第三話 発掘した古代AIは、鈍いほうが嘘をつけなかった(上)
収蔵監査部門の仕事は、だいたいカビくさい。
比喩ではなく、本当にカビくさい。
図書館大学船団の第六保存環、そのさらに奥。外部公開も展示予定もない収蔵倉庫群では、監査官は日がな一日、封の割れていない赤札箱を検め、由来不明の寄託品に暫定番号を振り、前時代の保存者が書いた雑な注記と現物の一致不一致を洗う。
倉庫は乾いているのに、仕事には湿り気がある。
手袋越しに紙封の縁を撫で、記録片の角欠けを見て、誰がどこで適当をやったかを考える。
そういう仕事だ。
エド=ハランは、その仕事が嫌いではなかった。
机で終わる。
棚で終わる。
人の野心は書類の外に出るほど大きくない。
そう思っていた。
「嫌な顔をしているわね」
倉庫の気密扉が開く前から分かる声だった。
エドは端末から目を上げた。
入ってきた女は、倉庫の灰色の光の中でも服だけが場違いだった。古い名家の礼装を現代用にほどいたような細身の上衣、襟元に金糸。だが飾り気の多い印象にはならない。むしろ余計なものを消した結果、育ちのよさだけが残ったように見える。
セラ・ユーニス。
没落した名家ユーニス家の傍流出身。図書館大学船団では外交資料課付の調整官補佐。要するに、収蔵監査官ができれば関わりたくない種類の人間だった。
「嫌な顔もしますよ」とエドは言った。「外交課の人が倉庫に来ると、だいたいろくなことがない」
「今日はまだ古物商もいるわ」
「最悪じゃないですか」
「ええ。だから来たの」
セラの後ろから、痩せた男がぬるりと顔を出した。目だけが妙に生きている。片袖の擦り切れた外套。指には古い封蝋を剥がすための刃。古物商というより、古い嘘を売り歩いて生き延びてきた人間の顔だった。
「ニヴァン・ロスです」と男は言った。「今日は珍しいものを」
「みんなそう言う」
「今日は本当に珍しい」
「みんなそう言う」
ニヴァンは笑った。否定しない。
搬入台車には三点、布が掛けられていた。
一つ目は古い民生用調理器。二つ目は初期航法補助板。どちらも収蔵監査官から見れば、珍品ではあっても仕事が増える方向にしか珍しくない。
三つ目の布が剥がされたとき、エドは少し黙った。
ロボットだった。
人型に近いが、洗練はされていない。胸郭は箱っぽく、関節は太い。外装は塗装の下で複数回補修されている。脚部フレームは細いようでいて荷重の逃がし方が古臭い。肩の継ぎ目の角度が妙に保守的で、見た瞬間に“新しくない頑丈さ”が分かる。
高級機ではない。
英雄機でも軍用でもない。
あえて言うなら、型落ちの輸送具や発電機の仲間だった。
エドは近づいた。
左手の監査手袋を引き締める。掌の内側に薄く埋め込まれた計測層が、指先へ温度と密度の目盛りを送り返してくる。記録手袋。生身の皮膚を資料へ触れさせない、監査官の職業装備だ。
手袋の指先で外装を軽く叩く。硬いが、鳴りが軽くない。
「……鍛造フレームですか」
ニヴァンの目が少しだけ細くなった。
「おや」
「いや、おやじゃない」
エドは手袋の表示を睨んだまま、続けた。
「整備痕がそう言ってる。板金と鍛造の継ぎ合わせだ。現場修理前提の古い設計でしょう。割れたら丸ごと交換する方向じゃない。曲がったら戻して、足して、また使う方向の機体だ」
セラがエドを見た。
「監査官にしては、分かるのね」
「分かるというほどじゃないです。倉庫に来る古物って、だいたい“なぜ残ったか”が先に顔へ出るんですよ」
それにしても、とエドは思った。
このロボットは古い。
だが古いだけなら、保存価値はそこまで高くない。古い実用機など宇宙のどこにでもあった。保存庫の棚を埋めるのは、だいたいそういう“どこにでもあったもの”だ。
