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3.『形代』の魔女リンドヴェル ①

 先生が私の元を訪れてから三日間、マーシレスは店に来なかった。

 彼女は今まで、長くても二日ほどしか空けたことがなかったし、そういう日には決まって手紙が届いていた。文面から既に喧しくて、マーシレスらしい元気な手紙だ。しかしそれもしばらく音沙汰がない。


 退屈な時間が増え、それと同時に郵便受けを覗き込む回数も無意識のうちに増えていく。

 ここの所、何もかもが上手くいかなかった。そのせいで先生の奸計も考えたりはしたが、あの人は陰湿に誰かを貶めようとする人じゃない。


 これは単純に、私が蕩々(とうとう)たり得ぬ心持ちで日々を過ごしているからだと結論付けた。

 数人の客が来れば御の字な一日一日を過ごし、ゴムのような味しかしない食事を取り、本当の笑い方も忘れてしまいそうだ。


 ――そして買い溜めていた食料も遂に底を尽き、私は久しぶりに、魔女ではない姿での外出を決意する。


 今日は店も定休日。あの制服を着る必要はない。


 錠剤を口に入れ、それを水も使わずに喉へと含めると、だんまりな表情筋を手で軽くほぐしてから、髪を編み込み、質素で明るい色合いのスカートに身を包む。

 最後につばの広い帽子を被り、裏口から街の市場へと繰り出した。求められる私の姿で。


 ◆


「おう、ウィスパーの嬢ちゃん。数週間ぶりか? 餓死しちまったんじゃないかと思ってたぜ」

「こんにちは八百屋さん。新鮮なのはどれかしら?」

「今日は良い馬鈴薯(カルトフェル)と、旬な茄子(オベルジーネ)が入ってるよ」

「あら、素敵ですね。今日はどうすれば()()()下さる?」

「そうだなぁ。余っちまった(シュプロス)も安く買ってくれるなら……この量で60銅貨だ」


 ガタイの良い彼は、体躯に反する小さい籠に馬鈴薯3つ、茄子・筍1つずつを入れると私の前に差し出す。


「その倍買うので1銀貨になりません?」

「ははは! 参ったな、俺が餓死しちまうよ」

「ふふっ、後生ですのでいつもの気風(きっぷ)の良さを発揮して下さい。そうですね……こっちのトマト3つ付きで1銀貨20銅貨とか」

「んん……相変わらず俺を迷わせるような嬢ちゃんだな。だがそう言われちゃ仕方ねぇ! 迷ったらやるのが男だろ?」

「交渉成立ですね。良い買い物をしました」

「昼前から、()()()嬢ちゃんの顔見れただけでも安いもんよ」


 私は思わず苦い顔になりかけたのを辛うじて抑え、彼の厚意と商品を受け取った。

 代金を払い、野菜を袋に詰める。この為に表情を柔らかくして来たのだ。お目当てのトマトも安く買えたし、その為に利用したものに関して、私のエゴイズムを見せてはいけない。


「……ありがとう。また来ます」

「おう、待ってるぜ」


 愛想良く手を振り、再度の買い物を約束すると、私はその露店から立ち去った。


 ――私に求められている姿がこれだ。こうすれば私以外の全てが丸く、平和に収まる。今日も健やかに何かがズレていく。


 もしも神様が居るとすれば、思ったより意地悪に世界を創ってくれたものだ。或いは、こんなに丁寧に、私を創ってくれなくても良かったのに。


 これが肉屋でも魚屋でも、私はくれぐれも(しと)やかに可憐に振る舞う。気が付けば、私は笑ってしまうほど尻軽になっていた。


 美麗な鉄の雨傘を構えて身を守る。いつしかその傘にも大きな穴が空いていたが、これはきっと強烈な酸性雨のせいだろう。


 一人暮らしが数週間は生きられるだけの大量の食べ物を買い込んで背負いながら、向かったのは私の店ではなく、街外れのとある場所。

 この量の食べ物を買い込んだのは私だけの為ではなく、半分は「彼女」と、そこから得られる恩恵の為だ。


 ◆


 貧しい郊外にはまるで似合わないような塗装の鮮やかな白と、それを彩る植物の緑が映える広い一軒家。ここには魔女が住んでいるとされていて、人は殆ど近付かない。


 しかし、少しだけ事情を知っている者はこの場所を「最高の店」と呼ぶ。


 門を潜り、重厚な音のする呼び鈴を2度鳴らして家主を呼び寄せた。彼女はまず絶対に家から出ない。その為留守の時が無いことは担保されている。


 鉄板装飾で飾った木製の扉が、意思を持っているかのようにひとりでにギイと開いた。なんてバリアフリーな家だろう。このシステムは私の店にも導入しておきたいところだが、とても真似できるものではない。


