第4話 モブ、「私と一緒だと、迷惑?」に一瞬で折れる
朝、スマホを見て固まった。
橘からのLINEが3件。昨夜の『おやすみ、水野くん!明日ね!』で終わったはずの通知欄が更新されている。
『今日の昼も屋上行くね!』
『あ、あと大事な話あるから!』
『楽しみにしててね!』
大事な話。
この四文字が、朝7時の俺の胃をピンポイントで抉ってくる。
いや、やめろ! 橘の「大事な話」は、俺にとって「大惨事の予告」と同義なんだよ! まだ知り合って数日しか経ってないのに、なんで俺こんな法則見い出しちゃってんの!?
「……学校行きたくねえ〜!!」
ベッドの上で叫んだ。
だが、休めば橘は確実に探しに来る。満面の笑みで自宅まで来る。そして噂のスケールが学園を飛び越えてご近所まで拡大する。
逃げ場がなさすぎるぞ……!
◇
昼休み。屋上。
矢野と二人でポテチをつまんでいると、予想通りの足音が階段のほうから聞こえてきた。
がちゃ。
「水野くん!」
橘が屋上に現れた。今日も息一つ乱さず、弁当箱を片手に持って一直線にこっちに向かってくる。
もう驚かない。驚いたら負けだ。
「……よう」
「今日は落ち着いてるね。余裕じゃん!」
「余裕じゃなくて諦めだ」
橘はいつものようにすとんと俺の隣に座った。
フェンス際のアスファルトに、弁当箱ひとつ分の隙間もなく。
なんでこいつは毎回この距離感なんだ。屋上って結構広いぞ。
矢野はポテチの袋を傾けて残りを確認しながら、視線だけこっちに寄越した。
「定位置できたな」
「できてない」
「もう二日連続だけど」
「カウントすんな」
◇
橘が弁当を開いて、しばらく穏やかに食べ進めたあたりで——来た。
「はい、水野くん。卵焼き、食べる?」
橘が割り箸で摘んだ卵焼きを、なんの躊躇もなく俺の口元へ突き出してきた。
「……いや、距離感! なんでそんな自然に口元まで持ってくんだよ!」
「え? 普通でしょ? ……それよりね」
俺が全力で引いたのを見て、橘は卵焼きを自分の口に放り込み、スッと居住まいを正した。
またあの「大事な話」の顔だ。
俺は箸を止めた。
「……なに」
「今週の土曜、空いてる?」
「は?」
「打ち合わせしたいの」
打ち合わせ。
「打ち合わせって、何の」
「彼氏っぽいこと!」
弁当のおかずが喉に詰まりそうになった。
「けっ……っ!?」
「だって、お兄ちゃんがまた来るかもしれないでしょ? その前に、ちゃんとカップルっぽい振る舞いを練習しておかないと」
橘がスマホを取り出して、兄からのメッセージ画面を見せてくる。
『彼氏の件、近々確認しに行く』
『どのような人物か、把握する必要がある』
『逃げるな』
一行一行、圧がやばい。特に最後の『逃げるな』、もう文字が殴ってくる。
「……橘」
「なに?」
「この最後、もう脅迫文にしか見えないの俺だけか?」
「お兄ちゃんはちょっと心配性なだけだよ!」
「心配性な人はLINEで『逃げるな』って送ってこないから!」
「だからさ、ちゃんとしておきたいの。一緒にお出かけして、カップルっぽい写真とか撮って、お兄ちゃんに見せれば安心するかなって」
橘は真剣だ。
目がまっすぐすぎる。冗談で言っている顔じゃない。
「いや、それ——」
「大丈夫、変なことしないよ? ちゃんと目的があるんだから!」
「いやだから——」
「偽彼氏の打ち合わせ! 当然でしょ?」
「当然って言い方やめろ! 全然当然じゃないから!」
「細かいことは気にしない!」
出た。
「細かくねえ!!」
「じゃあ何が問題なの?」
「問題しかないだろ! 俺とお前がカップルっぽい写真撮って、兄にそれ見せるって——どこから突っ込めばいいかわかんねえよ!」
「大丈夫! 私、こういうの得意だから。自然にできるよ、任せて!」
「なんの根拠で得意って言ってんだ……!」
「だから、練習すれば完璧だって!」
練習って何するつもりなんだよ……!
