ネーデルラン皇国
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よろしくお願いします。
「見送りに行かなくて良かったんですか?」
「あぁ」
「そうですか」
「まだ船の上か?」
「着くのは午後になってからですよ」
「そうか」
ライはさっきからこの調子だ。執務室の窓から外をぼーっと眺めたままで仕事がちっとも片付いていない。
気になるくせに痩せ我慢して…………。
マリーたち一行は今朝ウェルペンを出港しネーデルラン皇国に向かった。マリー以外の学園からの参加者は生徒会長のコンラートと、ソフィー嬢、そして王立魔石研究所副所長の弟ランスロット。警護には近衛騎士とフレデリックもついた。あくまで帝国学院の見学だから組まれた旅程も2泊3日と短いものだ。
無事に帰って来い、マリー。
国王陛下に『寄り添う者』が見つかったという報告をする前に、俺はライに、父上はアーサー殿下に話をした。
俺がライの執務室を訪れると、何もかも知っているような顔したライが腕を組んで窓辺にもたれかかっていた。ライは静かに俺の話を聞くと「そうか」と短く呟いて、文字通り消えてしまった。妖精の姿になったのだろう。俺はライのいた場所を見つめて無言のまま立ち尽くした。罵りでも何でもいいから俺に心の内を明かして欲しかった。でも、それは許してもらえなかった。
アーサー殿下の方はどうだったのか……父上からは何も聞いていない。あれだけマリーを可愛がってくれた方だ、きっと辛いなんてものではないだろう。俺があの方の立場だったらどうしたろう。妖精の姿になれないというだけで王太子にもなれず、妖精の姿が見えたというだけでマリーを奪われる。妖精って一体何だとそんな物が何なんだと。
あの方がこの国を憎まないでくれればいいのだが……。
その後正式に国王陛下に『寄り添う者』が見つかったと報告をし、マリアンヌはラインハルト王太子殿下の婚約者になった。正式なお披露目は帝国学院の見学から戻るのを待って行うことになった。
この報告を受けてロートシルト公爵家は取り調べの真っ最中である。そしてミゲル枢機卿もまたその対象となった。特に教皇様のお怒りは収まる気配がなかった。神聖な聖水を軽々しく渡したのが余程許せなかったのだろう。
これでファティマ国内に関して言えば、マリアンヌの安全は保障されたと言える。残るはネーデルラン皇国だが、王太子殿下の婚約者になったことで近衛騎士を警護に付けることが出来た。そしてアーサー殿下の心遣いだろう、フレデリック様も同行している。
一方その頃、ネーデルラン皇国へ向かう船上では、デッキに設えられたテーブルで女性陣がお茶を楽しんでいた。
「ヘティ様、普段は随分と砕けた喋り方をされるのですね」
「だって疲れるだけじゃない。必要な時にちゃんと出来ればいいんだから」
「はぁ」
「ソフィーの喋り方はそれで地なの? 凄いわね、あなた」
「そうですわね。癖みたいなものですわ。なので余り気にしたこともありませんわ」
「はぁ」
私はヘティ様とソフィーのやり取りをただ聞いていた。ラインハルト王太子殿下の婚約者になったとは言うものの、書類上の事だけで何も変わっていない。そう、全く実感が湧いてこないのだ。ネーデルラン皇国に行きたいという我が儘にも許可が下り、こうして船上の人となっている。だから余計に、婚約者なんですよね?と思うのかもしれない。
婚約した件も含めて帝国学院の見学の事を、私は先ずソフィーに話しをした。ソフィーはいつもの如く何でもない事のように「マリー、おめでとう。ネーデルラン皇国には私も行きますわ」と軽く言った。
「それでマリー、あなたラインハルト王太子殿下の婚約者になったんですって?」
「はぁ」
「何よ、煮え切らないわね」
ヘティ様はテーブルに身を乗り出して私たちに方に頭を寄せると「それでアーサー殿下とはどうなったのよ。婚約するならてっきりアーサー殿下かと思っていたのに。何があったのよ」と小声で聞いてきた。
そう言われましても……何と説明したらよいやら。
するとやはり身を乗り出したソフィーが「ラインハルト王太子殿下がアーサー殿下に一騎打ちを申し出たのですわ」と小声で返す。
「えっ!?」
