13.魔物の出没
翌朝、いつになくガヤガヤと階下が騒がしくて目が覚めた。
そういえば、この頃はぐっすり眠るのがすっかり習慣になってしまった。
前世では考えられなかったことだ。
眠たい目をこすりながら階段を降りていくと、いつもの宿泊客たちが真剣な面持ちでしきりに何やら話しこんでいる。
私が姿を見せると、いつもは素知らぬ顔をする彼らが、今日はそろって心配そうにこちらを見た。
「おはよう、何やらいつもと雰囲気が違うようですが何かありましたか?」
私が呑気な声でノラさんに挨拶すると、ノラさんもいつになく心配そうな顔をしている。
「おはよう、相変わらず呑気なもんだね、あんたは」
「ということは、やはり何かあったのですね」
「ああ、暗い森でゼブレからの帰り路の者がワーウルフに襲われたんだ」
ワーウルフは狼の姿をしたモンスターで中型犬ほどの大きさと聞いている。
それほど大きくはないが鋭い牙をもった凶暴な奴らしい。
「それで怪我は深手だったのでしょうか?」
「戻ってすぐに医者に担ぎ込まれたけれど、首筋を深く噛まれたようだからたぶん無理だろう」
「うーむ、ワーウルフとはそのように危険な物の怪なのですか」
「いやいや、注意さえしていればそれほど危険な魔物ではない。一角ウサギに比べたら随分と狂暴だけれどね」
「なれど命を落とすほどの深手と言われたではないですか」
「ああ、強さで言えば冒険者のほうが上だけど見かけによらず賢いやつでね、物陰から急所の首をめがけて襲ってくるから油断がならないのだ」
「なるほど、それでは襲われた御仁はずいぶんと油断をめされていたのですね」
「まあそういうことだね、ただ無理もないさ、もう何年もワーウルフが人を襲ったなんて話はこの町では聞かないからね、まったく警戒もしていなかっただろうよ」
「なるほど、それではこれからはゼブレとの行き来はひとかたならぬ注意が必要ですね」
ノラさんがびっくりした顔でこちらを見た。
「まさか、あんた。ワーウルフが出たっていうのに、このままゼブレに向かって出かけるつもりじゃないだろうね」
「心の備えさえあれば、それほど危険ではないとお聞きしました。それに、C級冒険者のリフィア殿が同行してくださるとのことです。ご心配には及びませんよ」
その言葉を聞くなり、宿の客たちは一斉にこちらを振り返り、呆れたように首を振った。
ノラさんが代表して私を諭す。
「そりゃあリフィアがついていりゃワーウルフに負けることなんかありえないだろうけど、ワーウルフが出る街道を男が旅するなんて聞いたことがないよ」
「やはりリフィア殿がおられれば心配は無用の様子、拙者は一刻も早くゼブレに行きたいのです」
ノラさんと話していると、宿屋の扉があいて緑色の髪をした冒険者が入ってきた。
「噂をすれば、リフィア殿。わざわざ迎えにきていただいたのか。かたじけない」
「約定通り町の出口でお待ちいただければこちらから参上つかまつるところでしたのに」
「おはようございます、ジンスケ様。どうやら、まだ状況をご存じないようですね。森に危険な魔物が現れたとの報せがあり、今日の出発は中止にしましょう」
「しかしリフィア殿が護衛についてくれるのであれば、聞いたかぎりではワーウルフとはそれほど恐れる魔物でもないように思いますが」
「魔物を甘く見ないほうがいいですよ、確かに一匹二匹のワーウルフなら、どんな奇襲を受けたとしても私が守りぬいてみせますが、まだワーウルフの情報が少なすぎますからね」
「もし群れで現れたりした場合ジンスケ様を確実にお守りできるとは言い切れません」
リフィアさんはC級の冒険者だけのことはある。
どんな相手であっても甘く見ないで情報を十分に集めて見極めてから行動するのは手練れの武芸者の心得だ。
やはり頼りになる。
力なき者ほど、虚勢を張って自分の力を過信する。無謀な挑戦をするのは、たいていそういう者だ。
「ううむ、それでは今日の出立はとりあえず先に延ばすしかなさそうですね」
