魔法研究家の実力
6月18日・朝 辺境伯位トモフミ家の屋敷 地下
クスデート市に来てから2度目の朝が来る。実に36時間振りにまともな睡眠を得ることが出来た神藤は、首を鳴らしながら目を覚ます。椅子に縛られている以上、横になることは出来なかった為、身体中のあちこちが痛んでいた。
「・・・目覚めた様ね」
「!」
声をした方を見れば、1人の女性が壁際に立っていた。トモフミ家が擁する暗殺集団である「裏番」の男たちと、同じ黒装束に身を包んでいる。
彼女の名はセフィル=カネザト。裏番に属する紅一点であり、さらに彼らを束ねる女頭目を勤めている人物だ。
「・・・なあ、あんたの主は開祖が遺した“強大な力(恐らくは日記にあった飛行戦艦)”を手にしたとして、一体何をするつもりなんだ?」
自身を監視しているのだろう彼女に、神藤はベティーナの目論見を尋ねる。彼女は少し間を置いて口を開いた。
「・・・決まっている、帝都への対抗だ。恩義を忘れ、先祖の偉勲を歴史から消し去った者たちへの」
セフィルは淡々とした声で答える。案の定、彼らはジェティス4世率いる皇帝領政府に対抗するつもりらしい。この地方の長で、ベティーナの実父である“辺境伯”ドゥーンリッヒ・ターロ=トモフミは現在領内を巡察中でクスデート市に不在である為、それがクスデート辺境伯領政府の総意であるかは分からないが、このまま彼らの求めるままに日記の解読を進めれば、日本にとって友好国であるこの国は、大変なことになるかも知れないという事だ。
神藤が冷や汗を流していたその時、部屋の扉が開く音がした。裏番の男たちを引き連れたベティーナが、地下室の中へと入って来たのだ。
「起きた様ですね・・・では、昨日の続きといきましょうか」
不敵な笑みでそう告げる彼女の右手には、開祖の日記が握られていた。今日もまた、地獄の朗読会が始まる。
簡素ではあるが、気品を感じさせるオールインワン風のスカートに身を包んでいるベティーナは、部下の男が用意した椅子に座り、神藤の顔を見つめていた。神藤は目の前に差し出された日記の頁を読み始める。
『元豊16年12月9日。ついにクロスネル王国の命運がすぐそこにまで迫る事態となった。王国政府の発布した徴兵令によってクロスネル王国軍の兵士となったジル村の男たちも、すでに軍の陣地へ合流している頃だろう。
私は村長の息子であるリヒト=ギランバルに、村の皆のことを頼むと託された。異世界からの来訪者であり、帰るべき場所を失った我々を、この村の人々は迎え入れてくれた。この紛争において、本来第三者である我々がどちらかに肩入れして良いものかと悩んだが、この村だけは何があっても守ろうと思う』
日記に紡がれた記憶は、クロスネルヤード帝国建国史において最大の山場である「ギフトの戦い」へと突入していく。歴史では、ティルフィングの剣の力を前にして連戦連敗だったクロスネル王国軍が“神の奇跡”で大勝を収めたという事になっている。
遂に戦いの真実へと迫る場面が現れ、ベティーナや彼の部下たちは心臓の鼓動が高まるのを感じていた。日記は次の頁へと移る。
『12月11日。遂に戦が始まり、地平線の向こう側にある筈の戦場から雄叫びが聞こえて来る様だった。我々はこの国の命運を確かめる為、無人偵察艇を介して艦内で戦況を観察していた。村長を含む村の人々も、何人かその場に居合わせていた。
そこで我々が見たのは、クロスネル王国軍兵士たちが正気を失い、為す術も無く蹂躙されていく様だった。今まで噂には聞いていても半信半疑だったティルフィングの剣の力を、我々は目の当たりにしたのだ。その中に村の男たちの姿を見つけてしまった我々に、最早傍観を続けられる道理は無かった。
