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第49話 封筒の中身には

 鐘々は封筒を渡したあとも、すぐには手を離さなかった。

 茶封筒の端を、指先でつまんだまま、じっと俺の顔を見ている。


「……鐘々?」


「うん。大丈夫。渡すって決めたから」


 そう言ってから、ようやく鐘々は手を離した。

 封筒は、見た目よりもずっと軽かった。


 ――だが、妙に重く感じた。


 封筒の中に入っていたのは、古い大学ノートのページ片だった。紙は黄ばんでいて、端はところどころ破れている。そこに、走り書きのような文字が並んでいた。


『願望反応型迷宮』


 最初に目に入ったのは、その言葉だった。


「これは、なんと書いてあるのじゃ?」


 コアちゃんが、俺の腕にくっつくようにしてノートを覗き込んできた。


「願望反応型迷宮、だな」


「がんぼう……?」


「願いとか、欲しいものとか、そういう意味だ」


「なるほど。妾の食べ物じゃな」


「雑に理解するな」


 だが、間違ってはいないのかもしれない。


 願望。

 欲望。

 願い。


 コアちゃんが食べているものを、重蔵はそういう言葉で捉えていたのだろう。


 願望反応型迷宮。


 その下には、さらに雑多な文章が続いている。


『ダンジョンとは、いったい何なのか』

『人に都合のよい財宝や道具が発掘される異空間』

『魔物が生息しており、人に害をなす場所』

『では、なぜ人にとって都合のよいものが発掘されるのか』

『人の頭を覗いている?』


 文字は荒い。

 思考の速度に、手が追いついていないような書き方だった。

 さらに、ページの途中には、いくつか単語だけが残っている。


『自宅』

『都合のよいダンジョン』

『発見』

『実験を開始』


 ()()

 ()()()()()()()()()()

 ()()


 それらを素直につなげれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という意味に読める。


 つまり、コアちゃんのことに思えた。

 誰も、すぐには口を開かなかった。

 古い紙の上に残された文字だけが、やけに大きな存在感を持っている。


 コアちゃんは、自分の胸元を押さえるようにして、首を傾げていた。


「妾のこと、なのか?」


「そう読める」


 俺は答えた。

 だが、答えながら、自分でもその言い方が引っかかった。


 そう読める。

 つまり、そうと決まったわけではない。


 さらに読み進める。


『コアの付近で、コアに向けて話しかける』

『コアはこちらの言葉に反応し、明滅』

『コアに手を触れながら願いを口にした場合、それが実際に物品として出現』

『ダンジョンは人間を理解し、願いを叶える性質がある』

『これが、ダンジョン教のいう“願いを叶えるダンジョンの神”の正体ではないか?』


 そこには、そういった内容がメモのように走り書きされていた。


 実際はもっととっ散らかっていた内容だが、鐘々が解読してくれていたおかげで、どうにか理解することができた。


「これで私は、コアちゃんのことを知ったの」


「なるほどのう……妾が味を知っていたのは、こういうことか」


「覚えてないのか?」


「うすくぼんやりとしていて、記憶が定かではないのう。そもそも妾がちゃんと物事を理解できるようになったのは、主が体を与えてくれてからじゃ」


「でもこれ、完全にコアちゃんのことを書いてますよね?」


 暦がノートのページ片を覗き込みながら言う。


「そう読めるが……」


 俺は、もう一度ページに視線を落とした。


 文字の癖のせいで、だいぶ怪しい箇所がいくつかある。


 自宅。

 ダンジョン。

 都合のいい。


 俺たちはそれをつなげて、自宅にある都合のいいダンジョン、と読んだ。


 だが……。

 いや、考えすぎだろうか?


 コアちゃんが人型になったのは、俺の欲望によるものだ。

 案の定、この記録には人型端末についての記述がない。


 それ自体は、おかしくない。

 昔はまだ人型ではなかった。

 そう考えれば、説明はつく。


 だが、そもそも、なんでこれだけが都合よく残っていた?


