1.『継接』の魔女ウィスパー
私は辟易していた。
私に私を求めないで。私を私と呼ばないで。そう思って生きていた。
キュートで可憐で端麗で――その姿を担うようにと、見えざる刃物を突きつけられている。だから刺されて傷だらけの背中を、今日もリボンとコルセットで隠すの。
「ウィスパー。地獄に咲く花は、美しいと思う?」
「私の店で何も頼まないで、最初に何を言うかと思えば」
私の目の前で、飲み物の一杯も頼まずに雑談を始めようとする彼女の名はマーシレス。黄金色の短髪が溌溂そうな、可愛げのない子である。
喧騒から隠れるように営む私の喫茶「レフトピアス」の常連客だ。もっぱら冷やかしの常連なので、客と呼ぶべきではないのかもしれないが、昔から気心の知れた仲ではある。
そのせいか私は彼女を追い出す事ができない……いや、別の理由があると言えばそうなのだが、それは彼女には決して伝えられない。
「きひひっ……病気がちな貴女が退屈しないようにって、色々な話題を持ってきてあげてるんだけど」
「昔の話よ。せめてコーヒーでも頼めばどう?」
「そいつは妙案ね。勿論、店主のサービスでしょ?」
「引っ叩くわよ」
ため息を吐きながら、結局私は彼女の八重歯をむき出しにする笑顔に負けてコーヒーを用意する。伝票が出てこないのを知ると、彼女は得をした子供のように笑った。
「ところでウィスパー。"魔女"って知ってる?」
その一言に、一瞬だけ手が止まる。同時にマーシレスが私の背中に目線を送ってきたのが分かった。
この店の制服には可愛らしいリボンとコルセットをあしらっているのだが、別に彼女がそれに目を奪われていたという訳ではないだろう。あの子にそんな感性はない。
「……ええ。怪しげな儀式と術と思想で人を惑わす、イカれた連中でしょう?」
「ん。何か、この辺りでも目撃されたんだって。旦那を酔わせたらそんな事を溢したの」
「へえ」
「ソイツが妙な奴らしくてね。女なのに紳士服で着飾って、夜な夜な美男美女だけを殺して回るんですって」
沸騰したお湯をケトルに移し、ドリッパーにフィルターを隙間なく入れる。
そこまでの作業を終えると、私は気付かれないよう、彼女の左手に視線を向けた。彼女の薬指に銀色の細いリングが輝いているのが見える。
去年のことだった。マーシレスが突然「結婚する」という話を私にしてきたのは。
あの時彼女はとても幸せそうに微笑み、珍しくレモンドレッシングのサラダを頼んで、御代を置いて帰って行った。私はその光景を、永遠に忘れないだろう。
騎士団に所属する、それはそれは立派な旦那様。稼ぎも良いし、優しそうだし、家柄も小さいながら貴族という、私たち平民にとっては理想的過ぎる相手だった。
今でもマーシレスは何をするにも幸せそうに見えるし、私と違って友人も多いのにずっとここに通ってくれる彼女の幸福を、私は全力で祝福したいと思っている。
「物騒な話。私の淹れるコーヒーが不味くなるわ」
「いやいや、貴女も気を付けなさいよね? そんなに可愛いんだから」
「もう……変なこと言わないで」
「本気なのに」
私は悟られないよう唇を噛み締めてそう返すと、彼女は今度は悪戯っぽく笑った。私を本気にさせてしまいそうな、目眩を覚えるほど屈託のない笑みだった。
――魔女。それはとある儀式によって魔法が使えるようになった女のこと。
通常、魔法の才能は決められた血筋の中でしか目覚めることはない。しかし魔女は外法によってその理を歪め、犠牲を捧げることによって魔法の才覚を得ている異端者だ。
「……マーシレスは、魔女についてどう思ってる?」
