48 説得と慰めのキス
緊急メンテナンスに入った「バーチャノーカ」は、結局、次の日も再開できなかった。いろいろデータが損傷したりもしているため、そのぐらいかかるのは仕方ないかもしれない。
オレは仕事があったため、休みの日以来、VRMMO「バーチャノーカ」がどうなったか知らない。
諷ちゃんや莉朶さんからも連絡がない。おそらく作業に追われて忙しいのだろう。
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「尾河、聞いてくれ」
オレが職場から帰ろうとしていたところ、またもや松尾さんに捕まった。雰囲気からして今日は話が長くなりそうだ。「聞いてくれ」という言葉で始まる場合は特に注意が必要だ。
「……夕飯、食べながら話しません?」
「割りか「松尾さんの奢りで」」
松尾さんの言葉を遮り、提案すると、渋々という感じで「仕方ねーな」とブツブツ言いながら、松尾さんは帰宅準備を始めた。
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「……で、話とは?」
オレと同僚の松尾さんは、お互いの家に近い、こじんまりとしていてリーズナブルな割烹料理店に入り、落ち着いたところで話を切り出した。
「諷のことなんだけどさぁ……」
やはりそうかと思った。この兄の相談ごとは、仕事のことか、今ハマってるVRMMOか、妹である諷ちゃんの話しかない。
オレは、相づちを打ちつつ、お通しをつまみ、とりあえず日本酒を一口飲む。
「バイト先でまた何かあったらしくて……家に帰ってきたら、自分の部屋から出てこないんだ」
「そうなんですか? 仕事明けで疲れて寝てるとかじゃないんですか?」
松尾さんのグラスに日本酒を注ぎながら聞くと、松尾さんは首を横に振り、否定した。
「いや、なんかずっと泣いてるみたいなんだ」
「えっ?」
いつもテンション高めの諷ちゃんがずっと泣くなんて、想像がつかなかった。彼女は気持ちの切り替えが早いイメージが強い。
「メシや風呂のときには、部屋から出てくるんだけどさぁ。ウチの家族の間じゃあ、目が腫れてるから相当ショックなことがあったんじゃないかって……例えば職場で知り合って好きになったオトコに酷いことされたとか」
「ぶほっ!」
「きったねぇ! 何やってんだよ……ったく、折角の酒がもったいねぇ」
「っげほ……すみません」
まだ目の前に料理が並んでなくて良かった。もしそうではなかったら、大惨事になるところだった。
「とにかくだ……やっぱりこういうときは、そっと見守るしかないってウチの家族は言ってるんだが、ずっと部屋にいるのも良くないとオレは思うんだ」
「はぁ」
「オマエ、こういうときに行って癒される場所しらないか?」
松尾さんは、だんだん酔いが入って熱弁しはじめた。
「……松尾さん、聞く相手を間違ってませんか? こういうのは、女の子に聞いた方が」
「それをオレに言うのか!? ワザとかっ!?」
「すみません、いないからオレに聞いてるんですよね?」
面倒なことになった。松尾さんが完全に絡み酒モードに入っている。
「で、どこがいいと思う?」
「それより、まず本人が家の外に出たがりますかね?」
「そうだよなぁ……じゃあ、家の外に出す方法を考えよう! で、何かいい方法あるか?」
全部オレに丸投げしてきた。疲れているせいなのか、それともあまり食べずに飲んでいるせいか、酔いがいつもより早い気がする。危険だ。これは、もしかしたらオレが松尾さんの家まで送らなくてはいけなくなりそうだ。
*****
オレの予想が当たってしまった。松尾さんの家に着くと、お母さんに松尾さんの部屋のベッドまで運ぶよう頼まれた。
「くっ! 重い……」
ズルズルと松尾さんを引きずりながら、2階に上がって部屋のベッドに放り出すように寝転ばせた。
「はぁ……」
ため息をつきながら、パタンと部屋の扉を閉めた。すると、隣りの部屋の扉がカチャッと開いた。
