あの日の温情と羨望
今でも忘れられない思い出がある。あの日の出来事は今の私に生きる指針を与えてくれたといっても過言ではない。未だに色褪せることのない記憶。それはまるでオモチャ箱の宝石のように秘められている。
当時、私は高校生だった。自宅から駅まで行って、そこから電車に乗って、また自転車に乗る。そうしてわたしは毎日学校へ通学していた。
自転車は駅近くの駐輪場に停めていた。そこは大勢の利用者がいたため、いつでも自転車が所狭しと並んでいた。なので、自転車を停める時はいつも細心の注意を払っていた。そうしないと、隣の自転車に当たって倒してしまいかねないからだ。
在って無いような隙間に自転車を駐車させる。まるでパズルのようだ。自転車というピースを上手く填めて、横一列の綺麗な線を形作る。達成できた時にはちょっとした喜びすら沸き起こるほどだ。
しかし、それを三百六十五日続けて行うことは難しかったのだろう。ある日、私はいつものように自転車を停めようとした。すると、誤って隣の自転車にぶつかってしまった。そのせいで、その自転車は倒れてしまった。他の自転車を道連れにして。自転車が二台、三台と立て続けに倒れる様はドミノ倒しだった。それまで整然と並んでいた自転車は見事に転倒した。
その時の私は呆然とした。学校へ行かなくちゃ、などという気持ちは霧消していた。立ち尽くす、という動作をこの時生まれて初めて行ったかもしれない。それほどの衝撃を受けた。
自転車を並べ直そう、と思い至るまでに思いのほか時間がかかった。頭は真っ白だった。とにかく元に戻さなければならない。そんな使命感にも似た気持ちに駆られていた。
その時だった。向こうの方から足音が聞こえてきた。その音は、やがて自転車が倒れた場所で止んだ。何事かと思って、その方を向いた。そこには、黒い女の人が立っていた。黒い長髪、黒いジャケットに黒いジーンズ、おまけに眼鏡の縁まで黒だった。
その人は無表情で何も喋らない。その上、私の方を見ようともしない。そんな様子だったが、彼女はおもむろに倒れた自転車に触った。かと思えば、そのまま起こして停めた。
その事実を認識するのに多少の時間を要した。この人は手伝ってくれているんだ。それに気づいた私は内心で感謝するとともに、自転車の整列作業に取り掛かった。その女性にばかり任せてしまっては本当に申し訳ない。自分の仕出かした失敗は自分で取り戻さなければ。
そうして、二人がかりで自転車を立て並べた。先程起きた事故などまるで無かったかのように整然とした空間が出来上がっていた。
私は女性に礼を告げた。すると、女性はこちらを見ることなく立ち去った。結局、彼女は一言も言葉を発さなかった。しかし、一つだけ反応があった。彼女が去っていく途中、右手を軽く挙げていた。そのそっけない仕草が、とても印象に残った。 なんて格好良い人なのだろう。去っていく背中が雑踏に紛れるまで、私はじっと見つめていた。
その時に私は思った。あれこそが人間の優しさなのだ。困った人に対してさりげなく寄り添ってくれる温かさ。それこそが人と人との助け合いの源となるのだ。そして、私もあの人のように誰かを助けられる人間になりたい。その思いは今でも途絶えることなく残り続けている。