第104話 悠真、泣いて笑って高校を卒業する
「卒業生、退場」
マイクの声に、前の列の生徒たちが立ち上がった。
俺も椅子を離れ、体育館の出口へ続く列に入る。
三月に入って最初の週。卒業式が終わった。
拍手の中を歩くのは落ち着かない。足元を見かけて、顔を上げた。
並んだ椅子の向こうに、知っている先生の顔がある。
軽く頭を下げると、向こうも笑って頷いてくれた。
出口まで来ても、まだ後ろから拍手が聞こえる。
渡り廊下へ出ると、先に出た連中がもう喋っていた。
「水野、四階まで戻んの、最後だな」
松井に言われて、俺は校舎を見上げた。
「そう言われると、ちょっと惜しいな」
「普段は長えって思うのにな」
「今日も長いのは長いだろ」
松井が笑った。俺も笑いながら、本館へ入る。
階段を上がっている間に、体育館の音は聞こえなくなった。
◇
「それじゃあ、みんな。卒業、おめでとう」
相沢先生が、教室を見回して言った。
最後の挨拶で頭を下げると、あちこちから「ありがとうございました」が重なった。
顔を上げたあとも、すぐには鞄を持つ気になれなかった。
もう、次の連絡はないのか。
机に置かれた卒業証書を開く。
さっきも見た自分の名前が、ちゃんとそこにあった。
「水野、専門でも頑張れよ」
松井が鞄を肩に掛けながら、俺の机の横へ来た。
「おう。ありがとな」
「俺、焼うどんしか一緒に作ってねえけど」
「結構作っただろ、あれ」
「食ったしな」
近くで帰り支度をしていた相原さんも、顔を上げた。
「私、あの焼けたところ、また食べたいな」
「最後までそこなんだな」
「おいしかったんだもん。じゃあね、水野くん」
「ああ。またな」
二人が別の席へ声をかけに行く。
俺は証書を閉じ、折れないように鞄へしまった。
教室の前では、何人かが先生と写真を撮っている。
紗月も友達に手を振ってから、宮田と一緒にこっちへ来た。
「悠真、先生と撮ってきた!」
「おう。よかったな」
「うん。玲奈、あとで送ってね!」
「送る。紗月のやつも、ちょうだい」
宮田はスマホをしまいかけて、教室を見た。
「……帰る準備、できちゃったね」
紗月も、肩に掛けた鞄を見下ろした。
「うん」
「もっと時間かかると思ってた」
「私も。まだ何か、ある気がする」
机の横に掛けっぱなしの袋も、置いて帰る教科書もない。
俺も机の中へ手を入れて確かめたけど、指に触れるものはなかった。
「紗月と、次は別の学校か」
宮田が言った。
「……中学から、ずっと一緒だったのにね」
「うん。来たら、玲奈がいたもんね」
紗月が宮田の袖を掴む。
宮田はその手を見て、少し笑った。
「中学のとき、近いって何回言ったんだろ」
「高校でも言ってたよ」
「今も近いし」
「……だって、寂しいんだもん」
紗月の声が、途中で小さくなった。
宮田が口を開きかけて、閉じる。
「あたしも、寂しいよ」
そう言った宮田の目から、涙が落ちた。
本人も慌てたように、指で目の下を拭う。
「……やだ。泣くつもりじゃなかったのに」
「玲奈あ……」
紗月が抱きついた。
宮田もその背中へ腕を回す。紗月の顔が宮田の肩に隠れて、鼻をすする音がした。
俺は鞄の持ち手を握ったまま、二人のそばに立っていた。
教室の向こうでは、まだ写真を撮ってる。笑い声もする。
ああ。俺も、もうここに通わないんだな。
目の奥が熱くなった。
下を向いたら、机の端がぼやける。
「……悠真」
顔を上げると、紗月がこっちを見ていた。
頬に涙が残っている。
「お前ら見てたら、俺まできた」
「見てなくても、寂しいでしょ」
宮田に言われて、俺は頷いた。
「……うん。寂しいな」
自分で言うと、余計に喉が詰まった。
もうちょっと、普通に出ていけると思ってたんだけどな。
紗月がハンカチを出し、宮田も自分のを目に当てた。
俺も目元を拭って、息を吐く。
「日曜、会うんだけどね」
宮田が言うと、紗月は濡れた顔で笑った。
「うん。会う!」
「そこで今日の話したら、また泣きそう」
「じゃ、ゲームの話するか」
俺が言うと、宮田がこっちを見た。
「水野が負けた話?」
「そこだけじゃねえだろ」
紗月が笑って、もう一度ハンカチで頬を押さえた。
俺も笑ったら、少し鼻声になった。
宮田がスマホを取り出し、矢野へ終わったと送る。
俺たちが先生に挨拶をして廊下へ出たところで、矢野も自分の教室のほうから来た。
