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94.隠れ家

司祭はさらに説明を続けた。


「黒い手は元々はルミナリス教原理主義というテロ集団だった連中だ」


「それがいつからか教義などとは関係なく荒っぽい事なら何でもやるようになってしまった」


「黒い手の背後には……傭兵ギルドがいるという噂もある」


「!?」ジンスケとアイリーンが同時に顔を見合わせた。


「傭兵ギルドとは?」ジンスケが低い声で尋ねる。


「職のない者を集めて戦闘を教えて、南のフォルティア国に傭兵として斡旋しているんだ」


「フォルティアでは傭兵は魔物討伐の最前線に送られる、長く続けていれば命はないよ」


「そうして傭兵ギルドはフォルティアから高額な斡旋料を受け取っているんだ」


「詳しくはわからないが」司祭が痛みに顔をゆがめた。


「彼らにとって教会の影響力が邪魔なのかもしれない……商売の障害になる聖域や慈善事業が」


アイリーンが眉を寄せた。


「でも……聖魔法は病気や怪我を癒やすのに不可欠です。民衆にとっても必要な存在なのに」


「他のギルド、商業ギルドや流通ギルドからの擁護や支援などはないのでしょうか」


司祭は首を振った。


「廃止になった2つの大教会には沢山の『男』がいたんだ。男にもルミナリス教の信者はいる」


「教会が廃止になって、そういう男たちは結局は皆、町の娼館へと移った」


「レイネールには幾つもの娼館がある、大きな産業なのだよ、商業ギルドにとっても大事な収入源だということだね」


アイリーンは眉をひそめた。


「それでは大ギルドの商業ギルドもグルだと…」


「町ぐるみ国ぐるみの陰謀みたいなものではないですか」


司祭は頷いた。


「だからこそ恐ろしいのだ」


司祭の声が震えた。


「黒い手は聖魔法自体を『不要なもの』として民衆の心に植え付けようとしている。」


彼女はアイリーンの手を握った。


「若くて有能な君の聖魔法が露見したらきっと真っ先に狙われるだろう」


アイリーンの顔から血の気が引いた。


ジンスケはアイリーンの肩に手を置き、落ち着いた口調で言った。


「心配することはありません。拙者が必ず守ります」


司祭の傷が完全に癒えたのは夕暮れ時だった。


アイリーンの聖魔法が最後の一筋の光を放つと、老婆の顔に生気が戻った。


司祭がかすれた声で感謝を告げた。


「ありがとう……命の恩人だよ」


アイリーンが俯く。


「お礼なんて……私たちこそもう少し早く駆けつけていれば……」


ジンスケが冷静に割って入った。


「今は一刻も早く安全な場所へ移るべきです。黒い手が再び襲ってくる可能性があります」


司祭は弱々しく首を振った。


「私のことより……アイリーンちゃんの方が危ないよ」


「あなたが私を治癒したことが知られたら……」


その言葉にアイリーンが息を呑んだ。


重症だった司祭をここまで治してしまっては聖魔法を使えることの隠蔽は難しいかもしれない。


ジンスケが鋭く言った。


「いすずれにしても今は司祭殿を守らなければなりません」


その時、宿の女将が不安げに部屋を覗き込んだ。


「司祭様の具合はどうだい?」


起き上がってベッドに腰かけている司祭を見て、女将は驚きに目を見開いた。


「あの傷で?あんた!すごい聖魔法使いだったんだね?」


その言葉に場の空気が凍りついた。


司祭が低い声で警告した。


「女将さん用心しなさい。この国では聖魔法の話はしないほうが身のためだ」


「このことはくれぐれも他人には言わないように…」


女将が怯えたように後ずさった。


「悪かったよ……触れないほうがいい話題だったみたいだね」


司祭はベッドから慎重に立ち上がった。


まだ少し足元がふらつくものの、アイリーンの手助けを借りて窓辺に歩み寄った。


「西の丘に小さな祠がある」


彼女は夕焼けに染まる街並みの先を指差した。


「あの小道を抜けた先に、私の旧友である彫刻家の隠れ家があるんだよ。表向きは忘れられた工房だが、内側は堅牢に造られている」


ジンスケが窓の外を警戒するように覗き込んだ。


「周囲に不審な動きはないようです、あそこまで敵に見つからなければいいのですが…」


司祭が声を潜めた。


「大丈夫だと思うが……念のため裏口から出よう」


「アイリーンちゃんも、その髪と水色の服は目立つ。フード付きマントを上から着るといい」


裏口から出ると、冷たい夜気が肌を撫でた。


三人は細い路地を選んで進み始めた。


アイリーンが先頭を歩き、ジンスケは常に後方を警戒する。


