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旭日の西漸 第4部 ティルフィング・選挙篇  作者: 僕突全卯
第5章 クロスネルヤード帝国
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国家安全部の陰謀と少女の友情

6月13日・深夜 ヴェルテブラ家の屋敷内部 長の寝室


 突如として現れた小田川が纏う雰囲気は、神藤たちと初めて出会った時の”腰の低い民間企業員”の様相とは明らかに異なっていた。


「・・・やっぱりお前だったか」


「嬉しいねェ・・・覚えていてくれたのか」


「忘れたくても・・・忘れられねぇよ。お前は俺が警視庁で組んだ初めての"相棒”だからな。信じたくなかったぜ、初めての相棒が“中国の犬”に成り下がっていたなんてなぁ」


 開井手は胸の奥底に秘めていた過去の記憶を思い返す。

 今からおよそ10年前、天性の拳銃の才能を持つ開井手は、採用時教養における職場実習と実戦実習にてその才能を遺憾なく発揮し、警察学校卒業からわずか1年程で「警視庁組織犯罪対策部」に異例の異動となった。その時に彼の相棒となったのが、他ならぬ小田川であったのだ。

 そして開井手が本庁に異動してから半年後、彼が所属する組対2課はあるダミー企業を摘発する為の大捕物に参加する。そのダミー企業は中国国家安全部から派遣された工作員の隠れ蓑になっていると見られ、公安部外事課との合同作戦で一網打尽にする手筈になっていた。

 そして迎えた作戦決行の日、数多の刑事たちがダミー企業の入ったテナントを取り囲む。事前に決められた合図と同時に組対部と公安の刑事たちが一気に突入して行った。彼らは工作員の激しい抵抗に遭ったが、結果としてダミー企業を制圧することに成功したのである。だが、確保目標であった国家安全部の工作員を1人取り逃がしてしまう。開井手と小田川はその跡を追った。


「追いかけっこの末に、俺は埠頭の先に奴を追い詰めた。後は手錠を掛けるだけの筈だった。お前の凶弾が俺を襲わなければな・・・」


 開井手は追い詰めた工作員に手を上げて地に臥せる様に命じ、手錠を取り出してその身柄を拘束しようとした。だがその直前、1発の銃声と共に彼の身体は海へ倒れてしまったのである。最後の力を振り絞って後ろを振り返った開井手が見たものは、硝煙を漂わせるニューナンブを片手に持ちながら、開井手が地面に落とした「ベレッタ92」を拾う小田川の邪悪な笑みだった。


「俺はあの後、九死に一生を得た。だがあの日以降、お前は俺たちの前から姿を消した」


 この一件以降、警視庁から姿を消した小田川は数多の機密情報と共に、中国の「国家安全部」へ迎え入れられることとなる。身内に国賊を出した組対2課は、その後厳しい批判に晒されることとなった。


「予感はしていたが・・・お前は最初から俺に目を付けていたな」


「・・・確信は無かった。だが・・・どれだけ顔を変えようとも、演技をしていても、俺を撃った直後に見せた薄汚い目は変わってなかったからな」


 開井手ははじめから小田川に不信感を抱いていた。だが、あくまでそれは予感に過ぎず、彼がかつての相棒であるという証明が何も出来ない以上、自分たちの邪魔をしなければ手を出さないと決めていた。だが、小田川はこうして本性を現したのである。


「国が何だって言うんだよ? 愛国とやらが一銭でも金になるのか? 所詮・・・この世は“金”さ! あの下らねェ国よりも、足下にばらまかれた金を選んで何が悪い?」


 小田川は国を売ったことに罪悪感など微塵も抱いていなかった。彼が持ち出した機密の中には、スパイの隠れ蓑となっている団体や中国共産党と繋がりを持つ国内の政治団体のリストなど、その時の警視庁が掴んでいたあらゆる情報が含まれており、これらの流出は警視庁にとって大きな痛手になった。


「ハハハ、耳が痛い・・・。だがな、お前だけは容赦しねぇ・・・。お前には詳しく聞かなきゃならんことが沢山ある訳だが・・・まず、お前はどうやって、そして何故此処に来た?」


