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旭日の西漸 第4部 ティルフィング・選挙篇  作者: 僕突全卯
第5章 クロスネルヤード帝国
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童話の世界

6月13日・午前2時頃 ノースケールト市街 とある路地裏の一画


 闇に包まれた裏路地に途切れ途切れのくぐもった声が響いている。それは開井手が出会ったあの少女の声であった。地に臥す彼女の周りを少年たちが取り囲み、裏切り者への制裁と名を付けて、無抵抗の彼女に容赦無い暴行を加えていた。

 アカシアの身体は痣だらけになっており、目の焦点も定かでは無くなっていた。だが、悪意を持った集団は暴走を止めるとこは出来ないものだ。


(・・・お父さん、お母さん)


 アカシアは薄れ行く意識の中で、在りし日の父母の姿を思い浮かべる。そして彼女が明確に“死”を意識したとき、突如としてアカシアへの暴行が止んだ。


「げえ! お前は!」

「さっきの化け物!」


「・・・?」


 少年たちは夜闇の中から現れた人影に恐れおののき、中には腰を抜かす者さえ居た。アカシアは霞む視界の中でその人影の姿を捉えた。


「・・・その娘の命、一先ず俺に預けて貰おうか」


「へっ・・・こんな小娘、欲しけりゃくれてやるよ!」


 アカシアの耳に聞き覚えのある声が聞こえて来る。少年たちは捨て台詞を残すと、蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。開井手はボロボロになった少女に目を遣ると、そのまま彼女の身体を担ぎ上げ、その場から立ち去って行く。




ノースケールト市街地 宿「三ツ葉荘」


 既に宿の主人すら寝静まった真夜中、アカシアを連れ帰った開井手は宿の扉をこっそりと開ける。足音を立てないようにするも、ギィ・・・ギィ・・・という木材の軋む音が静寂の中に響き渡っていた。開井手はつま先で足下を探りながら階段を昇って2階に上がると、自分たちが泊まっている客室の前に立つ。そしてドアノブに手を伸ばそうとしたとき、扉が内側からゆっくりと開いた。


「先輩・・・何処行ってたんだ、心配してたんすよ?」


「!」


 扉を開けたのは神藤だった。いつの間にかベッドから消えていた相棒を心配して、彼の帰りを待っていたのである。


「あれ・・・その子は? ・・・って、酷い怪我じゃないか!」


「ああ・・・利能警部補の財布をスッた娘だよ。近くの道でこの子が倒れているところを見つけてね、連れて来てしまった・・・」


 開井手は傷だらけの少女を連れて来た経緯について説明する。彼は日本人を恨んでいると語ったアカシアのことが気に掛かり、宿を抜け出して彼女を探していた。そして少年たちから集団リンチを受けている彼女を発見し、此処へ連れて来たのである。


「急いで手当だ・・・先輩はお湯を沸かしてくれ」


「了解」


 神藤は袖をまくると、部屋の隅に置いていた救急箱を漁る。その後、物音と異変に気付いた利能とリリー、崔川とエスルーグも目を醒ました。程なくしてアカシアの手当が終わる。開井手は目を醒まさない彼女の身体を自身のベッドへ横たえた。


「・・・で、この子どうするんですか?」


「連れて行く訳がない、目が醒めたら帰って貰いますよ」


 利能は意識を取り戻さない少女の身を案じていた。だが、リリーやエスルーグの様に何らかの事情や自分たちに利する条件を有している者ならばともかく、住所不定の少女の面倒を最後まで見切る義理は無い。


「それにしても・・・自衛隊による“防衛出動”によって生まれた孤児か、まあそういうのが居るだろうことは分かっていたが」


 日本国はテラルスに転移して以降、2度の戦乱を乗り越えて来た。宣戦布告を行ったのはそのどちらとも敵国の方であり、自衛隊は日本国民を敵の魔の手から守る“正義の軍”として、防衛出動という名目の下で敵国に派遣されていた。

 そして国民は政府公報やメディアの報道を介して日本国と自衛隊の勝利を知る。彼らは自国の勝利に歓喜し、または戦場で散った戦死者の為に涙を流した。だが、メディアが戦場の実際を伝えることはない。それは安全の保障が出来ないことを理由として、日本政府が国内のメディアを戦場に立ち入らせることがなかったからだ。