助けを求める村長や村人たちを艦から一先ず降ろした後、私はまず艦上戦闘攻撃機“ゼロファイター”と哨戒・偵察機“レコンファントム”を先行して発進させた。魔法には射程が有ると聞いていたので、彼らを試金石としてティルフィングの剣の力の効果範囲を計ったのだ。結果として、無人偵察艇から送られて来る映像には特に変わった様子は無かった為、すぐに本艦を発進させ、我々も戦場へと向かった。
戦場の上空へ着いた我々は、帝都リチアンドブルクへと進むアラバンヌ帝国軍に対して、艦載機による地上攻撃と艦底部三連装電子主砲による砲撃を加えた。実質的な戦闘は十数分で終了し、敵は為す術も無く壊走して行った。だが、大勢の眼前で力の一端を見せてしまった我々を、世界はどういう目で見るのだろうか。だが今は、無事に平和を取り戻した事を喜ぼうと思う』
1日と間隔が空くことなく続いていた日記が、ここで始めて1日空いた。恐らく、その間に彼らの戦闘・・・即ち、神の奇跡が起こったのだろう。
その後、圧倒的な力を見せてアラバンヌ帝国軍をほぼ全滅させた彼らは、当時のクロスネル人の王であるオルトーに呼び出され、帝都リチアンドブルクに向かう事となった。国賓として招かれた彼らは、戦果を聞かされていた帝都の市民たちから熱烈な歓迎を受けながら皇宮へと凱旋し、オルトーに謁見する事となる。
『12月13日。遂に我々の存在が世間に明かされることとなった。先日の戦の手柄への褒美として、私は部下たちと共に“クロスネル王国歩兵団”の地位を授かる事になった。
正直、素直に喜んで良いのかは分からない。それに、あの艦の力と技術はやはり、この世界には不釣り合いが過ぎるものだと先日の戦闘で実感してしまった。だが、村の人々は祝福してくれていた。それに、この国の民の一員となって、この大地に骨を埋めても良いのでは無いかと考えている自分も居る。我々はもう引き返せないのかも知れない。とうとう覚悟を決める時が来たのだろう』
戦果の報奨として、軍で2番目の地位である“歩兵団長”の位を賜った友史洋二郎は(当時のクロスネル王国には貴族制度は無かった)、その後にクロスネル人として生きていく覚悟を決める事になる。
日記は此処で終了していた。全てを読み終えた神藤は、ベティーナに質問を投げかける。
「日記はこれだけかい? 他には無いのか!?」
「・・・あと10冊ほど、同じ本があります」
「全部持って来い!」
「!」
やや興奮気味に声を上げる神藤の態度を見て、その場にいた男たちは顔を見合わせた。すると、1人の男が神藤の前に出て、彼の右頬を思い切り殴ったのだ。
「お前がベティーナ様に命令すんじゃねェ!」
「・・・チッ!」
神藤は舌打ちをすると、殴った男の顔を見上げた。殴り返してやりたい気持ちで充ち満ちていたが、拘束されている以上、睨み付ける事ぐらいが彼にとって唯一の抵抗だった。
「やめなさい・・・」
2人のやり取りを見ていたベティーナは、神藤を殴った男を静かにたしなめる。
「良いでしょう・・・セフィル、このニホン人の言う通りに残りの日記を全て持って来なさい」
「・・・分かりました」
主であるベティーナの指示を受けたセフィルは、彼女に一礼すると地下室から出て行く。数十分後、辺境伯の執務室から戻って来た彼女の両腕には、今まで神藤が朗読していたものと同じ外見をした、10冊の分厚い日記帳が抱えられていた。
神藤はセフィルに、第2巻の適当な頁を開かせる。そこには、正式にクロスネル王国軍に加わった友史と彼の部下、総勢1009名の戦いの記録が記されていた。その後も第3巻、第4巻と適当な頁を開かせて、飛ばし飛ばしで10巻まで読んで見たが、多くは変わらず大体似た様な事が書かれていた。大まかに要約すると以下の通りである。