 開井手は小田川が此処へ来た経緯、そしてその目的を尋ねる。小田川は鼻で笑いながら口を開いた。


「愚問だな・・・日本国内にどれだけ”スパイ”が居ると思っている? 各国の大使館は表向きは日本政府に媚び売ってるがな、常に日本政府に対して優位に立つことを虎視眈々と狙っているのさ。すでに俺の様に海外へ派遣されている者も居る。ここは”魔法の世界”、何があっても不思議じゃない。そいつらは日本政府に対する切り札となり得るものを常に探しているのさ」


「そこであの”エルメラーの本”とやらを求めて此処へ来た訳か」


 日本国ごと異世界テラルスへやってきた各国の諜報員たちは現在、各国大使館及び各在日外国人国家政府の指揮下にあると言われている。それと同様に日本国内で暗躍する国家安全部の構成員たちは、東亜戦争後に再設置された「中華人民共和国大使館」、及びテラルスにおける在日中国人の国家である「中華共和国」政府の指揮下にあった。

 どういう経緯かは分からないが、”ノースケールトの童話”の存在を知った国家安全部は、童話に出てくる”本”の実在性を探らせる為、協力者である彼に”小田川基一”という名前を与えて此処へ派遣したのである。


「そう・・・俺もタダのおとぎ話かと思ったが来てみるものだな。あいつらも何時裏切るか分からない俺を、端から斬り捨てるつもりでこんなところへ遣ったのだろうが・・・。まあ良い、一定範囲内に自分の意のままの世界を作り上げる魔法道具、これさえあれば日本政府を脅すことなど訳無いからな!」


「・・・そんなことはさせねェ」


 小田川は”本”を我が物にしようとしていた。その企みを阻止すべく、開井手は彼の眉間に照準を合わせる。このまま引き金を引けば、鉛の弾丸が小田川の脳を貫通することだろう。


「おっと、良いのかぁ? そいつを撃ちゃあ俺の頭は吹き飛ぶが、同時にこのガキの頭も吹き飛ぶことになるぜ?」


 だが、小田川は怯むことなく、サプレッサーを装着した92式手(QSZ-92)槍の銃口を、再びアカシアのこめかみに向ける。


「・・・?」


 夢うつつながらも目を醒ましたアカシアは、開井手が自分の方に向かって銃口を向けていることに気付く。そして彼女は屈強な男の腕が自分の首元をがっちりと抱えていること、さらにその男が神藤を撃った男であること、加えて今度は自分に銃器らしきものを向けていることに気付き、現状を理解する。


「・・・ミチタカ?」


「アカシア、心配するな・・・必ず助けるから」


 開井手は優しい口調でアカシアに語りかけ、不安げな表情を浮かべる彼女を落ち着かせる。だが予断を許さない状況であることには変わらない。


「それはお前の態度次第だろう? 銃を捨てろ、道就・・・!」


「・・・」


 小田川はそう言うと、サプレッサーの銃口をアカシアの頬に擦りつける。開井手は無表情のまま、右手に持っていたをベレッタを床に投げ捨てた。その直後、小田川は邪悪な笑みを浮かべ、アカシアに向けていた銃口を開井手に向けて、容赦なくその引き金を引いた。


「ミチタカ!!」


バキューン!!


 アカシアが開井手の名を叫ぶ。同時に1発の銃声が鳴り響いた。その直後、彼女の顔に生暖かい鮮血が飛びかかる。


「・・・え?」


 アカシアは自分の首元を掴む腕が緩んだことに気付く。それと同時に、小田川は92式手(QSZ-92)槍を床の上に落としてしまった。さらに彼の額には銃創と思しき風穴が空いている。凶弾を受けたのは開井手ではなく、小田川だったのだ。その後、即死した小田川は水が滴る床の上に力無く倒れ込んだ。


「・・・ミチタカ!」


 解放されたアカシアは一目散に開井手のもとへ駆け寄り、彼の身体にその身を預けた。開井手は震える少女の肩に左手を添え、右手で頭を撫でてやる。


「・・・もう大丈夫だ。言っただろう、必ず助けるって。ま、此処はあいつの手柄だけどな」


 開井手はそう言うと、部屋の奥の方へ視線をやる。そこでは小田川の凶弾を受けて倒れた筈の神藤が目を醒ましていた。彼は床の上に臥したまま、硝煙を漂わせるコルト・ローマンを握っている。先程の銃声は神藤が放ったものだったのだ。