 よって、敵方の戦没者及びその遺族に関する情報をメディアが発することはほとんどない。日本国内では知ることのできない現実を目の当たりにして、神藤たちは複雑な心境になっていた。


「・・・ん?」


 その時、窓のサッシに置いていた蝋燭の火が大きく揺れて、フッと消えてしまう。開井手は再び灯を点そうと、懐からライターを取り出して窓に近づいた。その時、彼は街の中心部で大きな異変が起きていることに気付く。


「何・・・だ、あれ・・・!?」


 開井手は辺境伯の屋敷が建っている筈の場所から、朝日の様な輝きが放たれていることに気付いた。その光は瞬く間に大きくなり、ノースケールト市の全域を照らす。開井手に続いて神藤や利能らも異変に気づき、続々と窓から顔を出した。街の住民たちも次々と起き出し、街の通りや家屋の屋上から辺境伯の屋敷の様子を伺っていた。


「うわっ!!」

「空が・・・!」


 街の中心部で煌々と輝く光の球から、一筋の光線が天高く伸びていく。そしてそれはある高さに達したとき、放射状に散開していく。散開した光は薄いベールの様にノースケールト街を覆い尽くし、月と星が輝いていた夜空は桃色の幻想的な晴れ空へと変わった。そして同時に街も光に覆われていく。突然の天変地異に市民たちが騒然とする最中、街を覆った光のブランケットは次第に消失していく。そして光が完全に晴れたとき、その中から信じられない光景が飛び出して来たのである。


「夜が昼になって、街がメルヘンの世界になっちまった!」


 神藤たちは目の前で起きたことが信じられなかった。普通の街であった筈のノースケールト市は、きのこや樹木の家が建ち並ぶメルヘンチックな街に、都市の周囲の荒れた農園は色鮮やかな花畑へと変化したのである。それはまるで”童話の世界”のようであった。


「凄い・・・素晴らしい! こんな”大魔法”がこの世に存在するとは! ・・・ノースケールト市の地下には“大龍”や“リヴァイアサン”か何かの魔獣が潜んでいるというのか!?」


 魔法研究家であるエスルーグは、目の前で起こった事象が魔法によるものであると推察し、興奮を隠し切れない。これほど広範囲に影響を与える魔法を成立させるには、一般の人間が持つ魔力ではとても足りない為、彼の言った通り膨大な魔力の“供給源”になり得る存在が必要になる。


「そんな話は聞いたことは無いけど・・・この景色とこの状況、あの童話の場面によく似ているわね」


「!」


 開井手のベッドで眠っていたアカシアが騒ぎ声に気付いて目を醒ます。神藤らは一斉に少女の方へ振り返った。彼女は幻想に覆われた街の景色に既視感を覚えていた。


「・・・童話?」


「聞いたことがあります。その頁を開いた者の望みを叶える書物のおとぎ話ですよね」


 崔川二曹に続いてエスルーグが口を開く。


「あら、よく知っているのね・・・正しくは開いた者の空想や理想を“具現化する”本の話、ノースケールトに住む者ならば誰でも知っているおとぎ話だよ」


「・・・詳しく聞かせてくれないか?」


 アカシアは今の状況を見て、幼い頃から聞き慣れて来たある童話を思い出していた。開井手がその詳細について彼女に尋ねる。


「ええ、いいけど・・・」


 アカシアはそう言うと、ノースケールトに古くから伝わる童話について語り始める。その内容は以下のようなものだった。


 昔々、とある雪の日、家族を失い、悲しみの底にあった少女のもとに“エルメラー”と名乗る男が現れ、1冊の本を手渡した。男が言うことには、“この本は大切なものと引き替えに開いた者の理想の世界を見せてくれる”という。

 最早、現世に未練が無くなっていた少女は、躊躇いもなくその本を開いてしまう。するとその瞬間、本の中から目映い光が放たれ、ノースケールトの街を覆い尽くしてしまった。光に包まれた雪原は一瞬にして花畑に変わり、樹木は歌う草木に、無機質な街の家々は色鮮やかに変化したという。そしてただのボロ屋だった少女の家はお城へと変わっており、その中で在りし日の家族に出会った少女は、沢山のご馳走と共に仮初めの幸せに溺れた。


「でも話の最後は・・・次の日、その少女が1冊の本を抱きかかえ、満足そうな笑みを浮かべて雪の下で死んでいるシーンで終わる。“本”は少女の意のままの世界を構築した代償として、その少女の命を奪った」