「んー、難しいわねえ。でも元は普通の人だったんでしょ? 可哀想とは思うけど、どうして魔女になる道を選んじゃったのかっていうのは不可解かも……」
「まあ、そうね。狂人の思考を理解するのはきっと無理よ。私たちに出来るのは、怯えるよりも騎士団に任せることだけ」
「私もソイツに襲われれば、美女認定ね」
「それは……無いわね」
「なにおう?」
蒸らしの過程を終え、抽出の始まったドリップコーヒーの雫を見つめながら、私たちは談笑を始めた。
そうだ。きっと何も変わらない。明日も、明後日も、彼女が店に冷やかしにやって来ては、こんな雑談に花を咲かせるのだ。それがたとえ地獄に咲く花だったとしても、私にとってこの時間は何よりも美しく、尊いのだから。
最初のマーシレスの無駄話にも適当な答えを出したところで、二杯分のコーヒーが出来上がった。私はその一杯を彼女に渡す。
「店主も飲むのぉ? それ、職務放棄よ」
「閑古鳥が一息つけって言ってるの」
「確かに。きひひっ……私にも聞こえた」
カウンター越しに小さく乾杯しながら、今日も何気ない時間が過ぎ去っていく。私たちは軽快に鳴る乾杯の音と同じように、小さく微笑んでいた。
◆
店じまいの時刻。
いよいよ彼女以外に客は訪れず、私が過ごす孤独は心地よい棘になって皮膚を突き刺す。
この店の裏側にある誰にも見せていない秘密の詰まった自室の鏡の前で、私は制服のコルセットを外し、リボンを解いた。
程よく痩せた流線型の体。白い肌が私にまとわり付いている。可愛いと言われるのに丁度いい肩幅と身長に惑い、少し背伸びをしたり胸を張ったりしてみるが、私の不快はどうにも抜けきらない。
細く柔らかな手指。
ぱっちりとした二重の目と蒼色の瞳。
夜空の静謐のような長い黒髪を編み込んで、絵画のお手本のように整った小ぶりな鼻と、女らしい桃色の唇。
そして……左耳のピアス。
順番にそっと手で触れた。
「……」
化粧道具と紳士服を取り出す。
「早くこれを嘘で塗り固めなくては」――そう思った。
アイラインは黒く、目元をより切れ長に。リップは下品な色味を抑えた薄めのものを。シェーディングで鼻と輪郭を立体的に。眉は直線的に描き、編み込みを解き、髪留めを外し、纏めて後ろの方でお団子にする。
最後に肩パッドの入った紳士服を纏えば……これが私。
私が吐き気を催さないこと以外に、使い道のない私の出来上がり。
「ふは、ははは……あっはははは! うん、今日もカッコイイよ、僕」
僕はウィスパー。『継接』の魔女。
絶えない病理のように点在する、そんな魔女の一人。
内ポケットの錠剤を一つ、噛まずに飲み込む。
そしてハットを頭に乗せると、軽快なステップで裏口から夜の街へ繰り出した。
◆
石畳が薄ぼんやりと月灯りに照らされる頃合い。
騎士団は鎧に身を包み、常に剣を腰に差している。
近頃の彼らは魔女の知らせを受けて、静寂の夜には街中を見回っているのだ。
訓練を重ねた屈強な彼らに、そこらの小悪党はまるで敵うはずもない。そんな彼らは異常な光景を目の当たりにしていた。
灯火の下で誰かを待つように佇む、紳士服の人物。出歩くにはもう遅い月夜の晩にしては余りに不気味な姿に、二人の騎士は大きく動揺する。するとその正体不明は、自分が人間であることを証明するように、彼らに目線を向けて口を開いた。
「あ〜。お兄さんたち、カッコイイねぇ。特に右の人は素敵だねぇ」
「……こんな夜更けに、一人で出歩くのは危険だぞ。私が危険な人間だったらどうするのだ?」
「だったら貴方たちの事を教えてよ。脳天から内臓まで全部、ぜ〜んぶ知りたいな」
