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ユアンは傷が自然に治っていくウォルフを見て、三十年前に感じた恐怖がよみがえってくるのを感じていた。それは国を乗っ取ったソルアに漂っていた異様な気配を、傷が治っていくウォルフから感じたからだった。
ユアンとハクトに、今度は自分の右腕に鋏を刺して傷が治っていくのを見せたウォルフは、疲れた様子でその場に座り込んだ。
シュウが「大丈夫かい?」と近寄ると、「君の大事な道具を汚してしまってすまない」と言いながら、ウォルフは鋏を返した。
「私は、ウォルフの治療をするように命じられましたが、何もできませんでした。城の最上階からあのように落下して、おそらく内臓は破裂していたでしょう。しかしウォルフは自らそれを治癒したのです」
と、シュウがユアンに説明した。
「つまりお前は不死身なのか?」
ハクトは怪訝な表情でウォルフに尋ねた。不愉快だ……そんなハクトの心の声が今にも聞こえてきそうな顔だった。
「そうだ」
とウォルフは答えてから目を瞑った。
「もう何年生きてきたか、自分でも嫌になるくらいだ」
「お前は、影の住人か?それともソルアか?」
と、ハクトは剣の柄を左手で握りながら言った。
「斬ってもらってもいいが、残念ながら僕は死なない。例え心臓を突かれても、木っ端微塵にされたとしても、僕は死ねない。ほんの小さなかけらでも残っている限り僕は蘇る。でも僕はこんな身体でも……僕は人間だ。影の住人ではない。そしてソルアでもない」
「人間が不死身なわけがないだろう」
と、ハクトはウォルフを睨みつけた。ウォルフも目を見開いてハクトを見据えた。そしてハクトが剣を抜こうとした瞬間に、シュウが二人の間に入った。
「兄上は気が短かすぎます」
「こんな化け物の言うことを信じろというのか」
「ウォルフは化け物ではありません」
「ではなぜ傷が消える?破裂した内臓が元に戻る?お前にそれが説明できるのか?」
シュウは何も答えることができずにウォルフの方へ振り向いた。
「変わった人だね。僕のことを化け物じゃないなんて言った人は、君が初めてだ。君、名前は?」
「シュウ」
「シュウ、ありがとう。僕の父親も君のように医者だった。村の人に頼りにされる立派な人だったんだ。
でも母が病気で亡くなってから、父は変わってしまった。母への愛が大きすぎたんだ。それは悪いことではない。でも父の愛は異常だった。
父は小屋に母の遺体を置き、そこに籠って研究をし始めた。死んだ母を生き返らせる研究だ。遺体の腐敗が進み悪臭が漂ったが、父は構わずに研究を続けた。
村の人たちは異常な父を恐れ、誰も寄り付かなくなった。僕は、研究を辞めさせようと何度も父を説得したが、聞き入れてはもらえなかった。それどころか父は僕を拘束し、牢屋のような部屋に閉じ込めた。
父は母を愛していたように僕のことも愛してくれていた。でもやはりそれは異常な愛だった。父は僕を死なせたくないと思ったんだ。
どういう経緯かはわからない。僕は閉じ込められていたから、父の小屋で何が起こったのかはわからない。
ただ、どうやら腐敗した母の遺体から影の住人が出てきたようだった。そいつは父と取引をしたらしい。どういう取引なのかはわからない。何かと引き換えに、父は影の住人の身体の一部を手に入れたんだ」
「胸糞悪い話だ」
と、ハクトが吐き捨てるように言った。
「そうだな。僕も話していると気分が悪くなる。この話をするのは長く生きてきた中で二回目だ。
影の住人の身体を手に入れた父は、それを人間の身体の中に取り込むための研究をした。そのためにたくさんの動物たちを犠牲にした。ひどい話だ。
はじめに成功したのは、大きな猿だった。父は猿の血と影の住人の身体を混ぜて、それを猿の体内に戻した。
不死身の猿ができあがると、父はその手術を自らに行い、そして僕にも施した。これは五百年以上前の話だ」
「つまり、不死身の人間がおまえの他にもいるんだな?」
とトシが言うと、ウォルフは頷いた。
「そうだ。ラントと名付けられた猿は、今も父と共にいるはずだ」
「不死身となった父親は、今は何をしているんだ?」
「母を生き返らせようとしているんだ、何百年も。もう骨しか残っていないのに……父にはそれしかないんだ、生きていく意味がそれしか……かわいそうな人だが、狂ってる。間違っている」
「おまえは父親から逃げたのか?」
「僕はずっと牢屋のような部屋に閉じ込められたままだった。しかしある時、ラントがやって来て僕に逃げろと言ったんだ」
「猿がしゃべるのか?」
「ラントは父にとって、永遠に使える実験動物だ。僕なんかよりたくさん酷い目に遭っていた。
ラントはある時、突然言葉を話すようになっていた。そして自分のことをミアト国のソルアだと僕に言ったんだ」
「ミアト国のソルア……聞いたことがある。シアズの森と呼ばれるところがあって、そこには近づいてはならないと村人に言われた。昔々、ソルアがたくさん行方不明になったからだと」
とトシが言うと、ウォルフは頷いた。
「そう、その森が父の小屋があった場所だ。ソルアがラントの意識に入り込んで、父の小屋に宿る影の気配を祓いに来たんだ。でもそれは失敗に終わった。
父の側にいる影がソルアと戦っている間に、僕は逃げ出した。気付いた父は、影を使って僕を探そうとしていたが、その気配は二百年ほどで消えた。どうやら僕を探すのは諦めたらしい。