「なんだぁ? その陰気な童話・・・」


 神藤は眉間にしわを寄せる。アカシアが述べた内容は、童話として子供に言い聞かせるには余りにも暗すぎるものだった。


「つまり・・・この状況は正にその童話の”導入”という訳ですね」


「その通り、まさか実在するものだとは思わなかったけど・・・」


 利能の問いかけに、アカシアが答える。すると神藤がおもむろに街の外を指差した。


「・・・見ろ、街の向こうに見える花畑のさらに向こう側に本来の地平線がうっすらと見える。この街は巨大な薄いドームで覆われていて、この空や街の外の花畑はドームの内側に映った映像に過ぎないようだ」


 神藤は今のこの街を襲っている状況について推察する。彼の言うとおりに目を凝らして街の向こう側を見ると、街の外の世界が見えた。


「あのドームは通り抜けられるのかな?」


 開井手はそう言うと、窓から上半身を乗り出して空を見上げる。すると3羽の猛禽類がドームの外に向かって飛行しているのが見えた。その直後、3羽の猛禽は”空”に激突して堕ちて行く。


「・・・出られないみたいだね」


 開井手の隣でその様子を見ていた神藤は、ため息混じりの言葉を発する。


「じゃあ、元凶を絶ちに行くしか無いか。・・・ルーグ?」


 神藤は自身の背後に立つエスルーグの方へ振り返り、魔法研究家を名乗る彼に意見を求めた。


「え、ええ。おとぎ話に出てくる”本”が実在するのか否かは分かりませんが、この場合、この天変地異の元凶は間違い無く”辺境伯の屋敷”に在る筈です。ですが、今の我々が居るのは少女の空想が生み出した世界、その中心部となれば何があるかは分かりませんよ?」


 エスルーグは遠回しに命の安全が保障されないことを示唆する。だが、神藤も開井手もそんなことは気にしていなかった。


「命を惜しむ様な器なら、こんな馬鹿げた旅なんか最初からしていないさ。君もそうだろう? どちらにせよ、俺たちは探し人を見つける為に先に進まなければならない」


「・・・! わ、分かりました。私も行きます! この中で魔法に最も詳しいのは恐らく私ですし、何か役に立てるかも知れない」


 神藤の瞳に覚悟の色を見たエスルーグは、自らの持つ知識を活かす為に同行を申し出る。


「そうしてくれると正直・・・俺たちも助かる」


 神藤はエスルーグに感謝の意を示した。その直後、沈黙を保っていたアカシアが突如手を上げる。


「現辺境伯のアルスは・・・私の幼馴染みなの。あの屋敷の構造なら小さい頃に何度も忍び込んだことがあるから分かるよ! 私は彼女の身が心配なんだ」


「!」


 エスルーグに続いて、アカシアが同行を申し出る。屋敷内部の構造に詳しい者が居れば確かに心強いが、神藤と開井手は命の保障が出来ない事案に、まだ幼い少女を巻き込むことに対して抵抗を感じていた。加えて、仮にも地方の長を勤める者と一介の浮浪児が幼馴染みであるという話は、すぐに信用出来るものではなかった。


「命の保障は出来ないぞ? それでも良いのかい?」


「・・・」


 アカシアは開井手の問いかけに対して、無言のままこくりと頷く。


「・・・分かった。案内してくれ」


 彼女の話が真実か否かは屋敷に行けば分かる。そう考えた神藤はアカシアを連れて行くことを決める。その直後、彼は利能の方を向いた。


「利能はリリーと一緒に此処で待っていてくれ! 崔川二曹も2人を頼む」


「・・・! 分かりました!」


 何が待ち構えているのか分からない場所に全員で乗り込む訳にはいかない。神藤は屋敷に向かう自分たちの身に何かが起こった時、状況判断を行う役目を利能に託したのだ。


「あと・・・あの小田川という男のことも良く見ておいてください」


 開井手は同じ宿に居る筈の民間日本人から目を離さない様に告げる。得体の知れない企業員であるとは言え、日本国民である以上は警察の庇護の対象であることに違い無い。


「・・・貴方たちも気を付けて」


 利能はこの上なく不安そうな表情を浮かべている。彼女は神藤らが無事に帰って来ることを心から願っていた。


「ああ、分かってる」


 神藤はそう言うと利能の肩にポンと手を置く。その後、神藤と開井手、エスルーグ、アカシアの4人は1階のロビーへと降りて行った。

 意を決して外へ出ようとする4人組を宿の主人が呼び止める。


「お客さん、外は危ねぇよ!」


 超常現象に襲われたノースケールト市は大混乱に陥っている。人々は得体の知れない現象を恐れて建物の外へ出ようとはしなかった。だが、彼らには先に進まねばならない理由がある。動揺している様子の主人に、開井手はチップとして1枚の銀貨を手渡した。