 私はその開いた扉を訪問合意の合図と見なし、少しだけ息を切らしながら重い食料を抱えて家に入った。


 獣の皮を贅沢に使った、足下に敷くには上質過ぎるカーペットを避けるようにして廊下を進んで行く。私が慎ましいからとかではない。


 まるで案内するように、私に入って欲しい部屋の扉だけが開いてゆく。わざわざ出歩きたくないという()()()()まで彼女はいつも通りらしい。


 そのまま奥へ入ると、さっきまでどこか貴族的だった空間が顔色をガラリと変えた。


 ここは無数の人形たちが(ことごと)くひしめく彼女の商売部屋。

 瀟洒な機能美を感じさせる人形作りの器具は整頓され、インテリアのように壁に掛けられている。肝心の人形たちは生きているかのように繊細で、しかし生きているならば余りにも不気味な美しさを携えたものばかりだ。


 魅力的なそれらを一つ一つを見ていては時間が足りなくなるので、足早にその部屋の奥にある扉へと向かう。

 この場所だけは勝手に開いたりしてくれない。彼女の仕事場であり、彼女は基本的にずっと此処から出たがらないからだ。「自分の居る場所だけは常に許可制で」という意思表示を感じる。


 呼び鈴は2度。カーペットは踏まぬように注意し、3度の穏やかなノックを扉に打ちつけることで、ようやくここへ入る権利を認められる。


「入りたまえ〜」

「邪魔するわ」

「おおウィスパーくん。よう来たよう来た。捕まったんじゃないかと心配したよ〜」

「居留守が使えないのは大変そうね、引きこもり」


 様々な成分が入り混じって鈍く輝く、幻想的な海底の景色の如き女性が私を出迎えた。淡い紫と翡翠を差した髪を靡かせ、大きな丸眼鏡の位置を正しながら振り向くのが、『形代(かたしろ)』の魔女リンドヴェル・ストナス。


 彼女のことを全く知らない者は、此処を魔女の家と恐れる。

 彼女のことを少しだけ理解する者は、此処を最高の人形売りが居る場所だと考える。

 そして彼女のことを深く知った者は……人間が元来持つ危機察知能力の高さを再確認することになる。


 店主は正真正銘の魔女なのだ。

 もっとも、皆が想像する「世にもおそろしい魔女」とは若干離れてはいるが……それでも見た目は胡散臭さの塊である。

 どろりとした眼差しと、血圧の低そうな喋り方。その割に、先生とまではいかないが年端もいかない少女然とした姿には、そこはかとない妖しさを覚える。


「……また随分と散らかしたのね。自分の部屋も、表みたいに整理したらどう?」

「見せる為のものは着飾るさ。いやはや、君がこうやって()()をしに来てくれるのは助かるよ〜。今日はご馳走にもありつけそうだなぁ……あっ、その荷物はあっちに置くといいよ。そっちはまだ置き場所があるから」


 そう言われて周囲を見回してみると、整然とした売り場とはうって変わって、彼女の自室兼作業場の此処はひどい有り様だった。

 スケッチや布地があたり一面に散乱し、家財道具は散らかしっぱなし。一応くず籠はあるようだが、くしゃくしゃに丸められた羊皮紙で溢れて全く機能していない。

 奥のもう一部屋はキッチンや洗濯籠などが置かれているスペースだが、これも山ほどの食器や洗い物のせいで機能しているようには思えない。それどころかキッチンに至っては使っている痕跡すら見当たらなかった。


「よく数週間でここまで散らかせるわ」

「知っての通り、自活能力が全くと言っていいほど無くてさ〜。きっと魔女の呪いだよ、呪い」

「適当言ってんじゃないわよ、ぐうたら娘」

「これも相利共生、だろう?」


 家にある私用の食べ物が尽きた数週間に一度、私は此処へ来てリンドヴェルの部屋を掃除したり、料理を振る舞ったりする。

 彼女は対価に、金持ちから人形代として受け取った金品を私に幾らか譲ってくれる。その額は破格だが、彼女はそういうのに全く興味が無いらしい。


 私はその金品を売り払い、客に出す為の食材費や維持費に使っている。むしろ私が一方的に得をしてるような感じだが、彼女からしてみれば「相利共生」らしい。


「私は人形を作れるならそれで良い……それが全てなんだ。だけど信用できない掃除屋には任せられないからね〜」

「はいはい、始めるわよ。まずはこの床に散らばってる袋を――重ッ、何これ?」

「ん〜、何だっけ? 何入ってる〜?」

「えーっと……」


 大きめの皮袋の中を覗いてみると、そこには綺麗に光る白金貨が、青ざめるほど大量に入っていた。この一袋だけで家族暮らしの平民が一生かかってもまるで使い切れない額だ。貴族でも数年は保つ。


「……これ、本気で他人に任せられないわね」

「あ〜、そういえば昔は金庫も買ったんだけど、番号忘れて二度と開かなくなったんだ〜」

「……私が切り開けましょうか?」

「え、いいの〜? じゃあお願いするよ〜」


 彼女は本当に、私とは違う方向性でぶっ飛んでいる。「金に頓着が無いこと」がここまでいくと、それはもう病気だ。

 私が悪魔に唆されないうちに、さっさと掃除を終わらせてしまおうと決意した。

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