外の世界を知れば知るほど、自分のいた父の世界の異常さに震えた。だから50年に一度は父の様子を探りに行っていた。村の人たちに何か悪いことが起こっていないか心配だったから。
しかし一年前、僕がミアト国に戻ると、父はすでにクスラ国に拉致されていた。その目的がわかるか?」
「ナバルが、不死身の身体を手に入れたというのか?」
と、ハクトが言った。
「その通りだ。父が簡単にあれを他人に渡すとは思えない。父をどう説得したのかはわからないが、暴君ナバルがこの忌まわしい力を手にいれてしまったんだ」
牢の中は静寂に包まれていた。しばらくの間、誰も言葉を発しようとしなかった。
クスラ国王ナバルが不死身の身体を手に入れた、その恐ろしい事態に誰もが息をのんだ。
「ナバルはなぜ、君の父親の存在を知ったんだろう」
と、シュウが静寂を破った。
「それはわからない」
ウォルフは首を横に振りながら答えた。
「しかし、困ったな……」
と、ユアンが牢に来てから初めて口を開いた。それは、ため息混じりの声だった。
「それで君は聖剣を盗もうとしたのか。影を斬ることができる剣だから」
「そうです」
と、ウォルフは頷いた。
「でも、その剣だけでは足りません。僕は、一人になってから自分を殺すにはどうすれば良いか、その方法をずっと探していました。その答えは、百年ほど前に出会ったソルアが教えてくれました。聖剣で斬り、弱ったところに闇の炎を突けば、微塵も残さず身体を消すことができるだろうと」
「闇の炎……そんな伝説、実際に存在するのか?」
と、トシが呟いた。
「世界の創世記に影の世界を半分焼き払って光の世界を作ったという、古い書物に出てくる伝説の炎だろ?」
と、ハクトが顔をしかめた。
「ただのおとぎ話じゃないか」
「いや……それなら聖剣も、もはやおとぎ話だ」
ユアンはそう言うと、聖剣を腰から外して皆の前にかざした。
「何をおっしゃっているのですか?」
シュウが驚いた様子で言うと、ユアンは寂しそうに笑った。
「お前たちは産まれる前だったから、聖剣の本当の姿を知らないのだ。力と技と精神、すべてを兼ね備えた者だけが聖剣に認められ、その力を操ることができる。認められない者が聖剣を持ったところで、他の剣と何も変わらない。影を斬ることはできない」
「では、父上以外の人が聖剣を使うことはできないのですね?たとえ手に入れることができたとしても」
と、トシが言うと、ユアンは首を横に振った。
「聖剣は持つべき者が持つと青く光るのだ」
ユアンは持っている聖剣を鞘から抜いた。聖剣は青い光を放つことはなく、ただそこには金属のきらめきがあるだけだった。
皆、その事実に驚愕して言葉が出てこなかった。
「つまり、私はもう聖剣の使い手ではないのだ」
ユアンは聖剣をハクトに差し出した。
「持ってみなさい」
ハクトは戸惑いながらも聖剣を手にした。手の中に聖剣の重みが沈み込み、身体は緊張で硬くなった。
聖剣は青い光を発することはなく、ハクトは奥歯を噛み締めた。自分は、父の後継者となるために日々の鍛錬を怠ったことはない。それなのに聖剣は、自分を持つべき者とは認めてくれない。その現実を前に、ハクトには悔しさしかなかった。
聖剣は次にトシの手に渡った。そこでも光ることはなく、トシは当然だという表情で頷きながら聖剣をユアンに返した。
「シュウとウォルフは、もう持ったからわかっているだろう。ここに、聖剣に選ばれる者は存在しないということだ」
「父上は、いつから気づいていらっしゃったのですか?」
とシュウが尋ねると、ユアンはどかっとその場に胡座を組んで座った。
「何年前だっただろうか、歳には勝てないものだな……体力の衰えを感じ始めた頃だ。聖剣を抜いても光らなくなった。
いずれそうなることは分かっていた。悲嘆することはない。時が来た、ただそれだけのことだ。
しかし、私が聖剣の使い手であるということは、国を守るには必要なことだ。こんな最強な抑止力は他にはないだろう?
だからずっと、あたかも聖剣の使い手であるかのような顔をして、総帥の座に鎮座していたというわけだ」
ユアンの表情が、どこか安堵しているようにシュウには見えた。長い時間、聖剣の使い手としてひとり戦ってきた父が、その戦いを終えようとしているのだとシュウは思った。
「聖剣が光らないとしても、父上は今でも誰にも負けない剣豪です。総帥たるべきお人です」
トシの言葉に、ユアンは口角を上げた。
「ありがとう、トシ。しかし、聖剣が必要な事態となってしまった以上、聖剣の使い手を探す以外に道はないだろう」
「どのようにして探すのですか?」
「こちらから探しに行かねばなるまい。クスラ国へと向かいながら、聖剣の使い手と闇の炎を探しナバルを討つ、それ以外に方法はないだろう」
「見つからなかったら、どうするのですか?」
と、シュウが言った。
「不死身のナバルに誰が?」
「聖剣がなくとも、私は戦う。大切な人々を守る心は、年老いても変わりない」
「僕に、聖剣をお預けいただけませんか?」
と、ウォルフが言った。
「不死身の僕なら、いつの日か聖剣の使い手を探し当てることができるかもしれません」
ウォルフの言葉に、ハクトが眉をひそめ、シュウとトシは顔を見合わせた。ユアンは腕を前に組むと、ため息まじりに「さて、どうするか」と呟いた。




