12.ノラの宿屋、宿泊者たちの会話
ノラの宿屋の一角。夕食時、ひと組の母娘の冒険者が食卓を囲んでいた。
娘のほうが目を輝かせながら、母親に囁く。
「ねえ母さん、ジンスケ様って本当にうっとりするほど美しいよね……。落世人って聞いたけど、ジンスケ様の元の世界って、あんな美男ばかりなのかなあ」
母親は少し困ったように苦笑した。
「馬鹿言ってんじゃないよ。落世人なんてただの伝説さ。本当にそんな世界があるもんか」
「ジンスケ様のことを悪く言うつもりはないけど……きっと、何か事情があって素性を隠してるんだろうよ」
「でも、本人がそう名乗ってるんだ。町の者としては、それを否定するもんじゃないよ」
娘はまだ納得がいかない様子で、拗ねたように言った。
「でもさ、黒い髪に黒い瞳って、すっごく神秘的じゃない? 今までそんな人、女でも見たことないもん」
そのとき、隣のテーブルに座っていた人の良さそうな中年の女冒険者が口を挟んだ。
「黒髪・黒目の男って、歴史に登場するよ? お嬢ちゃん、知らないかい?」
娘は目をぱちくりさせて首を振る。
そこへ別のテーブルの女冒険者が、ピリッとした口調で割り込んだ。
「そんなの眉唾でしょ。ジンスケ様を貶めるような話は慎みな」
中年の冒険者はばつが悪そうに黙ったが、代わりに別の冒険者が苦笑しながら口を開いた。
「まあまあ、いいじゃないか。ジンスケ様とは関係ない話だ。子どもに昔話をしてやるくらい、大目に見てやれよ」
きつい口調の女冒険者は「チッ」と舌打ちしたが、それ以上は言わなかった。
冒険者の一人が娘に向かって話し始める。
「千年以上も前のことだ。フォルティアとインフルアって国のあいだで戦争があった。その原因が……絶世の美男子の奪い合いだったらしい」
「その男、黒い瞳をしていたって話さ」
「フォルティアの女王が彼にのぼせ上がって、国の財政まで傾いたんだ。そこを狙って、男に一目惚れしたインフルアの皇太女が兵を出した。美男を奪うためにな」
「ボロボロだったフォルティアは、もう滅びる寸前だったっていうよ」
「だからその男のことを、“傾国の美男”って呼ぶようになったんだ」
娘は驚いた顔で母に聞く。
「じゃあ……ジンスケ様も傾国の美男なの?」
母親は慌てて娘の口を押さえた。
「こら、縁起でもないこと言うんじゃないよ。ジンスケ様がそんな人なわけないだろ?」
「誰にでも優しくて、あんなに気さくに話しかけてくださる方なんだから」
先ほど話していた冒険者が、独り言のようにぽつりと言った。
「まあな……でも、例のメダルのこともあるしな。王族と無関係ってのも無理がある」
「王族関係なら……金貨五枚ぽっちの祝祭に参加したがるなわけなんてないよな。いったい幾らならOKなんだろう?」
帳場に座っていたノラが、ピシッと鋭く目を光らせて口を開いた。
「あのメダルはね、王の一族しか持てない特別なものさ。そんじょそこらの物じゃない」
「でも、ジンスケは自分の口で“王族とは無関係”だと言った」
「初めてうちの宿に来たときなんて、泥だらけで、ひどい有様だったよ。そんな子が一人でここまで……王都から逃げてきたとしか思えない」
「それも、命に関わるような理由があってだろうさ」
ノラは一度咳払いをして、宿の客たちをぐるりと見渡した。
「でもよ、仮にジンスケが“王族に囲われていた”としよう」
「だとしたら――あれだけの美男子が突然姿を消したんだ。いまごろ王宮じゃ大騒ぎだろうね」
「囲っていた者にしてみりゃ、気が狂うほどの出来事さ」
「それで“ザカトの町に王族が囲っていたらしい美男がいる”なんて噂が王宮の者の耳に入ったら……どうなると思う?」
「すぐに近衛騎士団が押しかけてきて、問答無用でジンスケを連れ帰るに決まってる」
宿の中が一瞬、静まり返った。
ノラは声を落として、しかしはっきりと言った。
「ジンスケは、それを望んじゃいない。むしろ、怯えている。だからこそ、“王族とは関係ない”って言ったのさ」
「“落世人”って名乗るように知恵をつけたのは……この私だ」
「そうでも言わなきゃ、こんな辺境に“あれほどの美男子”がいる説明なんてつかないだろ?」
「だから、ジンスケは落世人なんだ。それ以外の何物でもない」
「町の誰もが、“ジンスケは落世人だ”って言う。それでいい」
母親が苦笑しながら頭をかいた。
「……そうだね。ごめん、ノラさん。ジンスケ様は落世人。間違いないよ」
他の冒険者たちも、頷きながら声を揃えた。
「そうだ。ジンスケ様は落世人だ。王族だなんて噂は、誰の口からも出させない」
その夜から、ジンスケにまつわる“王族のメダル”の話題は町から消えた。
誰一人として、それに触れようとしなかった。
なぜなら、ジンスケは――このザカトの町にとって、宝のような存在になっていたからだ。
もし王都に連れていかれでもしたら、この町は光を失ったも同然だ。
朝、冒険者ギルドに向かって歩いていくジンスケを見かけるだけで、心が明るくなる。目の保養にもなる。
こんな辺境で、そんな贅沢ができるなんて誰が思っただろう。
その幸運を――誰もが、手放したくはなかったのだ。
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