2.『遊星』の魔女フレデリカ
私はその晩、夢を見た。
黒いローブを纏い、身の丈ほどの大きなステッキを構えながら、幼い女児のような人物が、ひたすら病床の私に話し掛けるという夢だった。
心惹かれる彼女の群青色の瞳は、まるで満点の星空を散りばめたように渦を巻き、淡く輝いている。
――君はとても可愛く呪われてるね。
「……誰?」
そうだなあ。魔女だよ。君たちがそう呼んでいる、異端者さ。
「……どうして魔女が私の所に? 私を殺しても、何も貴女のものにはならないわよ?」
違う違う。私は君を救いに来たのだよ。病に侵されてもなお、最期まで自分自身を殺し続けた君をね。
「今の私の心なんて、貴女には分からない」
だけど君が苦しんでいるのは分かるよ。自分が1年もしないうちに死ぬと理解しているのに、君は愛を叫べなかったんだろう?
「……」
ひたすらに『可愛い』と呼ばれ続け、呪われているほど綺麗な顔と、斯くあれという生き方に押し潰されている。
「……貴女も、私のこんな胸の痛みは贅沢だと思う? 可愛く生まれられなかった人を差し置いて、不幸自慢に託けた幸福自慢をするなって私を笑う?」
笑わない。その頰に溶けた涙の痕は、それだけ君が誰かの言葉に傷付けられたからだ。そして今君は、見事花と散ることも叶わず枯れようとしている。
「……不思議な子」
子供呼ばわりはしてくれるなよ。これでも魔女の伝道師だ。
「伝道師……?」
ああ、言っただろう? 私は救いを求める君に伝えたいことがあって来たんだ。単刀直入に言うね……あと10年ほど、生きたくはない?
「10年って……無理よ。貴女はさっき1年と言ったけど、1年どころかもう半年も生きられない。そんな病気なの」
いいや、出来る。君のような人は初めてだから少しばかり懸念材料もあるけど、それでも10年程は永らえることができるんだ。君が魔女になるならば、それは約束しよう。
「魔女に? ……でも、もう生きてても辛いだけ。整った顔に呪い殺されるまでの時間が延びるのは……怖いの」
そこは君次第だ。でも魔女になれば、君は確実に手に入れられる。何にも縛られない時間と、力を。「愛している」と一度だけ伝えるには充分すぎる余裕を。
「……」
吸いすぎた息が漏れて苦しいだろう。それは本来、君が「好きだ」と言うための息なんだ。どうだい? このまま清廉な、可愛いウィスパーちゃんで死ぬか。それとも傲慢で横柄ながらも、愛している人に好きだと伝えられる君で死ぬか……また明日ここに来る。その時までにゆっくり決めるといい。
「……待って」
ん?
「私を生かして」
本気か? 今、すぐに決めてしまうのか?
「うん」
戻れないよ。それどころか異端扱いもされる。
「うん」
簡単じゃない。血を吐くほどの努力も必要だ。
「うん」
相手が応えてくれないかもな。
「……うん」
伝えられたとしても、かえって気持ち悪いと嫌われるかもしれないし――
「――それでも! それでも……私、こんなに好きなんだもん……言いたいよ……!」
……やはり君は変わってる。求めるものが力ではないんだね。ささやかに、人らしい想いを伝える為に魔女になることを決めるなんて……持ちかけた私ですら驚きを隠せないよ。
「その為なら私、何でもやれる。何でもやる。教えて……私は、どうすれば魔女になれるの?」
◆
――彼女が出てくる夢を見た日に、彼女は決まって現れる。魔女になる方法を私に伝えた、言わば今の私のルーツでもある先生だ。
眠たい目を擦り、店の看板をOpenに切り替えようと一瞬だけ外に出てから店内へ戻ると、いつもはマーシレスが座るカウンター席に、予想通り彼女は居た。
「息災かい。昨晩は良い夢を見られたようだね」
「……フレデリカ先生」
床まで届きそうなほど長い金髪を頭の上で二つ結びにし、蠢く夜空を瞳に宿した、見る限り幼い彼女こそ私の師であり魔女の伝道師。
――『遊星』の魔女フレデリカ・グラヤノ・フルボディ。
現存する魔女の四割を「創った」とされる、別名魔女の主犯にして、曰く「私が母親の腹の中にいた遥か以前から同じ姿を取り続けている」ような、異端の魔女の中でさえもまた異端な存在だ。