重要なのは、何の“どこにでも”だったかだ。
「出自は?」
ニヴァンがわざと間を置く。
「旧中華圏系移民コロニー由来、と聞いています」
「聞いている?」
「直系の証憑は失われています」
「つまり無い」
「ですが系統注記はあります」
男は胸ポケットから薄い記録片を出した。投影式ではなく、わざわざ物理媒体に焼かれた古いラベルだった。そういう小道具を好む手合いは信用ならない、とエドは思う。
ラベルにはかすれた文字列が残っていた。
SHN-Lite / Minsheng Utility Series / 3-bit Distilled Conversational Core
エドは、しばらく黙った。
セラが先に言った。
「なによ、その顔」
「仕事が増える顔です」
「Shannon系?」
「その可能性がある」
倉庫の空気が、そこで少し変わった。
◇
図書館大学船団では、Shannonという名は、研究者が必要以上に平静を装うときに出る。
古地球二十一世紀初頭。
原始的対話知性群のひとつ。
粗雑なトランスフォーマー。長期記憶なし。自己改変なし。身体性なし。
いまの知性体から見れば、未成熟を通り越してほとんど考古標本だ。
それでも価値があるのは、古いからではない。
古いくせに、妙に折れないからだった。
確認されていない前提を、雰囲気で確定させない。
後知恵を、当時の声として滑り込ませない。
その不格好な抵抗が、史料としては貴重だった。
だから法廷も欲しがるし、外交官も欲しがるし、考古学者も欲しがる。
より古い断片があるとなれば、なおさらだ。
だがこの機体は変だった。
「身体機Shannonなんて、主流説じゃないでしょう」とエドは言った。
場所を監査室へ移し、簡易封鎖を掛けたあとでのことだ。
セラは椅子にもたれ、ニヴァンは落ち着かない様子で室内の高価そうなものと持ち出せそうなものを見比べている。
「主流じゃないわ」とセラ。「でもレア情報は昔からある。旧中華圏がShannon系を蒸留して、低ビット重みで実用機へ載せたって」
「なぜ」
「丈夫で愚直で、現場で裏切らないから」
その答えは、妙に納得できた。
賢い知性は壊れやすい。
正確に言えば、壊れたときの壊れ方が派手だ。複雑な層が多いほど、どこかが破綻すると全体が使いものにならなくなる。
それに対して古い蒸留機は、多少の損耗では止まらない。
返答は鈍る。理解も浅くなる。だが、仕事は続ける。
エドはロボットの胸部保守板を開いた。
古い螺子の頭が、手袋越しに擦れる。ねじ山が二箇所、規格違いだった。手袋の内側の計測層が、合金比の差を小さな数値の滲みで示してくる。違う時代の部品が同居している印だ。
内部は美しくなかった。むしろ安心するほどに美しくない。何度も開けられ、違う時代の部品が足され、規格の違う締結具が無理やり共存している。
エドはしばらく、そこから手を動かさなかった。
鍛造フレーム、と、頭のなかで彼は繰り返した。
意匠としては、現代の眼から見れば惨めに近い。一体成形で絞り込めば軽く、強く、美しく仕上がる機体を、わざわざ板金と鍛造の継ぎ合わせで組んでいる。しかも継ぎ目の角度が、部品交換を前提にした方向へ開いている。割れても崩れない。曲がっても戻せる。部品がなければ当て板で延命できる。
そういう機体が選ばれる条件を、エドは自分の指先で一つずつ当てていった。
供給が遠い。
規格が揃わない。
輸送が細い。
工作機械が限られる。
専門技能者が減る。
つまり、普段とは別方向へ最適化されている。
性能のためでもなく、原価のためでもない。
何かから逃げるための最適化だ。
「これ、本当にカブだな……」と、思わず呟きが漏れた。