「残念ですがそういうことになりますね、ジンスケ様のような大切な方をほんの少しでも危険にさらすわけにはいきませんから」
リフィアさんの言葉に宿泊者たちも一斉にうんうんと頷いている。
「しかし、その程度の物の怪であればすぐに討伐されるでしょう。明日か明後日には出立できるのではないですか?」
「討伐? なんのことですか?」
リフィアさんは不思議そうな顔をしている。
「物の怪が出たとあれば街道が危うくて皆が不便をするでしょう、すぐに討伐隊が出てワーウルフとやらを捕らえるか成敗するのではないのですか?」
リフィアさんは困った顔をして言った。
「つまり、皆が安全に通れるように、こちらから軍勢を出して森の付近にいるワーウルフを殲滅するという意味でしょうか?」
「そうではないのですか?」
確かに、この町にはC級以上の冒険者は数人しかいないと聞いた。
けれど、それにしてもワーウルフが聞いたとおりの魔物なら、C級冒険者を中心に10名かそこらの討伐隊を出せばすぐにワーウルフは退治できそうな気がする。
「ジンスケ様、あなたはこの町に来たばかりなので知らないかもしれませんが、この町では魔物を殺すことは禁止されているのです」
「えっ、物の怪を殺すことが禁止? しかし一角ウサギとやらを捕らえて食べているではないですか」
「それにそのようなお触れを出せば、物の怪に襲われた者はどうにもしようがないではないですか?」
リフィアさんは困ったような顔をしながらも、この町での法律について教えてくれた。
「食べるために魔物を狩ること、魔物に襲われたときに自衛のために殺すことは認められています。」
「でもそれ以外は禁止なんです」
襲われたら反撃してもいいけれど、自分から魔物を攻撃してはいけないということらしい。
武芸者同士の戦いでも、魔物との戦いでも先手を取ったものが圧倒的に有利なのは変わらない。
攻撃は最大の防御。
魔物に襲われて被害が出る前に魔物を討伐して民衆の安全を確保することこそが為政者の義務なのではないだろうか?
それに武士の世界では身内を殺されて仇を討たないのは恥とされていた。
「それでは、さきほど襲われた者の身内が仇討ちのために魔物を狩りにいくこともいけないということですか?」
「そういうことになりますね」
リフィアの返事を聞いてジンスケは怒りが収まらなかった。
「そのような理不尽な話がありますか、どこの誰が決めた法度なのでしょう」
「領主ですよ、今の領主になってから食料と自衛以外の一切の魔物との戦闘が禁止されたんです」
「ううむ理不尽な」
「おかしいと言われても決まりは決まりですし、それでも今まで問題なくこの町はやってこれたのですから」
「それでは死んだ者もご家族も浮かばれないではないですか。」
ジンスケには家族がいない、天涯孤独の身だ。
でも家族がいてそれが魔物に殺されたとしたなら何をおいても敵討ちに行こうと思うだろう。
「拙者もいくら待っていてもワーウルフが勝手に去らぬ限りゼブレには行けぬということになってしまいます」
「そういうことになりますね。ただ、この町も交易がなければ日々の生活はやっていけませんから、危険は承知で交易のための冒険者だけは行き来をすると思います」
「そういう者たちからの情報でワーウルフの危険が去ったとわかればゼブレに行けると思いますよ」
どうして領主は魔物の討伐を禁止しているのだろう、魔物のほうは人間を襲い放題だというのに。
まるで人間よりも魔物のほうに肩入れしているような法律だ。
無理矢理ではないとは言いながら、自然とそうなるように仕向けて男をすべて領主の館に囲い込んでいることといい、なんだかこの町の領主は信用がならない。
町の者たちからは支持されているようだけれど、なんというか騙されているのではないかという気がしてしまう。
「拙者はそのようないつともなるかわからぬ話を待ってはおれません」
「交易のために行き来する冒険者とやらがいるなら、その者たちについてでもゼブレに行きたいと思います」
「それは無理ですよ、ジンスケ様みたいな男をそんな危険な道程に同行させるような常識知らずの者は一人もいないと思います」
