間章 エル・ミラージュの深淵へと、イリシュは向かう。
アネモネが帝国エル・ミラージュからのエージェントとしてジャベリンに派遣されているように、イリシュもまた、王都ジャベリンからのエル・ミラージュのエージェントとしての任務に就くようにロゼッタから言われていた。過去の重罪を温情で無罪にした為に、より強くジャベリンとロゼッタに忠誠を誓うようにイリシュは言われている。
「ロゼッタ様、最近、どんどん私に対しての扱いが酷いです…………」
偽装の処刑劇から、精神と体力を持ち直したと判断された後、さっそくイリシュは引き続きステンノー周辺の情報を探るように言われている。
ステンノーの方でも、イリシュを脅威と思っていないのか、自分や自分に仕える周辺の者達の情報を色々と教えてくれた。…………おそらくは、敢えて情報をイリシュに流す事によって、ジャベリンに対する圧倒的武力や経済基盤、テクノロジーの誇示を教え込む事が目的だろうが。
そういうわけで、空中要塞のドラゴンの背に乗って、再び海の向こうのエル・ミラージュに訪れたイリシュに対してステンノーは謁見の間で、満面の微笑を浮かべながら彼女を迎え入れてくれた。
「で。何から知りたい? 俺達のエル・ミラージュの事をもっと知りたいんだろう?」
ステンノーは脚を組みながら、イリシュを見下すような視線を送っていた。
彼の長い緑の髪は、彼を信望する付き人達の手によって綺麗に手入れされていた。彼はその手入れされた髪を時折、丁寧に撫でる。
……やはり、この男は怖い。
底が何処までも知れない。
ステンノーは、玉座の隣にあるテーブルの上に置かれた長方形のタブレットをイリシュに渡す。科学技術によるものなのか、それとも映像魔法を使っているのかは定かではないが、タブレットにはスクリーンが付いており、そこから映像を観る事が出来る。
既に映像が流れていた。
そこには、最新の医療設備が整っている場所だった。
患者が二人程、眠らされている。
患者の一人は、エル・ミラージュの国民と思われる肌の色をしており、もう一人は別の肌の色をしていた。黄色っぽい褐色の肌だった。
映像は途中から早送り気味になっていく。
イリシュが目にしたものは、褐色の肌の者が、エル・ミラージュの国民と思われる者に対して腎臓や眼球の細胞を移植されていく光景だった。
イリシュは愕然として、タブレットを取り落としそうになる。
ステンノーは慌ててイリシュからタブレットをもぎとる。
「落とすなよ。精密機械なんだ。壊したら、殺すよ?」
ステンノーは本気なのかどうか分からない口調で不快感を示す。
「あの…………。これ、一体。なんなんですか……?」
イリシュは訊ねる。
「見れば分かるだろ? 臓器移植。我がエル・ミラージュの国民で、不治の病や障害で苦しんでいる者達は多い。我が国の福祉政策の一環さ。だから、此処に来る難民や“貿易中”の他国の者達の中から志願者を募って、臓器提供を行って貰っている。……おっと、勿論、志願者の者達には、多額の金銭を渡しているし、心臓などを提供して貰う場合、家族にお金を渡している。彼らが暮らしていくには、充分過ぎる程の大金だよ。住んでいる場所によっては、一生、届かない金銭を得ているのかもしれないなあ」
ステンノーの表情は、眼球の奥に嗜虐心が満ちていた。
「これって………………」
イリシュは、上手く言語化出来ないが得体の知れない不快感に晒されていた。
「ああ。そうそう。国によっては、貧困による経済苦や、児童労働から解放されたい為に、安楽死を望む者達もいるみたいだからね。彼らは本当に、素晴らしい我が国のエネルギー源として働いてくれる。本当に彼らの存在は神様に感謝しないとね。あっと、本当は、俺も医療に携わりたいんだけど。王族と言えども、医師免許を持っていないから、現場に立ち入る事は出来ない。でも、医療ではなく“実験”の方には携わらせて貰ったよ。難民同士の臓器を入れ替える事とかにはさ。ああ、勿論、彼らは承諾して被検体になってくれている。だから、俺は人道に対しての罪はこの点は犯していないよね。……“国際法”の眼を掻い潜るのは大変だよねえ。でも、色々、試して頑張ってさ。我が国の平均寿命は延びたよ。重い病気で苦しむ人間が減って国民達から、沢山、感謝されたんだよね」
ステンノーはそう言いながら、腹を抱えて笑い始めた。
