第30話 賃貸計画には、まずトイレが必要である
さて。勢いよく宣言したのはいい。
「ダンジョン賃貸化計画……始めるぞ!」
などと、いかにも俺が時代を変える男であるかのように言い放ってしまった。
だが、問題がある。
うん――なにから手をつければいいんだ、これ?
賃貸計画……ふむ……アパート経営。賃貸。不動産。土地転がし。地上げ。地面師。
ふむ、言葉だけなら知っている。
俺も役場で働いていた人間だ。
賃貸住宅に関する相談も、異形居住に関する面倒事も、ダンジョン発生物件の扱いも、それなりに見てきた。
だが、見てきたことと、実際に作ることは別である。
例えば、そう、ラーメン屋の口コミを百件読んでも、いきなり厨房に立って店を回せるわけではない。
ましてこちらが作ろうとしているのは、ラーメン屋ではなく、ダンジョンの中にある賃貸住宅である。
保健所も建築課も消防も異形居住安全審査協会も、まとめて頭を抱えるやつだ。
いや、俺が頭を抱えているのだが。
「えーと、まずホワイトボードがほしいんだけど……」
俺は浅葱さんに向き直った。
「浅葱さん、掌に乗るくらいの小さいものでいいから、ホワイトボードの模型を作ってもらえないかな?」
「え、はい。わかりました」
浅葱さんは少し緊張した様子で頷いた。
コアちゃんが、興味深そうに彼女を見る。
「ふむ。小さいのでよいのか?」
「たぶん、それでいける。浅葱さんの作るものは、中身は薄いけど、形は正確だ。なら、実物大じゃなくても見本として使えるはずだ」
「なるほどのう。模型というわけじゃな」
「そういうこと」
浅葱さんは両手を軽く握り、目を伏せた。
次の瞬間、彼女の掌の上に、小さなホワイトボードが現れた。
本当に小さい。手のひらサイズの、玩具のようなホワイトボードだ。百円均一に売ってそうだな。
だがそのクオリティーは百円均一とは桁が違う。白い板面に銀色のフレーム。下部にはペンを置くための細い受け皿まである。裏には、折り畳み式の簡単な脚まで再現されていた。
「できました」
「……相変わらず精度がすごいな」
「いえ、でも、小さいだけなので……」
「小さいのが重要なんだよ」
「ねぇ、これもう売り物になるよね?」
「お前は座っててな」
鐘々を静止しつつ、俺はそれを受け取り、コアちゃんに見せる。
「コアちゃん。これを見本にして、俺の欲望から実物大のホワイトボードを作ってくれ」
「心得た」
コアちゃんが頷く。
次の瞬間、草原に白い板が生えた。
いや、生えたという表現でいいのだろうか?
地面からにゅるっと伸びた脚が、金属製のスタンドへ変わり、その上に真っ白な板面が現れる。
ホワイトボードだ。
そう、よく会議室にあるやつ。
キャスター付きの、両面回転式の、そこそこ大きなやつである。
「うわー、便利ぃ」
鐘々が素直に感心した声を出した。
「見た目さえわかればいけると思ったから、ミニチュアでもいけると思ったが……うん。できちゃったな」
俺はホワイトボードに近づき、板面を軽く叩いた。
よし、きちんとした感触がある。
浅葱さんの模型は見た目だけの薄い欲望で作られたものだったが、それを見本に俺の欲望で作ったこちらは、ちゃんと実用品になっていた。
「いいじゃんいいじゃん。これなら、わざわざ同じ大きさのものを作らなくて済むよ」
「そうだな。模型で済むなら、浅葱さんの負担も減らせる」
「欲の消費も軽いからのう。見た感じ、あと三回くらいならいけるじゃろう」
それでも三回なんだな……。
マジで使い道はよく考えないとな。
俺はホワイトボードを見ながら、背筋に嫌な汗が浮くのを感じた。
これでコアちゃんシステムが便利になった。
確かに、非常に便利になった――だが、無限に試せるわけではない。
浅葱さんの欲望は薄い。
だから、ひとつひとつの負担は軽いのかもしれない。
それでも、彼女の欲望を使っていることに変わりはない。
俺自身が決めたルールを、俺が破るわけにはいかないのだ。
「あの、網代さんは大丈夫なんですか?」
浅葱さんが、不安そうにこちらを見る。
「え?」
「その……今のは、網代さんの欲望も使ったんですよね?」
「ああ。まあ、そうだけど」
「あ、大丈夫だよ」
鐘々が軽い口調で言った。
「この人、私が百人いても足りないくらいの欲望の化身らしいから」
「言い方」
「主の場合、出す量よりも欲の回復速度のほうが早いくらいじゃ。実質無限じゃな」
「言い方ァッ!」
「す、すごい……」
浅葱さんが、なぜか少し尊敬したような目で俺を見た。
待て――これは誤解されていないか?
