もう遅い
これは、ウサジが居なくなった後の話。ウサジの一人称の語りではなく、三人称視点でのお話です。
王都から遠く離れた、とある宿場町の朝。外では女達の涙のような、重くまとわりつく雨が降っていた。
宿の主の男は眠い目をこすり、寝台から立ち上がる。ここは厨房でもあり、宿の受付でもあり、自分の住処でもある。
「ううう……気持ち悪い」
男は二日酔いに苦しんでいた。数日前から質の悪い客が泊り込んでいて、毎晩のように大酒を飲むのだ。最初のうちは近所の酔いどれ共もそれに付き合っていたが、昨夜はもうこの男しか相手をしなかった。
元冒険者だというその客は高慢で付き合い辛い男なのだが、とにかく酒を買ってくれる以上、宿の主としては相手をしない訳にもいかない。
水甕に汲んであった水を一口、柄杓ですくって飲んだ店の主の男は、いつものように、はげあがった頭にバンダナを巻こうとする。しかしそのバンダナが、今日は上手く巻けない。頭に引っ掛かる。
「なんだよ、もう……」
男は、自分の頭皮に触れる。
外では強い雨が降っていて道はぬかるみ、宿場町の商店も朝から戸を閉めたままだったのだが。
「うわああああああ!?」
裸足で往来に飛び出した宿屋の主は奇声を上げ、頭を掻き回しながら目を血走らせ、辺りを慌しく見渡す。そこへ。
「ヒエッ!? ヒエッ!? ヒッ……」
向かいの建物から体格のいい鍛治屋の親父が、やはり目を白黒させ慌てふためきながら、雨の中飛び出して来た。
「あうっ、あうああ、あう」
「おうっ、おおおうおう、おう」
二人は互いを指差しあい、言葉にならない呻き声を漏らす。そんなのは勿論どちらの耳にも、なんと言ってるかなど聞こえなかったのだが。
「ああああああああ!」
「おおおおおおおお!」
何らかの意思の疎通を果たした二人は裸足のまま互いに向かって走り出し、そのまま正面衝突して、すっかりぬかるんだ地面の泥の中へと跳ね飛ばされながらも、
「うああああああ!」
「おおおあおああ!」
引きつった笑みを満面に浮かべ、雄叫びを上げ続けた。
やがて、隣の桶屋からも。
「ひぃぃやああああああ!!」
はす向かいの干物屋からも、そのまた向かいの洗濯屋からも。
「きぃえええええええ!」
「おひょおおおおおお!」
奇声を上げる男達が飛び出して来て、泥の中を転げ回り、天に向かって雄叫び、立ち上がって互いに抱き合ってはまた、転げ回る。
茫々と涙を流す者も居る。いや……泣いていない男など居なかった。老いも若きも。男達は誰もが顔をくしゃくしゃにして、天に向かい手を伸ばし、絶叫していた。
「くそ、うるせえ……何だってんだ……」
元冒険者で、今は旅で手に入れた物を売り飛ばしては酒を飲み、自慢話をして暮らしている若い金髪の男ライデインは、宿屋の二階のベッドで起き上がり、窓の下を覗き込む。
「酔っ払ってんのか、クソ共が……おおい親父! 俺にも酒を持って来いッ! 金ならッ……金ならあるんだぞッ……」
そうは言いながらも、ライデインの語尾は次第に小さくなってゆく。
金は、もうない。
かつて金遣いの荒いパーティにはジュノンという道具係が居て、色々とやり繰りをして道具袋の中にパーティ用の宝物を貯めていた。その道具袋はジュノンを追放した時にライデインが取り上げたのだ。
ライデインはもう長い事戦っていなかった。魔族との戦いですっかり肝を潰してしまったのだ。今ではしめじソルジャーを前にしただけで震えが止まらなくなる。だから収入はもうない。
「ううっ……うう……」
ライデインの脳裏を、打ち倒された仲間達の姿が過ぎる。
自分にはもう何一つ残っていない。
仲間も、財産も、自信も。ライデインは俯き、肩を震わせる。
その時だ。