友史らを新たな戦力としたクロスネル王国は、日本皇国の技術の粋を集めた“飛行戦艦”の力を以て西進を続け、その後十数年を掛けてアラバンヌ帝国を西へ追い遣り、遂にはジュペリア大陸の西海岸へと到達、大陸の東西を覆う巨大な領土を手中に収めることに成功した。
名実ともにジュペリア大陸の覇者となったオルトー王は国号を「帝国」と改め、彼に仕える7人の“竜騎士団長”と友史を初めとする11人の“歩兵団長”は、「騎士団長」と「辺境伯」として、領土内の各地域に配置され、その地を治めることになった。しかしその少し前から、王と友史の間にすれ違いが生じる様になっていた。
それが現れ始めたのは8巻の頭、現在のノースケールト辺境伯領までを配下に収めていた辺りの頃からだ。戦いの中で力と技術を見せつけ、名声を集める様になっていく友史たちを、王は疎ましく感じる様になっていたらしい。
無駄な犠牲を払ってまで、彼らに出撃の許可を与えなかったり、ロバンス教皇国での宗教行事に彼らを出席させなかったり、仕舞いには“歩兵団長”の中で1人だけ褒美を与えなかったりなど、かなり露骨な仕打ちをしていた様だ。
決定的だったのは、帝国誕生において間違い無く最大の功労者である筈の友史たちに、当時は不毛の地だった「クスデート地方」を振り当てたことだろう。最終11巻目の最初の頁には、第二の故郷と決めた筈のクロスネル王国の王から疎まれてしまった、彼の悲痛な思いが描かれていた。
『元豊34年2月12日。この地方に移り住んでから今日で1年が経過した。艦内農園から持ち出した“五色麦”は、この土壌でも問題無く育成している。このまま行けば、間も無く2回目の収穫を迎えられそうだ。
私達と共に此処へ移り住んでくれたジル村の人々も、新たな土地での生活に大分慣れて来た様だ。彼らにとっては、遺伝子改良された人工作物である五色麦の収穫能力の高さは、きっと驚くべきものなのだろう。
だがやはり、我々の世界の力と技術は、まだこの世界には早すぎる。中央政府はその力を恐れて、私を猜疑の目で見ているのだ。このまま私が王に疎まれ続けては、我々の子や孫たちが辛い思いをするだろう。それはきっと不幸なことだ。
だから私は、あの艦を誰の目にも触れない様に封印しようと思う。平和を手に入れたこの国に、あの過剰な力は最早必要無い。我々の偉勲はこの国の歴史から消えることは最早無いのだから、この後の時代をこの地で生きる者たちには、それを胸に刻んでこの先も誇らしく生きて欲しい』
この日の日記には、友史の決意と願い・・・子孫に自分たちが成した偉勲を誇って生きて欲しいと書かれていた。だが、彼の思いとは反して、初代皇帝であるオルトーと第2代皇帝コラートンは、彼らの偉勲を徹底的に歴史から消してしまうのだ。
遂げられ無かった開祖の思いを初めて知ったベティーナは、左目の目尻に小さな涙を浮かべていた。
翌日、飛行戦艦の放棄を決心した友史は、このことを部下たちに打ち明けた。多少の動揺はあった様だが、皆既にこの国の人間として生きると決めていた為、反論は無かった。
そして、彼らを18年に渡って支え続けた飛行戦艦は、最後の航海へと旅立つ事になる。当時はまだ中小都市の部類だったクスデート市の沖に浮かぶ艦の上で、友史は最後の日記を綴っていた。
『2月14日。この先必要になるであろう人工作物の種子と家畜の凍結受精卵のみを艦から降ろし、海の上に移動させた。今宵は夜が明けるまで、艦内で盛大な送別会を催し、この艦との別れを惜しみ、涙を流そうと思う。
すでにこの世界に来て18年が経った。ルーサは異世界の人間である私を長く支えて来てくれたし、部下たちもそれぞれの家庭を持つ様になった。1番若かった三浦定良二等水兵も、今では36歳だ。道理で私も歳を取る訳である。
