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《後編》真実の愛をくれる人

 私の作戦。次にミケーレと話し合うときは、彼の担任に同席をお願いする。

 私が跡継ぎを納得しているのだから、夢を諦めるなと説得してもらうのだ。


 果たして担任は、二つ返事で承諾してくれた。このために学校の会議室も押さえてくれるという。

 ただ、公私とも立て込んでいるので、それは翌週にということになった。


 強力な後援を得て、あとはその日を待つばかり。そう思っていたのだが。

 その前に大きな動きがあった。

 エミールの婚約が決まったのだ。

 相手は繊維問屋のお嬢さん。そしてエミールの同級生。


 実は、こうなることを予想していた。


 二人の関係はずっと友人同士にしか過ぎなかった。だけれど在学中から良い雰囲気で、どことなくお互いを特別に思っているのは明白だった。

 家業の規模も財産も釣り合う。当主同士の親交も深い。


 当然の成り行きなのだ。



 ◇◇



 このめでたい話を聞いた翌日、ミケーレが屋敷に突撃してきた。

 今回は彼が使用人を遠ざけ、サロンで二人きり。扉は開いているけれど。


 彼の用件は、私の恋が終わったなら跡継ぎは頼む、というものだろうと思った。

 ところが。

 強張った顔をしたミケーレは、

「だから平民は愚かなんだ!」

 と憤った。

「……何が?」

「あの馬鹿は盲目に違いない。目前に良い相手がいるのに、他の女を選ぶなんて。あんな阿呆が跡取りでは、あの商会はいずれ潰れる」


 何度か彼の言葉を反芻して。

 思わず笑みがこぼれた。

 ミケーレは私を励ましに来たらしい。


 私は大丈夫と言おうとして、今度は涙がこぼれた。


 エミールに選ばれないことは予想していたけれど。だからといって、ショックがない訳じゃない。

 誰にも打ち明けていない恋だから、みんなの前では平気なふりをしていたけれど。唐突な優しさに、気が弛んでしまった。


 止まらなくなった涙にハンカチで目を押さえていると、ふいに隣にミケーレが座る気配がした。おずおずとした手つきで背中を撫でられる。

 彼の掌から、じんわりとした温かさを感じた。






 しばらく泣いて。テーブルの上にいつものケーキスタンドがないことにふと気がつき、冷静になった。


「……いつものケーキは?」

「……忘れた」


 隣のミケーレを見ると、その顔は明らかに『しまった!』と言っている。


「買ってくる」

「ミケーレが食べたいのでなければ、私はいらないです。気になっただけですから。また今度来る時にお願いします」


 そう言って。次に会うような約束をするのも初めてかもしれないと思った。


「……次はいつもの倍、買ってくる」

「そんなに食べきれません」


 ふふ、と自然に頬が緩んだ。

 ミケーレは実にいい奴らしい。坊っちゃんが出奔しなければ、分からないままだったかもしれない。この件だって、一人で歯をくいしばって耐えていたかもしれない。


「……さっさと告白しておけばよかったんだ。そうすればあの阿呆も選択を間違えなかった」

 眉間に皺を寄せたミケーレは、本心からそう言っているように見える。

「そんなことないです。彼にとって私はただの従妹だったし、こうなるのは予測できていました。今の関係を壊したくなかったから、これでよかったんですよ」

「本当に馬鹿だ!」


「ミケーレ」

 私は膝を彼に向けて座り直した。

「なんだ」

「馬鹿馬鹿言われるのは、傷つきます」

 彼は、口を強く引き結んだ。

「……気づかなかった、すまん」

「阿呆も間抜けも。トンマも愚図も」

「分かった!気をつける」


 なんだ。こんな簡単なことなら、もっと早くに伝えればよかった。ミケーレは態度が悪いだけの、素直な奴じゃないか。


「私も、嫌だと伝えなくてすみませんでした」

「ああ、うん」何故かミケーレは目を泳がせた。その目が戻ってくると。「……ならば俺も。どうして敬語なんだ。他の従兄には普通に話しているじゃないか」

「だってあなたは公爵家の人間で、私は平民でしたから。いつも平民のことを馬鹿にしているでしょう?」