欲望の化身と言われて尊敬される人間、だいぶ嫌なんだが?
いや、まあいい。
今はそれどころではない。
俺はホワイトボードの下に、生成されたマーカーを一本見つけた。
細かいところまで気が利いている。
キャップを外し、板面へ文字を書いていく。
まず、部屋。
次に、鍵。水道。排水。電気。ガス。風呂。トイレ。換気。家具。寝具。避難経路。契約書。家賃。管理。入居審査。安全基準。コアちゃんの負担。欲望消費の上限。役所に聞かれたときの言い訳。
書いている途中で、俺は手を止めた。
「あれ?」
「どうしたの?」
鐘々が首を傾げる。
俺はホワイトボードを見上げた。
文字が並んでいる。
並びすぎている。
寿限無か?
「これ、だいぶやばいな?」
勢いで宣言したときは、部屋を作って貸せばいいと思っていた。
いや、そこまで単純に考えていたわけではない。
ないはずだ。
俺は元役場職員である。
賃貸住宅というものが、四角い空間と鍵だけで成立しないことくらい知っている。
知っているが、いざ目の前に並べると、現実の圧がすごい。
部屋を作るだけでは駄目だ。
そこに人が暮らすなら、ライフライン、そう水がいる。
水を使うなら排水がいる。
風呂を作るなら湯がいる。
湯がいるならガスがいる。
トイレを作るなら処理先がいる。
電気を作るなら配線がいる。
換気をするなら空気の流れがいる。
火事が起きたら逃げ道がいる。
これに加えて異形が住むなら、通常の人間用基準だけでは足りない。
そういう相手を住まわせるなら、ただのワンルームを作って「はいどうぞ」とは言えない。
それは、たぶん救済ではなく罠だ。
いくらお手本を作れるようになったとはいえ、だ。
作成したロードマップを見ると、絶望感がすごい。ゴールが遠すぎて見えないもんこれ。
これを作りながら、完成までの間、俺たちの生活資金も捻出しなければならない。
鐘々の回復はまだ完全ではない。
浅葱さんを酷使するわけにもいかない。
コアちゃんの力は便利だが、使い方を間違えれば人を削る。
本格的に効率化していかないと、詰みかねないぞ?