だが、後先の身の振り方も分からなかった我々が此処までやって来られたのは、何よりこの艦のお陰に他ならない。思えばこの日記を付け始めたのは、私がこの艦の艦長に指名された年の4月だった。艦長として過ごしたあの日々も、遠い記憶になりつつある。今は何もかもが懐かしい。
明日は最後の航海だ。我々にとっては、日本皇国の航空宇宙軍として最後の仕事になるだろう。行く先については、航海長である鈴木実中佐と協議した結果・・・』
「・・・?」
突如、神藤の言葉が止まる。ベティーナたちが追い求めた“強大の力”の在処を示す最も重要な部分を目前にして、彼は黙り込んでしまう。
「・・・どうしました? 早く続きを読んでください」
焦る気持ちを抑え切れず、ベティーナは先を読む様に求める。だが、神藤は首を左右に振って答えた。
「文が切れてる・・・というより、故意に消されている」
「えっ!?」
本を持っていたセフィルは、神藤が読んでいた頁を見る。その頁は、ナイフの様な鋭利な刃物で紙の繊維が削られており、文章が途中から消されていたのだ。
次の頁をめくってみるが、そこから先は何も書いていなかった。どうやら、日記は2月14日で終了している様だ。中途半端なところで途切れてしまった日記に、男たちは憤慨する。
「ふざけるな! 1番大事なとこじゃねェか!」
「お前、俺たちがニホン語を読めないのを良い事に隠しているんだろ!」
「こいつ・・・ブッ殺してやる!」
ベティーナの部下たちは殺気立ち、次々と刃物を取り出す。その切っ先が向かう先は、勿論椅子の上に拘束されている神藤だ。
「俺は嘘何かついていない! そこから先は消えているんだ!」
神藤はそう言うと、手首を後ろ手に括っている縄を解こうと必死にもがく。2日間に渡って縛られっ放しだった手首は内出血を起こしており、見るも無惨な紫色になっていた。
「ベティーナ様! こいつを殺す許可を!」
男たちの1人が叫ぶ。名を呼ばれたベティーナは、両手で頭を抱えて俯いていた。
「・・・貴方、あくまで開祖の日記には“強大な力”・・・飛行戦艦と言ったかしら、その在処は書かれていないと言うのね」
「・・・そうだ」
「そう・・・ならもう良いわ」
神藤の答えを聞いたベティーナは、穏やかな表情を浮かべて椅子から立ち上がる。微笑さえ浮かべる彼女の姿を見て、神藤は恐怖の余り鳥肌が立った。
「・・・この2日間、貴方の朗読を聞いて居る内に、大分ニホン語も分かって来た。これに書かれていないなら、自力で探すわ。だから、貴方にはもう用は無い・・・殺して」
「了解ィ!」
主から下された命令を耳にして、暗殺を生業とする男たちは歓喜の雄叫びを上げる。血湧き肉躍る彼らに囲まれ、神藤は正に絶体絶命の危機に直面していた。
(ヤバイ、ヤバイ・・・ヤバイ!)
言葉通り手も足も出ない状況の中、刃物を手にした男共が目を血走らせながら、こちらへ近づいて来る。遂に差し迫った命の危機を前にして、神藤は恐怖の余り、顔を引き攣らせていた。
その時・・・
ギィ・・・
「誰だ!」
神藤に釘付けになっていた男たちが一斉に振り返る。突然地下室の扉が開いた音が聞こえて来たのだ。しかし、ゆっくりと開く扉の向こうには誰も居らず、ただただ不穏な雰囲気が漂う。
(・・・静かに、じっとして下さい)
(・・・!)
ベティーナや彼女の部下たちの視線が扉へ集まっている最中、神藤の耳元に聞き覚えのある声が囁いてきた。
神藤は後ろを振り返りそうになったが、声の主の見えない手で頭を押さえられる。その手は彼の両耳の穴に耳栓を装着した。
(・・・リリーか!)
神藤は見えない手の正体を悟る。耳元で囁いているその声は間違い無く、光学迷彩の精霊魔法を操るエルフ族の少女、リリアーヌのものだった。
(目をつぶってください!)
(!)