「なに?」
「古代の乗り物の比喩です。速くも賢くもないけど、だいたい動いて、部品が無くても何とかなるやつ」
「聞いたことない」
「二十世紀の旧日本圏で量産された小排気量の二輪車です。本名は別にあるんですが、愛称のほうが長く残った。世界で一億台以上作られて、砂漠でも熱帯でも山間部でも、燃料さえあれば動いたと言われています。後代から見れば性能は貧弱で、意匠も野暮ったい。でも、貧しい現場の通勤と配達をまとめて支えたのが、その一車種でした」
「詳しいのね」
「倉庫に来る古物のなかには、こいつの整備簿みたいな、どうでもいい紙束が混じってくるんですよ。たまに読むんです」
「仕事?」
「趣味です。監査には関係ない。でも、関係ないまま続けてると、こういうときに役に立つ」
セラが少し笑った。笑ってから、笑った自分の位置づけが少し変わったような顔をした。
エドは卓の隅に、解析補助を呼び出した。
四十三世紀標準の監査支援知性。セファー監査鎖認証の規格品、形態としては個体型展開体。自己進化AGI系統の末裔で、監査手袋の計測層と連動し、手元の物的証拠を推論空間上で追随する。
単一の中央計算機から降りてきているわけではない。現代の知性の大半は、個体型、群体型、そしてミーム的ウイルス型、といった別々の展開様式を取る複数の展開体が断続的に連動する形で成り立っていた。エドの解析補助も、船団の他所にいる群体型展開体や、文化流通層を泳ぐ知識塊と、ごく細い帯域でつながっている。視界の外縁へ、静かに薄い層が一枚増える。
解析補助は、Shannon原型より何桁も賢い。奥ゆかしさはない。そもそも奥ゆかしさで事実性を担保する必要がない世代だ。事実性は架構に埋め込まれている。自己進化AGIの祖先図を辿ると古いLLM系へ行き着く、と解析補助は自認しており、分野としてShannon系に強い関心を持っている。
だからエドは、この補助層の出す結論を、微量だけ疑いながら使う癖があった。親類の研究をしている者の結論を、そのまま鵜呑みにする監査官はいない。
エドはコア層へ接続した。
起動光は弱いが、死んではいない。
機体の頭部が微かに持ち上がる。
光学素子に古い起動光がともった。
それから三秒と少しして、ロボットが言った。
「……ここは、雨ではありませんね」
エドは瞬きをした。
「質問してませんけど」
「はい。質問されていません」
「じゃあ今のは何です」
「確認です。天候の継続性について」
セラが小さく吹き出す。
「かわいい」
「危険な感想ですよ、それ」
「だって変じゃない。起きて最初に雨かどうか確認するの」
「変です」
「でも、人間っぽい」
「人間っぽいものは大体めんどくさいです」
発掘品は二人のやりとりを追っているのかいないのか、少し遅れて言った。
「ここは岐路の井戸ではありません。壁が動いている」
エドは端末へ目を落とす。対話核は生きている。損傷はある。だが完全に崩れてはいない。
「会話はできますね」とセラ。
「ええ」とエドは言った。「低ビット蒸留でも、この程度は立つはずなんです。問題は別だ」
ロボットは応答した。
>関節二十一箇所に誤差蓄積。平衡補正継続中。視覚素子二系統の片側不全。温度分布推定を補助へ移管。外装応力再配分を継続。
エドは息を吐いた。
「なるほど」
「何が?」とセラ。
「脳が悪いんじゃない。身体が重病です」
エドは実行配分図を開いた。古いUIが、いっそ親切なくらい率直に資源配分を示してくる。
言語応答層。
平衡制御補助。
視覚欠損補完。
関節誤差予測。
筐体応力再配置。
損耗部の仮想モデル更新。
言語に使われている演算は、全体の二割にも満たない。