「うーん」
鐘々がホワイトボードを見ながら腕を組む。
「金策として見るなら、最初から全部作るのは無理だね。初期投資が重すぎる」
「だよな」
「最低限、収益が出る形にしないと。たとえば、まずは一室だけ作って、試験居住とか」
「賃貸じゃなくて試験居住か」
「言い方を変えるのは大事だよ。家賃じゃなくて協力金。入居じゃなくて滞在。違法じゃなくて実証実験」
「お前、だいぶ悪い知恵が戻ってきたな」
「褒め言葉として受け取るね」
鐘々は少しだけ得意げに笑った。
金の話をしているときの顔だ。
だいぶ調子が戻ってきている。
それは安心材料だが、同時に危険信号でもある。
こいつを放っておくと、また自分を削るまで走りかねない。
「でも、試験居住にしても、最低限必要なものは変わらないですよね」
浅葱さんが言った。
「寝る場所と、鍵と、トイレと、水と、換気。それに、緊急時に外へ出られること」
「そうだな」
「家具はあとでもいいと思います。机や棚は、生活に合わせて増やせます。でも、水回りは最初に決めておかないと、あとから直すのが大変です」
さすがである。
家事スキルだけではない。
生活導線を考える力がある。
漫画の背景資料を頭に入れてきた人間は、部屋をただの箱として見ていないようだ。ちゃんと人が動く場所として見ている。
「つまり、最初にやるべきは水回りか」
「そうですね。特に……」
浅葱さんは、少し言いづらそうにした。
「トイレだと思います」
トイレ。
ホワイトボードに書かれた文字の中でも、妙に現実感の強い単語である。
ダンジョン。欲望。異形。賃貸計画。
そのすべてを押し流して、トイレという二文字が立ちはだかっていた。
「……賃貸計画には、まずトイレが必要である」
俺は真顔で呟いた。
「名言っぽく言ってるけど、言ってることはトイレだよ?」
鐘々が冷静に突っ込んでくる。
「うるさい。人類文明の根幹だぞ」
「否定はしないけど……ていうかコアちゃんは平気なの?」
全員が黙った。
言われてみれば、その通りである。
俺たちは、ダンジョンの中にトイレを作る話をしていた。……つまり、コアちゃんの体内にトイレを設置する話をしていたということになる。
そして、排水をどうするのかという問題は、見方を変えれば、コアちゃんの身体へ何を流すのかという問題でもある。
「いや、平気じゃぞ? というか、体内に色んなものを飼っていれば、排泄物くらいその辺にされるものであろう?」
そういえばそうだ。
コアちゃんの中には、元々魔物が生息していた。
その魔物は食べるだけで生きていけるのか?
答えはノーだ。
魔物だって動物となんら変わりはない。
動物である限り、食べるだけではなく排泄も行うだろう。
この辺の感覚が、俺たち人間と、ダンジョンであるコアちゃんとの明確な違いかもしれない。
「……じゃあ、コアちゃん的には、草原にそのままでも問題ないのか?」
「妾としてはのう。草が吸い、土が受け、虫や微生物が食らう。そういうものじゃ」
「自然界の循環だね」
鐘々が頷く。
「自然界の循環を賃貸物件に持ち込むな」
俺は即座に却下した。
「なぜじゃ。無駄がないぞ」
「無駄はないかもしれないが、人間の尊厳が死ぬ」
「尊厳?」
コアちゃんが首を傾げる。
そうかそうか。そこからか。
俺は少しだけ考え、言葉を選ぶ。
「人間はな、排泄を他人に見られたくないんだ」
「ふむ」
「それに、臭いも嫌だ。病気の原因にもなる。生活空間の近くにあると、住めたものじゃない」
「なるほどのう。人間は繊細じゃな」
「人間は繊細なんだよ」
「でも、実際かなり重要だよ」
鐘々がホワイトボードを指差した。
「トイレが駄目な物件は、どれだけ家賃が安くても人は住みたがらないし、住んだとしても長続きしない。あと、貸す側としても問題になる。臭い、害虫、病気、清掃、近隣トラブル。全部お金になる前に損になるやつ」
「お前が言うと説得力があるな」
「金を失う話には敏感だからね」
頼もしいのか、終わっているのか、判断に困る。
だが、言っていることは正しい。
トイレはただの設備ではない。
生活の土台だ。