装着された耳栓と、不可視の少女から告げられる言葉から、神藤は今から何が起こるのかを察知する。その時、黒い円筒型の物体が、誰も居ない扉の向こうから部屋の中に投げ込まれた。
それはベティーナや男たちが疑問を持つ暇もなく、激しい閃光と爆音を放つ。閃光発音筒によって阿鼻叫喚の叫びが部屋に響き渡る中、2つの足音が神藤の下に素早く近づいて来た。
「先輩! 崔川!」
神藤は歓喜の声を上げた。自分の仲間たちが彼を助けに来てくれたのだ。
「細かい説明は後だ、逃げるぞ!」
開井手はそう言うと、神藤の手足を縛る縄をナイフで切る。2日振りに椅子から解放された彼は、立ち上がる拍子に一瞬よろけてしまうも、すぐに態勢を建て直し、開井手と崔川、リリーと共に部屋から一目散に逃げ出したのだ。
「いや〜・・・助かったぜ、先輩」
神藤は右隣を走る開井手に、救出の礼を告げた。
「礼ならこの子に言ってくれ」
開井手はそう言うと、自身の背中に掴まっているリリーに視線を飛ばす。彼女が精霊魔法で先兵となってくれ無かったら、地下室まで誰にも見つからずに辿り着くことなど不可能だったからだ。
「ありがとう、リリー」
「・・・!」
神藤は、開井手の背に身を預ける彼女に微笑みかける。リリーは両頬をほのかに紅く色づかせながら、少し得意げな表情を浮かべていた。
「・・・それと、これ」
「あ!」
薄暗い地下の通路を走る途中で、開井手は神藤にあるものを手渡す。それは攫われた時、宿に置いて来てしまった彼の愛銃「コルト・ローマン」だった。
「サンキュー・・・」
神藤は手渡されたそれを懐のホルスターに仕舞い込む。
その後、地下の出口から地上へと飛び出した彼らは、屋敷の中庭を囲う廊下に辿り着いた。月の朧気な光が、中庭に生える樹木や花壇を照らしていおり、辺り一帯は静寂に包まれていた。
「もう・・・夜になっていたのか」
地下に監禁されていた為、時間感覚が無くなっていた神藤は、月が出ていることに少し驚いていた。思えば日記の朗読だけで2日間も費やしたのである。
「居たぞ!」
屋敷の奥から、静寂を切り裂く叫び声が聞こえて来た。神藤たちの逃亡を知った屋敷の衛兵たちが、彼らを追って現れたのだ。目視で4人程、銃を持った兵士がこちらへ近づいて来ている。
ドン! ドン! ドン! ドン!
突如銃声が鳴り響く。此方へ近づいていた衛兵たちは、声も無くばたばたと倒れていった。ちらっと横を見れば、微かな硝煙を放つベレッタを右手に握り、ニヒルな笑みを浮かべる開井手の姿があった。
「・・・人ん家でオイタしちゃ駄〜目よ」
「・・・フン」
見るからに格好付けている開井手を神藤は茶化す。その一方で、崔川は驚愕の表情を浮かべていた。
(これが全国で1,2を争う者の実力・・・!)
全国的に見ても卓越している開井手の射撃技術は、神藤たちと共に旅をすることになった彼の耳にも言伝手程度に知らされていた。だが、その実際は彼の想像を超えるものだった様だ。
バキューン!