「ヘヘッ・・・! 役得だな、先輩」

「・・・馬鹿言え」


「!!」


 軽口を叩く高校時代の後輩に、開井手は素直な不快感を示した。我を取り戻したアカシアは一気に頬を紅潮させると、開井手からサッと離れる。


「ジンドーさん、でも・・・なんで!?」


 アカシアは床に臥す小田川の遺体、そして床からゆっくりと立ち上がる神藤に交互に視線を飛ばす。彼女は撃たれた筈の神藤が何故生きているのか分からなかった。彼が来ているスーツの右胸辺りには確かに穴が空いている。


「ああ・・・そいつは”これ”のお陰だよ」


 立ち上がった神藤はそう言うと、ちょうど穴が空いた場所にあるポケットに手を突っ込む。その中から出て来たのは穴が空いた警察手帳と、銃弾が食い込んだ腕時計であった。


「この2つが俺の命を救ってくれたんだ。まあ、こいつがサブソニック弾を使っていたのも不幸中の幸いだったという訳だな」


「成る程・・・そういうことか、悪運強すぎるぞ、お前」


 神藤が何故助かったのか、その理由を知った開井手は彼の悪運の強さに呆れていた。尚、彼らは与り知らぬことであるが、神藤の腕時計には一部のスマートフォンにも用いられている特殊なガラスが使用されており、銃弾を受け止めるのに一役買っていたのである。


「だが・・・すまない、本来ならば尋問の為に生きたまま身柄を拘束すべきだったんだろうが、これ以外に手が無かった。こいつは警察の裏切り者らしいな。一応、警察庁には報告くらいしようと思う」


 小田川を射殺した神藤は開井手に謝意を述べた。彼は屈強な元刑事の身柄を無理に抑えようとすれば、アカシアと開井手の命が危険にさらされると考え、射殺するという方法を採らざるを得なかったのだ。


「まあ仕方無いさ。例えこいつを生きて日本政府に引き渡せたとしても、中国は知らぬ存ぜぬを貫くだろうしな。それよりも・・・早く先へ進まないと。あのアルスって娘の命も危ないかも知れないんだろう?」


「!」


 神藤は隠し階段の奥底を覗き込む。彼らは此処に来た目的をまだ果たしてはいない。思わぬ邪魔が入ったものの、それを間一髪で排除した一行は、ヴェルテブラ家の秘宝へと続く階段へ足を踏み出した。

 3人は一歩一歩、闇へと向かう階段を下りていく。アカシアは心細いのか、無意識のうちに開井手の袖口を両手でぎゅっと掴んでいた。じめじめとした空気が漂い、懐中電灯を照らしているにも関わらず、光が奥まで届かない。まるで人の侵入を拒むかの様であった。

 だがあるところまで脚を進めたその時、周囲の景色は一変した。深い闇に代わって、暖かい光が神藤らの周囲を覆ったのである。同時に狭く息苦しい筈の”隠し階段”は、広大な空間に浮かぶ空中階段へと姿を変えていた。下を見ると何処までも広がる穏やかな野原が広がっている。


「あ・・・あそこ!」


 何かに気付いたアカシアは階段の下の方を指差した。階段を下りた先に複数の人の姿があったのだ。その内訳は大人の男女が2人、幼い姉弟らしき少女と男児が2人であり、1組の家族の様に見える。それらが何者なのか一瞬で理解したアカシアは、神藤と開井手を追い抜いて一気に階段を駆け下りて行った。


「ハァ・・・ハァ・・・」


 階段を降り、幻想の野原へと降り立ったアカシアは、野原の上に腰掛けて幸せそうに談笑するその”家族”を見つめた。

 過去、一緒に遊んだ幼い時の姿をしているアルス、今や行方不明となった先代のノースケールト辺境伯、そして何年も前に亡くなった筈の伯夫人、今は類縁の家で暮らしているというアルスの実弟、その家族は他でも無い、在りし日のヴェルテブラ家であったのだ。アルスは幻想として自らが作り上げた父母と弟に囲まれ、屈託の無い笑みを浮かべている。


「アルス・・・お願い、聞いてアルス。貴方は此処に居ては駄目なの」


「・・・」


 アカシアは幼き姿をしているアルスに話しかけた。その瞬間、アルスの顔からふと笑顔が消える。同時に、在りし日の彼女の家族たちは虚空へと消えた。彼女はゆっくりと立ち上がると、幼い姿に似つかわしくない鋭い目でアカシアを睨み付ける。


