第98話 住民登録と予防接種
「…………」
とりあえず。
「そういうことでしたら、一度こちらで確認してから折り返します」
とだけ告げて、電話を切った。
「…………」
白根が退職?
ちょっとコミュニケーションを取っただけでもわかるあの、責任感の塊みたいな女が?
このダンジョンのことを放置して退職?
ありえない。
まず、ありえない。
いや、絶対にありえない。
ならば——何かあったのだろう。
「…………」
少し、深呼吸をする。
「よし」
もう大丈夫だ。
一旦コアちゃんの中へ戻り、会議をすることにしよう。
ここにいない全員へ、その旨をメールで送る。
それから、コアちゃんの中へ戻った。
さて……ここからは、対策を急がなくてはいけない。
ダンジョンの入口では、コアちゃんが猫たちと戯れていた。
「コアちゃん、ちょっといいか?」
「む? どうした、主よ」
「コアちゃんに、鍵をかけることとかできないかな?」
「鍵?」
「ああ。もしかしたら、また知らない連中がここに来るかもしれない。そんなときに、この入口は誰でも通しちゃうだろ?」
「まあ、そうじゃな……」
コアちゃんが少し考える。
「なるほど。鍵か。いいじゃろう」
「ずいぶんあっさりだな」
「妾に任せよ。じゃが、やり方が少々特殊じゃからのう。全員集まってからのほうがよい」
「特殊?」
「うむ」
そこでコアちゃんが、足元の猫たちを見る。
「お主らもじゃぞ」
「…………」
猫たちにまで話しかけた。
……何が始まるんだ?
◇
しばらくして。
暦、鐘々、教授、写見、凪原、そして猫たちまで入口の前に集まっていた。
「では、お主たち全員に、このダンジョンの鍵を渡す」
「鍵……ですか?」
暦が首を傾げる。
「うむ。防犯上の問題じゃな」
「これからは、鍵を持ち歩かないといけないってこと?」
「いや。その必要はない」
そう言うと、コアちゃんが指を鳴らした。
ぱちん——とは、鳴らなかった。
「…………」
「いま、鳴らなかったよな?」
「雰囲気じゃ」
「雰囲気」
「ともかく、いま鍵をかけた」
「えっ?」
教授が、興味深そうに入口の扉へ手を掛ける。
いつも通り、横へスライドさせる。
扉は普通に開いた。
ただし。
その向こうには、何もない。
俺の家の庭もなければ、教授がどこかへ消える様子もない。
「これは……?」
「主よ。お主が開けてみよ」
「? わかった」
扉へ手を掛け、開く。
景色が変わった。
「…………」
いつもの庭だ。
「?????」
もう一度、扉へ手を掛ける。
開けば、今度はダンジョンの中へ戻ってきた。
「どういうことだ? 俺、鍵なんてもらってなかったぞ?」
「いや。主には、もう渡しておる」
コアちゃんが、俺の右腕を指差した。
「……これ?」
「うむ」
そして、集まった全員を見る。
「お主たちには、妾の因子を鍵として受け取ってもらう」
「因子って……俺の右腕にあるやつ?」
「そこまで大層なものではないぞ」
コアちゃんが手をひらひらと振る。
「お主たちの身体を水に例えれば、いまから妾を一滴だけ混ぜる。それだけじゃ。主のように、バケツ一杯の妾を注ぎ込むわけではないから安心してほしい」
「そんなに注ぎ込まれたのかよ」
「命を繋ぐ必要があったからのう。加減しておる余裕などなかったわ」
「初耳なんだけど」
「聞かれなかったからの」
「教授みたいなこと言うな」
「君たち、僕をオチに使うのはやめないか?」
「なら服を着てください」
「…………」
「ともかく、身体に異常は起きぬよ」
そこでコアちゃんが、少し考え込む。
「……予防接種も兼ねておくかのう」
「予防接種?」
「ダンジョンのカミサマとやらは、これのレベル100みたいなことをしてくるようじゃからな」
コアちゃんが俺の左手を取る。
「一応じゃ。一応」
「まあ、それで防げるようになるなら助かるけど」
ぽん。
左手を軽く叩かれた。
「これで、主の他の部分を触られても大丈夫じゃ」
「…………」
なんというか……マーキングみたいだな。
そのあと、コアちゃんは順番に全員へ触れていった。
正直、何の実感も湧かない。
だが、これで儀式——いや。
住民登録は完了、といったところか。
うん。
住民登録……そうだな。
「あとは七築じゃな」
「湖まで行かないとな」
「ねえ、七築にも必要なの?」
「出られないけど」
「さっき言った通り、予防接種も兼ねておるからのう」
◇
湖までやってきて、七築を呼ぶ。
「七築ー」
しばらくすると、水面から七築が顔を出した。
「なんや? いったい」
「ほい」
コアちゃんが、出てきた七築の手へ間髪入れずに触れる。
早い。早いぞコアちゃん。
説明とかしないのか?
そう思った、次の瞬間。
——パァンッ!
「えっ!?」
何かが弾け、七築の身体が、勢いよく宙を舞う。
いや。
なんか吹き飛んだ。
「七築!?」
水しぶきを上げて、七築が湖へ落ちる。
「……なんということじゃ」
コアちゃんが、目を見開いていた。
「どうした!?」
「七築の中に——」
湖面を見つめ、真剣な顔をしてコアちゃんは言った。
「何か、おるぞ」