再び銃声が放たれる。その刹那、廊下の角から出て来ていたもう1人の兵士が、床の上に倒れ込んだ。
「オイタして良いのか?」
「給仕さんに見つからなきゃな」
コルト・ローマンを構える神藤は、開井手の問いかけに茶目っ気のある答えを返した。
現れた追っ手を一先ず全て排除した彼らは、その後、中庭を挟んで反対側の回廊に向かって走り出す。彼らの目的地はもちろん屋敷の出口だ。
・・・
同時刻 6月18日・夜 トモフミ家の屋敷付近の路上
屋敷の敷地を囲う塀の外側では、逃走中の神藤たちを乗せてそのまま街から脱出する為、高機動車が既に待機していた。屋敷内のメンバーとは携帯無線機で繋がっており、運転席に座る利能の耳には彼らの様子がそのまま伝えられている。彼女の隣には不安そうな表情で助手席に座るエスルーグの姿があった。
「・・・まさか、ジンドーさんを攫ったのがトモフミ家の人間だったとは、思いもしませんでしたね」
「・・・全くですね」
利能はそう言うと、舌打ちをして小さなため息をついた。
「でも・・・此処が分かったのは貴方のお陰ですよ。本当にありがとう!」
「い、いえ! そんな大した事は・・・!」
利能にお礼を言われたエスルーグは、照れを隠しきれない様子で首を左右に振る。だが利能の言う通り、神藤の所在を突き止めることが出来たのは、彼の働きのお陰であったのだ。
「あれはリリーさんの魔力を供給源にして、“発信機”の位置・・・というより方位を“受信機”に知らせる魔法道具でした。私は刻まれていた“魔法機序”を書き換えて、“発信機”からも“受信機”の方位が分かる様にしただけです」
エスルーグは淡々と語る。だが実際のところ、それに要した時間と集中力は並大抵のものでは無かった。
彼は宿の部屋に籠もり、持てる知識と道具を以て、リリーの身体に付着していた魔法道具を解析し、その改造を行った。作業は2日間不眠不休で行われ、漸く改造が終了したのが今日の日没後だった。
改造された魔法道具の説明を受けた開井手と崔川は、リリーの魔力を動力源として、それが指し示す方向に進み続け、とうとう神藤の居場所を割り当てたという訳である。
屋敷に侵入する際には、リリーに光学迷彩の魔法を掛けて貰い、誰の目に触れること無く、地下室に監禁されていた神藤の下まで辿り着く事に成功した。今回の救出作戦は、エスルーグとリリーの力無くしては為し得なかったと言えるだろう。
「・・・私達ニホン人は魔法について全く無知だから。貴方の様な人が居てくれて、私達は本当に助かりました。でも・・・貴方には本当に申し訳ないことをしてしまいましたね。イスラフェア帝国への船、次はいつ此処へ来るのか分からないんでしょう?」
2日間に渡って宿に籠りっきりだったエスルーグは、当然ながら、昨日この街を出航したイスラフェア帝国の貿易船に乗り損ねてしまっていた。港の管理者に尋ねたところ、彼の国の貿易船の来航は不定期で、次は何時来るのかは分からないという。
「いえ、それも別に良いんです。寧ろ漸く恩返しが出来たんですから嬉しい限りですよ。それに船ならまたすぐに来ますから」
利能が述べた謝罪の言葉に対して、エスルーグは満足気な笑みを浮かべながら答えた。
「・・・その事なんですけど、もし・・・貴方が良かったら・・・もうしばらく、私達と一緒に来ませんか?」
「・・・え」
利能は甘く囁く様な声色を発すると、隣に座るエスルーグに顔を近づけ、上目遣いの瞳で彼の顔をジッと見つめる。見目麗しい異国の女性に見つめられる格好となったエスルーグは、堪らず心臓の鼓動が高まって行くのを感じていた。
・・・
辺境伯位トモフミ家の屋敷 裏庭付近
その頃、屋敷の中を逃げていた神藤たちは、遂に屋敷の出口に辿り着いていた。彼らが今居るのは厨房の勝手口であり、その先は裏庭に続いている。この屋敷の中でも見張りの網が薄い箇所であり、開井手たちは此処から屋敷に侵入したのである。
「よし・・・誰も居ないな」