「お待たせ」
「今出てきたとこ」
宮田が答えた。矢野はその目元をちらっと見たが、何も言わずに隣へ並んだ。
それから、俺の鞄へ目をやる。
「証書、入った?」
「ぎりぎりな」
「俺、閉まんなくてさ」
矢野の鞄から、証書の端が出ていた。
「無理に閉めんなよ」
「卒業した日に折りたくねえしな」
「なら、押し込もうとすんなって」
俺が笑うと、矢野も手を離して笑った。
「おー、水野、矢野! 卒業おめでと!」
廊下の先から、藤川の声がした。
中村さんも一緒だ。二年のときのクラスの連中と顔を合わせると、そっちの教室まで思い出す。
「お前らもな」
矢野が片手を上げる。俺も藤川へ声を返した。
「近いから、そんな声張らなくても聞こえるぞ」
「最後だし、ちゃんと言っとこうと思って!」
「いつもその音量だったろ」
「そうだった?」
中村さんが横で笑った。
「そうだったよ。水野くん、よく覚えてるね」
「忘れらんねえよ、あれは」
藤川まで笑い出した。
またな、と手を上げて、俺たちは西側の階段へ向かう。
下りる前に、三年B組の開いたドアを振り返った。
まだ、みんなの声がしている。
俺も手を上げると、中にいた松井が気づいて手を振ってくれた。
◇
上履きを袋に入れて、靴箱の扉を閉めた。
外へ出ると、拍手と「おめでとうございます」の声が、一気に近くなる。
正門まで続く人の間を、四人で歩いた。
去年は端で見てたのに、今日は俺が通ってる。
どっちを見ればいいか迷っているうちに、よく知った声がした。
「先輩!」
正門に近いところで、柊が手を上げていた。
隣には、文化祭で一緒に焼うどんを買いに来た小早川さんもいる。
「お、柊」
「ご卒業、おめでとうございます」
柊が頭を下げる。小早川さんも「おめでとうございます!」と続いた。
後ろから来る人に道を空けて、門の内側の脇へ寄る。
「ありがとな。会えてよかった」
「はい。私も、お話ししたくて」
柊は俺を見上げ、鞄の持ち手を両手で持ち直した。
「委員のときから、色々ありがとうございました」
「俺も助かったよ。去年も、今年も」
「……ありがとうございます」
柊の口元が、少し緩んだ。
目が合うと、きちんとこちらへ向き直る。
「学校で会えなくなるのは、寂しいです」
「そうだな。俺も、変な感じだわ。まだ来そう」
「来年は、私たちがそっちなんですよね」
小早川さんが俺たちを見て言った。
紗月が頷く。
「うん。早いよねえ。私、まだ制服着たいもん」
「着るだけなら着られるだろ」
「学校来たいの!」
俺が返すと、紗月は笑いながら言い直した。
「柊さん、学校のこと、また聞かせてね!」
「はい。橘先輩の大学のお話も、聞きたいです」
「話す! 柊さんも、あれから調べてる?」
「はい。子どもの遊びの授業、学校によって色々あって。次は、実際に見に行ってみたいです」
「いいね! 私も、行ってみて面白かったよ。話してる学生さんに聞けたりして!」
「それも、してみたいです」
柊が頷く。小早川さんは、その横でスマホを出した。
「先輩たち四人の写真、撮りましょうか?」
「撮りたい!」
紗月が俺の袖を引く。俺も、鞄を足元へ置いた。
「頼んでいい?」
「はい!」
「あの、その前に」
柊が、自分のスマホを胸の前に持った。
俺へ顔を向ける。
「先輩と、一枚撮ってもいいですか」
「俺と?」
「はい。一緒に学校にいた記念に、残したくて」
言い終わっても、柊は俺を見ていた。
俺と撮った写真を、残したいって言ってくれるのか。
……嬉しいな。
「おう。撮ろう」
俺が隣へ立つと、柊は小早川さんへスマホを渡した。
「奈々、お願いしていい?」
「うん。じゃあ、二人とも、こっち見てください」
柊が髪を耳へ掛けて、前を向く。
俺もスマホのほうを見た。
「撮ります。はい、チーズ!」
撮り終えた小早川さんが、画面をこちらへ向ける。
制服姿の俺と、少し肩を上げて笑っている柊が写っていた。
「……よかった。ちゃんと撮れてる」
柊が小さく言って、スマホを受け取った。
もう一度画面を見てから、俺へ頭を下げる。
「ありがとうございます。大事にします」
「俺もその写真、欲しいな。LINE、交換していいか?」
「はい!」
さっきより明るい返事に、俺も笑った。
スマホを出して連絡先を交換すると、柊がさっそく写真を送ってくれた。