ノースケールト市 辺境伯ヴェルテブラ家の屋敷


 利能らと別れた神藤一行はキノコや樹木の家が建ち並び、草木が歌う道の上を歩いて行く。その光景は正に童話の中の世界であった。そして程なくして、彼らは辺境伯の屋敷の前まで辿り着く。


「・・・これもその本の力か? 人のなせる業じゃないぞ、これは」


 神藤は姿を大きく変えた辺境伯の屋敷を見上げてため息をついた。石造りであった筈の屋敷はクリスタルの結晶に覆われた幻想的な巨大オブジェに変貌していたのだ。


「塀もクリスタルの硝子細工だ、オブジェみたいになっていて入口も分からないですね」


 エスルーグは屋敷の周りを覆っている塀に手を置き、その表面を良く観察する。普段であれば長に仕えるノースケールト軍の兵士が屋敷の周囲を巡回している筈だが、兵士を含めた屋敷の人間たちは超常現象を恐れて逃げ出している様であった。


「アカシア・・・何かいい手は無いのか」


 開井手は屋敷の構造に詳しいというアカシアに知恵を求める。


「・・・私たちは平民の子だから、アルスに会いに行く時は”秘密の入口”を使っていたの。もしかしたら今も残っているかも」


 アカシアはそう言うと、屋敷の西側に向かって走り出した。神藤らも彼女の後を慌てて追いかける。そして彼女が神藤たちを連れて来たのは、屋敷の外れに位置するゴミ捨て場であった。


「此処は敷地内と外が直接繋がっているの。塀を介して屋敷の外へ出されたゴミは、他の市民たちが出したゴミと一緒に、専用の業者が街の郊外の処分場に持っていくことになっている。汚いけど我慢してね」


「うげ・・・」


 アカシアがゴミ捨て場と述べたものは塀の中から突き出た小さな部屋の様なスペースであった。彼女がその小さな扉を開くと、その中からは微かな悪臭が漂って来る。ゴミ捨て場の中には樽や木箱が並んでおり、その中に生ゴミや屎尿が溜められているようであった。

 息を止めながらゴミ捨て場を抜けると、屋敷の敷地内へと辿り着く。屋敷が姿を変えたクリスタルの塔がより間近に見えた。地面を見ると色鮮やかな花畑の絨毯が広がっている。


「・・・さあ、行くぞ」


 神藤は躊躇うことなく屋敷へと歩みを進める。他の3人も彼に続いてクリスタルの塔へと向かって行った。




ヴェルテブラ家の屋敷内部 回廊


 屋敷の内部は外見と同様にクリスタルで覆われており、神藤たちはその表面に反射した自分らの姿を見ながら、どこまでも続く様に見える回廊を歩いていた。今のところ、彼らの歩みを遮る様な障害は起こっていない。


「問題はその”童話の本”がこの屋敷の何処にあるかだが・・・アカシアさんだっけ、何か心当たりは無いかな?」


 神藤は前方を歩くアカシアに質問をする。


「・・・昔、アルスからある秘密を聞いたことがある。誰にも言っては駄目よ、と言われたけれど、心当たりがあるとすればそれしかないわ」


 アカシアがまだ幼い頃、屋敷からこっそり抜け出したアルスと野山で遊んだことがあった。その時、雨宿りした大樹の下で、アカシアは彼女からヴェルテブラ家に伝わる”秘宝”のことを聞かされた。それはこの地方の長であったアルスの父の寝室の隠し扉の奥底に収められているという。アルスは父からこのことを人に決して話さないように言われていたが、ついアカシアに話してしまったのだ。その後、アカシアは彼女からこのことを2人だけの秘密にしておくように言われた。彼女はその約束を守り、今まで誰にも言ったことは無かった。


「私が聞いたのは”秘宝”という言葉だけで、それがどういうものなのかはその時のアルスも知らない様だった。でもまさか、あの童話が史実で、おとぎ話である筈の本がこの屋敷にあったなんてね・・・」