開井手は勝手口の隙間から外を覗き、そこに誰も居ないことを確認すると、扉を開けて裏庭へと姿を現す。彼に続いて他の3人も次々と勝手口から出て来た。
「あそこ・・・あそこから俺たちは入って来たんだ」
開井手が指差す方を見れば、屋敷の敷地と市街地を隔てる塀の上から、1本のロープが垂れ下がっていた。彼らはそのロープの下へ素早く駆け寄る。
「よし・・・最初は君からだ」
開井手はそう言うと、背負っていたリリーを降ろして先に行かせる。舞台育ち故か、ロープを掴んだ彼女は慣れた様子で塀を登り始めた。彼女が塀の向こう側に飛び降りたところを見計らって、次は開井手がロープを掴む。
そしていざ登ろうとしたその時、闇夜の中できらりと光る物体が、何処からか彼らを目がけて飛んで来たのだ。
「うわっ!」
間一髪、いち早く反応した崔川が、肩に掛けていた89式小銃の銃身でその物体を弾き飛ばす。地面の上に突き刺さる其れは、鋭い切っ先をしたナイフだった。
「!?」
ナイフが飛んできた方に視線を向けると、黒い装束に身を包む若い女性が月の影から現れる。じりじりと此方へ近づくその姿に、神藤は見覚えがあった。
「お前は・・・あの時の」
その女性は神藤が監禁されて1日目の夜、彼の監視役を任されたセフィルだった。暗殺集団「裏番」の紅一点であり、荒くれ者ばかりが集う部隊の頭目を勤める女丈夫が現れたのである。
(・・・)
神藤はハンドサインとアイコンタクトで、開井手と崔川に先に塀の上へ上がっておくように指示を出す。彼の意図を察した2人はこくりと頷くと、塀の上から垂れ下がっているロープに手を伸ばし、素早く壁を登って行く。
その間、神藤は彼らが塀を登り切る時間を稼ぐ為に塀から少し離れると、此方へ近づいているセフィルに向かって拳銃を構えた。
「・・・おっと、何の用だい?」
「!」
銃口を向けられた彼女は、ピタッと立ち止まる。彼女の瞳は月光を反射して、まるで猫の様に光っていた。
「・・・逃がさない、我々は貴方たちを帰すつもりは無い」
「ほォ・・・そりゃ、生きて帰さないという意味かな」
暗殺家業に身を置く女の冷たい台詞にも、神藤が臆することは無い。その間にも、先に塀の上に辿り着いた開井手に続いて、崔川が壁をどんどん登っていた。
神藤と対峙するセフィルは、腰から2本目のナイフを取り出す。
「ハァッ!」
「・・・!」
その直後、気合いを入れる様なかけ声と共に、セフィルは一気に駆け出した。彼女の右手に光るナイフの刃が、神藤を目がけて襲いかかって来る。
「おおっとォ!」
間一髪、神藤は身を引いて水平に振られたナイフを躱す。その後もセフィルは次々と攻撃を繰り出して来るが、神藤の方も紙一重のタイミングで次々と躱して行った。
「何故その飛び道具で攻撃して来ない!?」
拳銃を右手に握りながら、反撃をする素振りを見せず、回避ばかりに徹する神藤の態度を見て、セフィルは腹立たしさを感じていた。
「悪いが、俺にも撃ちたく無いものは有るんだ。女の子とドンパチする趣味は無いってね!」
「・・・!!」
神藤の言葉を聞いたセフィルは、動揺と憎悪、屈辱感が入り交じった気持ちになる。目の前に立っている男は、仮にも暗殺集団に身を置いて来た自分を、女の子扱いして手を抜いているのだ。
「特に君みたいな可愛い女の子とは・・・ね!」
「・・・っ!」
最後の1文字を口にする刹那、神藤は塀の上から垂れ下がっていたロープに向かって走り出す。セフィルも彼を逃がすまいと、その後を追いかけた。
「どおりゃあ!!」
神藤がロープを掴んだ瞬間、塀の上で待機していた開井手と崔川が、同じロープのもう一端を掴んで塀の反対側、即ち利能とエスルーグが待機している市街地側へ飛び降りる。その反動で飛び上がった神藤の身体は、一気に塀の上まで持ち上げられたのだ。
「待て!」
セフィルが伸ばした手は届かない。塀の上に着地した神藤は、此方を悔しそうな表情で見上げている彼女の顔を一瞥した。彼女の後ろや周りを見れば、裏番の男たちが彼女に遅れて次々と姿を現していた。