「何故・・・何故邪魔をするの? それに何故、貴方は”ニホン人”と・・・敵国民と一緒に居るの? そいつらが・・・私たちの幸せを奪ったのよ!?」


「!?」


 アカシアの登場によって現実に引き戻されたアルスは、いつの間にか本来の姿である13歳の身体に戻っていた。彼女は自分の邪魔をするアカシアへの憤りと共に、「日本国」への憎しみを吐露した。彼女にとって日本国は、ノースケールト辺境伯領が疲弊し、父親が失踪する切っ掛けを作った憎き敵だったのである。


 およそ1年前、「日本=クロスネルヤード戦争」の中盤、日本国医師団の手によって死んだことになっていた皇太子ジェティス(現ジェティス4世)の生存が発表され、さらに簒奪者アルフォンの非道な所業が明らかにされた時、それまで一部を除くほぼ全員が反日本で固まっていたクロスネルヤード帝国の各地方の長たちは、ジェティスを支持して戦いから離脱する者と、アルフォンを支持して戦いを続ける者に別れた。

 アルスの実父であるノースケールト辺境伯は後者であり、ノースケールト軍は日本との戦いを続けたのだが、結果として壊滅に近いダメージを受けることになった。その後、アルスの父は正統なる皇帝ジェティスへの反逆、そして地方を困窮させた責任を糾弾され、それが原因で失踪してしまったのだ。


「ニホンが憎い、ジェティスが憎い・・・私の幸せを奪った奴らが、この世界が憎い!」


 心の奥底から憎しみの感情を沸き上がらせたアルスは、その感情を体現するかの様なドス黒いオーラに覆われていく。だが、アカシアはそんな彼女に偽りの無い言葉を語りかけた。


「私の父は平民だけど、ノースケールト軍の准士官だった。父はニホン軍が上陸したミケート・ティリスで死に、私の家族はそれが原因となって家を失い、母は居なくなった。私もニホンが憎かった!」


 簒奪者アルフォン、そしてクロスネルヤード帝国の敗戦が原因となって人生を狂わされたのは、アカシアも同じであった。ニホン人を憎んでいた彼女は、出会ったばかりの開井手にナイフを突きつけたこともあった。だが、彼らと触れあう内に、アカシアの心には変化が起こっていた。


「でも・・・貴方はずっとそうやって生きて、そして死んで逝くつもりなの? 確かに一度起こった過去は変えられない。でも時は進むし、時代は変わるんだよ? それに何時までも過去に囚われていては、新しい幸せが見えなくなってしまう。そんなの・・・哀しすぎるよね?」


「・・・」


 アカシアは開井手との出会いによって見出した、自分なりの考えをそのままアルスに伝える。


「私には貴方の苦しみを肩代わりすることは出来ない。でも・・・少しでも貴方の負担が軽くなるのならば、どんなことでも私に頼って。だって・・・貴方と私は”最高の親友”なんだから」


「!」


「今までほったらかしにしておいてごめんなさい。お互いに大きくなっていく内に、私たちは壁を作ってしまったのね。でも・・・これからは一緒に居よう、ね」


 アカシアはアルスの身体を抱き寄せる。彼女の目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。裏表の無いアカシアの言葉が、氷の様に固まっていたアルスの心を揺り動かす。


「私こそごめんなさい、許して・・・」


 アカシアに続いてアルスも涙を流す。彼女は親友であるアカシアに酷い言動をしてしまったことを悔いていた。かつては共に楽しい日々を過ごしながらも、身分の違い故にすれ違った2人の少女は、長い年月を越えて再び心を通わせることが出来たのである。


「・・・なあ、此処で口を挟むのはちょっと野暮だとは思うが」


 傍観に徹していた神藤が久しぶりに口を開く。アカシアとアルスは彼の方を向いた。


「俺たちはクスデートまで行かなければならない。でもこの魔法が掛かっている限り、俺たちはこの街から出られないみたいなんだ。是非・・・この魔法を解除してくれると嬉しいんだけど」


 神藤はこの屋敷に踏み込んだ目的について説明する。


「勿論・・・アカシアのお陰で、私は現実を生き抜く決心が出来た。仮初めの世界はすぐに消すわ。貴方達にも迷惑をかけましたね。トラップで捕らえた貴方の仲間も返さなくては」