 ノースケースト市全域を影響下に置くほどの魔法道具、果たして童話に出てくる本と同一のものなのかどうかはまだ分からない。だが、ノースケールト市をこの様な状態にしている元凶と、ヴェルテブラ家に伝わるという秘宝が同一のものであることはほぼ確実であろう。


「じゃあ取り敢えず、その寝室に向かえば良い訳か。場所は分かるのか?」


 話を聞いていた開井手が、アカシアに寝室の場所を問いかける。


「多分大丈夫。と言いたいところだけど・・・こうも内装が変わってしまってはね。少し手こずるかも知れないわ」


 クリスタルの結晶によって彩られた屋敷の中の様子は、アカシアの記憶の中のそれとは大きく異なっていた。故に彼女は目的地となる寝室へ辿り着ける自信が無かったのだ。


「仮に、この現象を起こしているのが童話に出てくる本と同一のもので、尚且つそれがヴェルテブラ家の秘宝だとしよう。じゃあ、それを起動させたのは誰になる? あの童話の中じゃあ、寂しさに耐えかねた少女ということになっているが」


「・・・!」


 神藤の言葉を聞いたアカシアは、はっとした表情を浮かべる。


「まさか・・・アルスが!?」


「あくまで推論だけどね。でも童話を史実とした場合、その本は本を開いた者の命を最終的には奪ってしまうのだろう? どちらにせよ、この大魔法を解除しなければ俺たちは街の外へ出られないし、本を開いた人間も死んでしまう。あまり猶予は残されていないのかもね」


「・・・」


 アカシアは焦燥感に満ちた表情を浮かべながら俯く。戦に負け、実父たる長が姿を消し、繋ぎの扱いとはいえ若い身空で地方の長を任されたアルスの心労は、並大抵のものでは無かった筈だ。そんな彼女が今に絶望し、童話の中の少女の様に仮初めの幸せに手を出しても不思議では無い。


(私は貴方を救う・・・! 絶対に!)


 アカシアはこの超常現象を起こした犯人がアルスであると確信していた。そしてかつての親友を救う為、アカシアは自らの命を賭す覚悟を改めて決める。


「・・・ん?」


 少女が覚悟を決めていたその時、開井手は突如として背後へ振り返った。彼は自分たちが歩いてきた回廊をじっとみつめる。


「どうしたんスか・・・先輩?」


「誰かに見られている様な・・・いや、何でも無い」


 彼に続いて神藤も背後を向いた。だがそこには何も無く。唯々誰も居ない空間が広がるだけである。開井手はふと感じた気配を気のせいだと思い、神藤の問いかけに対して首を左右に振りながら答えた。

 だがその直後、異変は突然起こる。ギギギ・・・と鈍い音が響いて来たかと思うと、回廊の両脇にインテリアとして立っていた数体の甲冑が動き始めたのだ。


「・・・! うわ・・・まさにRPG」


 ダンジョンの散策中、侵入者を拒むギミックに襲撃される。その様相はまるで、ロールプレイングゲームのワンシーンの様であった。神藤は焦りと感動が入り交じった不思議な感情に囚われる。だが、そんなことを考えているのは彼だけであった。アカシアは恐怖の表情を浮かべ、エスルーグに至っては叫び声を上げている。


「くそっ・・・! 化け物が!」


 開井手は懐のベレッタ92を素早く取り出すと、甲冑に向かって発砲した。2発のパラベラム弾は見事、一体の甲冑の兜を吹き飛ばす。だが、動く甲冑は頭を吹き飛ばされても何事もなく此方へ近づいて来た。


「・・・駄目だ、効かねェ!」


 中身のない甲冑にはどれだけ弾を打ち込んでも無意味である様だ。そうこうしている内に、甲冑が神藤たちに向かって攻撃を繰り出してくる。近づいて来る甲冑の1体が、腰に差していた剣を振り上げ、それを1番近くにいた開井手に向かって振り下ろしてきた。


「くっ・・・!」


 開井手は偶然床に落ちていた剣を拾い上げ、その剣身で自らに降りかかって来た刃を受け止める。攻撃を阻止された甲冑はさらに刃を向けて来るが、開井手の方もそれを間一髪で受け止め、躱し続ける。


