1章―8 溶ける、解ける世界【前編】
どうしたものか、てっぺん鳥も泣き止んだ頃、柵の傍で半分のお弁当を貪るアカツキは、くだらない事を考えつつ味の薄いおかずが、質量だけの存在で喉を蹂躙する。
「探索……終わってるよねどこに居るんだろ」
柵の向こう側は、木々が生い茂り、まだ正午位、今にも此方に覆い被さるかの如、意識して見れば見るほどに暗く、渇いた闇が此方を見つめているようだ。
アカツキは今朝見た夢をふと思い出し、瞼が重くまた憂鬱な気分のまま。
「ここに居ても、らちがあかないな」
食べ終わったお弁当の容器を、再度包み直し立ち上がろうとすると、容器はぐにゃりと形状を変化し、葉書サイズの薄いメモ用紙に変わる。
『ライドウ先生の家で待ってて、ピクニックは延期しますアンコも先に先生の家に向かわせてます』
不穏な空気がアカツキの膚を襲う、木々の隙間に漂う闇は獲物を待つように、今も此方を監視しているようで吸い込まれるような闇。
何かまずいかもしれないと、ヘレだったら大丈夫だと、それでももし、万が一と言うこともある。更に不安な事はアンコを自らの元から離してまで先生の元に向かわせた事だ、そうなると対峙したその何かは複数。
アカツキの危険に対する能力は人一倍鋭く、自身の身を守るためなら、その察知能力は目を見張るものがある。
メモ用紙はブスブスと音を立て、沸騰し消え、微かに匂い始めた腐敗臭が、じわりと鼻孔を襲う。先ずはここを離れ、ライドウの家に向かう。
アカツキがその場を離れると、深淵の奥では獣が鋭く目を光らせる。いつでも獲物の首を捕ろうと機会をうかがっている視線は、更に強く青く光り尾行するように、アカツキの後をゆっくりと追跡する。
ライドウの自宅に向かう道中は悲惨な物だ、鋭利な刃物で切断され、腐敗臭の散漫した道を駆け上がる、丘の上に近づくにつれ、刃物で切断されていた獣の死体は、鈍器で内側から破壊されたような死体に代わっていく。
「ユリさん!」
やっと家の前まで到着しユリさんに駆け寄る。
「あれ、何なんでしょう!?あんな数の獣は見た事無いですけど!」
「いつも通り凶暴な獣ですよ。但し、自分の意思では襲ってるように見えません、目が死んでます」
「ユリさん、アンコは?先生は?ヘレさんはきた?」
「ヘレさん以外は家の中でアンコちゃんの結界を張ってますから、安心してくださいね」
「ユリさんも……」
パァンッ!
脳が萎縮し、意識を失いかけそう。目に前には鼻の頭にちょうど収まりそうで、そのまま埋めてしまってもいいのだろうか、豊満で張りのある男のロマンが詰まったその胸部が揺れている。
「近いです……」
ユリさんの拳は、アカツキの側頭部スレスレを抜け、背後の獣を粉砕する。どこを破壊されたのかはアカツキには分からないが、鈍い音が数個ボタボタと落ちる音がする。
「アカツキ君も早く中に入っておきなさい、後はあそこで隠れているあと1匹始末したら私も戻りますから」
頷き無言で室内へ向かうアカツキ。
『タスケ…なン』
「ユリさん……?」
にしてはハスキーな声、続けて聞こえる弾け飛ぶ音。
アカツキの後頭部の辺りから、力なく救いを求め怯る声が聞こえたような気がした。上半身をひねりユリの方に視線をやると、足下には先ほどまで大木の陰に隠れていたモノの肉塊が、まだピクピクと蠢いている。
「大丈夫ですか?ユリさん?」
「ええ、心配してくれてるのですか?母は強しですよ、これでも夫より体術に長けてるんですよ」
にっこりと優しく答えるユリ、立ち居振る舞いは暴力的な行いとは無縁。上品で無駄のない洗練された、高貴な雰囲気さえ漂わせ、腰まで長いミルクのたっぷり入ったコーヒー色の髪を靡かせる。
「早く家の中に入りましょう」
ライドウの自宅には地下室があり、壁面は岩盤向きだしの状態で、油の匂いと錆びた鉄の匂いがと、用途も判明しない金属類ばかり。
「おかぁさん早くこっち、お父さんが!」
アクアちゃんの泣き出しそうな声は室内に谺する。
「大丈夫よ、お父さんは気絶してるだけだからねぇ~」
それもそのはずで、アンコの中心から2メートル程は、結界が張られており、そこから出ようものならどこから襲ってくるか分からない獣の餌食。
ユリ、ライドウだけなら結界など必要無いかもしれないが、守るものがあるということは自信の何かを犠牲に為ねばならない、それが最も苦手なものでも。
「アホツキ遅いよ、何時まで待たせるんだいアホツキ!」
「うん、ちょっと寄り道が過ぎたかも、これあげるよ、ブロッコエイ。先生はアンコがやったのかい?」
「仕方ないなぁもう少し頑張るよ、でも手がふさがってるから、僕の口に運んでよそのブロッコエイ。ライドウはさっきまでは元気なフリしてたけどね、アホツキがここに降りてきた辺りで意識を失ったよ」
「アホツキはもうやめろよっ」
アカツキの手にはまだ新鮮なままのブロッコエイ、それをユリはアンコの口に運ぶ。
「ありがとうアンコちゃん、あなたも」
ユリさんは、ライドウ先生の崩れたままの姿勢を仰向けに、そしてゆっくりと膝の上にのせ、夫が目を覚ますまで慈愛に満ちた表情で頭を撫でる。
「アファッヒもヒェレヒャンにヒテモライテイんリャリュリョロ」
アンコはブロッコエイを口いっぱいに頬張り、イヤラシイ視線を送る。
「何を言っているんだ?おまえは」
何となくニュアンスは伝わってくるが、返答が面倒くさいので無視をするアカツキ。
「話変わるけどアンコ、ヘレさんは?」
頬張ったブロッコエイが宙に舞う。
「話変わって無いけどナ、ヘレは獣を足止めしつつ、退路の安全と獣のボスを始末してるはずだけど? 獣を操ってるボスがいるから始末しないときりが無いからね」
ブロッコエイがアンコの頭上まで落ちてくる。
グシュゥゥゥ――――
獣の荒々しい呼吸がすぐそこに聞こえた。