男なのか女なのかも分からない振る舞いとハスキーな声色に惑いながら尚も警戒を緩めずにいる二人に、紳士服のそれは向き合った。
左の騎士が気付く。
「……おい、噂の魔女って、確か紳士服姿の――」
気付いた時にはもう遅かった。
その「存在」は手元に紋様が刻まれた魔法陣を展開すると、そこから出現させた歪な鋏を自身の目の前に構える。
「【切取線】」
それが鋏を開くと、左の騎士の全身にアーガイル柄の縫い目のような模様がくっきりと走った。
「【裁断】」
ジョキリという音を立てて紳士服が鋏を閉じる。
男の身体はその線に沿って、触れても居ないのにまるでベルベットを切り裂くかのように簡単に鎧ごと切断された。
「ゴぽっ……」
ブロックのようになった身体。流れる鮮血と、勢いよく抜け出す体温。男は自らが刻まれたことに気付いていないかのような間抜けな声を上げ、事切れた。
隣の騎士も何が起きたのかは分かっていない。理解できたのは理解できないことと、それが魔法によるものだということだけ。
人智を遥かに越えた「魔法」の力はかくも強大で、神秘的で、おそろしい。
「……何、が――」
「左の彼は僕のタイプじゃないんだよね。少しだけ……ほんの少しだけ肩幅が狭くて、女々しいからさ」
「くッ……お前が、魔女か……!」
騎士がすぐさま腰元の剣に手を伸ばし、鞘から引き抜こうとした刹那、再び鋏が閉じる音。
抜こうとした彼の手首から先だけが、剣の柄を握るようにして取り残された。痛みも感じられぬ「切断」は、患部が目に映り、現実味を帯びてからようやく切られたことに気付くほど一瞬で起こる。
彼は暫く呆然としながらも、切断面でぷくりと浮かぶ自分の血液の粒を捉えてから、ようやく脳に激痛のシグナルを送った。
「ひ、ぎャァァああああッ!!!」
「あっ、貴方は声もカッコイイんだね。とても素敵。僕たち、良い出会いをしたとは思わない?」
悶える騎士を見下ろすかの如く、魔女はいつの間にか唇が触れ合いそうなくらいまで接近していた。細指が顎に触れ、騎士は紳士服の魔女の混沌に満ち溢れた蒼色の瞳と目が合い、それに射竦められる。
正常ではない輝きに包まれたそれは、まるで底の無いサファイアの海のように、爛々と、彼の眼窩の奥の奥を覗き込んでいた。
「喉仏、羨ましいなぁ……良いなぁ……」
魔女が顎に触れていた指をそのまま下になぞらせて首元に触れた瞬間、男の悲鳴は絞り出すような掠れ声に変わった。処理しきれない死の情報量が彼の脳内を支配し、全身を硬直させる。
そんな彼の目の前で彼女は鋏を開き、絶叫のような声を上げた。今度はしっかりと高い、女の声だった。
「何で私には無いのかな!? ねぇ、どうして!? だって私の声って高すぎるよね!? へたっぴだよね!!」
「う……ああ……ごめん……なさい……ごめんなさい! ごめんなさい! 許してくれッ! 殺さないでっ! 許してくださいッ!」
「……? なんで謝るの?」
魔女は絶望の表情を浮かべる彼から指と鋏を離すと、猫背のように立ちすくんで、意味が分からないとでも言いたげに首を傾げた。
おそらく本当に意味が分からなかったのだろう。魔女は自分が何を許してやればいいのかが、まるで判っていなかった。
「判らないけど……うん、いいよ。許してあげる」
男の目に光が灯る。自分は少なくとも生き残れると思ったからだった。それを見て、魔女は嬉しそうに微笑んでいた。「ああ、彼の元気が出たようで良かった」と。
「だから喉仏は貰うね♡」
そして魔女は――鋏を閉じた。
◆
眩しい朝日に瞳を打たれながら、私は店の看板を「Open」に切り替える。私の嫌いな服を着て、私の嫌いな自分になって、私の一番好きな人を待つんだ。