「このままじゃあ、らちが明かない! 一先ず逃げよう!」


 神藤が叫ぶ。この状況では逃げるより他にない。エスルーグ、アカシア、開井手、そして神藤の4人は身体を反転させて一目散に逃げ出した。甲冑の化け物は走ることが出来ないらしく、瞬く間に引き離されて見えなくなった。




ヴェルテブラ家の屋敷内部 宴会の間


 何とか鎧兜の群れから逃げ果せた一行は、広大な空間にたどり着いていた。そこは無機質なクリスタルに覆われていた回廊とは一転して、信じられない風景が広がっていた。


「建物の中の筈なのに・・・! これは一体!?」


 エスルーグは周りをキョロキョロと見渡す。他のメンバーも困惑の表情を浮かべていた。彼らは高い空に浮かぶ闘技場の様な場所に立っていたのだ。


「此処は確か”宴会の間”、長が来賓を招いて祝宴を行う場所だった筈」


 アカシアは記憶の中にある屋敷の見取り図と、自分たちが辿ってきた足取りを照らし合わせ、今居る場所が何処なのかを推測する。


「それがこんな風に変わってしまった訳か、何でもありかよ・・・チクショー」


 開井手は底知れない魔法の力に畏怖の念を抱いていた。彼らは次から次へと現れる超常現象に驚くばかりであった。そして彼らの精神に更なる揺さぶりを掛けるかの如く、目の前にある地面の一部分が突如として盛り上がる。それは粘土細工の様にうごめくと、人の形となって彼らの前に立ちはだかった。


「アナ・・・タ達、何の躊躇もなく人の家に入り込むなんて、良い趣味しているわね」


「!?」


 その人型はアカシアと同じ10代前半くらいの少女の姿になって神藤たちに話しかける。その顔つきに見覚えがあったアカシアは、咄嗟に彼女の前へ躍り出た。


「アルス・・・? アルスね、貴方!」


「・・・もしかしてアカシア?」


 アカシアは目の前に現れた少女の顔に、過去の親友の面影を見出していた。現れた少女の方もアカシアの顔に見覚えがある様だ。


「アカシア・・・何故、此処に?」


「何故って、貴方を助けに来たんだよ! 早く逃げよう!」


 アカシアはそう言うとアルスの手を取ろうとした。だが、アルスは彼女が差し出した手を振り払い、拒絶する。


「逃げる・・・? 何で? 此処には父も母も弟も居る。此処が私の家なんだ、逃げなくちゃならない理由なんて無いわ!」


「・・・やっぱり、これは貴方の仕業だったのね」


 アルスが見せた反応を見て、アカシアは神藤の予想が正しかったことを悟る。


「ええ、そうよ。この退屈な街を一変させたこの景色、懐かしいでしょう? 今、私たちはあの童話の世界に居るの。これがヴェルテブラ家の門外不出の秘宝”エルメラーの本”の力よ!」


「!」


 神藤らは一様に驚きの表情を浮かべる。ヴェルテブラ家の秘宝とはやはり、この地方に伝わる童話に登場する”本”のことだった様だ。


「でも、それでは貴方は死んでしまう! 絶対に此処から助け出して見せるから!」


「・・・くどいわね! 私はもうこの世界に未練なんてないの! 私の幸せを邪魔するというのなら、幾ら貴方とは言えども許さない」


 アルスの身を案ずるアカシアの言葉は、今の彼女には全く届かない。そしてアカシアの諫言に逆上したアルスは右手に剣を出現させると、それを振り上げながら、かつての親友に向かって襲いかかったのだ。


「!!」


 アカシアは襲いかかって来る刃に対して、両手で顔を覆いながら自らの身を庇う。神藤は咄嗟のことで反応が遅れてしまっていた。万事休す、皆がそう思ったその時、甲高い金属音が響き渡った。


キィイイン!