「鐘々、なんでこれだけ封筒に入ってたんだ?」


「私が入れた。そのままだと劣化するでしょ? 結構やばそうなことが書いてあったから」


「まあ、これが表に出たら、いろんな意味でやばそうだ」


「そうですね……」


 暦も、ノートのページ片を見つめながら頷いた。


「他には何かなかったのか?」


「それ自体も、爺さんの部屋に落ちていたものだし、残すつもりはなかったんじゃないかな?」


「記録自体は、爺さん共々行方不明、か」


 鐘々がコアちゃんについて知っていた理由は理解できた。

 加えて、あの家のことを知っていたなら、俺のことも調べはついていたのだろう。


 鐘々は、しばらく黙っていた。

 それから、金庫の扉を閉めずに、奥のほうへ手を伸ばす。


「本当は、これはまだ見せるつもりなかったんだけど」


「まだ何かあるのかよ」


「あるよ。だから隠してたんだもん」


 鐘々は笑ったが、その笑い方はいつものものではなかった。


 金の匂いを見つけたときの笑みではない。

 危ないものの蓋を開けるときの顔だった。


 鐘々は金庫から、もう一つ何かを取り出した。

 薄い冊子だった。

 表紙には、淡い金色の線で迷路のような模様が描かれている。


迷宮(めいきゅう)奉献会(ほうけんかい) 入信案内』


 その下には、小さくこう添えられていた。


『迷宮は、我らを拒まない。迷宮は、我らを選ぶ』


 だが、役場ではそれをひっくるめて、ダンジョン教と呼んでいた。


「それがどうかしたのか?」


「そのメモにもあったでしょ? ダンジョン教」


 確かにあった。

 さっき俺たちがしていた話――すべてがつながる。


 ページをめくる。


 教義。

 活動内容。

 奉献礼拝。

 迷宮清掃奉仕。

 探索者遺族支援。


 並んでいる言葉だけを見れば、そこまで怪しい団体には見えない。

 だが、途中のページで手が止まった。


 教主紹介。


 そこだけ、黄色い蛍光ペンで乱暴に線が引かれていた。


『教主 御巣河禊(みすがわ・みそぎ)

『元・内閣府迷宮災害対策参与』

『異形居住政策懇談会 特別顧問』

『迷宮災害遺族支援、および探索者福祉活動に長年従事』


 ……宗教団体のパンフレットに載っていていい肩書きなのだろうか。

 いや、載っているだけならまだいい。

 問題は、その横に書き込まれた文字だった。


『表は福祉。裏は回収』

『願望反応型を探している』

『深山を巻き込むな』


 古い筆跡。

 鐘々のものではない。

 荒く、力の強い文字だった。


「これ、爺さんの字か?」


「たぶんね」


 鐘々は、静かに答えた。


「つまり、ダンジョン教はコアちゃんのことを知っているかもしれない……と」


「正確なことは、まだ知らないと思う。でも、時間の問題かな」


 鐘々は、少しだけ声を低くした。


「ねえ。あの教授、それっぽくない?」


 確かに――。

 深山教授は、ダンジョンに対する執着が強すぎる。

 信仰と言われても納得してしまうくらいには。


 そのうえ、祖父の関係者だ。

 祖父の失踪についても、何かを知っている可能性がある。


 だが、冊子の余白にはこうも書かれていた。


『深山を巻き込むな』


 巻き込むな。

 疑うな、ではない。

 見せるな、でもない。


 その言葉の意味が、やけに引っかかった。


「政府にまで食い込んでるって……それなら、一言くらい教えてくれてもよかったんじゃないか?」


「その辺は陰謀論に近いから、話半分にしたほうがいいでしょ? それに……」


 それに?


「私が借金の肩代わりをするために奔走して、結局失敗したあとだったかな……爺さんが、借金取りじゃなくてダンジョン教に対して色々言ってたのが怖くて……」


 何があったのだろうか?

 俺の祖父に。

 どうして、失踪するに至ったのか?


「と、とにかく、私が言いたいのはそこよりもこっち」


 鐘々が指で示した場所。


『深山を巻き込むな』


 つまり、鐘々は、深山教授がこの件と無関係ではない証拠として、これを見せるために俺たちを連れてきたのだ。


 だが、分からない。


 祖父は、深山教授を疑っていたのか。

 それとも、守ろうとしていたのか。


 その答えを持っているかもしれない男が、明日の正午、この家に来る。



 全裸でダンジョンを吸う可能性のある男として。



 ……本当に大丈夫なのか、明日。

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