店に入り、店内で世話している観葉植物を剪定していると、聞き覚えのある声をした冷やかしの常連が、今日も今日とて訪問しに来た。
「――おはよ〜!」
「おはよう。今日も来たのね」
「それよりも! ねえ、昨晩魔女が出たらしいわよ!」
自分の話が裏付けられた事にやや興奮気味の彼女は、鼻をふんふん鳴らしながら私に近付いてきた。剪定鋏を持っていたので危ないからと、彼女を宥めて席に座ってもらう。
観葉植物に一本だけ伸び過ぎた花を見つけると、私は再度鋏を構えながら、少し離れた場所のマーシレスに話しかけた。
「昨日の話、本当だったんだ」
「なぁによ。疑ってたの?」
「いいえ? ただ、貴女の美女認定は成されなかったんだなあって」
「うぐっ……! わ、私の魅力に気付かない奴が居るなんて可哀想ね」
「……ええ、本当に」
「あー! 馬鹿にしたでしょ!」
「そんな訳ないじゃない」
私が絶対に手に入れられないその人は、私に向かって不満顔のふりをしてから上機嫌に笑いかける。それに釣られて私も思わず微笑してしまう。
鋏を開く。左手の薬指の下。彼女の細い指輪に隠して、切り取り線を入れてみた。
何も気付かないマーシレスは、なんて綺麗に笑っているんだろう。脳が蕩けるほど甘い純真無垢な彼女の笑顔に、今日のコーヒー豆は渋すぎるかもしれないと小さく悩む。
――困ってしまうくらいに大好きだ。
私のような狂人にさえ、一丁前にこんな感情はあるものだから、余計な胸焼けを起こしてしまう。そうして糖分過多という甘美な毒に身を浸しながら、見て見ぬ素振りをし続ける。
私は鋏を閉じた。
「あっ」
彼女が小さく声を上げる。
「……どうしたのマーシレス?」
「そういえば今日は旦那と出会ってから丁度一年記念日だったの。って事で、何か奢ってウィスパ〜♡」
「しばくわよ」
そんな問答をして、それでも彼女に全てを与えてやりたくなるまでが、私の孤独を希釈する唯一の時間だった。
例え今晩の吐き気が強くなるのであっても、私はこの時間の為だけに砂糖菓子を頬張るのだ。
今しがた植物から切り落とした一輪の花を手に取り、気障なフリをして彼女に差し出す。
「ほら」
「ん?」
「記念日の奢りよ。コーヒーくらいは付けたげる」
「ウィスパぁ〜……大好き!」
「ちょっ……だ、抱きつくなぁっ!」
唐突な抱擁を受け、彼女の胸の中でもがく。平民には到底手の届かないような、高い香水の匂いがした。
暫くすると満足したのか、彼女は私が差し出した小さな花を手に取り、目を輝かせながら私に尋ねる。
「これ、何ていう花?」
「アンスリウム。綺麗でしょう?」
「うん……ハートみたいで、ウィスパーみたいに可愛くて綺麗よ。ありがとね」
「はいはい、こちらこそ」
――地獄に咲く花は美しいのか……だったっけ。
今日ならまた違う答えを出せるだろう。私はこのアンスリウムのように、とても美しいのだと思う。ただそれは時に信じられないほど残酷で、身勝手な、息が詰まるくらいの美しさなんだ。
酸欠の頭を溶かしていくかのように、今日もケトルでぐるりと湯を注ぐ。夥しきを殺めた手で描く1杯に、多めの砂糖を入れてみた。
乾杯、ウィスパー・マーキュリー。
どれだけ痛くても、僕は愛しちまうんだぜ。
初めての投稿です。
スマホでの読みやすさに考慮した結果、段落構成が一般のそれと比べて滅茶苦茶ですが、つきましては先人のご意見を求めています。
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