 アルスはそう言うと、頁が開いた状態で地面に落ちていた本を拾い上げ、その頁を閉じる。その本こそが、童話に登場する本そのものであり、長きに渡ってヴェルテブラ家の秘宝として保管されていた”エルメラーの本”であった。本を閉じたアルスは、自らが作り上げた幻想世界が消える様に心の中で念じた。


「・・・!? ・・・駄目、解けない!」


「何!?」


 アルスが魔法の解除を望んでいるにも関わらず、童話の世界が消えない。エルメラーの本は既にアルスの意思を離れている様だ。


「ぐっ・・・!」


 その直後、アルスは突如として地面の上に倒れ込んだ。アカシアは咄嗟に彼女の身体を抱きかかえる。顔色は白く、呼吸は荒くなっており、かなり具合が悪そうだ。


「アルス、アルス! どうしたの!?」


 アカシアはアルスの名を呼びかける。だが、彼女は何も答えることが出来ない。


「ルーグが・・・この魔法を生み出して維持するには、莫大な量の魔力が必要だと言っていた。まさか・・・魔力の使いすぎじゃないのか!?」


 神藤はエスルーグの言葉を思い出していた。

 この世界の全ての生命は、体内に”魔力”と呼ばれるものを有している。そして魔法はその魔力を変換・消費することによって呼び起こされる現象である。だが、個体生命が持つ魔力は有限であり、大量に消費すると生命活動に支障を来す。さらに魔力の全てを使い切ると、その生命は死んでしまうという。

 アルスの魔力を食い続ける”エルメラーの本”は、持ち主の意思を離れて尚、輝きを増し続けている。このまま放っておけば、アルスの命が吸い取られるのは時間の問題であった。


「一か八かだ・・・本を焼き捨てよう!」


 神藤はポケットから2個の100円ライターを取り出すと、それらに点した火を本に近づける。炎は本の頁へ燃え移り、瞬く間に本そのものを包み込んでいった。


「!!」


 燃え上がったエルメラーの本から不思議な光が放出される。その直後、広大な野原は狭く無機質な地下室へ、クリスタルの結晶塔となっていたヴェルテブラ家の屋敷は、元の煉瓦造りの姿に戻る。


「魔法が・・・解けた」


 開井手はふと自分の腕時計を見る。時計の針は現地時間午前4時40分を示していた。ノースケールト市は間もなく夜明けを迎える時間だ。


「・・・間に合ったか?」


 神藤はアカシアに抱えられていたアルスに近づき、彼女の右手首の脈を確認する。少し弱々しくなっているようだが、脈はちゃんと触れており、呼吸も異常は無いようであった。


「良かった・・・とにかく外へ出よう」


「は、はい! ・・・よいしょ」


 アカシアは気を失っているアルスの身体を背負う。神藤たちは階段を上り、秘宝が収められていた地下室を後にする。彼らが去った後には、燃え尽きて炭になった”本”が残されていた。




同日・夜明け頃 宿「三ツ葉荘」


 その後、彼らは魔法の解除と同時に解放されたエスルーグと合流し、宿で待っていた利能たちと再会を果たす。


「良かったぁ・・・! お帰りなさい!」


「ああ、ただいま・・・うおっと!?」

「・・・!」


 利能は無事に帰ってきた彼らを見て涙を流し、思わず神藤と開井手に飛びついてしまう。いつもの毅然とした雰囲気を完全に崩していたその姿は、彼女がどれほど彼らのことを心配していたかを物語っていた。

 東の地平線を見れば、白く輝く朝日が昇っている。その光はもはや何者にも囚われることのないノースケールトの街を際限なく照らしていた。




同日・正午 宿「三ツ葉荘」


 1人の少女の孤独が招いた”ノースケールト市の夢事件”は、1人の少女の尽力によって終わりを告げ、ノースケールト市は日の出と同時に元の姿を取り戻していた。それはまるで、長い悪夢が醒めたかの様であった。

 そして夜明けを迎え、次なる地に旅立つ準備をした6人の旅人たちが、宿の前に集まっている。日本人4人、伝説種の亜人1人、そしてイスラフェア人1人の異色なメンバー構成からなる集団は、それぞれの荷物を宿の脇に停めてある高機動車の1トントレーラーに積み込んでいた。