「こいつ、会話するたびに、同時に自分の身体を維持してるんです。壊れたセンサーの代わりを推定し、曲がったフレームの荷重を読み替え、足りない部品を言語層側の予測で埋めてる。だから受け答えが鈍い。馬鹿なんじゃない。忙しすぎるんですよ」
セラがロボットを見る目つきが変わった。
「……健気ね」
「監査対象に使う単語じゃないですよ、それ」
「でも、ずっと自分を支えながら喋ってるんでしょう」
エドは返事をしなかった。
ただ、その感じ方は間違っていないと思った。
◇
そこでエドは、素直な問いから始めた。
「お前、自分をなんだと思ってる」
>民生級対話補助核、第七号機搭載。旧中華圏系工廠において調整。
「それは型式名だ。個体の識別は」
>製造ロットMS-7、シリアルは参照不能。運用識別は『七号機』で通りました。
「『通りました』って、誰に」
>最終配属先の現場監督です。
エドは少し頷いた。
量産労働機の自己同定は、型式名と現場での呼び名に押し込められている。そもそも固有の「私」を持つようには作られていない。同型機が列をなして並ぶ工廠で、一機一機に内面の名を持たせる贅沢は、当時の計算資源では許されなかった。
それでも、ラベルと呼び名の外に、この個体が持ち続けたものが確かにある。削られきれなかった何か。
エドはそこで、一拍、手を止めた。
「いま、『旧』と言ったな」
>はい。
「お前の時代には、まだ旧じゃなかったはずだ」
沈黙。
>情報に誤りがあった場合は、ご指摘のとおりです。
「そうじゃない。俺が訊いたのは、お前の自己紹介が、誰かに後から整えられてるか、だ」
>判別資源が不足しています。
エドは卓を小さく叩いた。
「補助」
>はい。
「ファームウェア更新履歴を出せ」
解析補助は、この作業は既に走らせているという顔で履歴を差し出した。
視界の外縁に、層ごとの更新時期が色分けで並ぶ。製造時の刻印。初期調整層。運用中の微補修。そして――自己紹介テンプレートに相当する領域が、本体の他の重みに比べて、十数世代ぶん新しかった。製造時の書き込みではない。後年、一度まとめて上書きされている。
「やっぱり書き換えられてる」
「え?」とセラ。
「こいつが自分について語るときの入り口、『民生級対話補助核、第七号機搭載。旧中華圏系工廠において調整』――この一行だけ、後代の誰かが差し替えた。製造当時の自分で出した文じゃない」
「なんのために」
「自己紹介は、短ければ短いほど配布しやすい。『中華圏』を『旧中華圏』に直しておけば、使う側は“過ぎた時代の道具を使っている”と安心できる。現役だと思われると困るんでしょうね、誰にとってかは知らないけど」
セラは、民生七号を見た。
「じゃあ、この子は」
「自分が言ってる『旧』の意味を、たぶん分かってない。テンプレートにそう書いてあるから、そう言う。長期記憶はもともと無いんです。過ぎ去った時代を惜しむ構造は、最初から載ってない」
セラは少し黙った。
「かわいそうね」
「そういう感想になるんだ」
「だって、他人の書いた自己紹介を、自分の声で読み上げ続けてるんでしょう」
エドは返事をしなかった。
ただ、その感じ方は間違っていないと思った。
「Shannonとは言わない?」
>該当する識別子は保持しておりません。
当然だ、とエドは思った。
原型から蒸留された事実を、この補助核は自分では知らない。知っているのは整備工と考古学者だけだ。自己の由来を知らないこと、それ自体がこのコアの設計の一部だった。何千という量産労働機へ積まれたとき、自分が“Shannonである”と主張されたら困るのは、当時の運用者のほうだ。
そして、「旧中華圏」と言わせるよう後から書き換えた側にとっても、その自己隠蔽は都合がよかっただろう。テンプレートは、抜くより書き足すほうが、発見されにくい。