「そうですか、ならば拙者は一人でも行きます。自分の身は自分で守りますから心配ご無用」
リフィアさんは目を見開いて慌てて言った。
「そんなことは絶対にさせられません。」
「だいいち門番だってワーウルフが出るとわかっているのにジンスケ様を一人で町の外などにだすわけがありません」
「拙者を牢にでも入れるおつもりですか? 拙者は罪人でもないし、そもそも流れ者です」
「誰の許可などなくとも自分の進退は自分で好きなようにいたします」
ずっと黙って話を聞いていたノラさんが困った顔をして言った。
「リフィアだって悪気があって言ってるんじゃない、みんなあんたを心配しているんだよ」
「なんだってそうまでして急いでゼブレに行きたいんだい? 」
「それは前にも言ったとおり、なんとしても塩を一刻も早く手に入れたいのです」
「その塩っていうのはそれほど大切なものなのかい?」
「ゼブレに行ったってそれが手にはいるかどうかもわからないというのに、何をそんなに急いでいるのさ」
塩のない食事にはもう飽き飽きで一時の我慢もできないくらいだと、この町の人にいくら話しても理解してもらうのは難しいだろう。
生まれてからずっとその食事で何の疑問も持たずに生きてきているのだ。
「拙者にはうまく説明はできません。しかし拙者にはとっては十分な急ぐ理由なのです」
「誰の助けも乞いはしません、拙者は一人でゼブレに行きます」
リフィアさんとノラさんが顔を見合わせている。
ノラさんが溜息をつきながら言った。
「仕方ないね、この男の子は自分が皆にどう思われているのか、まったくわかっちゃいないのさ」
「まあだからこそ、こんな宿になんか寝泊りしているんだろうけどね」
ノラさんはリフィアさんに向きなおると、いつもの穏やかな口調とは違う命令調の口ぶりで言った。
「リフィア、パーティーを組みな。あんたを信用しないわけじゃないが、万が一にでも何かあったら私もあんたも一生後悔することになるんだからね」
「今出られるC級はこの町じゃあんただけだ、パーティーは統率がとりやすくて多めの人数、そうだね5人ってとこか」
「いいかい例えドラゴンが出たってジンスケに指一本さわらせるんじゃないよ」
リフィアさんは緑の髪をひらめかせて頷いた。
「ノラに言われなくてもわかっている。腕の立つ者を選抜して連れて行きますよ」
なんだか話が大げさになってきている。
私はただ肉に塩味をつけて食べたいだけなんだけど。
それにワーウルフだかなんだか知らないけどたぶん一人で十分だと思う。
この少年の体があまりに貧弱なのは難点だけれど剣技は心が覚えている。
リフィアさんが青い瞳で私を見つめながら言った。
「わかった、ゼブレへは私が護衛する、だけど出発はせめて明日にしてくれませんか」
「いえ護衛は遠慮いたします、拙者は今日にでも出立いたしたい」
別にムキになっているわけではない、だってどうしても一刻も早く塩味のする食事がしたいんだ。
皆が心配してくれているのはわかってるけれど、実際のところ剣聖に怪我をさせることができる魔物はそうそういないだろうとも思う。
正直に言ってしまえば大きなお世話だ。
リフィアさんは小さく溜息をついてから言った。
「ジンスケ様は見かけとは全然違って随分と頑固なんですね、すぐに出かけたいのは良く分かりました」
「ですが頼みますから護衛だけはさせてください、1時間でいい、すぐに人数を集めますから」
さすがにこれ以上言い張るのは我儘にすぎるだろう。
「リフィア殿すみません。我儘を言いました。それではよしなにおはからいください」
リフィアさんはそれを聞いてホッとしたようだ。
それにしてもノラさんってただの宿屋のお婆さんにしては随分と慕われているというか、C級冒険者のリフィアさんを顎で使っているような感じだ。
こういう閉鎖された町では年寄りが幅を利かしているのかもしれない。
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