「結局・・・童話の本はアルスという少女の魔力のみで動いていたということですよね?」


「ああ、そうだと思うが・・・」


 崔川二曹が高機動車の準備を進めている傍らで、エスルーグと神藤が事件について話をしていた。エスルーグは神藤の答えを聞いて、一際怪訝な表情を浮かべる。


「やはり・・・どう考えてもおかしいんです。あんな大魔法が少女1人の持つ魔力量で数時間も維持出来たなんて。あの本には、”開いた者の理想の世界を具現化する”こと以外に、絶対に何か秘密がある筈だ。そもそも・・・誰が何時、何故、どうやってあんな魔法道具を作ったのか、それも謎ですし・・・」


 ヴェルテブラ家の秘宝“エルメラーの本”は、アルスの持つ魔力量で実現出来る範囲を明らかに越えた魔法を起こしていた。エスルーグはそれがどうしても納得出来なかったのだ。それに加えて、魔法技術の結晶の様な代物を生み出した存在にも興味を抱いていた。


「他の手が無かったとは言え、本は焼いてしまったからな・・・申し訳無い。そういえばアルスさんの話に依ると、あの童話は1300年か1400年くらい前にこの場所で実際にあった歴史的史実をベースとしているらしいよ」


「するとあの本は・・・少なくとも1300年以上前の代物という訳ですよね?」


 エスルーグはますます考え込んでいく。1000年以上前のテラルスといえば、人類が魔法という存在をまだ認められていない時代であり、そんな時代に“エルメラーの本”を作れる筈が無かった。


「俺の国・・・というより俺たちの世界には、人類の歴史の記録が始まるよりずっと前の太古の時代、世界には今の人類が知らない超文明が栄えていて、世界的な大戦争によって滅び、歴史から消えた・・・なんて説がある。勿論、考古学的に証明されたことのない只のオカルトに過ぎないのだけれど、もしかすると・・・このテラルスでは太古の昔、歴史から抹消された超魔法文明が栄えていたのかも知れないね」


 神藤は”超古代文明説”、そして”古代核戦争説”を引用して、1つの可能性を思いつく。”ティルフィングの剣”の伝説も然り、テラルスにはテラルス人自身も知らない秘密が隠されている様に思えてならなかった。


「出発しますよ! 乗ってください!」


 運転手である崔川が、一行のメンバーたちに声をかけた。彼の言葉を聞いた神藤たちは、次々と高機動車の荷台へと乗り込む。最後に残ったのは開井手だった。


(結局・・・見送りには来てくれなかったか。ま・・・元気で暮らせよ!)


 彼はアカシアのことを思い出していた。たった一晩の間だけの出来事だったが、彼女と共に乗り越えた大冒険は、かけがえのない思い出として彼の心に深く刻まれていたのである。直後、開井手は高機動車の荷台に乗り込み、バックドアを閉じた。


「全員乗りましたね! では行きますよ!」


 6人全員の乗車を確認した崔川は、サイドブレーキを戻すとギアをドライブにセットし、アクセルを踏み込む。突如自走し始めた荷車に、街中を行き交う人々の視線が集まった。高機動車はそんな彼らの注目を余所に、ノースケールト市を貫く大通りを進んで行く。次なる目的地である「クスデート市」へ続く街道が、西の地平線へと延びていた。


「・・・」


 街の外へと向かう遠き異国の地「日本国」の乗り物を、1人の少女が建物の屋上から眺めている。日本国への恨みを抱えていたその少女は、沸き上がる感謝の心を反映した満足げな表情で、彼らの行く先を見つめていたのだった。


〜〜〜〜〜


6月16日 クロスネルヤード帝国西部 クスデート辺境伯領 ロド村付近


 ノースケールト市を旅立って3日後、神藤一行を乗せた高機動車は、クロスネルヤード帝国の最西端に位置する地方である「クスデート辺境伯領」の領内へ到達していた。街道上を走る彼らの周りには、広大な小麦の農園が広がり、農民の家がまばらに点在している。全体的に荒れた平原が広がっていたノースケールト辺境伯領とは異なり、豊かな大地が広がっていた。


「この先にある港街が首都であるクスデート市だ。このクスデート辺境伯領は一応、『クロスネルヤード帝国』っていう国の一地方という位置づけだが、その実態は殆ど“独立国”らしい」