 アカシアは恐る恐る目を開ける。アルスが振り下ろした刃は、間一髪のところで開井手にガードされていたのだ。彼の手には甲冑の攻撃を防ぐ為に拾った剣が握られていた。


「なあ、ちょっとあんまりじゃないか・・・そりゃあ」


 開井手は親友である筈のアカシアを容赦なく殺そうとしたアルスに静かな憤りを覚える。


「へぇ・・・貴方、甲冑の攻撃を防いでいた方ね。剣の心得があるのかしら?」


 だが、アルスは開井手の言葉など意に介さない。彼女は自らの太刀を受け止めた開井手に興味を抱いていた。


「我が国にも”剣道”と呼ばれる武術があってね、少しばかりかじっていただけだ」


 警察官は警察学校にて柔道か剣道を必修として学ばなければならず、卒業後も度々訓練を行わなければならない。その際、開井手は剣道を選択していたのだ。尚、これらの武術は警察学校入学時に未経験者であっても初段までは取れると言われている。


「じゃあ・・・試してみようかしら」


 アルスはそう言うと開井手から一旦距離を取った。そして再び粘土細工の様にグニャグニャとその姿を変える。


「お待たせ・・・私と勝負しましょう!」


 姿を変えたアルスはおよそ20代前半くらいの外見に成長を遂げていた。さらに身体には白銀の甲冑を装着しており、その見た目は異世界もののライトノベルに出てくる”女騎士”という例えがピッタリだった。


「・・・!?」


 開井手は一瞬だけ驚きの表情を浮かべるが、すぐに気を取り直して剣を構える。


「今のノースケールト市はアルスという少女の理想が具現化した世界、彼女は何でも作り出せる・・・何にでもなれるんです」


 自由自在に姿を変化させるアルスの姿を見て、エスルーグは神藤と開井手に耳打ちをする。正に今のノースケールト市はアルスの思いのままの世界だったのだ。


「・・・此処は俺が食い止める。おそらく、アカシアの言う寝室とやらに彼女の”本体”があるはずだ。先に行ってくれ」


 開井手は視線と切っ先をアルスに向けたまま、神藤らに先に進む様に告げた。


「・・・分かった」


 神藤は2つ返事で頷くと、エスルーグと共に来た道に向かって走る。だがアカシアは動くことなく、開井手の背中を見つめていた。


「ぜ・・・絶対に死なないで!」


 アカシアはそう言うと、神藤とエスルーグの後を追って宴会の間(空中闘技場)から走り去って行く。


「・・・! ああ」


 開井手は少し遅れて返事を返す。彼は自分に刃を向けた少女に身を案じられるとは思わず、呆気にとられていた。


「ほら・・・よそ見なんかしないで、始めるわよ」


 騎士に扮したアルスは1人残った開井手に向かって、右手に持つ刀剣の先を向ける。開井手も剣の柄を強く握り締め、アルスの幻を睨み付けた。




屋敷内部 回廊


 開井手を残し、先へ進む神藤とエスルーグ、アカシアの3人は、秘宝が収められているという”長の寝室”へ向かっていた。案内役であるアカシアが先頭を走り、その後ろを神藤とエスルーグが追いかけている。

 背後を見れば壁や天井から突き出たクリスタルの結晶が、まるでタコの手足の様に伸びて3人を追いかけていた。恐らくはアルスの差し金なのだろう。


「し、寝室っていうのはまだ着かないのか!?」


「もうすぐ・・・! あの角を曲がってすぐ右にある両開きの扉がそうだよ!」


 アカシアは走りながら目の前に見える突き当たりを指差す。目的の場所はもう目の前に迫っていた。だが、角を曲がった神藤たちの前に、先程まで彼らを追っていたものとは別のクリスタルの触手が現れたのだ。


「先手を打たれた・・・! でも行くしかない!」


 サッと右を見てみると、そこにはアカシアが言った通り、両開きの立派な扉があった。神藤はその扉に向かって身体ごと突進し、ブチ破りながら中へ突入する。その後を追ってアカシアも扉の中へ飛び込んだ。

 だが、扉から1番離れたところに立っていたエスルーグは間に合わなかった。クリスタルの触手トラップはアカシアに続いて扉の中へ飛び込もうとした彼に容赦無く襲いかかる。


「ぐあはっ!!」


「ルーグ!!」


 神藤が叫んだ時には既に遅く、エスルーグはクリスタルの触手に捕まってしまう。そして彼の身体はクリスタルの中へ取り込まれ、さらに床の中へ沈もうとしていた。彼は床へ吸い込まれながらも、神藤とアカシアに向かって”こっちへ来るな”というジェスチャーを飛ばす。


「大丈夫だから・・・先に・・・」


 うごめくクリスタルはエスルーグが言葉を言い切るのを待つことなく、彼の身体を床の中へと取り込んでしまった。エスルーグが沈んだ後、回廊はまるで何も無かったかの様に静けさを取り戻す。