二日酔いでガンガン痛むライデインの頭の中に、ごく小さな声が……届いた。
それは外で男達に混ざって泣き叫ぶ、12歳くらいの男の子の声だった。
「俺も……俺の髪もこれ以上抜けないんだね? そうなんだね!?」
ライデインは目を血走らせて窓辺に駆け寄り、外の様子を食い入るように見つめる。それから辺りに誰も居ない事を確認し、頭を掻き毟る……いや。髪の毛の中に装着されていた精密な金具を外す。
それは、高価な勇者っぽい剣ですら売ってしまったライデインの最後の財産だった。特別製の超高級かつら。どう見ても本物の髪の毛にしか見えず、走り回っても戦闘をしても絶対に外れない、およそこの世界で手に入れられる物の中では、最高のかつらだった。
かつらを取り外したライデインは固く目を瞑る。彼の髪は後頭部と側頭部の一部を除き、完全に禿げ上がっていた。
宿の部屋の小さな映りの悪い鏡の前に立ち、ライデインは脂汗を流す。そして決死の思いで、瞼を開く。
「うわああああああ!!」
超高級かつらを打ち捨てたまま、ライデインは宿屋の階段を駆け下り、外へと飛び出す。
「兄さん、あんたもか!」
「そうか、お前も……!」
外の男達はかつらを外したライデインを見た事がなかった。見た事はなかったが、どうせそんな事だろうと思っていた。男達は他の男達同様、ライデインの事も祝福してやろうと駆け寄るが。
「うわっ、うわっ、うわっ、うわっ、うわああああああ!!」
ライデインは一際大きな奇声を上げ男達を払い退け、裸足のまま街道を突っ走って行ってしまった。
雨はますます激しく降っていた。だけどそれはもう女達の悲しみの涙雨などではなかった。
男達の歓喜の涙雨が、音高く屋根を打ち、水溜りを鳴らす。地面に集まり、濁流となった涙の河は、やがて野山を潤し、大河へと流れて行く。
「髪が生えたぁぁああああ!! 髪が生えたぞぉぉぉお!!」
「生えた生えたぁぁぁああ! 髪がぁぁあ! 髪がぁぁああ!」
「髪が生えて来たんだぁぁああああああ!」
泥まみれの男達が、歌い、踊り、称えあい、互いを祝福する。
男達のそんな様子を、四軒先の先のろうそく屋の老夫婦は二階から見ていた。
「おじいさん、あんたはいかないのかね」
「わし? わしはもう、いいよ」
年老いた男はそう言って、はにかんだように笑う。年老いた妻は、男の頭にそっと手を触れて撫でる。さら、さらと。優しい手触りがした。
聖者ウサジの活躍により、世界中の男達は呪いから解き放たれたのだ。
◇◇◇
「うわっ、うわっ、うわあああああ! うわああああ!」
ライデインは近くでは一番高い、小山の頂上まで一気に駆け上がっていた。
「ひっぐ……うえっ……うぐっ……ああああ! ああああ!」
跪き大地を連打するライデイン。
彼の不毛だった頭皮の砂漠には、柔らかいが力強いうぶ毛が、びっしりと生え始めていた。
「聖者ウサジ……お前だ……お前なんだろう? お前は何故、俺にこんな事をしてくれたんだ……俺は……お前の邪魔しかしなかったのに……」
声を高く裏返らせ、真っ赤に腫れ上がった目を天に向けとめどなく涙を流し、唇を震わせて、ライデインはどうにかそう声を絞り出す。
「ウサジ……お前は今、どこに居るんだ……」
鼻からも、口からも、ライデインはおびただしい涙を溢れさせ、天を仰ぎ、降り注ぐ雨に打たれていたが。
「ウサジ……俺わッ、ホ前の為にただがうっ、ホれをお前の子分に、いや下ボグにしてくれぇぇっ! ホれあボういちどひゅうしゃにもどる、ホ前のために命がけでただがう! ウサジィィ!! 俺を、俺をお前の下僕にしてくれぇぇ!!」
ライデインはそう叫び、二日酔いによろめきながら、裸足のまま、あてどなく深い森の中へと入って行った。
たぶん次回が最終話となります!