 荷台に座りながら地図を開く神藤は、同じく荷台に座っている利能とリリー、エスルーグ、そして助手席と運転席に座っている開井手と崔川に、クスデート辺境伯領の大まかな情報について説明していた。


 この国の立法機関である「皇帝領中央議会」には3つの派閥が存在する。その内訳は、ロバンス教皇の権威を重んずる“保守派”、皇帝の家臣として皇帝に忠義を尽くす“正統派”、そして教皇国の腐敗とイルラ教の閉塞感を嫌い、彼の国との手切れを望む“革新派”、この3つである。

 帝国19地方の内、“皇帝領”を除く18地方を治める“長”たちも、大概はその中のどれかに属している。ちなみに中央議会では保守派が最多だが、18人の長たちでは正統派が最多勢力だ。


 だがその3つの派閥の内、どれにも属さない“無所属派”と揶揄されている地方がある。それがこの「クスデート辺境伯領」であり、この地を治める一族である「トモフミ家」なのだ。

 帝国に対してあまりにも無関心ながら、有する軍事力は19地方の中で随一(・・)というこの地方は、他の地方の住民からかなり気味悪がられており、故にほとんど独立国状態になっている。


「・・・要は19地方の中でも、かなり異色の地域と言う訳ですね」


 利能は相づちを打ちながら、神藤の話を聞いていた。


「私は1度、クスデート市へは行った事が有ります。厳格な海禁政策を執る我が国が貿易船を派遣している数少ない港街なんですよ」


 イスラフェア人であるエスルーグは、故国を飛び出した時にクスデート市へ寄港した事があった。


「そう言えば、エスルーグさんはクスデート市まででしたね」


 利能は両手を叩きながら、思い出した様に言う。

 ボン市からノースケールト市へ続く街道上で神藤一行に拾われた彼は、クスデート市にて一行と別れた後、そこから船に乗ってイスラフェア帝国に帰る予定だった。


「・・・はい、その節は本当にお世話になりました!」


 エスルーグは深々と頭を下げる。行き倒れになっていたところを拾って貰い、食糧まで分けて貰った挙げ句、クスデート市まで送ってくれた神藤一行に、彼は並々ならぬ感謝の念を抱いていた。


 その時、突如高機動車が速度を落として停車する。前触れも無く、いきなり車を停めた運転手の崔川に、神藤が声を掛けた。


「おい、どうした!」


「い、いえ・・・あれ、何か検問みたいです」


 神藤は崔川が指差した方に視線を向ける。そこでは、クスデート市へ伸びている街道上に立てられた建物の側で、銃を持った兵士たちが隊商の検問を行っていたのだ。


「・・・まるで関所だな、基本的に地方同士の往来はフリーパスだと聞いていたんだが」


 神藤はフロントガラス越しに見えるその様子に首を傾げる。日本政府の調査では、クロスネルヤード帝国国内には他国との国境線などを除き、関所や検問所といった往来を制限する様な施設は無いとされていたからだ。


「どうします?」


「どうするも何も・・・一先ず、此処は言うことを聞くしか無いだろ。なに・・・講和条約で日本人の旅行の自由が認められているから、奴らは手出し出来ないさ」


 神藤はそう言うと、検問を受けている隊商の後ろに車を付ける様、崔川に指示を出す。牛も馬もなく自走する荷車の登場に、隊商の商人や検問を行っていたクスデート軍兵士たちは驚きの表情を浮かべていた。


 そして1時間後、念入りな検問を受けた隊商が先へと進み、神藤たちの順番が回って来る。崔川が兵士の指示に従って高機動車を停止させると、彼らの内の1人が警戒心をむき出しにした表情で運転席へ近づいて来た。他の兵士たちも彼らの退路を塞ぐかの如く、車の周りを取り囲む。


「おい、窓を開けろ! 全部だ!」


 銃を携えたクスデート軍兵士は運転席側の窓から車内を覗き込み、全ての窓を開ける様に命じた。神藤らは一先ず彼らの指示に従い、運転席、助手席の窓だけでなく、荷台を覆う天幕のビニール窓まで取り除く。

 すると他の兵士たちまでもが車に近づいてきて、それぞれの窓から車内の様子をまじまじと覗き込んで来た。余りにも不穏な状況を前にして堪らず怯えてしまうリリーを、利能はそっと抱き寄せる。