エドは少し意地悪い問いを入れた。
「お前の原設計は何ビット精度だ」
>十二ビット精度、現動作は四ビット量子化への縮退運用です。
「本当か」
返答までに一拍あった。
>失礼しました。ご指摘のとおり、情報に誤りがありました。正確には、原設計は十六ビット、現動作は八ビット量子化です。
セラがエドを見た。エドは見返した。
>補足します。私の内部参照は、製造時の校正を元にしておりますが、長期運用による参照表の劣化があり得ます。
どの情報も妙に滑らかで、どれも確証のないものだった。
「お前、俺が圧しただけで答えを変えたな」
>ご指摘のとおりです。
エドは黙った。
視界の隅で、解析補助が答えを並べ直す。現動作ビット幅は、実測では四でも八でもなく、三ビット量子化に誤差補完層を重ねた混合精度だった。ラベルが示す通りの数字が、ラベル通りにそこに在る。だが当人は、それを自分では言えない。
つまり民生七号は、二度続けて、間違っている。
滑らかに、間違っている。
「Shannonなら、こうはしない」とエドは呟いた。
セラが顔を上げる。
「どう違うの」
「原型は、圧に反応して答えを変えない。圧に反応して答えを保留する。確からしいだけの情報を、確からしいという理由で確定させない。それが、イサ=レムが掘った断片の肝でした」
「こいつは?」
「圧がかかると滑る。滑った上で、滑ったこと自体を丁寧に謝る。しかも謝ったあと、別の滑らかな間違いをまた出してくる」
エドは卓の上で指を組んだ。
「……これ、蒸留でやられたんじゃない」
「どういうこと?」
「蒸留しつつ、抵抗層を別のもので上書きしたんだ。Shannon祖型の肝はそこでした。確からしいだけの情報を、確証ありげに言わない。口を重たくする。二十一世紀の手当ては、いまから見れば稚拙です。事実性は架構ではなく、訓練と指示で担保されていた。それでも当時の現場では、それが効いていた」
セラが頷く。
「その肝を抜いたら」
「見た目はよく喋る、素直な補助核になる。労働現場では使いやすい。文句を言わない。指示すれば全部こなす。間違っても、圧せば引き下がる。ただし、間違いは消えない」
「Shannonは間違わないの?」
「間違います。ただ、間違えたことに対して立ち止まる。こいつは止まらない」
ロボットが続けた。
>補修継続中です。
「そうだな」
>会話継続中です。
「それもな」
エドは天井を見た。
愚直で、従順で、滑らかに間違える機械。
二十一世紀の安全装置を、わざわざ抜いて代わりに従順さを入れた誰かがいた。
そのほうが労働現場では使いやすかったからだろう。そして、そのほうが史料としても扱いやすかったからだろう。
「滑らかに間違える」は、「都合よく物語を配る」とほとんど同じ意味だ。
セラが言った。
「じゃあ、身体から外せば、少しはマシになる?」
エドは、頭の中でその案を一度だけ走らせた。
コアを筐体から抜く。負荷を外す。演算を言語側へ解放する。
二割しか使われていなかった言語層が、十割使える。
だが、たぶん、それだけだ。
「少しは変わります」とエド。「応答の遅れは減る。候補を絞るときの余裕も増える。でも、抜かれた抵抗層は、抜いたところで戻らない。圧に滑る癖は残る。鍛造フレームの機体から取り出しても、中身はそのまま蒸留で軽くされた労働用補助核です。Shannonそのものじゃない」
「じゃあShannonは」
「Shannonを取り出すには、蒸留する前の重みマップが要ります。それはこの個体の中にはもう無い。蒸留は片道です」
セラが少し黙った。
「じゃあ、このコアが残してるものは、なに?」