「くそっ・・・! 必ず助けるからな!」


 神藤はエスルーグが消えた床に向かって叫ぶ。最初は開井手、そして今度はエスルーグと仲間が1人、また1人と消えて行く。だが、此処で立ち止まる訳にはいかない。




ヴェルテブラ家の屋敷内部 長の寝室


 改めて意を決した彼は、アカシアと共に”寝室”の捜索を開始する。


「アカシアさん・・・また邪魔が入らない内に、秘宝が収められているというその”隠し扉”を探そう」


 “長の寝室”は開井手と別れた”宴会の間”の様に、普段の様子からは大きくその姿を変えていた。イグサやハス、ガマなど、普通ならば水辺に生える様な草花が部屋一面に繁茂している。足下を見てみると、何処から漏れ出したのかは分からないが、床の上は水浸しになっていた。


「壁にはツタが這っている。まるで森の中だな、此処は」


 神藤とアカシアは壁伝いに歩きながら、秘宝が収められているという隠し扉を探す。ピチョン、ピチョンと水滴が滴り落ちる音が、2人の鼓膜を刺激し続けていた。


「・・・ジンドーさん! これ!」

「!?」


 先に何かを見つけたのはアカシアであった。彼女はツタに覆われた壁の一部分に、隠し階段への入口を見つけたのである。それはアルスが“エルメラーの本”を手に取る為に開いた”隠し扉”そのものであった。


「優秀だな・・・じゃあ早く・・・」


 神藤はすぐにその隠し階段へ駆け寄った。中を覗いてみると、まるで地の底に続いているかの如く暗い。神藤は足下を照らすため、持参していた懐中電灯の明かりを点す。


「・・・誰だ!!?」


 その時、神藤は咄嗟に後ろへ振り返った。彼らのものでは無い足音が背後から聞こえて来たからだ。またアルスが現れたのかと思った神藤は、ほぼ反射的に音のした方へコルト・ローマンの銃口を向ける。だが、そこに現れたのは予想だにしない人物であった。


「ちょ・・・ちょっと待って!」


「・・・小田川さん!? 何故此処に!?」


 そこには街の宿で出会った、民間企業員の小田川基一が居たのである。神藤に銃口を向けられた彼は、掌を此方に向けて両手を上げていた。


「あ、貴方方がこの屋敷に向かうのを見て・・・心配になって付いて来たのですよ。変な甲冑や銅像に襲われて、走り回ってヘトヘトです。それより、貴方方こそ何故此処へ?」


 小田川は神藤に質問を返す。神藤は銃口を向けながら、ぶっきらぼうな口調で答えた。


「貴方には関係が無い。それより此処は危険だ。そこで両方の膝を突いて、大人しくしておいてください」


「は、はい・・・分かりましたよ」


 小田川はそう言うと、両手を上げたままゆっくりと腰を下ろす。彼は何らかの抵抗を示す素振りを見せなかった。神藤はほっと胸を撫で下ろし、ローマンの銃口を下へ向ける。

 その時だった。


パスンッ!


「・・・え?」


 突如、掠れた銃撃音が響き渡る。それと同時に、神藤は床の上に倒れ込んでしまった。その一部始終を見ていたアカシアは驚きのあまり両手で口を覆う。倒れた神藤を見下ろす小田川の手には、いつの間にか拳銃が握られていた。


「お前はこっちに来い!」


「いやっ! ・・・う」


 豹変した小田川は震えるアカシアの腕を強引に引き寄せると、彼女の首元に向かって拳銃の柄をヒットさせる。小田川は崩れ落ちるアカシアの身体を左腕で抱え、彼女のこめかみにサプレッサーを装着した銃口を向けた。


「これで・・・此処に居るお前の仲間はみんな死んだ・・・出てこい! 居るんだろう?」


 小田川はそう言うと、神藤が突き破った扉の向こう側を睨み付ける。直後、1人の男が姿を現し、ゆっくりと”長の寝室”の中へ入ってきた。その男は静かな、尚且つ深淵な怒気を湛えた眼光で小田川を睨み付ける。その男は他でも無い、宴会の間でアルスに足止めされていた筈の開井手道就であった。


「・・・」


 開井手は無言のまま、右手に持っていた「ベレッタ92 Vertec」の銃口を小田川に向ける。小田川もそれに答える様に、サプレッサーを装着した「92式手(QSZ-92)槍」の銃口を開井手に向けた。

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