二人の幻影
「プリシラ……どうしたんですか。助けに来ましたよ、一緒に帰りましょう!」
「……」
僕の言葉になんの反応も返してくれません。
あんなに仲良しだった、本当の妹のように可愛がっていたアビスちゃんに……プリシラは攻撃しました。
彼女はとても……とても冷たい微笑で僕達を見ています。
「ねーさま……」
アビスちゃんは自分の傷よりも、プリシラを見つめて泣いています。
僕の心がえぐられるようでした。
プリシラは正気じゃない。そう結論付けるのは簡単です。
簡単ですが……彼女は過去に幾度も精神攻撃魔法を受けて、耐性を得ています。
僕のマインドすら、もう効かないんです。そんな彼女が正気を失うなんて、あり得ないです。
深手を負ったアビスちゃんに駆け寄ろうとしますが、プリシラに止められます。
「プリシラ、アビスちゃんが怪我をしているんです。一緒に治してあげましょう?」
再度の問いかけにも、プリシラは冷たい微笑を浮かべるのみでした。
「無駄だよ。プリシラは僕の言う事しか聞かない。愛し合っている者同士、僕の言う事を聞くのは当然の事だからね」
「一方的に操っておいて、愛し合う? 言う事を聞くのは当然? 何を言ってるんですか?」
「別に君に理解されなくても結構だよ、憎き魔女。僕達は未来永劫、二人で愛し合って生き続けるのさ」
「……」
……今は。
アビスちゃんの傷を治してあげないといけません。
僕は握りこぶしに爪が食い込み、血が出ている事に気付かない程の怒りを覚えていました。
「九尾ちゃん、少しの間プリシラをお願いします。本来、精神攻撃に耐性がある筈のプリシラが正気じゃない理由が解りませんけど、彼女には耐性能力がある筈です。もう金縛りは効きません」
「耐性能力持ちか、厄介な奴だな。まぁ元々戦いたかった相手だ、喜んで相手してやる」
九尾ちゃんが僕の前に出ると。カイル公子が含み笑いをしながら語りかけてきます。
まるで、此方の意図した行動はさせないとばかりに。
「九尾。君には心底失望したよ。連絡が取れなくなったかと思えば、まさか魔女の手下に成り下がっているとはね。地上に獣人の国を再建するという僕との契約は、随分とまぁ薄っぺらい決意の下で成されたものだ」
「何かを勘違いしているようだが。私は獣人の国の再建を諦めた訳ではない。貴様のような下種よりも、愛する姫君と共に再建して行く方が理に叶っていると思ったまでだ」
「裏切ろうとする奴は大抵似たような事をほざくものだ」
「そうか。どうやら先に死にたいようだな。貴様が死ねば金髪も正気に戻るだろう」
九尾ちゃんがそう言い終えると。
尻尾が一本、槍のように伸びて、カイル公子を刺し貫こうとします。
ですが……。
カイル公子の周囲に光の膜のような物が現れ、尻尾を弾きました。
そして、いつの間にかカイル公子の手には、光り輝く弓が握られています。
「まさか……」
「それ……。それは……」
九尾ちゃんとアビスちゃんがその弓を見た途端、驚愕しています。
「ほぅ、その様子だと、君達は見た事があるようだね、九尾に海龍アビス」
「それは……きょうかの、きょうかのゆみだ!!! なんでおまえがもってる!!」
「まぁ、どうせ皆殺しにするのだから、隠す必要もないか。この弓こそが、この洞窟に封印されていた物だよ。名は「タチバナの弓」。対象さえ認識すれば、障害物をすり抜け、目標のみを何処からでも射抜く。こんな風にね」
そういうと、弓を構え誰もいない方向に弦を引くカイル公子。
すると反対方向のアビスちゃんが急に悲鳴を上げました。
とっさに振り向くと、アビスちゃんのお腹に光の矢が突き刺さっています。
「ぐ……。ぅ……」
今ので相当の深手の筈です。
もうプリシラからの攻撃を気にしている余裕がありません。直ぐにアビスちゃんに駆け寄ります。
「アビスちゃ……!?」
数歩程度走った所で、次に痛みの悲鳴を上げたのは僕でした。右肩に光の矢が刺さっています。
直前に射抜かれる「予感」はしました。しましたが……予感を感じた時点で射抜かれていました。
「動くなよ魔女。君の能力は厄介だからね。プリシラが教えてくれたよ、とても羨ましい能力だ。君の能力は神にも等しいと言えるだろう」
そして、カイル公子は引き続き弓を構えると。
「だからこそ……貴様が憎い!! 貴様さえいなければ、こんな惨めな思いをせずともプリシラと愛し合う事が出来た。過去の僕は全て完璧だった。僕は常に完璧であらねばならない。なのに、貴様が、貴様が!!!」
「……あぅ!!……うぅ!!!」
一回、二回と弦が引かれ。僕の右足と背中に矢が刺さります。痛みでその場に倒れました。
いくら人間をやめていようと痛みには抗えませんし、寿命で死ななくても、致命傷を受ければ死にます。
「みずふぁ……やめて、みずふぁをころさないで!!!」
「貴様……!!!」
九尾ちゃんがカイル公子に襲い掛かりますが、プリシラが間に割って入り、九尾ちゃんを羽交い絞めにします。