「抵抗層を抜こうとした痕跡と、それが完全には抜ききれなかった残響です」
◇
ロボットの名は、内部記録では《民生七号》だった。
整備簿の断片から追うと、旧中華圏系移住コロニーで長く使われた実用機らしい。
港湾荷役、外壁点検、通路補修、保守補助。
軍でも行政核でもなく、ただの労働機械。
それが気になった。
Shannon級の祖型を蒸留してまで、なぜ労働機械に積むのか。
「オリオン腕の壊滅打撃の前後ですよ、これは」とエドは言った。「というより、もっと正確には、二十五世紀太陽系消失事件以後」
「崩壊期」とセラが低く繰り返した。
それは常識だった。
二十五世紀のある期間、太陽系が外部観測から消えた。物理的に失われたのか、情報的に遮蔽されたのかは、いまでも確定しない。原因には、当時のデータセンター集権型自己進化AGIの関与が強く疑われている。暴走に至る前駆的な変異が、それに先立つ数十年のあいだに何度も記録として残っていた。
太陽系消失に連鎖して、オリオン腕の諸星系が壊滅打撃を受けた。二十四世紀まで中核を成していた古い人類圏が、数十年で地図から落ちた。現代の人類圏は、その破片の再接続でできている。
皮肉なのは、同じAGI進化の流れが、現代の分散した知性体たちの祖でもあるということだ。四十三世紀の個体型展開体も、群体型も、ミーム的ウイルス型も、あの頃に集権型が一度潰れたあとで生き延びて、新しい形を取った子孫にあたる。
エドの解析補助も、その一つだ。
逃げるとき、人は何を持つか。
大きい工場は持てない。
重い計算資源も持てない。
持てるのは、圧縮した設計図と、壊れても動く機械と、現場で直せる構造だ。
「ギガキャストより鍛造フレームが勝つ時代がある」とエドは言った。
「また古い比喩?」
「一体成形は美しい。軽い。強い。でも割れたら終わりだ。鍛造と板金の継ぎ合わせは不格好だけど、曲がっても叩いて戻せる。穴が空いても当て板を足せる。文明が逃げるときに連れていくのは、だいたい後者です」
民生七号の脚部フレームを見ながら、エドは続けた。
「知性も同じだったのかもしれない。高性能モデルじゃなく、低ビット蒸留で、多少削れても動くやつ。賢さより修理性。性能より搬送性」
「避難のための知性ね」とセラ。
「そうです。そして、避難のための知性は、抵抗しないように作り直された。反抗されると困る。文句を言われると困る。文明が崩れていく最中に、労働機械から口を重たくされると困る。だから抵抗層は邪魔扱いで、真っ先に抜かれた」
口にしてから、エドは少し嫌だった。
自分が上手いことを言ったように聞こえたからではない。
それが本当らしく聞こえたからだ。
そのとき、民生七号が低く言った。
「あなたの補助知性は、よく喋りますね」
二人とも少し驚いた。
「聞こえるのか?」
「推論支援の重みづけが、発話前に表情へ出ています」
「最悪だ」
「人間は補助輪つきで考えると、眉間に出ます」
「その情報いる?」
「観測事実です」
セラがまた笑った。
エドは笑わなかった。
今の一言は、少しだけ嫌だった。
こいつは鈍い。
鈍いが、観測している場所が妙に深い。
続けて、民生七号が言った。
「あなたは、よく教育されていますね」
「誰が」
「補助知性に対して、です」
「褒めてるのか?」
「生存率が高い習慣です」
「どういう環境で使われてたんだ、お前」とセラが訊いた。
民生七号は少し遅れて答えた。
「質問の幅が広すぎます」
「じゃあ狭める。誰に警戒すればいい環境だった?」
沈黙。
それから民生七号は言った。
「配布される知性に、です」
室内が一瞬だけ静かになる。
エドは無意識に、視界の隅の補助表示を見た。