「兄さん、しつこすぎ! アタシ、何度も言うけど絶対出かけないからねっ!?」
諷ちゃんだった。オレを松尾さんと勘違いしているようで、啖呵をきるようにぶっきらぼうに言い放った。オレが無言でいると、諷ちゃんが顔をあげ、オレと目線が合った。
「スイ兄!?」
いるはずのない人がいて、驚いているようだ。
「酔いつぶれちゃって、運んだんだ」
松尾さんの部屋を指して言うと、「ありがとう」と恥ずかしそうに呟いた。
「緊急メンテ、終わったんだろ?」
「……うん、もうすぐ正式運用になる」
返事はあるが、いつもの元気がない。
「良かったな、おめでとう」
オレの祝福の言葉も無言で頷くだけだ。
「……スイ兄、ごめんね」
「いや、気にしなくていい。それより……なんだか疲れてるみたいだ」
既に先ほどまで諷ちゃんの話を松尾さんから聞いていたし、なんとなくその原因がオレに起因することも察していたが、気のきいた言葉が出てこない。
そして、そんな気のきかないオレの言葉のせいで、諷ちゃんは悲しげな笑顔を浮かべた。
「うん、そうみたい。疲れたし一段落ついたから。バイトは……今、休んでるんだ。こんな気持ちのままで仕事したら、莉朶センパイに申し訳なくて」
「そうか……しっかり休んでおけば、そのうち気力も回復するから」
だが、諷ちゃんは首を横に振りオレの言葉を否定した。
「ムリだと思う。辛くて、研究棟にすら入れない……今は、あんなゲーム作らなきゃ良かったなんて思っちゃってるし。前は、あんなに作るのが楽しかったのに……今はツライ」
諷ちゃんの苦しみは、オレの予想を上回っていた。ここまで沈んでしまうと、負のスパイラルにハマっていく一方だ。なんとか気持ち浮上させるため、客観的なことを話して、説得することにした。
「諷ちゃん、開発側だからわかってると思うけど、そもそもVRMMOは仮想空間であってリアルじゃない」
「うん、わかってる……頭ではわかってるし、何度も自分の中でそう思うようにしたんだけど……心が追いつかない」
VRMMOは、よりリアルに近い体験を重要視しているから、いずれ記憶が薄れるにせよ、記憶が鮮明な今は、ツラい状況であることに変わらない。
「それなら、他の記憶で上塗りして、早く嫌なことは忘れるようにするしかないな」
諷ちゃんはオレに突き放されたと思ったようで、俯いていた顔をあげてオレをじっと見つめた。
オレは酒が入っていたせいか、シラフだったらやらない大胆な行動に出る。
諷ちゃんの首筋に触れ、そっと唇を重ねた。
長い時間のあと、ゆっくり離れて「忘れた?」と聞いてみたら、諷ちゃんは無言で何度も俯きがちに頷いた。
「雪中梅の味がする……」
諷ちゃんは指先でそっと自分の唇をなぞってポツリと呟いた。
「あたり……あと、このことはオレ達だけの秘密にしといてくれると有難いんだが」
松尾さんにバレたらヤバイ。まだ命は惜しいため、オレは保身に走る。
「うん」
恥ずかしそうに頬を赤らめながら諷ちゃんは頷いてくれたので、安堵した。
「じゃあ、オレは帰るから、これで」
ポンと諷ちゃんの頭に片手をのせると、諷ちゃんがふんわり笑った。
「ありがとう、気をつけて帰ってね」
「あぁ」
オレはそう答えて、1階へと階段を降りた。
松尾さんのお母さんに声をかけ、玄関を出ようとしたところで、「スイ兄!」といつもの声で諷ちゃんがオレを呼んだ。
「今度の休みの日、『バーチャノーカ』にログインしてね!」
「わかった」
諷ちゃんと約束をして、オレは帰宅の途についた。
*****
1週間ぶりにログインした。「バーチャノーカ」は、すでに正式サービスが昨日からスタートしている。出遅れた感があるが、スローライフをプレイしたいと思っているオレにとっては、どうでもいいことだ。
「スイさん、久しぶりだねぇ」
ログインすると、小屋の縁側で婆ちゃんが迎えてくれた。
「婆ちゃん、変わったことは?」
「手紙が来とるねぇ」