片手には常に巨大なステッキを持ち合わせており、その実体は神出鬼没。騎士団や異端審問官に顔が割れておきながら、今の今まで全く手掛かりを掴ませていない、まさしく観測不能の遊星のような人物である。
先生は店へ立ち入るや否や、眠たい子供のような緩慢な速度でカウンター席に腰掛ける。
「今日はどんな御用で? アーリーモーニングティーを飲みに来た訳でもないみたいですが」
「お。出してくれるのか!」
「いえ出しませんけど。先生お金なんて持ち歩いた事ないじゃないですか」
「ええ〜? けちんぼだね君は」
「ただでさえお客さんが来ないのに、これ以上タカる人を増やしたら店が回りません」
と言い放ったところで、私は自分のミスに気が付いた。「これ以上」と口にした瞬間、真っ先に思い浮かべてしまったのだ。私の愛する人――マーシレスの姿を。
先生は私の心中を覗き込んだかのように、夜空にも似た瞳を細め、鋭く私を睨みつける。
「はあ……去年から、だったかな? 君の願いが滞り始めたのは」
「……」
「一昨日の騎士団2人のバラバラ屍体。あれ君だろう。正直に言うと、私は失望したよ。いや……もっと誤解のないように言えば、君が最初に人を殺めた瞬間に、かな?」
私も停滞には気付いていた。気付いていない方がおかしかった。マーシレスが私に「結婚する」と告げてから、私の錆びついていた歯車は遂に機能を停止させてしまったのだ。
そしてその日、私は初めて……自分の魔法で人を手にかけた。
黴びてしまった気持ちとは裏腹に、どす黒いそれの加速は凄まじかった。止まない恋慕に比例するように、私の中で眠る狂気が、「憧れ」を破壊し尽くそうと激しく鼓動し始めたのだ。
羨ましくて憧れて、その分だけ抑えられない。
ただでさえ美しく生まれられたというのに、当たり前のように誰かと結ばれることを許された人々がひどく憎い。
「魔女の力は使い手の『狂気』に大きく依存する。最初の君の魔法は拙くて、愛おしいものだったよ。布切れすら上手く切れず、裁縫に使うことにも苦労するような、緻密さの欠片もない君の魔法は……素敵だった。それが今や、人体を鎧ごとバターのように引き裂くほどだ。君はどれだけの狂気を飼ってしまったんだい?」
「私は……まだ伝えられます」
「無理だよ。君は絶対、マーシレス・グレイス・フュルステンベルクに愛を伝えられない。狂気に蝕まれれば蝕まれるほど、君の手には金属臭が染み付き、吐息から毒を滲ませる。誰がそんな手を握らせたい? 誰がそんな吐息から『愛してる』なんて言葉を出せる?」
先生の全ての言葉が私を射殺す。大振りのステッキを私に向け、確定した宣告のように言の葉たちを吐き出していく。
諭そうとか説得しようとか、もはやそういう域ではない。先生は純然たる事実のみを選び、私に突き付けているだけであった。
それは、いつか受けた余命宣告とも思えるようで、私の身体を芯から冷やしていく。
多分、今日の先生はこれを私に言いに来たのだろう。丁寧に、あんな夢まで見せてきて。
「"隠し事が何も無いこと"は最良ではない……が、隠し事が多過ぎる者は、誰よりも寂しいのに孤独になりたがる。結局は自己嫌悪に溺れ死ぬんだとも。私が思うに君は、既に首まで浸かっているよ」
そこまで言い終えたところで、先生はステッキを下ろして地面へと突き立てると、小さく息を吐き出し、その上に頬杖をつく。
私から視線を外す瞬間、どういう訳か先生は、今まで一度も見せたこともないような悲しそうな表情を浮かべた。
永遠にも感じられる十数秒の沈黙が流れる。
「……畢竟、君も他の魔女と同じだったようだ。とてもやるせないよ。私が何人も魔女を創ったのは――」
先生は椅子に引っ掛けていたローブを羽織りながら、私の方には一瞥もくれてやらずに、まるで独り言のように呟く。
「――ただ幸せに死んでいく魔女が見たかっただけなのにな」
先生は私に会釈もせず、目も合わせず、深々と被ったフードの下に顔を埋めながら店を出て行った。追っても無駄だろう。どうせ、扉が閉まった瞬間からもう姿は見えなくなっている。
そんな彼女が去り際に残した言葉は、何故かこの先も、私の中で燻り続ける気がしてならない。
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