ヒロインの苦悩
乙女ゲームのヒロイン()
腕を組み仁王立ちしていた少女は、ミディアムボムにした桃色髪を靡かせ――
「待たせたわね、〝世界〟っ! 私が〝ヒロイン〟よっ!」
夜空に浮かぶ月に人差し指を突きつけた。
「マーガレットっ! 夜に騒ぐのではありませんっ!!」
「すみません、シスターッ!!」
マーガレットは教会に捨て置かれた孤児の少女だ。
だがマーガレットは、正確には捨て子ではない。
この世界に生まれ落ちた瞬間から記憶があった。混濁する意識の中でマーガレットはその記憶が〝前世〟のものであると理解する。
マーガレットの前世は、どこかの学生をしていたような、していなかったような、そんなどこにでもいる普通の〝男性〟だった。
前世の彼はゲーマーでも、とりわけノベルゲーが好きな訳ではなかったが、なんとなくセールで手に入れたそのゲームの、スチルをコンプリートすることだけを目標に頑張った結果、ながらスマホの通学途中、ながらスマホのトラクターに轢かれてその人生の幕を閉じた。
前世と言っても、今のマーガレットと同一ではない。
そんな前世の彼を呆れかえった顔で確認したマーガレットは、その知識だけを絵本のように眺めていたが、前世の彼が死ぬ直前まで続けていたノベルゲーを読み進めるうちに、今の女性としての感性で見事に『乙女ゲーム』に嵌まった。
無垢な赤ん坊の脳に詰め込まれたのは、常識でも知恵でもなく、オタク知識と乙女ゲームの内容だけ。言わば『乙女ゲーム』は人生のすべてであった。
きっと生まれ変わったのは、この世界のヒロインになるためだと思い込んだマーガレットは、輝かしい未来を思ってニタニタと笑い、両親によって〝悪魔付き〟だと教会に運び込まれた。
教会もお布施をもらった手前、聖水やお祓いなどをしたが、邪であっても悪魔ではないマーガレットに効果はなく、そのままお帰り願おうとしたときには、すでに両親の姿はなかった。
翌日、協会の関係者がマーガレットを置き去りにした両親を訪ねたが、二人はよほどマーガレットが怖かったのか、すでに夜逃げをした後であった。
仕方なく教会の孤児院で育てられることになったマーガレットは、動けるようになるとこの世界のことを調べはじめた。教会という、古書があり文字や礼儀を教えてくれる環境は、平民の家で暮らすよりもマーガレットに知識を与えてくれた。
「やっぱり『乙女ゲーム』の世界だわ」
この世界は前世の彼がやっていた乙女ゲームの世界観と酷似していた。
その知識によれば、マーガレットは十五歳になると、教会推薦枠の特待生として貴族の通う学園に入学し、そこで攻略対象である三人の青年と出会うらしい。
マーガレットは頑張った。たとえ乙女ゲームしか頭にないバカでも、バカだからこそ頑張った。おバカで、前世が童○のゲーマーでも、マーガレットは思い込んだら一途の真面目な女の子なのだ。
「でも、問題があるわ……」
その三人の青年を攻略するに当たって、ヒロインの邪魔をする悪役令嬢が存在した。
表面上は清楚な、『聖女』と呼ばれている令嬢であり、三人の攻略対象は令嬢に惹かれているのだが、その令嬢には人には言えない秘密があった。
乙女ゲームのヒロインは、その令嬢が実は男性ではないかという疑惑を持ち、証拠を集めて詐称を曝くことで、攻略対象たちの傷心につけこんで彼らを落とすのだ。
そして追い出した悪役令嬢の後釜でヒロインが聖女となり、ハッピーエンドという、安売りされるのも仕方のない内容だった。
そこで証拠を集めるために、マーガレットは教会の広報が使っていた秘蔵の魔道具である『写真機』を勝手に持ち出し、特待生として学園に乗り込んだ。