「じゃあ、次、四人お願いします!」
小早川さんが言うと、紗月がさっそく俺の隣へ来た。
自分のスマホを小早川さんへ渡して、俺の腕にくっつく。
宮田と矢野も鞄を脇に置いて並ぶ。
「紗月、寄りすぎ。水野が向こう行っちゃう」
「行ってないよ!」
「押されてはいる」
俺が言うと、紗月は笑って腕の力を緩めた。
でも、肩はくっついたままだ。
「悠真、顔硬いぞ」
反対の端にいる矢野が言ってきた。
「普通だろ」
「証明写真じゃねえんだから」
「お前だって、なんか格好つけてるじゃねえか」
矢野は少し顎を引いたまま、口元だけ上げている。
さっきまでの顔と違いすぎんだろ。
「宮田、今のうちに見とけよ。日曜には戻ってるぞ」
「今も見えてる。横でやられると、笑うからやめて」
「俺の顔だけで?」
矢野が宮田を見る。その顔に、俺が先に噴き出した。
「悠真、笑ってんじゃねえよ」
「だってお前、まだ顎引いてるし!」
紗月も俺の腕を掴んだまま笑い出す。
宮田が矢野の袖を引いて、スマホのほうへ向けた。
「ほら、前。撮ってもらうんでしょ」
「あ、今のも撮れました!」
小早川さんの声に、四人でそっちを見る。
「えっ、見たい!」
紗月が覗きに行くので、俺たちも続いた。
画面の中で、俺は口を開けて笑っている。紗月は俺のほうを向いていて、宮田まで笑っていた。
矢野だけ、文句の途中みたいな顔だ。
「これ、いいね!」
「俺、全然よくねえんだけど」
矢野の抗議に、宮田が画面を指した。
「さっきより、こっちのほうが好き」
「……じゃ、それでいいわ」
「いいのかよ」
俺が言うと、矢野はこっちを見て笑った。
「いいんだよ」
うわ、言い切った。
紗月もにこにこしながら、もう一度写真を覗く。
俺も、これがいい、な。
笑いすぎてるけど、今日の俺たちって、こんな感じだろ。
紗月に写真を送ってもらい、俺たちは鞄を拾った。
柊もスマホをしまい、小早川さんと並ぶ。
「じゃあ、私たちはこれで。先輩、お元気で」
「柊もな。小早川さん、写真ありがと」
「いえ! 楽しかったです」
「柊さん、奈々ちゃん、またね!」
紗月が大きく手を振る。
門を出た二人がこちらを振り向き、もう一度手を振ってくれた。俺も手を上げて見送る。
紗月が手を下ろしたところで、少し離れた場所へ顔を向けた。
「あ、お母さん!」
ほかの保護者の人たちのそばに、お母さんが立っていた。
俺も紗月とそちらへ寄る。
宮田と矢野は、少し離れたところで話していた。
「お待たせ。今、写真撮ってたの!」
「見えたわ。楽しそうだったわね」
お母さんは俺にも目を向けてくれた。
「水野くん、卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
「紗月も。ちゃんと見られて、よかった」
「うん。来てくれてありがとう!」
紗月が鞄を抱え直した。
「教室でね、玲奈と泣いちゃった。悠真も!」
「俺まで報告すんのかよ」
「だって、一緒だったもん」
紗月が俺を見て笑う。お母さんも少し笑ってから、紗月へ向き直った。
「玲奈ちゃんとは、どんなお話をしたの?」
「もう別の学校なんだね、って。中学から一緒だったから。……帰る準備ができたら、寂しくなっちゃった」
「そうね。学校に行けば会えるのが、当たり前だったものね」
「うん。でも、そのあとまた笑ったよ。さっきの写真も見て!」
紗月がスマホを出す。
お母さんは画面へ顔を寄せて、紗月の話を聞いていた。
宮田たちも挨拶に来て、少し話してから、矢野が宮田を見た。
「そろそろ、行く?」
「うん。お腹空いたし、ゆっくり座りたい」
宮田は紗月へ手を振った。
「じゃ、日曜ね」
「うん! 玲奈、またね!」
矢野も俺へ手を上げる。
「またな、悠真」
「おう。また日曜」
二人が並んで門を出ていく。
俺たちも、お母さんと別れることにした。
「お母さん、私たちも行くね。帰ったら、また話す!」
「ええ。また聞かせてね。気をつけて」
「うん!」
紗月が手を振り、俺も頭を下げる。
門のほうへ向き直ってから、隣の紗月を呼んだ。
「なあ。ちょっと、ゆっくり帰らねえ?」
「うん。私も、そうしたい!」
紗月が俺の手を取った。
握り返して、一緒に正門を出る。
まだ、家へ送って終わりにはしたくない。
今日はもう少し、こいつと歩いていたかった。