というより、ここが駄目なら、他がどれだけ良くても駄目になる。
「浅葱さん、こういうのって資料で見たことあるか?」
「はい。住宅設備の資料と、災害時の仮設トイレの資料なら見たことがあります」
「災害時?」
「避難所の衛生管理に関するページです。水が使えない場合の簡易トイレ、凝固剤、密閉処理、仮設トイレの配置、臭気対策、感染症予防……そのあたりは少し覚えています」
「天才かな?」
「い、いえ、あの、必要だったので……背景で避難所を描く資料を探したことがあって」
漫画アシスタント、万能すぎる。
いや、万能というより、見てきたものが全部残っているのだ。
彼女にとっては、それが良いことばかりではないとさっき聞いた。
だが今は、その記憶が俺たちの生命線になる。
「じゃあ、まず案を出そう。水洗式は?」
「水道と排水が必要ですね」
浅葱さんが即答した。
「現時点では難しいと思います。排水先を決めないまま作ると、あとで詰みます」
「じゃあ、汲み取り式」
鐘々が言う。
「処理と回収の手間がかかるけど、初期費用は抑えられるかも」
「この時代に汲み取り式か……」
「お金がないとき、文明は後退するんだよ」
「嫌な名言を出すな」
「ただ、ダンジョン内なら外部搬出の問題も出ます。汲み取ったものを地上へ運ぶのは、かなり大変ですし、見つかったら説明も難しいです」
浅葱さんが控えめに言う。
「のう、汲み取り式とはなんじゃ?」
「排泄物を地中のタンクに貯めこんで、あとで回収することで綺麗にする仕組み……かな?」
「それ、無限落とし穴に落としたら駄目なのかのう?」
俺たちは固まった。
無限落とし穴。
少し前にヤクザたちと対面する際に、コアちゃんが提案していた、どこまでも終わりがない落とし穴の罠である。
「え、待って。それ大丈夫なのか……? それでいいのか……?」
「あ、あの、無限落とし穴っていったい……?」
「うーん。これ、コアちゃんができることを整理する必要があるんじゃない? 結構真面目にさ」
鐘々の言葉に、俺は頷いた。
確かにその通りだ。
さっきから、俺たち人間の尺度でものを考え、話すたびに、コアちゃんのトンデモ発言で会議の盤上がひっくり返されている気がする。
この際、明確にスペックを記録しておく必要があるかもしれない。
「コアちゃん」
「なんじゃ?」
「お前にできることを整理しよう」
「ふむ。妾にできることか」
「そうだ。何ができて、何ができないのか。どれくらい負担がかかるのか。どこからが危ないのか。それを把握しないと、計画が立てられない」
「なるほどのう。主は妾の取り扱い説明書を作りたいわけじゃな」
「言い方はアレだが、まあそうだ」
俺はホワイトボードの空いた部分に、新しく項目を書いた。
コアちゃんにできること。
一、空間の変形。
二、物質の生成。
三、欲望の摂取。
四、欲望残量の把握。
五、魔物・侵入者への対応。
六、落とし穴。
書いてから、六番を見つめる。
落とし穴。
賃貸計画に関係する単語ではないはずなのに、今この場では妙に重要そうに見える。
「まず、無限落とし穴って何なんだ?」
「言葉の通りじゃ。落ちても底に着かぬ穴じゃな」
「それ、物理的にどうなってるの?」
「物理?」
「いや、そこからか……そうか、そこからか」
コアちゃんは少し考えるように首を傾げた。
「妾の中の空間を、下へ下へと伸ばすだけじゃ。落ちる者は落ち続ける。底がないわけではないが、底に着く前に、また下へ伸ばす」
「めちゃくちゃ怖いこと言ったな」
「罠としては優秀じゃぞ」
「住居設備の会議で、罠としての優秀さを語るな」
浅葱さんが、おずおずと手を上げた。
「あの……それって、落ちた人はどうなるんですか?」
「ずっと落ちる」
「ずっと」
「主が出せと言えば、出せる」
「出せるのか」
「うむ。穴の出口を作ればよい」
つまり、完全な異次元処理装置ではない。
どこかへ消しているのではなく、コアちゃんの内部空間を利用して落下状態を維持する罠だ。
つまり、便利なアイテムボックスみたいなものではないということか。