「馬鹿にしていない!が、もしや、そう聞こえるのか」

「ええ」

「……すまん」

「わざとではなかったならば、話し方は気を付けたほうがいいかもしれません。いずれ研究者になるのでしょう?」

 ミケーレは瞬いた。


「家督は俺が継ぐぞ」

 今度は私が瞬いた。

「どうしてですか?もう……」

 失恋したし、とはさすがに言いたくなくて、口ごもる。

「だが、祖父の店で働くのだろう?それと敬語は止めろ」

「え?えっと」


 立て続けに言われた言葉に戸惑っていると。失礼しますとの声と共に、執事がサロンに入って来た。

「旦那様がお二人をお呼びです」

 ミケーレと私は顔を見合わせた。






 執事に連れられて向かったのは、当主の執務室だった。仕事関係の来客と打ち合わせができるように、部屋の半分は応接間のようになっている。


 そこに祖父だけでなく、祖母、義両親がいた。つまり、モルコット家勢揃いだ。

 ミケーレと私は祖父に促されて、彼の真正面に並んで腰かけた。


「さて。モルコット侯爵家の血を引く孫たち」と祖父は威厳のある顔で口火を切った。「知っての通り直系のブライアンが出奔し、このままではモルコット家は断絶する。我が血を引く彼の世代で、未婚、なおかつどこかの跡取りに決まっていないのはお前たちだけ」


 祖父は私に顔を向けた。


「そこで私及び一家の総意で、リオネッラを養女とし、その婿が跡継ぎと決めた」

 私はうなずき、隣のミケーレからは身体を固くしたような気配がした。

「リオネッラは納得の上、了承した」と祖父。

「はい」

「だがそれは私たちに育てられた恩を返すため、自身の気持ちを曲げてのものだった」


 投げ掛けられた言葉に狼狽して、祖母と義両親を見た。義母が悲しそうな顔をしている。


「そしてミケーレ」と祖父。

 ミケーレが返事をする。

「お前は数学の研究者になりたいそうだな。だがリオネッラを慮って、跡取りに名乗り上げている」

「はい」


 ミケーレを見て、それから祖父に視線を戻した。

「どうしてご存知なのですか」

「うん?」

 祖父の目が私たちの背後に動いた。

 振り返ると、そこには気配を消して立っている執事がいた。


「立ち聞き、盗み聞きは執事のさがだ」ミケーレが言う。「扉は開いていたから、漏らさず聞こえたはずだ」

 彼の言葉を聞いて、執事が恭しく礼をした。

「……漏らさず……」


 ということは。私がエミールを好きだということも!?

 そうか、だからあのときミケーレは目を泳がせて躊躇ったのか!


 昨日から私は家族全員に、失恋したとバレていたんだ!一生懸命に隠していたのに!


「気づいていなかったのか」とミケーレ。「これだから……」

 彼はそこで言葉を切り、口を閉じた。きっと否定的な言葉か平民と言おうとして、止めたのだろう。


「リオネッラ」と祖父。「執事はそういうものだ。心得ておくように。それで、リオネッラ、ミケーレ」

 私たちは祖父に向き直った。

「跡継ぎの件は保留にする」

「保留、とは?」

 ミケーレがやや強い口調で問うた。

 そこで祖父は初めて、表情を緩めた。


「リオネッラは望んで跡を継いでくれるものだと思っていたが、そうではなかった。ミケーレも自身が望んでのことではない。ブライアンの不始末を、望まぬお前たちに尻拭いさせる訳にはいかぬ。あやつをそのような人間に育てた我々が悪いのだからな」


 義母が懸命にうなずいている。


「いずれはどちらかに継いでもらうが、今は気にせず好きな道を進んでよい。リオネッラが平民を婿にしようが、働こうが文句は言わぬ。ミケーレが研究者になるなら止めはせぬ」


 私たちは顔を見合わせた。それからミケーレが祖父に向き直り、

「その時が来て、もし私たちのどちらも継ぎたくないと主張したらどうなるのですか」

 と、先ほどと違い、落ち着いた声音で尋ねた。


「その時はその時だ。玄孫だろうが遠縁だろうが、どこかには爵位を欲しがる者がいるだろう。いなければモルコット家は終いにする。ブライアンだけ好きにさせておいて、お前たちだけモルコット家に縛るのは筋違いだ」


