第6話 勇者の身勝手な「保険」と、森に現れた小さき守護者
森の緑が深くなる。静寂を切り裂くように響いたユウキの強制的な誘いに、ソウタの心臓は激しく波打った。
「断る! 俺は戦えないんだ。母さんの看病もあるし、とにかく帰らせてくれ」
ソウタは必死に首を振り、踵を返して走り出そうとした。しかし、勇者の脚力は圧倒的だった。ユウキは一瞬で間合いを詰め、ソウタの腕を万力のような力で掴み取る。
「良いから来い」
「放せよ! 死にたくないんだ! 俺が死んだら、家で待ってる母さんは誰が支えるんだ!」
「俺が守ってやるから安心しろ」
不敵に笑うユウキの横顔には、他者の命に対する敬意など微塵もない。ソウタは必死に喚き散らすが、ユウキの耳には届かない。
「薬草を摘んで帰らないと、今日のご飯すら食べられないんだよ!」
「一日食わなくても死にやしねえよ」
無理矢理に森の奥深くへと引き摺り込まれていく。木の枝が頬をかすめ、恐怖と焦燥がソウタの胸を締め付ける。
(こいつ、俺に何をさせるつもりだ? 足手まといにしかならない俺を連れて行くなんて、正気の沙汰じゃない。あの時の泥棒事件の意趣返しか? 逆恨みにしては悪質すぎるだろ……)
「いい加減にしろ、なぜ俺なんだ! 足手まといだろうが!」
ソウタの悲痛な問いかけに、ユウキは短く吐き捨てた。
「オークと戦うのは初めてなんだ。保険だよ」
「保険だと……!?」
「黙ってついてこい!」
ユウキの声に反応するように、茂みからゴブリンやコボルトが姿を現す。ユウキはそのたびにソウタの腕を放り投げ、あっという間にモンスターたちを斬り伏せていく。ソウタはその隙に何度か逃走を試みたが、すぐに背後から襟首を掴まれ、引き戻される。身体能力の差は絶望的だった。
◇◇
「静かにしろ。……オークだ」
ユウキがソウタの耳元で、低く凍りつくような声で囁いた。
しかし、遅かった。オークはすでにこちらの気配に気づいていた。巨体がゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくる。
オーク――それは、人間を遥かに凌駕する筋力と巨体を持つ、猪の頭部を持つ怪物。今回現れたのは、群れから離れ、より狂暴化しサイズも一回り大きい『はぐれ』の個体だった。
ユウキはその光景を前に、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべる。
「しっかり肉壁になって貰おうか。お前が食われてる間に、背後から急所を突いてやる」
「肉壁……!? それが目的かよ! 手を放せ!」
「うるせえ、さっさと殺られちまえ!」
ユウキの手に力がこもる。ソウタの身体が宙に浮き、飢えたオークの喉元へと放り出されようとしたその瞬間だった。
ガサガサ、と背後の草むらが激しく揺れた。
――ガウッ!
咆哮と共に、小さな影が飛び出した。それは獣の速さでユウキの手に食らいつく。
「イタッ!? ちっ、なんだこの薄汚い獣は!」
痛みで思わず手を放すユウキ。獣を強引に振りほどき、殺意を込めて剣を振り下ろした。
獣は咄嗟に回避したが、額に深い傷を負い、鮮血を滴らせている。それでも獣は、ソウタとユウキの間に立ち塞がり、ソウタを守るように牙を剥いて唸り声を上げていた。
「てめぇ……勇者である俺に歯向かうか」
ユウキが獣を睨みつけている間に、漆黒の斧を携えた『はぐれ』オークが、重たい足取りで確実に間合いを詰めてきていた。
ソウタは呆然と見つめる。額から血を流しながらも、自分を守ろうとする小さな獣の背中を。この状況、誰がどう見ても――絶体絶命だった。