「じゃあ、排泄物をそこに落とした場合は?」
「落ち続けるのう」
「解決してないな」
俺は即座に判断した。
「それは保留だ」
「なぜじゃ。便利そうではないか」
「落ち続ける排泄物が存在するダンジョン、怖すぎるだろ」
「確かに、なにかあったとき地獄だね」
鐘々が真顔で言った。
「もしコアちゃんになにかあったら、無限に落ち続けていたものがどこかから出てくる可能性があるんでしょ?」
「やめろ。想像したくない」
「しかも、それを見つけた行政に『これは何ですか?』って聞かれるんだよ」
「行政がどこから沸いた、いや、うん、絶対に採用しない。無限落とし穴式トイレは絶対にダメだ」
俺はホワイトボードに書いた。
無限落とし穴式トイレ。
そのうえに、大きくバツをつける。
「むう」
コアちゃんは少し不満そうだった。
「よい案だと思ったのじゃが」
「発想は悪くない。廃棄場所を生活空間から切り離すという意味では、方向性は近い」
「では」
「だが、管理できないものは設備にしない」
そう言うと、コアちゃんがぱちりと瞬きをした。
鐘々も、浅葱さんも、こちらを見る。
俺はマーカーを握ったまま、ホワイトボードを見た。
「たぶん、ここが大事だ。コアちゃんにできることと、俺たちがやっていいことは違う」
「できることと、やっていいこと……」
浅葱さんが、小さく繰り返す。
「ああ。無限落とし穴はできる。けど、居住設備には向いてない。たぶん、排泄物を草原にそのまま戻すのも、コアちゃん的にはできる。でも、人間が住む場所としては駄目だ。精神的にやばい」
「なるほどのう。妾の都合だけでは足りぬのか」
「そうだ。住む人間の都合がある。衛生の都合がある。あと、行政に見られたときの都合もある」
「最後、だいぶ俗っぽくない?」
「大事だぞ。役所に説明できない設備は、あとで絶対に死ぬ」
「ダンジョンなんだからいちいち行政来たりしないでしょ」
「来るかもしれない」
俺は、ホワイトボードにもう一つ欄を作った。
できること。
やっていいこと。
説明できること。
三つの欄を並べる。
「この三つを分けよう」
「面倒くさいのう」
「賃貸経営は面倒くさいんだよ」
「住むだけなら、草原でよいのに」
「それを言ったら全部終わる」
コアちゃんは納得したような、していないような顔で頷いた。
「じゃあ、トイレの条件は?」
鐘々が聞いてくる。
俺は新しい欄に、条件を書いていく。
一、使用者の尊厳が守られること。
二、臭気が生活空間に漏れないこと。
三、病気の原因にならないこと。
四、掃除と点検ができること。
五、コアちゃんの負担が少ないこと。
六、外部に怪しまれないこと。
七、故障時に地獄にならないこと。
「最後の条件、雑だけど大事だね」
「かなり大事だ」
「故障時に地獄にならないこと……」
浅葱さんが真剣にメモを取っている。
いや、書かなくていいぞ。
でも、書いておいたほうがいいかもしれない。
住宅設備というものは、平常時ではなく故障時に本性が出る。
想像してほしい。
詰まったトイレ。
漏れる配管。
逆流する排水。
臭う処理槽。
これは体験談だが、トイレが詰まって逆流してアレなものやコレなものがトイレの床全体を満たしたことがある。
さぁ、想像してくれ。
この世の終わりである。
「じゃあ、現実的には密閉処理槽かな」
鐘々が言った。
「汲み取り式と浄化槽の中間みたいなやつ。いったん密閉された容器に入れて、そこで分解か固形化。一定量たまったら、処理済みのものだけ取り出す」
「外へ出すのか?」
「全部外へ出す必要はないんじゃない? 肥料にできるなら、コアちゃんの草原に戻せばいいし、土の中に戻すってのもありかな?」
「妾はそれなら構わぬぞ。土の中に移動させるのも難しいことではないしのう」
コアちゃんが頷く。
「あの」
浅葱さんが、小さく声を上げた。
「もし、処理槽を作るなら……模型から始めたほうがいいと思います」
「模型?」
「はい。実物大をいきなり作るより、小さい構造模型を作って、流れを確認したほうが安全です。水の流れ、臭気の流れ、詰まりやすい場所、点検口の位置。模型なら、何度か試せるかもしれません」