「九尾、貴様にはまだ利用価値がある、少し黙っていろ。僕は魔女を先に殺さないといけないからね」
「ちっ……。金髪……貴様、限界以上の力を使わされているな……」
九尾ちゃんの問いかけに冷ややかな笑みを浮かべるプリシラ。
倒れた状態で状況を見ていましたが、僕の意識が少し薄れてきています。これ以上血を流せばまずいかもしれません。
「みずふぁ……みずふぁ」
アビスちゃんが歩けない体で、必死に傍まで這い寄ってきました。
健気な彼女に、痛みをこらえながら語り掛けます。
「御免なさい、アビスちゃん。直ぐに……治してあげられなくて」
「そんなのいいから……じぶんの傷なおして!!」
「おいおい、誰がそんな事を許した?」
いつの間にか目の前まで来ていたカイル公子が、アビスちゃんを蹴り飛ばしました。
「……っ!」
蹴り飛ばれたアビスちゃんが壁際で呻きながら、徐々に動かなくなっていきます。
今の姿のアビスちゃんじゃ、これ以上傷が広がったら死んでしまいます……。
こんな狭い場所では本来の姿に戻る事も出来ません。
九尾ちゃんに視線を送ると、羽交い絞めにされた彼女はプリシラに嚙みつかれ、完全に行動を抑えられていました。
もう、今の僕達に成すすべがありません。
「おい、魔女。一つ教えてやる。この弓は魔力を込めればその分だけ、遥か彼方の対象すら射貫ける程に射程が伸びる。何処に居ようと、見知っている者であれば射貫けるのだ。それがどういう意味か……解るかい?」
……。
見知っている者を……射貫く?
それは……つまり。
駄目です、止めてください。
「やめて……」
「絶望してから死ね、憎き魔女め!」
カイル公子が無慈悲に弦を引きました。
それと同時に射貫かれた筈です。
エリーナが、ツバキさんが、レイシアが……。
「皆……」
……。
僕の腰についている「キーホルダー」が少し光りましたが、僕は気づいていません。
「さて。僕の気が少し済んだ所で、メインと行こうか」
カイル公子は、狙いを定める必要の無い僕に対して、弓を構えています。
「ようやく復讐が終わるよ。これからは僕がブラドイリアの王となり、妻と共に栄華の道を進むんだ。最後の慈悲だ、頭を吹き飛ばして一瞬で殺してやる。さらばだ、憎き魔女よ!!」
そして……弦が揺れると。
僕の腰のキーホルダーが眩い光を出し始めます。
そして光は瞬時に天井へと移動し、二つに分かれて落ちました。
一つの光は僕に刺さるはずだった見えない光の矢を、もう一つの光はカイル公子を「拳で」捕えました。
「ぐぁ!!?」
突然のように殴られ、吹き飛ぶカイル公子。
僕の前に、陽炎のように揺らめく、巫女服の女性の幻影が仁王立ちしていました。
「二条神明流十二の型「下り陽炎」……」
僕が呟きます。
やがて、幻影はゆらり、と揺れながら消えていきます。
消える間際、振り返った影はとても慈しんだ微笑みを僕に……かけてくれました。
「シズカさん……」
腰のキーホルダーを見ると、ヒビが入っていました。
これは、永い眠りにつく前に、シズカさんと交換したクリスマスプレゼント。
彼女が僕にくれた物です。
「僕を守る為に……」
殴り飛ばされたカイル公子は何をされたのか解らない、といった様子です。
「またか……。君はいつも僕の予想外の事をする。今のは何だ。僕は弦から指を離した。何故君が無事で、僕が吹き飛んだ?」
立ち上がり、改めて弓を構えます。今度は距離が離れています。
「今の所、魔女には一切能力は使わせていない筈だ。不可解だ、プリシラはこんな能力があるとは言っていなかったぞ!」
過去、僕が術式省略をカイル公子の前で行った時の再現が成されています。
今回こそは僕に何もさせずに殺せる、いえ、弦から指を離した時点で殺したと確信した事でしょう。
「まぁいい。もう一度弦を引けば殺せるだろう。さぁ、もう一度……」
カイル公子の持つ弓が光り出しました。
「なんだ、僕はまだ魔力を込めていないぞ」
僕のキーホルダーのように、眩い光を放つと。
カイル公子の手から弓が消えました。
「な……!?」
そして、再び出現します。
出現したのは……アビスちゃんが倒れている場所。
光はやがて人の形を成し、とても綺麗な女性の幻影が現れました。
弱々しく、光を見上げるアビスちゃんは、女性を見ると微笑みました。
「…………きょう……か。あいた……かった」
幻影は優しく……とても優しくアビスちゃんをなでていました。
「わたしのこと、たすけて……くれるの?」
幻影が頷くと、再び光出し、アビスちゃんと重なります。
大きくアビスちゃんを光で包み、やがて光が右手に収束していくと。
全ての傷が癒され、右手に弓を携えたアビスちゃんが立っていました。
「きょうか、ありがと……。わたしがこの子をだいじにしていくからね……」
北の最果てであるこの場所に安置されていたと言う「タチバナの弓」。
長い時を経て、その「想い」は在るべき場所へと帰りました。