 祖父はふっと年相応の老いた顔を見せた。

「ブライアンの不始末、と言ったが。跡取りをそのように育てた私の不始末だな」




 ◇◇



 こうしてモルコット家の跡取りについては、保留となった。祖父の後に義父がいるのだから、私たち世代が当主問題に直面するのは、まだ何十年も先だ。


 ミケーレと私の関係は以前と変わった。彼の態度は変わらず上から目線だったけれど、私が止めてほしいと頼んだ言葉は言わなくなった。話す内容も、授業や趣味、将来についてが多くなり、意見を交わせるようになった。


 おまけにミケーレは、エミールとユーディリアへの態度も改めた。彼らを平民とか商人と呼ばなくなったのだ。


 そうして楽しく私たちは過ごして、そのまま学校を卒業。私は婚約者を決めないまま、貴族の娘としては異例の就職を祖父の店にして、ミケーレは隣国へ留学した。




 ◇◇




 まだ残暑が厳しい午後。

 以前ミケーレがケーキを買って来てくれていたお店の喫茶室に、私はいた。

 向かいには彼の元担任教師。つい先日帰国したばかり。長期休暇を使って、ミケーレのいる大学に短期留学したのだ。


 手紙を預かって来てくれたので、それを受けとるついでにあちらでの様子を教えてもらう。


 ミケーレが旅立ってからまだ半年程度だけれど、ひと月に一往復は手紙のやり取りをしている。私は書きたいことが沢山あるし、ミケーレの手紙はかなり心待ちにしている。

 彼は手紙だと人格が変わるらしい。言葉遣いも視点も丁寧で優しい。


 それがおかしくもあるし、淋しくもある。


 給仕がケーキを運んで来たので、読み終えた手紙をしまった。

 大好きなすぐりジャムのチーズケーキ。

 ミケーレが買って来ることがなくなってしまったので、今は自分で買うか食べに来るかしかない。


 一口食べてその変わらぬ美味しさを堪能していると、教師が私を目を細めて見ていることに気がついた。


「君は本当にそのケーキが好きなんだね」

『本当に』との言葉が引っ掛かった。私が不思議な顔をしていたのだろう、教師は

「ミケーレが話していたよ」と続けた。「君はこのケーキに目がなくて、何種類持って行こうが、必ず最初にこれを選ぶってね」


 ……そんな話は聞いていない。ミケーレは私がこのケーキを好きだと、いつから気づいていたのだろう。


 何故か胸が痛くなった。


「とても幸せそうに食べるとも言っていたな」と教師。


 それから急に美味しくなくなったケーキをもそもそ食べながら、留学中のミケーレの様子を教えてもらった。

 店を出て別れ際、教師は

「僕が口を出すことじゃないけれど」

 と、いつか聞いたようなフレーズを口にした。


「彼が留学する前に聞いたんだ。何故、伝えないのか」彼は真正面から私の目を見た。「『従兄としての親愛しかもたれていない。まるで気づかれていない。今の関係を壊したくない。だから、これでいい』」


 ……なんだか覚えのあるセリフだ。


「手紙を読む君は嬉しそうに見えた。君に想う相手がいないのなら、あの時彼が、どうして夢を諦めてまでモルコット家を継ぐと言ったのかを、考えてあげてほしい」




 ミケーレは一体いつから、私を見ていたのだろう。

 私はそんな想いを向けてもらえるような、可愛げのある娘だったろうか。


 とてもそうには思えない。



 ◇◇



 たどたどしい異国語で、応接間でご婦人とお喋りに興じていると、玄関扉が開く音がした。

 ご婦人は、今度は誰かしらと腰を上げて見に行く。


 ここは隣国。ミケーレの下宿先だ。大学に通う学生が幾人か住んでいるらしい。ミケーレはそのひとり。

 私は今、彼の帰宅を待っている。彼には内緒でやって来た。


 正直、すごくドキドキしている。

 迷惑がられたらどうしよう、とか。

 もう素敵な恋人がいたらどうしよう、とか。

 不安なことばかり、頭に浮かぶ。


 と、ここの主である先ほどのご婦人が戻って来た。その後ろに、ミケーレ。

 目が合うと彼は驚きの表情で固まった。


 ご婦人は手にしていた新しいお茶をさっとテーブルに出すと、ごゆっくりどうぞと微笑んで部屋を出て行った。

 ミケーレは棒立ちのまま私を見ている。


「驚きすぎじゃない?」

 そう声をかけると彼は瞬いて、リオネッラ?と呟いた。

「そうよ」

 仕方ないので立ち上がり、彼の前に立った。緊張で心臓が爆発しそうだ。

「どうしても伝えたいことがあったから、来ちゃった」

 そうか、とミケーレは言って大きく息を吐いた。


「あのね、ミケーレ」

 と声をかけてから、まだ挨拶をしていないと気づいたけれど、もういいや。

「私、あなたが好きなの。結婚してもらえないかしら」

 彼の目が見開く。

「お祖父様にも他のみんなにも許可はもらったの。あなたに婿に入ってもらって、いずれ爵位を継いでもらいたい。だけれどあなたの夢を諦めてなくていい。研究者になって構わない」

