第1話 異世界転生、ただし勇者の隣のモブキャラです。
その男の名は鈴木奏太。二十歳。身長一七〇センチで痩せ型、猫背。中学時代に受けたいじめが原因で引きこもりとなり、通信制の高校を卒業したものの、大学受験の二浪という崖っぷちで将来を憂う日々を送っていた。
かつての引きこもり時代に溺愛したゲームとライトノベル。その執着は二十歳を過ぎても消えることはなく、参考書を開いては集中力を切らし、またラノベを手に取るという堕落した生活を繰り返している。
ある日のこと。奏太は、切れかけた炭酸飲料とポテトチップスを買いに、自転車でコンビニへと向かっていた。
コミュ症の気がある奏太にとって、外界との唯一の接点は、週に数回訪れる近所のコンビニだけだ。塾など論外、友人もいない。コンビニのレジでも、最小限の音量で支払いを済ませるだけの、誰の印象にも残らないモブのような存在。彼にとっての平穏は、誰とも関わらず、ただ自分の世界を守り続けることだった。
しかし、その平穏は突然の雷鳴とともに崩れ去る。
空を覆う黒雲から、バケツをひっくり返したような豪雨が降り注いだ。コンビニはもうすぐそこ、信号の向こう側だ。雨で視界が歪み、世界が霧に包まれたような錯覚に陥る。
「……青、だな」
前方、横断歩道の信号が青であることを確認し、奏太は急いでペダルを漕いだ。雨に濡れるのを避けたい一心で、ハンドルを切る。
ドン、という鈍い衝撃と、視界の回転。
左折してきた車両が、死角から奏太を巻き込んでいた。激突の衝撃は自転車ごと彼を宙へと放り投げ、そのまま無慈悲にアスファルトへと叩きつける。
「あ……」
逃げ場のない後悔と、冷たい雨の感触。奏太の視界が真っ白に塗り潰され、二十年の短い生涯はあっけなく幕を閉じた。
◇◇
ソウタは、眩しさに目を覚ました。
窓から差し込む、あまりにも清々しい朝日。鳥のさえずりと、どこか懐かしい木の匂い。
「……ここ、は」
身体を起こそうとして、異変に気づく。手足が、妙に小さい。布団を跳ね除けると、そこには自分の見知らぬ、ぷくぷくとした幼児体型が鎮座していた。
「嘘だろ。何で俺、子供になってる?」
慌ててベッドから転がり落ち、部屋の隅にある姿見へと駆け寄る。鏡に映っていたのは、四歳児ほどの、金髪で人形のように整った幼い少年の姿だった。
混乱する頭の中で、記憶が弾ける。自分は転生したのだ。それも、生まれた時からの記憶をすべて保持したまま。ヤコイケ村に生まれ落ちた、ソウタという名の四歳児として。
ソウタは窓際まで走ると、外の景色を食い入るように見つめた。
緑豊かな森、石造りの家々。日本ではない。紛れもない異世界の光景だ。
「これって……もしかして異世界転生!? マジかよ、あのテンプレ通りの転生!?」
心臓が早鐘を打つ。脳裏をよぎるのは、読み漁ったラノベの数々。魔法をぶっ放し、強力なスキルで無双し、美しいヒロインに囲まれる夢のような新生活。
「ヒャッハー! 俺TUEEEで無双し放題、ハーレムもバッチ来いだ! 神様、最高だよ!」
ガッツポーズを決め、昂ぶる気持ちを抑えきれずに笑みを浮かべる。しかし、その喜びは一分と持たなかった。
ふと、視線の先にあった隣家を見て、ソウタの顔から血の気が引いていく。
整えられた庭、清潔な壁。見覚えがある。いや、見覚えどころではない。何百時間も画面越しに眺めてきた景色だ。
「……ここ、RPG『エターナル・ブレイド』の始まりの村じゃないか?」
背筋に冷たいものが走る。隣の家は、このゲームの主人公である勇者が生まれた生家。物語の序盤で、勇者が旅立つ際に必ず見かける、村の象徴的な場所だ。
「待て、ということは……」
ソウタは自分の部屋を見回し、そして隣の家の窓越しに、呑気に朝の支度をする家族の姿を確認する。
思い出した。ゲーム内で、勇者の家の隣に住んでいた、あのモブキャラ。村を出る勇者に対し、「頑張れよ!」なんて気の利いた台詞すら言わず、ただただ「すごいねー」と感心して見ているだけの、名前もない村人。
そして、物語が終わるその瞬間まで、ずっとこの村から一歩も出ることなく、平和ボケした日常を繰り返すだけの、徹底的に無意味なモブ。
「嘘だろ……俺、何のスキルも魔法も適性もない、ただの村人Aに転生したってことかよ!」
ソウタは床にへたり込んだ。
無双の夢は消え、残ったのは平穏すぎて退屈な、物語の背景でしかない人生。絶望感が、四歳の小さな身体を容赦なく締め上げていく。
しかし、ソウタはまだ気づいていなかった。この世界には、ゲームにはなかった「何か」が芽吹こうとしていることに――。




