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高望王流平氏における「嫡流」の変遷と平将門の乱の再考  作者: えいの
第1章:序論(はじめに)

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第二節:本論文の目的と「本来の嫡流」平良将の再評価の実態

前節において論じた通り、従来の平将門の乱に関する歴史的評価は、乱の最終的な勝者となった平貞盛の系譜を遡及的に嫡流と認定する事後的な視座や、事の発端を単なる局地的な所領紛争に帰着させる矮小化された対立図式に大きく依存してきた。しかし、これらの解釈は、十世紀前半の東国において高望王流平氏がいかなる内部構造を有し、いかなる力学によって一族の序列が形成されていたかという根本的な問題を見落としている。本論文の最大の目的は、これらの旧来の視座を脱却し、乱の真の淵源が高望王流平氏の内部における「本来の氏長者(筆頭者)」たるべき人物の早世と、それに伴う継承権の歪曲、および深刻な権力空白にあったという新たな仮説を提示し、これを多角的な視点から立証することにある。

その仮説の中心に位置し、本論文において最も根本的な再評価を加えるべき人物こそが、平将門の父である平良将である。

高望王流平氏の系譜において、良将は長男の国香、次男の良兼に次ぐ三男、あるいは各種系図によっては四男として位置付けられている。単なる長子相続の原則に従えば、彼が一族の筆頭者となる蓋然性は低いように思われるかもしれない。しかし、武士団が未だ形成期にあった十世紀前半という時代状況において、一族の「嫡流」すなわち本流たる地位は、単なる出生の順序のみによって固定的に決定されるものではなかった。朝廷から与えられる官職の特権性、中央政界との政治的な結びつき、そして在地における強大な軍事力と経済基盤の掌握こそが、一族内における実質的な序列と権威を決定づける最大の要因であった。

この評価基準に照らし合わせた時、良将が一族の中で占めていた地位は、兄である国香や良兼を遥かに凌駕する圧倒的なものであった。良将が朝廷より任官された役職は「鎮守府将軍」である。中世武士の系譜を詳細に記した根本史料の一つである『尊卑分脈』の平氏系図においても、良将の付記には明確に「鎮守府将軍」との記載があり、彼が東国における軍事防衛の最高責任者であったことが裏付けられている。

当時の東国において、鎮守府将軍という地位は単なる名誉職ではなく、蝦夷の平定や北方の治安維持を名目として、国家から公式に大規模な私兵の保持と武力の行使を認められた「軍事貴族」としての絶対的な格を意味していた。兄の良兼が就任した下総守や上総介といった職は、確かに国内の行政権や徴税権を握る強大な役職であったが、それはあくまで文官的色彩を帯びた地方行政官としての受領に過ぎない。良将の有していた国家公認の武力保持権と軍事司令官としての威光は、一介の受領や、常陸国の一地方豪族として土着化していた長男の国香には到底持ち得ない、別次元の権威であった。

したがって、良将が存命であった時期の高望王流平氏において、一族の武威を代表し、一族全体を牽引する本来の「嫡流」たるべき地位にあったのは、疑いようもなく平良将その人であったと推断できるのである。

しかしながら、歴史はここで重大な暗転を迎える。一族の絶対的な支柱であり、東国武士の精神的求心力でもあった良将は、嫡男である将門が藤原忠平の私的な従者として平安京に出仕している最中に、突如としてこの世を去ってしまうのである。この「平良将の早世」という歴史の偶然こそが、高望王流平氏の内部秩序を根底から破壊する致命的な発端となった。

本論文は、平将門の乱という未曾有の軍事闘争を、単なる野心家による反乱や、境界線を巡る親族間の小競り合いとしてではなく、この「良将の死によって歪められた継承権を取り戻そうとする、正統な後継者の復権の闘争」として根本的に捉え直す。

父の急死によって生じた巨大な権力空白に乗じ、官位と年齢を盾にして一族の当主代行として振る舞い始めたのは、受領たる伯父の良兼や国香であった。彼らは若き将門の不在を奇貨として、良将が下総国の豊田郡や岡田郡に築き上げた広大な遺領と精強な私兵集団に介入し、これを保護の名目のもとに自らの勢力圏へと蚕食していった。

京での遊学を終え、誇り高き武門の御曹司として帰国した将門にとって、この事態は到底容認できるものではなかった。将門の行動原理の根底にあったのは、単なる領土欲ではなく、「自分こそが偉大なる鎮守府将軍の正統な後継者であり、高望王流平氏の真の嫡流である」という強烈な自負である。後年、将門が乱の最中に当時の最高権力者である太政大臣藤原忠平に対して送った書状(『将門記』所収)の中には、自らの行動の正当性を訴える次のような悲痛な記述が見られる。

「本より国香・良兼等と、謀を同じくし心を合わせて、源護が非理の責めを遁れむと欲す。而るに良兼等、返って護が教へに随ひて、遂に将門を伐たむとす。(中略)身の亡びむことを恐れて、同じく弓箭を帯して、少しき合戦を致す」

将門は自らが謀反を起こそうとしたのではなく、伯父たちが他氏族である源護と結託して自らを滅ぼそうとしたため、身を守るためにやむを得ず武力を行使したのだと弁明している。ここから読み取れるのは、一族の正当な権益を簒奪し、自らを亡き者にしようとする伯父たちに対する、将門の深い絶望と義憤である。彼にとっての戦いは、国家への反逆を意図したものではなく、あくまで父・良将から受け継ぐべきであった「本来の序列と権益」を実力によって奪還するための、自己防衛と名誉回復の軍事行動であった。

以上のように、本論文の目的は、平良将という存在の圧倒的優位性と、その早世がもたらした構造的な瑕疵を論争の軸に据えることにある。良将を「本来の嫡流」として再評価することによって初めて、将門がなぜあれほどまでに伯父たちと激しく対立したのか、そしてなぜあれほどまでに東国の武士たちを惹きつける個人的な威光を持ち得たのかという歴史的命題に対する、真に説得力のある解答を導き出すことが可能となる。次節以降では、この仮説を立証すべく、官職の性質、当時の相続規範、および婚姻関係に潜む愛憎の力学という三つの接近手法を用いて、一族内の権力闘争の実態をさらに深く解き明かしていくこととする。


【引用元・参考文献】

一、『尊卑分脈』

二、『将門記』

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