 一度、唾を飲み込む。

「だから、駄目かしら」


 ミケーレはじっと私を見ている。

「そうか」

 とまた呟く。

 それから彼は私に腕をまわして抱きしめた!

「なんて都合のいい夢だ。疲れすぎか」とミケーレ。

「ミケーレ?あのね、」

「リアルだな、リオネッラが温かい」

「私、本物よ」

「ああ、分かっている。いつもの夢だ」


 いつも?

 そんなに私の夢を見てくれているの?

 嬉しくなって、彼を見上げると


「どうせここで目が覚めるんだ」

 と彼は呟いて、キスをした!

「あれ、覚めん」まばたくミケーレ。「いい夢だ」

「ミ、ミケーレ」声が震える。「夢じゃないのだけど」


 彼はまじまじと私を見て。

「……夢、だよな」と呟いた。「リオネッラが好きなのはエミールだ」

「違うわ!前はそうだったけれど、今は」もぞもぞと動いて、きつい締めつけから腕を出すと彼の両頬を掌で挟んだ。「ミケーレ、あなたが好きなの。私と結婚してほしい。あなたがいいのよ!」


 ミケーレの顔が徐々に赤味を増す。


「……現実?」

「そうよ、早くあなたに伝えたくて、家族に無理を言って連れて来てもらったの」

 義両親と祖母には拝み倒して、他の部屋で待ってもらっている。だって親の前で告白なんて、恥ずかしすぎるから。

 両手を下げて、そっと彼の胸に添えると、激しい鼓動が伝わってきた。


「……よ……」

「『よ』?」

「よ、ようやく、俺の素晴らしさに気がついたのか!遅すぎる!」

 上から目線でそう言ったミケーレの顔は真っ赤だ。

「結婚してくれる?」

「当たり前だ、俺にふさわしいのはお前しかいない」


 それから彼ははっとした顔になった。

「……俺はさっき、あれこれ声に出していただろうか?」

「ええ、『いつもの夢』って言ってたわね」

「忘れろ、今すぐ!」

「嫌」


 ミケーレは顔を反らした。こちらに向いた耳も赤い。

 すぐに顔は戻って来た。


「リオネッラ」

「ええ」

「好きだ」

「ええ!」

「キスをし直してもいいか」

 すごく真剣な顔。

「望むところよ!」



 ミケーレは声を上げて笑い、お前のそういう気風の良さが好きだ、と楽しそうに教えてくれた。





お読みくださり、ありがとうございます。




関連作品。

短編 『婚約破棄が連れて来た遊び人』


ことの発端である坊っちゃんの婚約破棄。その破棄された側の令嬢が主人公です。

坊っちゃんが少し登場するだけで、リオネッラ、ミケーレは出ていません。


合わせお読みいただけたら、幸いです。



◇◇


その他の関連作品


・短編『「婚約破棄だ!」と叫ぶのは……』

キャロラインとハンスウェルの話 (コメディ)


・短編『遊び人の卒業』

レーヴェンの話


・『真実の愛はどこにある?』

リオネッラとミケーレの話


・『結婚相手の探し方』

アントンとチェチリアの話



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― 新着の感想 ―
[一言] ミケーレ君の不器用さというか、素直になれない感じが思春期男子みたいでほんわかしました。この後二人は爵位を継いで幸せになるんでしょうね。
[一言] 悲壮感なくとても楽しく読めました!照れるヒーローはよいものですねぇ。 面白かったです。
[良い点] 坊っちゃん可愛いw [一言] ブライアン坊っちゃんとはまた別の坊っちゃん具合がヤバカワw ブライアン坊っちゃんには呆れしか無いのに、こっちの坊っちゃんには萌えしかないのは何故だろう。 大…
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