49.塩味の魅力
最後まで油断はならないというジンスケとリフィアの心配をよそに、翌朝になると遠征隊は何事もなくザカトの町を出て王都への帰還に向かっていった。
あまりにあっさりとした幕引きに拍子抜けしつつも、ジンスケは胸の奥にあった重荷がふっと軽くなるのを感じていた。
今の自分にとって一番大切な平穏な日常が戻ってきたからだ。
ギルドの仕事へと出かけるジンスケの背を、ノラの宿屋の宿泊客たちはいつものようにゆったりと見送る。
朝食の時間、彼が食堂にいる間は皆そわそわして落ち着かないのだ。視線がつい彼に吸い寄せられてしまい、食事が進まない。
だからジンスケが出かけたあとも客達はゆっくりとした朝食を続けていた。
常連客の一人がおかわりを注文した。
「ノラさん、一角うさぎのステーキをもう一枚おかわり。塩味でお願い」
それを聞いたノラがカウンター越しに言った。
「ジンスケの真似をして塩味で食べるのも、もうそろそろ飽きたんじゃないかい?」
常連客は苦笑しながら言った。
「確かにさ、最初はピリピリして毒キノコみたいな味だと思ってた。でも、なんだか癖になっちゃってね。最近はこれがないと物足りないっていうか……不思議だよな」
文句を言いながらも、ノラは黙ってもう一枚ステーキを焼き始める。
そういうノラ自身も実は今でも塩味でステーキやスープを食べているのだ。
特に理由はないのだけれど、なんとなくそうなっているというか続いている。
そうやって考えてみるとノラの宿屋の常連客の半分以上が今でもずっと塩味の食事を続けているのに気づいた。
どうりであんなに大きかった塩の塊がずいぶんと小さくなってしまったものだ。
最初に塩の塊の大きさとジンスケの使う量の少なさを見た時には、一生なくならないと思ったものだが。
この調子でいくと、そう遠くない時期に全部なくなってしまいそうだ。
みんながジンスケの真似をするせいでジンスケ本人が食べる分の塩がなくなってしまうなどということになったら、さぞやがっかりするだろう。
カウンターに視線を移すと、塩の瓶はすでに空に近かった。
ノラは決心したように顔を上げ、宿の客たちに向かって声をかけた。
「塩味の料理はこれでおしまいだ。ジンスケが持ってきた塩が残り少なくなってきたからね」
「明日からは塩はジンスケだけに出すことにするから、もう真似はしないように」
一瞬、食堂が静まり返る。だがすぐに、誰からともなく納得の声が上がった。
宿泊者たちもあんなに喜んでいたジンスケが塩がなくなったら、どんなにがっかりするだろうと思ったのだろう。
「わかった、ノラさん、明日からは塩味はなしにするよ」
「ジンスケががっかりする顔なんて、見たくないしな」
皆が口々にそう言って、すんなりと同意したのだった。
王都からの遠征隊がザカトの町を出てから数日がたっていた。
ジンスケはいつものように塩味ウサギステーキの昼食をのんびりと食べている。
本当に平穏な毎日だ。
何もやることがないのかというと別にそういうわけでもなかった。
実はジンスケにはある計画があるにはあるのだけれど、それは延ばし延ばしになっていたのだ。
何の計画かというとそれはバークホッグの討伐だ。
バークホッグというのは無限の塔の低層階で出会った魔物でイノシシに似ている。
遠征隊が壊されていたダンジョンの入口の封印はすべて修復していったので、もうダンジョンの中層以上にいるような魔物は滅多に出ないだろう。
でも低層階にいた魔物くらいならダンジョンに入らなくても、森や山など魔物の出やすい場所に行けば会える可能性があるのではないかとジンスケは思っていた。
無限の塔の低層で見かけた魔物ではバークホッグが一番、食肉向きの感じがしたので一角ウサギのかわりに味を試してみようかと思っていたのだ。
もちろん一角ウサギのステーキも十分に美味いのだけれど、もしバークホッグがそこそこ美味しいようであれば料理のレパートリーが広がるではないか。
そんな期待もあって無限の塔から帰ってきた当初はすぐにでもバークホッグ狩りに出かけるくらいの気持ちでいたのだけれど未だに実行していない。
理由のひとつは、塩をかけたウサギステーキが想定以上に美味すぎたことだ。「これだけあれば、無理して新しい食材を探すまでもないか……」と、気が抜けてしまった。
もうひとつの理由は、「やりたければいつでもできる」という安心感だった。。
前世でのジンスケは何でも思い立ったことはすぐに実行するのが信条だった。
朝に思いついたことを昼まで延ばすことはしない、夕方に閃いたことを翌日まで延ばすことなどは決してなかった。