凶悪な男たちの様相を見て、脱出劇が正に間一髪のタイミングだった事を知った神藤は、命が長らえたことにほっとしたため息をつくと、他の仲間たちが待つ塀の向こう側に飛び降りる。
「おい、門から向こう側に回れ! 奴らを仕留めるぞ!」
目の前で標的が逃げるところを目撃した男たちは、彼らの後を追いかける為に、塀の門へと向かう。
「・・・」
部下の男たちがその場から走り去って行く中、セフィルは複雑な感情を以て、神藤が飛び降りて行った塀の上を眺めていたのだった。
・・・
トモフミ家の屋敷付近の路上
トモフミ家の屋敷からの脱出を果たした神藤、開井手、崔川、そしてリリーの4人は、すぐ側で待機していた高機動車に乗り込む。全員が乗り込んだ事を確認した利能は、アクセルを踏み込んで一気にスピードを上げた。
「ジンドーさん、本当に無事で良かった!」
助手席に座るエスルーグは、涙を流しながら彼の生還を喜ぶ。
「ああ、俺の居場所を割り出せたのは、君のお陰なんだってな、ルーグ。・・・って、あれ? イスラフェアの船には乗らなかったのか?」
神藤は彼にお礼を告げると共に、本来なら既に故国イスラフェア帝国に向かっている筈の彼が此処に居る事に首を傾げた。
「・・・神藤さん、彼は貴方を助ける為に、故郷へ帰る機会を棒に振ったんですよ」
「・・・え!?」
利能はハンドルを握りながら、エスルーグが此処に居る訳を説明する。事実を知った神藤は、途端に申し訳なさそうな表情を浮かべた。そんな彼に、開井手が話しかける。
「なあ、神藤・・・お前が居ない間、利能警部補とも話したんだが、この先の旅路にルーグは必要だと思うんだ。だから、本人が了承したら、彼を一緒に連れて行って欲しい」
「!」
開井手の言葉を聞いた神藤は、驚きの表情を見せる。だが、少し考えれば彼の言うことは的を射ている事は明らかであった。
現在追跡中の“桐岡竜司”を先導している組織に、魔術師が存在している事が明らかになっている以上、魔法が使えないイスラフェア人ながら、魔法に対する確かな造詣の深さを披露したエスルーグの様な者は、本来ならば1番必要な人材であるのだ。
「・・・ルーグ、君はどうだい? やっぱりこの街で次の船を待つって言うのなら、勿論無理にとは言わないが」
開井手の提案を受けた神藤は、当事者であるエスルーグに問いかける。だが、彼の答えはもう既に決まっている様子だった。
「・・・勿論、私こそ一緒に行かせてください! 貴方方のお役に立てるかどうかは分かりませんが、貴方方と一緒なら、私は今までに見た事のないものが見られそうだ!」
彼は一切の迷いを見せること無く、共に行くことを告げる。
「良かった・・・じゃあ、改めて宜しくな、ルーグ!」
「はいっ!」
正式に捜査協力者となったエスルーグと、捜査責任者である神藤は固い握手を交わした。
「そういや、トモフミ家はどうする? この一件は上に報告するのか?」
彼らの様子を傍から見ていた開井手は、トモフミ家による神藤の誘拐、すなわち「日本人公安警察官拉致監禁」の一件を、警察庁に報告するのか否かを尋ねる。
「一般の国民ならともかく・・・公安警察官が異世界の地で拉致られて自力で脱出したなんてマスコミに知れたら、後が面倒だろ。告げ口してもどうせなあなあになって終わりさ。
それより重要なのは歴史の真実の方だ。こっちは信じて貰えるかどうか自体が怪しいけどね」
神藤はそう言うと、懐のポケットに入ったままだった紙煙草を取り出して口に咥える。開井手から借りたライターで火を付けると、実に2日振りに味わう愛用の銘柄に舌鼓を打つのだった。
斯くして、不本意ながら歴史の真実に触れる事となった神藤一行は、正式に同行が決まった新たな仲間であるエスルーグと共に、クスデート市を後にする。謎の一族「トモフミ家」が治める地で起こった出来事は、その後公にされる事なく、神藤が掴んだ歴史の真実のみが日本政府へ報告されることとなった。