「なるほど」
確かに。
いきなりトイレを作る必要はない。
まずは構造模型。
そこで、流れを確認する。
できるだけ小さい欲望で、失敗を潰す。
なにより俺たちは素人だ。適当に作れば絶対に失敗する。
「浅葱さんの負担は?」
俺がコアちゃんを見ると、コアちゃんは少し目を細めるようにして浅葱さんを見た。
「今なら、かなり小さな模型を一つ作るくらいなら問題なさそうじゃ。ただし、細かい構造まで求めると……いや、どうなんじゃ、これ?」
「どうかしたのか?」
「うーむ。暦の欲の形が、実はよくわからんのじゃ。本来であれば、難しい仕組みのものを作れば必要な欲はそれだけ膨れ上がる。じゃが、暦の場合、どれも一定のように感じるのじゃ」
「……なるほど? もしかして完全記憶能力のせいか?」
俺たちはものを考える際、必要な記憶から想像して組み上げる工程がある。
彼女の場合は、それがない。
出来上がっているものを持ってくるだけだ。
コアちゃんのルール、いまだに分からないことが多いな……。
「とりあえず、今日はここまでだ」
俺はマーカーを置いた。
「え?」
浅葱さんが驚いたように顔を上げる。
「でも、まだ一つしか……」
「一つ決まれば十分だ。ホワイトボードも作った。必要項目も出した。トイレが最初だと分かった。無限落とし穴式は却下した。これだけ進めば上等だろ」
「でも、私、まだできます」
その言葉は、少し強かった。
役に立ちたい。
ここにいていい理由が欲しい。
そんな気持ちが、声の奥に見えた気がした。
俺は、できるだけ軽い口調で言う。
「浅葱さん」
「はい」
「うちはブラック職場じゃない」
「……え?」
「できるからやる、を始めると、鐘々みたいになる」
「私を悪い例に使うのやめない?」
「実例が目の前にいるからな」
鐘々が少しだけ頬を膨らませた。
だが、否定はしない。
できることを、できるだけやる。
それは一見、前向きに見える。
だが、限界を無視すれば、自分を削るだけだ。
この家に来たばかりの浅葱さんに、それをやらせるわけにはいかない。
「今日は終わり。次は資料を見てからだ」
「資料……」
「ああ。災害用トイレ、浄化槽、住宅設備、衛生管理。ちゃんと本を見て確認する。浅葱さんの記憶だけに頼らない」
浅葱さんは、しばらく黙っていた。
それから、小さく頷いた。
「……わかりました」
「よし」
「では、主よ」
コアちゃんが手を上げる。
「なんだ?」
「トイレ会議は終わりか?」
「今日はな」
「では、妾は腹が減った。ちまちまもらってはいたが、今日の分には足りぬからな。主にはしばらくここにいてもらうぞ」
「ああ、そうだったな」
欲望を食べさせる約束をしていた。
今のところ、こちらはホワイトボードを作っただけだ。
だが、会議だけで頭を使いすぎたせいか、俺の中には妙な欲が湧いていた。
ちゃんとした住まいを作りたい。
誰にも奪われない場所を作りたい。
そしてできれば、それで生活費も稼ぎたい。
最後の欲が、妙に生々しい。
コアちゃんが、にこりと笑う。
「うむ。今日の主の欲は、なかなかよい味がしそうじゃ」
「食レポみたいに言うな」
「では、いただくぞ」
コアちゃんが俺の手を取る。
その瞬間、草原の少し離れた場所で、白い何かがぽこんと生えた。
「……なんだ、あれ」
見に行くと、そこには小さな看板が立っていた。
白地に黒い文字。
矢印付きで、こう書かれている。
『トイレ予定地』
「早いわ!」
思わず叫んだ。
「妾なりに、主の欲を形にしてみたのじゃ」
「まだ予定地しかできてないぞ!」
「まず場所を決めるのは大事じゃろう?」
それはそう。
それはそうなのだが。
鐘々が腹を抱えて笑っている。
浅葱さんも、口元を押さえて小さく笑っていた。
コアちゃんは得意げだ。
俺は、草原に立つ「トイレ予定地」の看板を見つめる。
ダンジョン賃貸化計画。
その第一歩は、まさかの予定地看板から始まった。
……いや。
まあ。
土地開発っぽくはあるな。
問題は、ここが土地ではなく、魔物の内臓だということだけである。