黒い手の影がどこから現れるか分からない緊張感が漂う。


西の丘へ続く坂道を登る頃には完全に夜の帳が下りていた。


月明かりだけが頼りとなる林道に入ると、突然前方から枝を踏む音がした。


ジンスケが呼吸を止めて鬼丸の柄に手をかける。


同時に、月光がその人影を照らし出した。


そこに立っていたのは、無骨な革のベストを着た、白髪交じりの壮年の女性だった。


引き締まった体つきで、手には彫刻刀と粗削りの木片を持っている。


月明かりの下で何かの作品に熱中していたらしく、煤けた頬には木屑が付いていた。


彼女は突然の遭遇に驚いた様子もなく、ゆっくりとこちらを振り返った。


深い彫りの顔には鋭い眼光が宿っていたが、それは攻撃的なものではなく、何かを確かめるような探求者の眼差しだった。


「……どなたかと思ったら、アンタかい。随分と遅い時間に来たもんだな」


低いが温かみのある声で言った


彼女を見て司祭の表情は一瞬で緊張から安堵へと変わった。


「リアーナ……!よかった、無事にたどり着いたぞ」


司祭はホッとしたように言い、女性の方へ歩み寄ろうとするが、まだ体がふらつくためアイリーンが支えた。


アイリーンが困惑した顔で司祭と彫刻家を見比べる。


「リアーナさん?」


ジンスケは鬼丸にかけた手を下ろした。


リアーナというらしい女に敵意は感じられない。


リアーナと呼ばれた彫刻家が顔をしかめ、司祭の乱れた髪と土埃まみれの服を眺めた。


「こんな遅い時間に、そんな恰好でアンタが来るとは。しかもそんな顔で……何があったんだい」


司祭がアイリーンに支えられながら微笑んだ。


「紹介するよ。こちらはリアーナ。私の古い友人で、腕利きの彫刻家だ」


司祭がリアーナを示した。


「リアーナ、この子達は命の恩人なんだ。若いのに聖魔法の才があってな……」


リアーナの鋭い目がアイリーンとジンスケを値踏みするように見た。


「ほう?話は後で聞こうじゃないか。さっさと中に入れ。こんな寒い夜風に当たり続けるこたねぇ」


リアーナは顎で古びた木戸を示した。


林道の奥にひっそりと佇む建物は、苔むした石垣に囲まれた三階建ての古いレンガ造りだった。


工房として使われているのか、二階の窓からはかすかに油と木屑の匂いが漂ってくる。


司祭が言う通り、周囲の景色に溶け込むように建てられていた。


扉を開けると、パチパチと暖炉の火が燃える音が迎えた。


内部は予想以上に広く、天井も高い。


中央に据えられた巨大な作業台には、半分削りかけの大樹の幹や、美しい細工の施された小箱などが並んでいた。


壁際には様々な彫刻刀やノミが整然と並べられ、作業台の反対側には簡素なテーブルと椅子、隅には寝台が備えられている。


魔物油のランプがいくつか灯され、部屋全体を柔らかなオレンジ色に染めていた。


香炉からはハーブの清涼な香りが漂い、リアーナがここで暮らし、創作している空間であることを示している。


リアーナは司祭を簡易な椅子に座らせると、棚から乾燥させた薬草を取り出して水を注ぎ始めた。


「酷い汗だな。何かあったんだろう」


彼女はアイリーンにも目を向けた。


「そっちの姉さんもだ。ずいぶんと蒼い顔してるじゃねえか」


司祭が息を整えながらこれまでの経緯を話した。


黒い手による襲撃と重傷を負い、アイリーンに助けられたこと。


そして黒い手が聖魔法を使うアイリーンを追ってくる可能性があること。


リアーナは薬湯を用意しながら黙って聞いていたが、時折眉をひそめた。


「なるほどな……」


すべてを聞き終えると、リアーナは腕を組んだ。


「いつもは人を助ける側のあんたが他人の聖魔法で助かったとは驚きだ。だが厄介だな。確かに聖魔法使いはここ最近厳しく見張られている」


彼女はジンスケとアイリーンを交互に見た。


「わかった。あんたを匿うことについては問題ない。この家は昔から隠れ場所として使えるように設計してある。だが、これからどうするつもりだい?」


司祭が申し訳なさそうに言った。


「私はひとまずここで身体を休めさせてもらおうと思う。しかし、この子たちには新たな宿が必要だ……黒い手が嗅ぎつけぬような場所を知ってるかね?」


リアーナは考え込むように部屋の奥を向いた。


「街の東にある『暁光亭』は安全かもしれん。店番の婆さんは口が固いし、ギルド連中の目も届きにくい。」


「ただ……あんたたちも十分気をつけな。特にそっちの青髪の嬢ちゃん、その目の色と髪の色は目立つ。頭巾のお嬢ちゃんと同じようにできるだけ顔を見せずに行動したほうがいい」