悪役令嬢と思しき令嬢はすぐに判明した。攻略対象たちの幼馴染みであり、条件とも一致する。
その令嬢は身体が弱いらしく、偶にしか学園に現れず、その際も攻略対象の誰かが必ず付き添っているという。
マーガレットは授業にも出ずに、馬車が停まる場所の草むらに待機しながら、悪役令嬢が到着するのを待ち続け、ついにその日がやってきた。
「今日の付き添いは、えっと……なんとか王子なのね」
悪役令嬢を調べることに集中しすぎて、攻略対象のことをまったく調べていなかったマーガレットだが、なんとなく服の豪華さでそう察した。
急いで写真機の機能である拡大を使い、馬車から降りた二人を覗き込む。この魔道具の機能を使うには沢山の魔力が必要だが、この日のために魔力を鍛え上げたマーガレットに死角はない。
だが――
「――!?」
拡大機能で写真機を覗き込んでいたマーガレットは、間近で見る悪役令嬢ミシェルを見て雷に打たれたような衝撃を受けた。
これが男? 嘘でしょ? 教会にはお偉いさんを接待するために、綺麗どころのシスターがいるが、ミシェルはその誰よりも清楚で、可愛らしく、綺麗だった。
ごくり……と唾を飲み込み、写真を撮ることさえ忘れて、マーガレットはミシェルを視姦する。
陽の光の中で日傘を差して、王子にエスコートされる白いドレス姿はまるで一枚の絵画のようで、見蕩れてしまう。
その白い肌のきめ細やかさも、銀糸のような艶やかな髪も、どんなお手入れをすればそれを手に入れられるのか、知るために悪魔に魂を売る者もいるだろう。
魔道具で撮った画像は多く複製できる物ではないが、毎回教会の掲示板に広報誌を張り出す度に盗まれるのも納得できたが、そのせいで教会の孤児でありながらミシェルの顔を知らなかったのだ。
完璧な美少女すぎて見ているのが辛い。(これまで瞬き無し)
あまりの美しさに感動したのか、鼻の奥がツンとして涙が滲んだ。
「!」
そのとき不意にミシェルと目が合った。彼女は静かに首を傾げ、こちらに向けて歩み寄り、拡大された写真機の中でマーガレットを覗き込む、毛穴すら見えない超絶美少女の顔が大きく映し出された。
「あの……血が」
「ほへぇ!?」
写真機を通して見ていると現実感と解離するときがある。
ミシェルが声を掛けたのが自分だと気付いて、慌てて写真機から顔を離したマーガレットは、興奮しすぎて鼻血をダバダバ流していた。
「なんだ、この者は?」
付き添いのディランが本気の不機嫌な声で、ミシェルを庇うように剣の柄に手を掛ける。その剣幕に(鼻血を流しながら怯える)マーガレットを見て、ミシェルがそっとディランの手を止めるように触れた。
「ディラン様、お待ちください。魔道具がありますので教会の広報の方ですよ」
「そ、そうか?」
たとえそうでも隠し撮りは駄目なのだが、ディランは自分の手に触れたミシェルの手が気になりすぎて、それどころではなかった。
「あなた……」
「ひゃいっ!」
声を掛けるミシェルにマーガレットが裏返った声を返すと、彼女は困ったように微笑んで、自らのハンカチをそっとマーガレットの鼻に当てる。
「魔力が強すぎると身体が不調になりますから、無理をなさらないでくださいね」
「ひゃう」
確かに偶に身体の節々が痛くなることはある。一途なマーガレットは筋肉痛かと気にもしていなかったが、今はそれどころではなかった。
相手が美少女とはいえ、どうして女である自分が、ここまでミシェルから目を離せないのか? それこそミシェルが男であるという証拠ではないのか?
