは!」
「え?えぇ!?ディオ様酷いです!!どうしてお笑いになりますか!?」
本当に堪えきれず思い切り笑ってしまう。
当然マリーの機嫌は良くないだろう。なんせ自分が笑われているのだ。
貴族のお嬢さんにはかなり失礼な事をしているのはわかっているのだがある事を想像してしまい、どうしても堪えきれなかったのだ。
「あ~…、ごめんね。馬鹿にしたつもりで笑った訳じゃないんだ。ねぇマリー。君は子供の頃よく家から抜け出したり、言う事を聞かなかったり周りの人達から『おてんば』とか言われたりした事なかった?」
「えっ!?子供の頃によく言われていました!どうしておわかりになられるのですか!?」
「いや、ラモンドさんや、そのばあやさんが苦労していたんだろうなと思っただけさ」
俺の言葉に首を傾げながら腑に落ちない表情をする。
マリーの傍らには、俺達のやりとりに口元を少し緩めて苦笑いをするラモンドの姿があった。
「もう、いいです!ディオ様は意地悪です」
「あぁすまない。そんなつもりじゃあなかったんだけどな。あと人を襲い喰らうのは『妖魔獣』と言う類の本能で生きる魔物の事だよ」
「やっぱり食べるのですね…」
「…話を少し戻そうか」
そう言って難しい顔のマリーに苦笑いしつつ、話を戻した。
「俺の生まれた場所はね、人と妖魔が争い続ける最北の国だったんだ。知っていると思うけど境界の国『グベリア』今は無き国だ」
俺の言葉にマリーは息を呑む。ラモンドも動きこそしないが、少し雰囲気が変わった様に見えた。
「ディオ様は…そこで何を…?」
彼女はきっと聡い子だ。自分で言いながらも俺が次に出てくる言葉をわかっている様な顔をしている。
「戦争だ」
彼女の目が見開かれ、少し驚く様に見えた。
しかし思った通りの答えだったのか。
姿勢を正して突然深く頭を下げたのだった。
「ありがとうございます」
「…どうして?」
その言葉の真意をマリーに問う。
「私はあの戦争を誰かに聞いただけです。ある戦場では勇敢な勇者が妖魔を倒した。ある土地では高潔な騎士たちが、囚われていた人々を見事に救った。まるで物語に出てくる様な、別世界の話でした。それも最北の世界。私の様に中央育ちの世間知らずには想像も出来ないものです」
そう。
想像も出来ない事だらけだった。
俺の10数年の価値観、常識も根底から変わってしまうぐらいに。
「戦争が終わり2年余。この平和がどれほど続くかもわかりません。それに、この平和がどれほどの犠牲で成り立っているのかも…。ですがこの平和の為に戦った方々にお礼の一言も今まで言えませんでした。
何の気休めにもならないとは思います。ですが私がこの時を生きるのであればあなた様に言わなければなりません」
力強い目だ。
先程までの可愛らしい表情や、慌ててる表情とも違う。ただただ真摯に向き合っている、力強い意思を持つ者の目。
彼女は大きく息を吸い込み、もう一度礼を述べた。
「本当に、ありがとうございます」
「あ~、そう言うのは良いから!過去に何があったからどうとかの話よりも明日何を食べようかと考えている方が、人生楽しいよ?明日はどこへ行こうか?明日は何を着ようか?明日は何があるのだろうか?ってね」
慣れない雰囲気に耐え切れず、ついおどけた仕草で話かける。
「……うふふ。なんだかディオ様らしいです」
「そうさ。俺はいつだって割と前向きなんだ」
マリーの表情はもう元に戻っていた。
先程までの力強い瞳はなりを潜め、年相応のあどけない表情になっていた。
世間知らずのお嬢様の様に見えるのに、意外に自分の中で芯がしっかりとあるんだろう。
「どうぞ、熱い紅茶のおかわりを…」
ラモンドがいつの間にか紅茶を温め直して持って来てくれた。遠慮なく頂く事にする。またあの上品な甘みの紅茶が身体に行き渡るのがよくわかる。続いてマリーにも注ぐ。
「ありがとう。じいや」
ラモンドは小さく頭を下げてまた一歩引いた位置で待機する。
マリーはお嬢様らしく上品に、飲んでいたカップを置く。
「ディオ様…私は明日にここを発たなければなりません。国に戻った後ゼオングラーダへと戻るのです」
マリーの表情に少し影が落ちる。
ゼオングラーダか。
魔術王都ゼオングラーダねぇ。
その才能の無い俺には一生縁の無い場所だな。
「そっか。まぁ、また縁があれば出会う事もあるさ。だからあまり悲しそうな顔しないでくれよ」
「寂しいとは思いませんか!せっかくお近づきになったのに!」
「寂しいと言うか…昨日あってまともに話すのは今日が初めてだからね…」
「では、寂しくないと!?」
いや、どうしても『寂しい』と言う感情は出てこない。
今後も飯を食べさせてくれる人がいなくなる。
と言う浅ましい考えをあえて出すならば、それは『惜しい』と言う言葉だ。
寂しいとは違う。しかし、マリーの表情は不安げと言うか、何かを期待している様に見てくる。
(…はぁ)
目を閉じ短く嘆息する。
「まぁせっかく知り合いになったのに、明日でお別れは少し寂しいかも…ね?」
俺の言葉を待っていたかの様に頬を染めて満面の笑顔に変わる。
本当に表情の豊かな子だ。
「まぁ!まぁまぁまぁ!!やっぱりそうですよね!」
「あ、あぁ…。少しね。少し」
「同じお気持ちで嬉しいです!」
「少しだけね?聞いてる?」
思い込みも少し激しいのか、それとも俺の声が届いていないのか、1人で喜んではうんうんと頷いている。
今日1日で彼女の印象は大きく変わった。
人懐こい子犬の様にも見えれば、急に年齢以上のしっかりした考えもする。
コロコロと表情を変えて笑い、喜び、悲しむ。
そして割と俺の話を聞いてくれない。
(…ま、いっか)
「また近い内にお会い出来る様に願っておりますね!」
先程までの暗い表情が何処吹く風だ。
マリーは笑っている方がやっぱり良い。
「そうだね。また近い内に会えたら良いね」
これは俺の本心から出た言葉だ。
貴族と平民と身分の格差は大きくあるが、それもおくびにも出さないマリー。
受けた恩を返すと泣いていたマリー。
別れを惜しんでくれるマリー。
人の話をちょっとだけ聞いてくれないマリー。
(身分は違うが、おてんばな妹ってのはこんな感じなんだろうか?)
「はい!必ずまたお会い致します!!」
確信めいた言い方をするマリーに、苦笑いをしつつカップに残る少しだけ冷めた紅茶の、最後の一杯を飲み干すのだった