私が素っ頓狂な声を出すと「しーーーーっ」と二人に制された。私はこくこく頷いた。ヘティ様が堪らず「それでどうなったの」と先を促す。ソフィーは口の端を片方だけ上げてにやりとした。ソフィーがこんな笑い方が出来るなんて知らなかった。私は、本当にこれが親友のソフィーなのかと穴が空くほど見つめてしまった。
「この続きは今夜ですわ。ほらピレウス港が見えてきましたわ」
振り返った三人の目の前にウェルペンよりも大きな街が広がっていた。いよいよ、ネーデルラン皇国だ。私は思いきり息を吸い込んで、新しい人生に踏み出す決意をした。
ピレウス港に降り立った私たちは皇城に向かわれるヘティ様とお別れし、アーサー殿下が賜ったという『紫苑の宮』に向かうことになった。今回は正式な訪問という訳ではないため皇帝陛下へのご挨拶も不要とのことで、入国手続きだけで済ませることが出来た。
ネーデルラン皇国が用意した馬車は正式ではないと言っていた割に皇族の紋章の入ったもので、内装も手の込んだものとなっていた。
「随分と豪華な馬車をご用意頂いたのですわね」
「そうだねぇ」
どこにいても凛とした姿のソフィーに感心する。私なんかより王太子殿下の婚約者に相応しいのではないだろうか。
「マリー。あなた大丈夫ですの?」
「へっ?」
「アーサー殿下の事ですわ」
「……ソフィー」
ソフィーは全てを包み込んでくれるような優しい目をして私を見ている。
「私、正直に言うとよく分からないの。アーサー様は子供の頃から一緒でとても優しくて大人で、憧れだった。この前ソフィーと婚約の話をしたでしょ? あの時まで私、自分の将来について考えた事がなかった。もちろん、いずれは結婚して子供もできるだろうぐらいは想像したこともあったけど、どれも他人事だったんだと思う。私、子供だった」
黙って聞いていたソフィーが私を抱きしめてくれた。
「マリー、急に大人にならなくてもいいのよ。マリーはマリーのままでいいのよ」
ソフィーの言葉が胸にすーっと入っていく。
溢れてきた涙をソフィーがそっと拭ってくれた。
「マリー、見て! すごい建物よ。あれが『紫苑の宮』なのかしら…………アーサー殿下もマリー並みに困った方もしれないわね」
ソフィーが『紫苑の宮』だと言う声が聞こえたが、その後はごにょごにょと呟いていて何と言っているかよく聞き取れなかった。
馬車から降りた私たちは後続の馬車で来たコンラート会長とランスロット様と合流した。
目の前の『紫苑の宮』の華麗さに誰もが言葉を無くす。
「お待ちしておりました。それぞれのお部屋にご案内いたします。」
ずらりと並ぶ侍女の中から歩み出た侍女頭が丁寧に頭を下げた。
入口から続く回廊は一面紫の花をモチーフにしたモザイク画で埋め尽くされている。きっと『紫苑の宮』の由来なのだろう。しばらく歩いていくと行き止まりになり回廊は左右に分かれている。
「コンラート様とランスロット様は、左手に別棟がございますので、そちらに案内させて頂きます」
侍女頭の指示でもう一人の侍女が頭を下げると、コンラート会長たちを左手の別棟の方へに連れていった。
「マリアンヌ様とソフィー様はこちらです」
右側に進むと煌びやかな装飾に彩られた広間があった。回廊といい広間といい、凄すぎる。『紫苑の宮』と言われた時は皇城の離れの一室ぐらいのものかと思っていたが―――貴族の屋敷みたいだ。私たちは調度品の数々を横目にしながら広間を横切って、侍女頭の後をついていく。更に奥へと進んで行くと長い廊下に扉がずらりと並んだ場所に出た。
侍女頭は一番手前の部屋の前に立ち、ソフィーを案内する。
「ソフィー様はこちらへ。お荷物も運ばせておりますので、そのまま中でお寛ぎ下さいませ」
ソフィーは「わかりましたわ」と言って、私に頷くと部屋に入って行った。
「マリー様はこちらです」
侍女頭について更に奥へと向かっていく。どこまで行くのかしら。てっきりソフィーの隣の部屋だと思っていたのに……。
廊下の突き当りの扉を侍女頭が開ける。
するとそこは外で―――クリストファー皇太子殿下が立っていた。
「やぁ、マリアンヌ嬢。待っていたよ」
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