#7 エピローグ
畳張りの和室にはやわらかい光が差し込んでいた。目を細めなければならないほどのまぶしさではない。窓にはめ込まれた障子が太陽の光を遮って、ぼんやりと白く輝いているようだった。
そこにひとり、男性が座っていた。彼の右腕があるべき空間には何もなかった。シャツの袖がしぼんでいる。この男性には片腕がないようだった。
彼の目の前には木目が黒く浮き出た茶色い机があった。ずっしりとした重さを感じさせる、和室用の背の低い机だ。その上にスマートフォンが載っていた。
彼は机の前で、しきりに手を動かしていた。
どうやらスマートフォンを机に載せたまま、片手で操作しようとしているらしい。なかなかうまくいかないようだったが、あきらめることなく熱心に画面を触っている。
しばらくするとメールの画面が開いた。すると彼はゆっくりと呼吸をして背筋を伸ばし、さきほどまでよりも丁寧に、まるで乱暴に扱ったら壊れてしまうとでもいうような手つきで、操作を再開した。
メールBOXを開き、保護されたメールのフォルダを開いている。
フォルダに保存されているのは、たった一通のメールだけだった。
***
From:アユミ
件名:久しぶりです
久しぶりです。
元気ですか?
私は大学に通い始めて、二ヶ月経って、一人暮らしにも慣れてきました。
東京は人が多いです。私たちの暮らしていた町とは全然違いますね。それにもようやく慣れてきた気がします。
こちらは元気にやっています。ご飯も食べています。
毎日自炊しているんですよ。私が! 意外でしょう?
大学で友達もできました。授業で一緒になる子が何人か。女の子ばかりですけどね。
チカちゃんという子と一番仲が良くて、休みの日に買い物に行ったりしました。とってもかわいい子です。
あとは大学とマンションの往復です。
授業で調べなければならないことも多いので、図書館にもよく通っています。
まだ知り合いが少ないので、寂しいですね。アルバイトをしたらお友達も増えるかな、と考えています。
こちらにきてからペットを飼い始めました。
イグアナです。びっくりしましたか?
名前はタツオといいます。緑色の模様がとってもきれいです。
今度、私と一緒に映った写真を送りますね。
昔から爬虫類を飼ってみたいと思っていたんです。マンションを選ぶときもこれを考えて、ペットが飼えるところを選んでいました。
私のそういう話も、今まであまりしてきませんでしたね。
そうだ、今度お母さんと一緒に、こちらに出てきませんか? みんなでご飯を食べに行きましょう。
元気な姿を見せたいです。
おいしいお店を探しておきます。お父さんが食べやすいものがいいですよね。
どんなものが食べたいですか?
お父さんの好きなものは何ですか?
教えてください。
こちらにきてから、いろんなことを考えたり、思い出したりしました。大学生だから、時間はたっぷりあります。
お父さんと話したいこともたくさんあります。
いままで何も、話してきませんでしたよね。
私が話そうとしませんでしたね。
これからはもっとお父さんと話したいと思っています。
いままでメールの返信をしなくてごめんなさい。
もう心配しなくていいからね。
これからは返信するからね。
電話をしてもいいからね。
会いに来るときは連絡してくれれば迎えに行くからね。
いままで自分のことしか考えていなくてごめんなさい、お父さん。
***
長い時間がたったようだ。
男性はゆっくり時間をかけて、メールを何度も何度も読み返していた。
うつむいているせいで表情ははっきりとしない。
だが、その肩は震えているようだった。