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高望王流平氏における「嫡流」の変遷と平将門の乱の再考  作者: えいの
第1章:序論(はじめに)

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第一節:承平天慶の乱に関する従来の史学的評価とその限界

日本中世史、わけても武士階級の発生と自立の過程を考察する上で、十世紀中葉に東国一帯を舞台として勃発した平将門の乱、すなわち承平天慶の乱は、極めて重要な歴史的転換点として位置付けられてきた。朝廷の支配体制から離脱し、自ら「新皇」を称して独自の国家樹立を企図した平将門の軍事行動は、古代律令国家の体制を根底から揺るがす未曾有の叛逆であった。この大乱は最終的に、同族である平貞盛および下野国の有力武者であった藤原秀郷らの武力によって鎮圧されるに至るが、その後の歴史的展開において、この乱の勝者となった平貞盛の系譜は、後代に平清盛を輩出する伊勢平氏へと連なり、武家平氏の本流としての絶対的な地位を確立することとなった。

このような歴史の帰結から、従来の史学史においては、乱の鎮圧者である貞盛とその父・平国香の系譜を、高望王から連なる高望王流平氏の「正統な後継者」すなわち嫡流として遡及的に認定する視座が支配的であった。歴史は往々にして勝者によって記述され、勝者の系譜こそが当初から正統性を帯びていたかのように脚色される傾向を持つ。貞盛が朝敵たる将門を討ち果たし、朝廷から公的な武芸の家としての評価を確立したという結果論から逆算し、乱の発生以前から国香流が高望王流平氏の中心に位置していたとする事後的な嫡流観は、長らく日本史研究の底流に存在してきた。

しかしながら、この事後的な「勝者の歴史」としての嫡流観は、十世紀前半当時の東国情勢と、平氏一族の内部に存在していた真の権力力学を正確に反映しているとは言い難い。後に詳述する通り、将門の父である平良将や、伯父である平良兼が保持していた官職の特権性や軍事基盤の強固さと比較した際、常陸国の一在地勢力に婿入りして土着化の道を歩んでいた国香の立場が、一族全体を統率する絶対的な筆頭者であったと見なすことは極めて困難である。貞盛流を無批判に嫡流と見なす従来の視座は、将門がなぜあれほどまでに強烈な自負を持ち、関東の諸武士を糾合するほどの権威を有していたのかという歴史の真実に迫る道を閉ざしてしまう危険性を孕んでいる。

また、乱の初期段階における対立構造に関しても、従来の研究には大きな限界が存在する。従来の史学においては、将門の乱の発端を、将門と前常陸大掾であった源護との間の私的な所領紛争、あるいは婚姻を巡る対立に矮小化して語ることが通例であった。将門と源護の間に生じた局地的な争いに、護と縁戚関係にあった将門の伯父たち、すなわち平国香や平良兼らが護の陣営に与したことで、「将門対伯父たち」という世代間あるいは親族間の骨肉の争いへと拡大し、それが最終的に国家への反逆へと結びついたとする図式である。

この図式の最大の根拠とされてきたのが、同時代史料にして乱の顛末を記した根本史料である『将門記』の記述である。『将門記』の冒頭部には、一連の紛争の初期衝動について以下のように記されている。

「そもそも此の闘乱の起りは、源護等と将門と、各野営の所領を論ずるに依りてなり。然る間、良兼・国香等、源護に同意して将門を伐たむと為す」

この記述を素直に解釈すれば、事の発端は「野営の所領」すなわち境界や土地の権益を巡る争いであり、国香や良兼は源護の側に同意して将門の討伐に動いたということになる。確かに、この表面的な記述は当時の東国において日常的に発生していた開発領主間の所領争いの実態を示していると言える。しかし、この局地的な「所領の論」のみをもって、後に東国全体を巻き込み、国家体制そのものを否定する規模にまで発展した乱の真の淵源と見なすことには、重大な疑義が残る。

単なる所領の境界争いや、源護という他氏族との軋轢だけでは、高望王流平氏という巨大な軍事一族の内部秩序が、なぜ修復不可能なまでに深刻に崩壊したのかという問いに十分な解答を与えることはできない。将門が伯父たちに対して抱いた激しい敵対心や、自らが一族の正統な継承者であるという並々ならぬ自負の根源は、単なる土地の奪い合いという次元を超えた、より深い一族内の構造的な矛盾に由来すると考えざるを得ないのである。

以上のように、従来の「将門の乱」研究が陥りがちであった二つの限界、すなわち「結果論に過ぎない事後的な嫡流の認定」と「初期の紛争を単なる所領争いや世代間闘争に矮小化する対立図式」は、乱の真の発生機序を見誤らせる要因となってきた。これらの限界を打ち破るためには、『将門記』の表面的な記述をそのまま受け入れるのではなく、その背後に隠された高望王流平氏という軍事権門の真の力学に目を向けなければならない。当時の東国において、一族の筆頭者たるべき存在は誰であったのか。その本来の秩序が何によって破壊され、一族内の力関係がいかにして変容していったのか。本論文は、これら従来の史学史の限界を乗り越え、乱の真の淵源を全く新たな視座から捉え直すことを試みるものである。


【引用元・参考文献】

一、『将門記』

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