やはりミシェルは男だ。たぶん? きっと? 可愛らしすぎて男の格好をしても男からモテまくりだろうが、男に違いない。
そうでなければ、そっちの気が無いマーガレットが、女に惹かれるはずがないのだ。
ミシェルは男であり、その秘密を曝かなければ、ヒロインであるマーガレットは攻略対象三人を誑かして籠絡することが出来ない。
そう決意をし直してキッとミシェルを睨み付けるが、すでに彼女の姿はそこになく、ミシェルはディランの腕を抱えながら、ニコリと花のような笑顔をマーガレットへ向けた。
「その魔道具は沢山魔力を使いますから、魔力の大きなあなたに広報は天職ですね。ディラン様、一枚撮っていただきましょう」
「ああ……」
「あ、はい」
素直に頷き、マーガレットは写真機を構えた。
覗き込んだ写真機の中に、ディランと腕を組んで微笑むミシェルと、肘に押し当てられたこの柔らかな物体はなんなのか、宇宙最大の謎に挑む大賢者のような険しい顔するディラン王子が映る。
「…………」
これが本当に男なのか? こんな完璧な美少女から、どうすれば男である証拠が得られるというのか? こんな聖女様の後釜なんて冗談ではない。それどころか女神様の代わりに、彼女の彫像を置いて拝んでもいい。
ハンカチの香りがヤバい。香水ではなくミシェルの匂いなのだろうか、鼻血で息が出来ない代わりに口で思い切り香気を吸い込み、その素晴らしさに鼻血で溺れかけながらも必死に写真機を覗き込み……
「……!?」
そんなマーガレットの葛藤を見通したように、ミシェルは人差し指を自分の艶やかな唇に当て、十五の少女とは思えぬ妖艶さでマーガレットに微笑んだ。
「ぶぉふぇああああっ!!」
「きゃあぁああっ!?」
「何事だっ!?」
噴水の如く天に噴き上げるマーガレットの鼻血に、ミシェルが悲鳴をあげ、ディランが驚愕する。
マーガレットの性癖はノーマルで、そっちの気はない。
だが、マーガレットの魂の奥底に封印された童○の記憶が、ここから出せと暴れ出して大量の鼻血を噴き上げた。
天より光が差し込む――
目の前にいる美の女神に浄化され、鼻血と共に外に出た○貞の記憶は、昇天して天へと昇り……
その後に完全に憑き物が落ちた、男か女か分からない極上の美少女に嬲られたい、という完全に性癖を破壊された、純粋なマーガレットだけが残された。
「お、覚えてなさい、お姉様っ! また会いに来ますね!!」
まるで捨て台詞のようにそう言い放って、校門のほうへ走り去っていくマーガレットを、ディランとミシェルは見送ることしかできなかった。
「なんだありゃ……」
「侍医様に診ていただこうと思いましたが……面白い方でしたわね」
ミシェルがクスクスと笑って目を細めた視線の先に、マーガレットが残した鼻血の跡が点々と、花道のように地面に残されていた。
***
「それで、どちらなのですか?」
公爵邸に帰宅したミシェルにお茶を淹れながら、黒髪猫耳メイドのイーニャが無表情に訊ねる。
獣の特徴を持つ獣人はシェルガルド王国でも偶に見ることができる。
王国内で亜人に偏見はないのだが、それでも信頼という点で信用度は低く、教会の孤児の中でただ一人、奉公先が決まらなかった同じ歳のイーニャを、ミシェルは自分専属のメイドとして雇った。
イーニャはミシェルに仕えて三年になり、その着替えも沐浴もすべて専属として彼女が対応しているが、イーニャはいまだに主人の性別がどちらか分からなかった。
お茶を一口飲んでから手招きをするミシェルに、イーニャは無表情のまま、いつものように主人の前に跪いて、尻尾を揺らしながらその膝に頭を乗せる。
「気になる?」
「……いえ」
イーニャは艶やかな黒髪と猫耳を撫でられながら、もうどうでもいいと頭を蕩かし、喉を鳴らす
ミシェルはイーニャを可愛がりながら、一瞬だけマーガレットにも見せた妖艶な笑みを浮かべて、白い指先を自分の唇に当てた。
――ナイショです――
大変でした。(本当に)
これにてこの物語は完結となります。
コメディが書きたくなり、こんな話が受け入れてもらえるか、実験と勢いだけで書いてみましたがいかがでしょうか?
よろしければ、ご評価やご感想をいただけたら嬉しいです。
ありがとうございました!




