第35話 蛇の道は蛇
精神的に非常にしんどいこのタイミングで、このエンカウントである。
神は俺に対してドSすぎやしないか?
灰島も無視すればいいのに。
……いや、無視したら俺から何か報復されるとでも思って声をかけたのかもしれない。
俺はそんな田舎のヤンキーみたいな精神性ではないのだが。
「網代の兄ちゃん。元気そうじゃないか」
灰島は、軽い調子でそう言った。
鐘々たちは別の店にいる。
戻ってきてこの場面だと面倒事が起きそうだし、戻る前にさっさと消えてほしい。
そう思ったところで、ふと、最近我が家にやってきた彼女の姿が浮かんだ。
ん……?
いや、待てよ。
これは、もしかしてチャンスなのではないだろうか?
目の前にいるのは、祖父の借金絡みでうちに来た取り立て屋。
異形が社会の暗いところへ落ちていく流れを、俺よりもよく知っている側の人間だ。
暦の件について、何か知っている可能性はある。
よし。
ちょっと話を聞いてやるとしようか。
「あんたこそ元気そうでなによりだ。落とし前とか、そういう面倒な文化があるんじゃないかと思ってたんだが」
「そうだな。まあ、なんだ。かなり絞られたことは確かだな」
灰島は苦笑した。
その後、灰島は、うちのダンジョンでの一件について愚痴り始めた。
借金回収の現場で銃を出したこと。
ダンジョン内で余計な騒ぎを起こしたこと。
相手が、銃の効かない怪物だったこと。
恫喝や暴力の記録を、しっかり取られていたこと。
上の連中も、俺たちのことを疫病神のように捉えているらしい。
「上は、銃が効かない相手に余計な接触をするなってさ。まったく、こっちは仕事しただけなのに、化け物扱いだよ」
いや、俺からすると銃を出したお前らのほうが化け物なんだが。
「あんたと、あのダークエルフには手を出すなって話になってる」
どうやら、不当に借金が増えることはなさそうだ。
それは何よりである。
「そりゃどうも。そうだ。聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
灰島が、少しだけ目を細めた。
警戒している。
まあ、当然だ。
こいつの中では、俺は銃が効かない怪物である。
「最近、異形の部屋や家から、家具や仕事道具を一時預かりだの何だの言って持っていく連中がいるって耳にしてな。これ、お前のところか?」
「うちじゃないな」
即答だった。
「だが、心当たりがないわけじゃない」
「へぇ」
「借金絡みなら、うちみたいなのが噛むこともある。だが、兄さんの話は違うな」
灰島は、周囲を軽く見回してから、声を少し落とした。
「金貸しじゃなくて、支援とか、安全とか、きれいな名前がついてるほうの異形トラブルだろ」
嫌な言い方だった。
だが、暦の件には、その嫌な言い方が妙に当てはまっている。
生活安全管理契約。一時預かり。安全管理費。近隣調整費。情報機器類。漏洩リスク。代物弁済。家族の同意。
どれも、きれいな言葉の皮を被っていた。
中身は、家財の略奪だったが。
「異形居住支援や生活安全管理を名乗る団体だろうな。やつらが直接手を下してるわけじゃないが……有名なのはあれだ」
灰島は、口元だけで笑った。
「異形居住安全審査協会」
異形居住安全審査協会。
最近、妙に縁がある気がする。
嫌な方向に。
「俺たちの業界では有名なお得意さんだ。なんでも、実績がほしいらしい。そのためなら、色々黒いことにも手を出すんだと」
「お得意さん?」
「協会の判定が出る。家主が不安がる。保証会社が渋る。家族が泣きつく。支援団体が入る。生活安全管理の連中が動く。荷物を預かる。本人を動かす。仕事先にも話が行く。な?」
灰島は、指を折るようにして言った。
「看板は支援。書類は安全。やってることは管理と回収。表向きはクリーンな活動だ。そういう意味では、俺らよりも質が悪いだろうよ」
この辺の行政はだいぶ腐っていると思っていたが……ここまでか。
いや。灰島の言うことを、そのまま全部信じるべきではない。
こいつは、俺にやられた側の人間だ。
協会を悪く言うことで、自分たちのほうがまだ分かりやすい悪党だと言いたいのかもしれない。
だが……。暦に起きたことを考えると、すべてが嘘とも思えなかった。
「兄さん、言っておくぞ」
灰島は、どこか楽しそうに、けれど声だけは低くして言った。
「人助けだか何だか知らないが、異形居住安全審査協会に関わるなら気をつけろ。あそこは権力者の天下り先だ。個人が何か手を打とうが、どうにもできない」
「裁判とかは?」
「やりたきゃやればいい。書類上は全部きれいだ。本人の安全のため。近隣との調整のため。家族の同意あり。生活維持のための一時預かり。危機回避のための情報機器管理。いくらでも言い訳は並ぶ」
だろうな。
灰島たちを追い返すので精一杯だったんだ。
国や行政が絡む団体を相手に、個人が正面から勝てるとは思えない。
しかも話を聞く限り、協会の背後には、行政、保証、福祉、住宅管理、異形支援を名乗る団体が絡んでいる。
灰島たちのような連中より、よほど厄介な相手だ。
灰島が嘘を言っているようにも見えない。
いや、灰島としては、俺とはなるべくよい間柄を維持したいのだろう。
そのうえで、意趣返しも混ざっている。
自分たちを追い詰めた俺に、もっと大きくて黒い相手の存在を教えて、嫌な気持ちにさせたい。
そういう悪意は、たぶんある。
だが、だからこそ参考になる。
悪党は、善人が見ない場所を見ている。
灰島は、異形と社会の暗い部分について、俺よりも詳しい。
というより、専門家なのだ。
ならば、この話は聞いておくべきだろう。
「まあ、安心しな。俺たちはもう、網代の兄ちゃんには関わらないよ」
灰島は薄く笑った。
少しばかり、顔が引きつっている。
なんだ?
俺のことがトラウマにでもなっているのか?
「あのときだって、力に任せて借金をゼロにすることはできただろう? それをしないで返してくれるって言うなら、こっちからすれば上客だ」
ああ、そういうことか。
あれはお前らからの報復を恐れて俺がチキった結果でもあるのだが……。
そう捉えてくれているなら、チキったかいがあったというものだ。
「ただ、兄ちゃん」
灰島は去りかけて、最後に足を止めた。
「異形を集めるなら、気をつけな」
「……集める?」
「善意で集めたつもりでも、外から見れば、資産か、商品か、弱みの塊だからな」
それだけ言い残し、灰島は去っていった。
ショッピングモールの喧騒が戻ってくる。
いや、最初から喧騒はそのままだ。
思っていたよりも、緊張していたようだ。
気づけば、手の中の紙コップが少し潰れていた。
灰島の言葉を、全部信じる気はない。
あの男は、そういう場所で飯を食っている人間だ。
人の弱みと金の匂いを嗅ぎ分ける側の人間だ。
だが、だからこそ知っていることもある。
異形居住安全審査協会。
もしかしたら、俺たちはもう、かなり危ない場所に足を踏み入れているのかもしれない。