「……手紙?」
婆ちゃんから受け取った手紙を恐る恐る手に取った。この間のアオイちゃんの件もあり、慎重になる。もうバグは修正されているから、ああいうことは起きないだろうが、軽くトラウマになっている。
宛名は「スイさんへ」となっている。
「差出人は……あぁ、アオイちゃんか」
ホッとしながらアオイちゃんのメダルと同じマークの薔薇と星が描かれたシールを外し、手紙を開封した。
「アオイちゃんのホームエリアでお茶会だってさ、婆ちゃんも行く?」
「そうだねぇ、一緒に行こうかねぇ」
オレと婆ちゃんは小川に並ぶ飛び石を渡り、転送ゲートに向かった。
*****
アオイちゃんのホームエリアに行くと、既にサロンには諷ちゃんと莉朶さんがいた。
「スイ兄、遅いよー! もう始めちゃってるよー!」
諷ちゃんが席から立ち上がって、こちらに向かって手を振る。莉朶さんがティーカップを手に「お久しぶりです」と座ったまま、お辞儀した。
「スイさん、こちらにどうぞ」
アオイちゃんの案内で、席に座った。
「呼んでくれてありがとう……ところで、なぜ運営の2人がここにいる? プレイヤーのアカウントは消されたはずだろ? それと仕事はどうした?」
アオイちゃんにお礼を言ったあと、ふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。すると、運営の2人は顔を見合わせた。
「んー、プレイヤーのアカウントはセキュリティでBANされたけど、今回は運営のアカウントで入ってるんだ。仕事は……さっきまでしてて疲れちゃったから休憩中、ね? センパイ!」
諷ちゃんがそう言うと、莉朶さんが力強く頷いた。
「それに、2人だけじゃないよね?」
「ええ、2人だけじゃないです」
と意味不明なことを言い出す。
「どういうことだ?」
困惑しつつ、聞き返すと、「お久しぶりです」と背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「AIノースッ!?」
そこには、ちゃんと分離処理できた2人が立っていた。まるでアサギマダラの羽根をもつ妖精の双子のようだ。そして2人の雰囲気は、以前のような悲壮感がなく、表情は穏やかだった。
良かったと思ったのも束の間、さらに気がついたことを口にする。
「ん? ちょっと待て、なんでAIノースまでここにいるんだ!?」
「次の虫の発生時間までまだ時間があるので休憩です」
「ね?」
AIノースの2人が答えた。
そうだった、この2人は、そもそもあの運営2人がモデルになっているのだ。運営の2人だけじゃなく、システムまでも同じなのか。
「お・ま・え・ら……仕事しろぉーっ!」
アオイちゃんのホームエリアにオレの声がこだました。
*****
オレは諷ちゃんと莉朶さん、そしてAIノースの2人に持ち場へ戻るよう促したが、思いっきり抵抗された。2人ならまだなんとかなったが、4人となると厳しい。
「そういえば、前に莉朶センパイが言ってた科学技術特区研究所の話、姉に話してみたら、『みんなで見学に来る?』って言われたんだけど……」
諷ちゃんが思い出したように、話をきり出した。
「ホント!? じゃあ、『影の組織』が見られるかも!」
「「いや、それはない」」
莉朶さんの言葉に、オレと諷ちゃんが同時にツッコミを入れた。
「……ワタシもいいですか?」
アオイちゃんが遠慮がちに言うと、諷ちゃんが笑顔で頷いた。
「もちろん! あ、でもご両親の了解を取らないとダメだからね?」
「はい、飛行機で前日に来ないとダメだから、それも含めて聞いてみます」
―――ん? 飛行機?
「アオイちゃん、まさか海外在住なのか!?」
「はい。あ! でも、あまり時差がないところですし、こちらにも家があるので、支障はないです」
「そうか……」
こうしてアオイちゃん主催のお茶会兼運営組の休憩時間は、オレにとって二度目のオフ会の打ち合わせに費やされることとなった。




