間章 悪の王女、アネモネ。
「我々、エル・ミラージュは”バターより大砲”という言葉など無い。”バター(生活や福祉)と大砲(軍事力)”を両立させている国家なのです」
‐エル・ミラージュの公用道路に置かれたプロパガンダの看板-
アネモネは所謂、他国の一般的な道徳観で言う処の“悪”を止めない。
ジャベリンに肩入れして、医療と福祉政策を全面的に支援する事をエル・ミラージュの今後の方針に掲げた為に、彼女は他の王族達や極右的な市民達からは“ジャベリン派”と陰で批判されている。それでも、彼女はロゼッタ達に対しての何かしらの想いを抱いた為に、全面的に彼らの住まう場所を支援する事に決めた。
今は別の独裁国家であるコンロンの様子がおかしい。
兄であるステンノーや、他の王族達はコンロンをとにかく警戒している。
傭兵国家であるリトル・アーチも、混沌を極めているらしい。
歓楽都市マスカレイドは、波乱の世の今や絶好の機会とばかりに、王族同士の謀略や暗殺が行われているらしい。オリヴィという男は王族の関係者らしいが、彼は今後どうするのだろうか。
とにかく、アネモネは仕事に忙殺されていた。
「分身でも作れる魔法が欲しいですわねえ」
彼女はそう溜め息を付いた。
ちなみに、アネモネは通信機を使いながら、ジャベリン国内で仕事を行っている。
核を落とした三つの場所の住民達からは、相当な憎悪を向けられているだろう。もしかすると、この国にいると、いつ暗殺されてもおかしくない。
ジャベリンの王女であるロゼッタの方も、国家の復興の為に奔走している。
特に魔王サンテに破壊された海上都市スカイオルムの被害は、とてつもなく深刻だった。
「ふう。それにしても仕事は山積みですわね」
そう言いながら、アネモネは大量の書類を読み込んでいた。
アネモネの背後には、無数の血が点々としていた。
三人の黒尽くめの暗殺者達が現れて、特別大使として滞在している彼女を暗殺しに来た者達みたいだった。彼女は隠し持っていたナイフで、彼らの腕や脚の腱などを裂いて行動不能に陥れていた。
しばらくして、ロゼッタが入ってくる。
「血の臭いがすると思ったら、一体、彼らは何なの? アネモネッ!」
ロゼッタは驚愕とも怒りともつかない表情をしていた。
「さあ? バグナクとカシス・ロッドから来たと申していましたが」
「この人達、貴方達の手で、核爆弾を落とされた都市の人達の代表じゃないの? 貴方を暗殺する為に来たんじゃないの?」
ロゼッタは半ば呆れた口調だった。
「おそらく、そうですわねえ」
アネモネは飄々とした顔をしていた。
やはり、恨みの根は深い。
アネモネは屈んで、まだ意識のある暗殺者の一人に告げる。
「貴方が私を暗殺したとしたら、ジャベリンの未来はエル・ミラージュにとって無いものですわ。それに貴方の街の未来も、より酷い報復をエル・ミラージュから受ける事になりますわ。そうなっても構いませんの?」
そう言って、アネモネは丁寧に彼女を殺しにやってきた者の心をへし折っていく。
ロゼッタは、大きく溜め息を付いた。
「とにかく。医療が間に合っていなくて、医療班が過労死寸前よ。畑なんかも破壊されたし、スカイオルムの漁業もままならない。本当にどうしようかって感じね」
ロゼッタはうんざりした顔をしていた。
今や、ジャベリンとその周辺都市の世界的な評価は微妙な処だ。
核を撃たれた被害国で、世界各国の心ある市井の者達から支援物資は届いてものの、空中要塞とエル・ミラージュの支援こそがあるが、復興の目途がまるで立っていない。
そして、改めてエル・ミラージュは暴虐の限りを尽くした独裁国家として世界から恐れられ轟々たる非難を浴び、更にエル・ミラージュと戦った空中要塞も脅威の魔王軍として恐れられている。二つの国は、社会情勢的には孤立し掛かっていた。
「その際に、世界の覇権を狙おうと、続々と色々な国が動いているわね。コンロンがエルフの里を襲撃し、リトル・アーチが傭兵を募っていると」
ロゼッタはまた、大きな溜め息を付いた。
「マスカレイドも、政治的にかなり混乱を極めているらしいですわ。王族に近い者達が、謀殺されたと連日ニュースで聞きますわね。それよりも、貴方達と対立した事によって、エル・ミラージュの物価高騰が酷いですわ。此方も国民が血を流している」
アネモネは苛立たしく言った。
そう。
空中要塞のドラゴン達が、エル・ミラージュの兵士達に残した爪痕。
エル・ミラージュの工業地帯を爆撃した事によって、生産設備、物流が破壊されて、この独裁国家はかなり消耗しているのだ。反戦運動家達が悲鳴を上げながら、王都の周辺で行進を続けているらしい。
「そう言えば、アネモネ。革命軍や反乱分子達、政権批判する者達を粛清はしないのね?」
「我が国には、言論の自由がありますから。悪質な暴動の首謀者などでなければ、放置してますのよ」
以前、ロゼッタは、エル・ミラージュで起こる反戦運動や反政府運動に対してステンノーやアネモネ達が放置しているのを聞いて驚いたものだった。ジャベリンにおいては、危険分子は排除の対象となる。もっとも、今の処、辺境の国ジャベリンにおいて、革命を起こそうとする不穏分子は確認出来ないのだが。
「お互い、王女同士。大変ね」
「この肉塊達をどかして欲しいのですけどね」
アネモネは不快そうな顔で、瀕死の暗殺者を見ていた。
「後で、城の護衛兵達に言っておくわ。じゃあ、私は仕事に戻るから」
そう言って、ロゼッタは部屋から出ていった。
アネモネは気絶している三名の男達を見下ろしながら、小さく溜め息を付く。
自分は“悪”なのだと思う。
それは、身を持って知っている。
だが。エル・ミラージュの王女として、たとえ、王女の身を追われようとも、悪としての矜持を、エル・ミラージュの代表としての矜持を曲げるつもりは一切無かった。