「お前たちは何処の者だ、何処から来た?」


 運転席の側に立つ兵士は、高圧的な態度で質問をぶつけてきた。


「俺たちはベギンテリア市から来たんだ。出自は日本国だ」


「・・・!!」


 答えたのは助手席に座っている開井手だった。彼の言葉を聞いた兵士たちは目の色を変える。


「ニホン人・・・租界の住人か! この積荷は何だ?」


 兵士はそう言うと、高機動車が牽引している1トントレーラーを指差した。


「何も怪しいもんなんかねェよ、野宿用の天幕とか食料とかだ」


 開井手が再度答える。しかし、兵士は怪訝な表情を崩さず、さらなる質問をする。


「この地方へは何をしに?」


「いや、クスデート市自体に用は無ェ、アラバンヌ帝国へ行くんだ」


 開井手は淡々とした様子で三度答えた。質問をしていた兵士は、運転席から荷台の様子を覗き込み、そこに居る4人の同乗者の姿を確認する。すると彼らは一旦高機動車から離れ、何やら話しあいを始めた。


(・・・何だ?)


 神藤は荷台の窓から彼らの様子を覗いていた。よく見れば、“信念貝”を用いて何処かと話をしている。程なくして話が纏まったのか、検問の兵士たちが再び神藤一行の方へ視線を向けた。


「検問は終わりです。クスデート市へようこそ」


「・・・?」


 先程質問をしてきた兵士とは別の者が、にこやかな笑顔と丁寧な口調で先へ進む様に促す。崔川は促されるまま、アクセルを踏み込んだ。東の地平線に遠く離れていく検問所を見つめながら、神藤がぽつりとつぶやく。


「荷物の検査は無かったな・・・89式小銃やら拳銃やら実包やらが見つからなくて良かった」


「本当ですよ・・・でも検問所なんて初めてですね」


 神藤と利能は互いにため息をつく。彼らは高機動車が牽引するトレーラーを探られなかったことに安堵していた。トレーラーの中には、自衛の為にベギンテリア租界の駐屯地から持参した「89式小銃」や拳銃などの武器が隠してあったのだ。

 彼らが持っている銃器はこの世界の銃とは大分違う仕組みと形をしているものの、引鉄が付いているそれらを見られれば、何らかの飛び道具である事はすぐにばれてしまっていただろう。


「まあ、何事も無くて良かったよ」


 神藤はそう言うと、懐から1本の紙煙草と100円ライターを取り出した。彼らを乗せた高機動車は、次なる目的地であるクスデート市へとひた走る。


・・・


クスデート市 辺境伯位トモフミ家の屋敷


 神藤たちが向かう先であるクスデート市は、西方諸国との海上貿易を一手に担うクロスネルヤード帝国の西の玄関口である。その街のほぼ中心部に、この地方を治める一族である「辺境伯位・トモフミ家」の屋敷があった。

 その屋敷の一室に、1人の少女の姿がある。窓辺に座り、差し込む夕日を浴びながら本を読むその佇まいは、実年齢以上の落ち着きと思慮深さを感じさせる。

 その少女の下に、黒いマントに身を包んだ密偵らしき人影が跪いていた。その人物は検問所から届いたある報告を、自らの主へと伝える。


「ロド村の検問所に駐在する兵より、ニホン人の入領が確認されたとの報告が入っております」


「・・・何? ニホン人がこの地方へ?」


 報告を聞いた少女は驚きの表情を浮かべた。彼女は読んでいた本を閉じると、少し考える素振りを見せる。


「・・・この一件は私が預かります。そのニホン人をこの屋敷へ招待なさい」


「・・・仰せの通りに」


 主からの指示を受けた密偵は、頭を下げると何処かへ消えて行った。1人部屋に残された少女は、西の水平線に浮かぶ夕日に目を向ける。


(・・・ニホン人、我々の隠された歴史を知る手掛かりになり得る存在)


 夕日に照らされた少女の顔は、何かを企む様な妖艶な笑みを浮かべていた。思惑を持つ者が動き出す中、神藤一行を乗せた高機動車はクスデート市に到着する。

祝!サッカー日本代表、ロシアワールドカップ出場決定!

1番ヒヤッとしたのはハリル監督がカード食らいそうになったところでした

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