矢野がポテチの最後の一枚を口に放り込んで、ぼそっと言った。
「まあ、デートはアリじゃね?」
「お前もかよ!」
「だって面白いじゃん。一般人は経験できないコンテンツだろ、これ」
「コンテンツとして消費すんな! 俺の人生だぞ!」
「知ーらね。まあ、頑張れよ」
矢野はそれだけ言って、空になったポテチの袋をくしゃっと丸めた。
援軍ゼロ。味方ゼロ。この屋上に俺の味方は一人もいない。
橘が両手を合わせて、また懇願のポーズを取った。
「お願い。土曜日だけでいいから!」
「……だから、それやったら完全にただのデートだろ」
「……」
俺がマジなトーンで渋ると、橘はピタッと動きを止めた。
そして、急に弱々しい上目遣いになる。
「……私と一緒だと、迷惑?」
喉が、一瞬止まった。
これだ。この「拒絶されるのが怖い」みたいな目。
いつも強引なくせに、こういう時だけ急に不安そうな顔をする。
反論はいくらでもある。でも、このギャップを見せられると全部吹き飛ぶ。
断れない自分が、また恨めしい。
「……わかったよ」
「やった!!」
「ただし——」
「決まりだね! 土曜10時、駅前。私服で来てね?」
「人の話を最後まで聞け!!」
条件を言い終える前に、橘はもう予定を確定させていた。こいつの耳は都合のいいセリフしか受信しない仕様なのか。
◇
嵐が去った屋上で、残りの弁当を片付けていると、矢野がスマホをいじりながら口を開いた。
「打ち合わせ、ね」
「うるせえ」
「カップルっぽい写真撮ろうとか言ってたけど、それ普通にデートだからな?」
「違う。打ち合わせだ」
「お前がそう思いたいのは勝手だけど」
矢野がちらりとこっちを見た。
ニヤニヤではなく、妙に落ち着いた目で。
「休日に私服で駅前って、お前それもう偽じゃなくね?」
「……」
返す言葉がなかった。
◇
5限の予鈴が鳴って、屋上を後にする。
階段を降りて3階の廊下に出ると、ちょうど橘がD組の方へ歩いていくところだった。
こっちのクラスを覗きに来て、もう戻るところらしい。
「じゃあね、水野くん。土曜日ね!」
廊下中に響くアイドルの声。
すかさず、周囲を歩いていた生徒たちの足がピタッと止まり、一斉にこっちを見た。
「土曜って……デートかよ」
「すげえ、マジなんだなあの二人……」
違うから! 偽彼氏の打ち合わせだから!
——と叫べるわけもなく、俺はただ胃を押さえることしかできない。
俺の葛藤を華麗にスルーして、橘は軽い足取りで去っていった。
やめろ! 満面の笑みで帰るな! 誤解が加速するだろ!!
その背を見送りながら、ふと——視界の端に何かが映った。
廊下の向こう。橘が通り過ぎたあたりに、ショートカットの女子が立っていた。
こちらを見ている——ような気がした。
しかしすぐに人の流れに紛れて、その姿は消えた。
……まあ、気のせいだろ。
俺は教室に戻った。
◇
その夜。
スマホを開くと、橘からLINEが来ていた。
『土曜日の打ち合わせ内容まとめ!』
タップすると、箇条書きが出てきた。
『① カップルっぽい写真を撮る(自然な感じで!)
② 一緒にご飯食べる(カフェとかいいよね!)
③ お揃いのキーホルダーとか見てみたい!
④ 楽しむ!!!!』
④番。
④番がもう完全に打ち合わせじゃない。
俺は震える指で返事を打った。
『④は打ち合わせの項目じゃないだろ』
3秒で既読。
『細かーい! 楽しみにしてるね! おやすみ〜』
やたらテンションの高いウサギのスタンプが送られてきた。
俺はスマホを裏返して机に置いた。
——打ち合わせだ。あくまで打ち合わせ。
偽彼氏の作戦会議。それだけだ。
……なのに、なんで俺、土曜日に着る服のことなんか考え始めてんだ。
「考えてない」
誰もいない部屋で否定した。
説得力は皆無だった。
……とりあえず、明日クローゼットの奥からマシなシャツを探し出しておこう、たぶん着ないけど。