薬湯を飲み干し、いくらか血色が戻った司祭は深々と頭を下げた。


「ありがとう、リアーナ。命拾いしたよ。二人も……今度は自分の身を優先しな」


ジンスケが静かに頷いた。


「心得ました。ご安心ください。ただし司祭殿の安全はやはり心配です」


「何かあったときにすぐに連絡できる手段があれば教えていただきたい」


リアーナが少し考えて言った。


「連絡手段か……」


「それじゃあ工房の煙突だ。あの古びた煙突から黒い煙が立ったら『異常あり』の合図にしよう。白なら安全だ。簡単だが確実だ」


アイリーンが口を開いた。


「司祭様、本当に……ご無事で」


司祭も頷き返した。


「あぁ。お前さんたちのおかげだ。そっちもしっかり休みなさい」


リアーナが「さあ」と促す。


「長居は無用だ。行くが良い」


ジンスケはもう一度深く頭を下げた。


「お言葉に甘えます。行きましょう」


夜の通りに出ると、リアーナの忠告を胸に刻みつつ二人は東へと足を向けた。


『暁光亭』は地図によると細い路地を何度も曲がった先にあり、看板もない小さな建物だった。


客は数人しかおらず、老女店主は無愛想に「一泊銀貨4枚だよ。食事は無しだ」と言い捨てただけだった。


部屋は狭く質素だったが、清潔で盗み聴きの心配もなさそうだった。


窓際に立ったジンスケが小さな声で言った。


「ここなら確かに見つからなそうです。」


アイリーンがベッドに腰掛け、窓の外の星を眺める。


そして震える声で切り出した。


「ジンスケ様……どうして黙っていたのですか?」


ジンスケが鬼丸の柄を拭きながら曖昧に答えた。


「何のことでしょう?」


アイリーンの青い瞳が真剣にジンスケを見つめていた。


「あの黒装束の女を一太刀で倒したことや……毒に耐性があったこと」


「そんな力を……なぜ隠していたすのですか? リフィアは…妹は知っていたのですね?」


ジンスケは深いため息をついた。


鞘に入ったままの鬼丸を膝に置き、ゆっくりと語り始めた。


「拙者は前世では剣で生きることを生業にしていました。」


「しかし……この世界では拙者の力が知れると色々と面倒なことに巻き込まれてしまうようです」


「プロスペリタでも王族の関係者にそれを知られて色々と無理難題をもちかけられました」


鞘に入ったままの鬼丸を持ち上げてアイリーンを見た。


「これは拙者が自らミスリル鋼を製錬して創り上げた刀です」


「精錬とは錬金術ではなく前世の技術で名刀を作ることができるのです」


「細くて玩具のような刀と皆が思っているようですが、実は鬼丸に切れない物はありません」


「ミスリルの防具でも一刀両断にできます」


アイリーンが息を呑んだ。


「ミスリル鋼の防具を……そんな魔剣のような刀を自力で作った?」


通常ミスリルの武器防具は錬金術で作るもので、この世界ではそれ以外の方法はないと思われている。


ジンスケの表情が硬くなる。


「魔力による体力強化はエルフの大魔導士アポフィス殿に教えられました」


「拙者は前世では国で一番の剣士でしたが、体力強化のおかげで今は前世以上の力がでます」


アイリーンが感嘆の呟きを漏らした。


「それでは王族が子種を欲しがるわけだ……」


ジンスケは頷いた。


「ですが拙者は……前世で人を殺し過ぎました。」


「この世界ではそんな生き方はしたくないと思っています」


「拙者の願いはただ静かに穏やかに暮らしていくことだけです」


「リフィア殿はそんな拙者の気持ちをわかってくれて、ずっと協力してくれていました」


アイリーンは信じられない気持ちだった。


こんなにも華奢で、この世の者とも思えないほどに魅力的な美少年が、人を殺し過ぎた?


類まれなほどに強力な力を持ちながら、ただひたすら平穏に暮らしたいと言う。


そんな気持ちになるまでに、いったい何人の人を殺めてきたというのだろう?


夜が更けていくまで二人はとめどなく話しを続けていた。



いつもご愛読ありがとうございます。

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