武芸者は明日を信じられない。
明日何かをしようと思っていても夜には果し合いに敗れて死んでいるかもしれないのだ。
その時、死に際に「こんなことならあれをしておけば良かった」などと悔やんでも遅い。
だから思いついたことは即実行する。
それが前世のジンスケの日常だった。
でも今はバークホッグ狩りを「そのうち」「また今度」と延ばし延ばしにしている。
やる気がないわけではない。
ただ少し面倒で、「別に今日じゃなくてもいいか」と思ってしまうのだ。
つまり、堕落したのだと思う。
自分で自分のことを「堕落した」と思うのもどうかという感じだが、実はジンスケはそういう自分の堕落すらも楽しく感じていたのだ。
明日を信じられる毎日というのはなんと素晴らしく、そして楽しいのだろう。
怠け者バンザイだ。
そんなことを考えながらジンスケはいつもの昼食タイムを過ごしていたのだけれど、熱い視線を感じる。
周囲からの視線はいつものことだ。
この世界では男が町で普通に過ごそうとすれば周囲からの視線は必然と思わなければならない。
でもその視線の熱さはいつものそれとは何か微妙に雰囲気が違っていた。
それでもジンスケはなるべく気にしないようにして食事を続けていた。
ノラの宿屋の宿泊客に悪い女はいない。
危険はないのだから気にしないようにしているのが一番、それがこの世界に来てから学んだことだ。
カイネが食事を終えて出かけようとしてジンスケの横を通った。
カイネはノラの宿屋の常連客でD級の冒険者だ。
以前にジンスケの護衛についてくれて、その時はサラマンダーのブレスで大怪我を負ったのだけれど今はすっかり元気になっている。
カイネがチラリとジンスケの皿に視線をやった。
ジンスケはバークホッグのことなどを考えていたので珍しく皿にウサギステーキが一欠けら残っていた。
ゴクリとカイネは唾を飲み込んだ。
カイネは無意識のうちにジンスケに話しかけていた。
「そのウサギステーキ、食べないならもらってもいい?」
あまりにも唐突な質問にジンスケがびっくりしていると、カイネのほうもハッと我に返った。
この国では女が男に対していきなりこんなぶしつけな問いかけをすれば罪になりかねないのだ。
「あっ、ごめん。何言ってるんだ私」
「いや、違う。違うんだ。決して間接キスが・・とかそんなんじゃなくて・・」
焦りに焦り、しどろもどろになってしまったカイネは、もはや周囲の視線を一身に集めてしまっている。
頬を真っ赤にしながら、彼女は言った。
「違うんだ。その・・塩味のステーキをしばらく食べてないから・・・」
「最初は平気だと思ったんだけど日がたつにつれて食べたくて食べたくて仕方なくなってしまって・・」
ジンスケは首を捻りながら言った。
「それならば拙者の残り物など狙わずともノラ殿に言えばいいではないですか?」
そう言ってから、ふと気づく。
そういえば、最近は誰も塩味を頼んでいない。かつては皆、こぞって真似していたはずなのに。
堕落したせいで観察眼まで衰えていたとは……。
ん? なんでみんな塩味をやめたのだろう。
確かに最初から誰もが「変な味」と言っていたけれど、それでも何故か続けていたはずなのだけれど。
騒ぎを聞きつけてノラが厨房から顔を出した。
「あんたの持ってきた塩の塊が小さくなったんで塩味はジンスケ以外は禁止にしたんだよ」
ようやく理由がわかった。
ジンスケはノラに向かって微笑みながら言った。
「それならば拙者にかまわず皆さんにも塩味を振舞ってあげてください」
ノラは驚いたような顔で尋ねる。
「いいのかい? そんなことをしたらジンスケのぶんがなくなっちまうよ」
ジンスケはにっこり笑って答えた。
「大丈夫です、実は取りに行けば在庫はいくらでもありますので」
ノラはあきれた顔で言った。
「なんだい、そうなのかい。そういうことは最初に言っておくれよ」
「実はここ数日、こっそり『ちょっとだけ塩味食べさせてくれ』って頼んでくるヤツが何人かいたんだ」
「ほんと、不思議だよね。たいして美味いわけでもないのに、妙に癖になるんだ、この“塩”ってやつは」
そう言って、ノラは食堂を見回した。
「さあ、塩味のステーキがどうしても食べたいってヤツ、手を挙げてみな!」
すると、バラバラッと手が挙がる。数えてみれば、半分以上の客が手を挙げている。
ノラは苦笑しながらため息をついた。
「まったく……あんたに出て行かれると困る理由が、またひとつ増えちまったね」
「罪作りな男だよ、まったく」
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