「貴方は何を言って……………………」
イリシュは、完全に硬直していた。
ステンノーは『静寂の魔王』以外という地位と称号以外にも、異名が幾つかあり“人間の呪い”や“生きた負の遺産”だったか。
「生きた人間の眼球や心臓を取り出した日の夜は、クランベリーの紅茶の味が美味しく、オペラが心地よく耳に伝わった」
ステンノーは、何処までも無邪気な程の満面の笑顔をしていた。
「ジャベリンのシスター。お前達、ジャベリンは、俺達エル・ミラージュの情報を知りたかったんだろう。だから、少し教えてあげたんだ。感謝してくれよな?」
そう言って、ステンノーは脚を組み直して、熱心に動画の続きを見ていた。
そして、時折、嘲り笑っているような表情を浮かべていた。
イリシュは、直感的に、眼の前のこの男は、何処までいっても“邪悪”なんだと感じた。
†
イリシュは兵器開発部門の総括をしている男とも会わせると言われて、兵器工場に連れてこられた。そこは巨大な軍事施設だった。大量の研究者達が並んでいる。
そこで熱心に、設計図を弄っている男がいた。
「おやおや。ステンノー様、戦争の時以来の直々のご訪問ですね。そちらの女は何者ですか?」
「ジャベリンからのエージェントだ。イリシュと言う」
紹介されてイリシュは軽く男に挨拶をする。
野暮ったいがどちらかというと整った顔立ちの男だった。赤髪を後ろで束ねている。
服装は汚れているが、意外にも無精髭は綺麗に反られ、眉は整えられている。
「彼の名はロトゥンという。我らがエル・ミラージュの軍事兵器の総括をしている。若くして認められている男だ」
「若いといっても、もう四十路近いですよ。俺は。ステンノー様」
そう言って、ロトゥンは苦笑する。
「そうか。君はジャベリンからのエージェントか。故郷はジャベリンか?」
この兵器開発部門の主任である男の瞳には、好奇心が滲んでいた。
「はい。正確には、ジャベリン内の辺境の村であるグリーン・ノームです」
イリシュは事務的に、そう答える。
ロトゥンはイリシュの手を握り絞めて、力強く握手する。
「バグナクとアプスヘルムとカシス・ロッドに撃ち込んだ核兵器を開発したのは、この俺だ。いいデータが取れた。空中要塞のドラゴン達を殺害した他民族を使った人間爆弾である“ドラゴン・スレイヤー”を開発したのも、この俺だ。以後、よろしくな。俺を覚えておいてくれっ!」
ロトゥンは、清々しいまでの満面の笑顔で告げた。
そこには、ステンノーのような嗜虐性や“ある種の歪んだ正義の正当化”さえ感じられなく、清々しいまでの“好奇心”や“純粋な遊び心”を抱かせるものだった。
イリシュは心の底から、ステンノー以上に、眼の前の男に対しての怒りを覚えた。
こいつは一体、なんなんだ? と。
「て、て、手を放して戴けませんか…………?」
イリシュは、ロトゥンから握り絞められた手を振り払う。
吐き気がする程、この男に対しての憎悪が込み上げてきた。
もし、ロゼッタやベドラムなら、外交面のリスクを一切無視して、迷わず眼の前の男に『固有魔法』をぶち込んでいただろう。
やはり、エル・ミラージュの者達は“人間の皮を被った化け物だ”と、イリシュは、絶望的なまでの断絶を感じた。
「イリシュ。この男は、他国の者達や、国内の反戦平和団体などから、この俺よりも罵詈雑言を浴びせられる事もある。彼の事はちゃんと、記憶しておいてくれ」
ステンノーはそう言って薄ら笑いを浮かべていた。
「ええ。一生、忘れないでしょうっ!」
イリシュは唇を噛み締めながら、赤髪の技術者に憎悪の視線を向けていた。………………。
†
その後、イリシュはステンノーに連れ回され、エル・ミラージュのあらゆる場所やあらゆる人物達と会わされる事になる。
結果、イリシュが抱いたのは“エル・ミラージュという国家”に対する、怒りを通り越した純粋なまでの絶望だった。ロゼッタかベドラムがその場にいたのなら、再度の戦争の勃発を覚悟で施設を破壊したり、この国のエリート達を殺害していたかもしれない。ダーシャも何らかの行動を起こしたかもしれない。平和主義者と言われているディザレシーでも、同じ事をやったかもしれない。
イリシュは今回、初めて、自らの心の弱さと、憎しみを抱く相手に物理的な危害を与える力が無い事を“幸運”に感じた。………………。




