第21話 家賃は欲望で結構です
テレビの中で、お天気お姉さんが今日の天気を告げていた。
どうやら、本日は晴天らしい。
画面の向こうでは、雲ひとつない青空の映像が流れている。爽やかなBGM。にこやかな笑顔。洗濯物がよく乾くでしょう、という平和なコメント。
そのあまりの平穏さに、俺はしばらく無言でテレビを見つめていた。
世界は今日も回っている。
昨日、祖父の家の倉庫の奥で、俺が銃弾を全身に浴びて全部跳ね返したことなど、当然ながら誰も知らない。
いや、知っていたら困る。非常に困る。
さて……あれからどうなったのか、話をしよう。
まず、灰島たちについてだ。
結論から言えば、祖父の借金に関する無理な取り立ては止まった。
利子の見直しも行われ、月々の返済額は、少なくとも俺が即座に首を吊らなくても済む程度の数字に落ち着いた。
これは鐘々の契約も含まれている。
あいつらが大人しく応じた理由は、いくつかある。
ひとつ。
迷宮由来の資産と接続口を、祖父の債権回収名目で担保評価しようとした発言が残っていること。
ふたつ。
ダンジョン内とはいえ、債務者に銃を向け、実際に発砲した記録があること。
みっつ。
その銃撃が一切効かなかったこと。これが、たぶん一番大きい。
なんせ、こちらは銃が一切効かない怪物である。
いや、俺としてはその認識に強く異議を申し立てたい。俺自身、なぜ銃弾が効かなかったのか分かっていない。できれば誰かに説明してほしい。
だが、灰島たちからすれば、そんなことは関係ない。
奴らにとっての大きなアドバンテージである暴力は、あの瞬間、きれいに霧散した。
残ったのは、こちらの法知識と話の記録。そして発砲を行った証拠になる録画。
いや、録画に関しては後半がだいぶ人類から外れた映像になっているので、こちらにとっても手痛いと言えば手痛い。最悪、研究所にでも送られて解剖されてしまうかもしれない。……メス、通るかわからないけど。
それでも、向こうにとってはもっと手痛かったのだろう。
結果として、祖父の債務と鐘々の契約は、全面解決とはいかないまでも、少なくとも生活を即座に破壊されない形へ押し戻すことができた。というかその形に落ち着けることで向こうの溜飲を下げた部分もある。契約をすべて取り下げろなんてことを言えば、そのうちまたなにかちょっかいをかけられるかもしれない。そこ、ヘタレとか言わない。
他の債務者を救うことはできないし、灰島たちの背後にいる組織を潰せたわけでもない。異形向け金融の構造そのものに手を入れられたわけでもない。
それは、正直に言って悔しい。
だが、今の俺たちにできたのは、ここまでだ。
俺たちの生活は、ひとまず救えた。まずは、それでいいことにする。そうでも思わなければ、昨日からの情報量で胃が溶ける。いや、たぶんいま現在進行形で溶けている真っ最中だ。ずっと胃が痛い。
そして、ゆっくり休んだ翌朝。
お天気お姉さんの声がBGMとして室内に響く中、俺と鐘々は、祖父の家の居間に座っていた。
そして、布団のないこたつ机の向こう側に、正座させられた青髪の少女。
コアちゃんである。かわいそうだが、座布団はない。
なぜなら、これは会議ではなく、取り調べだからだ。いや、もっと正確に言えば、被告人質問である。
鐘々は、こたつ机の上にノートとペンを置き、やけに真面目な顔をしている。俺は腕を組んだ。コアちゃんは、少しだけ視線を泳がせている。
「さて」
俺は、できるだけ静かな声で言った。
「コアちゃん」
「なんじゃ、主よ」
「これから、じっくり話を聞こうか」
コアちゃんは、にこりと笑った。
その笑顔は、昨日までならかわいく見えたかもしれない。
だが、今の俺には違う。
この笑顔の裏で、俺の身体を弾丸が跳ね返る謎物体に作り替えた可能性があるのだ。かわいいで済ませていい話ではない。
「まず確認だ」
「うむ」
「俺の身体に、何をした?」
居間の空気が、少しだけ重くなった。
「妾、言ったじゃろ。迷宮の中で生命を作るのは難しいと」
「それは聞いた」
生き物を作るには、構造が複雑すぎる。
椅子や机とは違う。
そういう話だったはずだ。
「主の身体は特別じゃ、とも言ったはずじゃ」
「言ってたような……言ってたか?」
「言った」
「そうだっけ?」
記憶が怪しい……この数日、情報量が多すぎる。
借金取りに追われ、未登録ダンジョンに逃げ込み、狼型魔物に食われかけ、コアちゃんが生えて、鐘々が増えて、ヤクザに銃撃されて無傷だった。
普通の人間の脳で処理できる量を超えている。
「妾の身体も、厳密には命を作ったわけではない。これは端末じゃ」
「そうだな。それは聞いた」
コアちゃんの本体は、あくまでダンジョンそのものだ。
目の前にいる青髪の少女は、その意思と機能を人間とやりとりするための端末。
言ってみれば、リモコンみたいなものだ。……いや、本人の前でリモコン扱いしたら怒られそうなので黙っておく。
「で、主の身体も、その……」
コアちゃんが、珍しく言い淀んだ。
「なんだよ」
「ダンジョンなんじゃ」
「……うん?」
俺は固まった。
鐘々を見る。
さっきまでノートを取っていた鐘々も、ペンを止めたまま固まっていた。
「待って待って待って。なんで? 俺が? ダンジョン?」
「そのぉ……妾、人間の仕組みとか知らんし……」
そこで、はっとした。
これまでコアちゃんは、欲望を使って色々なものを作ってきた。だが、どれも俺たちの想像の枠を越えたものではなかった。
欲望を正確に具現化するには、ルールがある。誰かが具体的に思い浮かべる。言葉にする。形を与える。それによって、コアちゃんは具現化する。
つまり、欲望を形にするには、欲望だけでは足りない……。知識や想像力が必要なのだ。
では、俺の身体を作り直す時、誰の知識が使われたのか?
俺は医者ではない。それは間違いないだろう。俺が医者だったら俺は自分の記憶を疑わなくてはいけない。そして、人間の身体構造について、小学校の理科以上に詳しいわけではない。
そんな義務教育の知識で、焼けた右腕、折れた左足、裂けた脇腹を、完全に元通り、皮膚や神経、骨に血液血管その他もろもろを正確にイメージして作り直せるはずがない――なら、誰の知識で補ったのか?
答えは簡単だ……。コアちゃんである。
そして、コアちゃんが知っている正確な生命の情報は、ひとつしかない。
ダンジョンだ。
「……つまり」
俺は、こめかみを押さえた。
「お前は人間の身体をよく知らないから、自分が知ってるダンジョンの仕組みで、俺の身体を作り直したってことか?」
「全部ではないぞ!」
「全部ではない?」
「主は、ちゃんと主じゃ。肉も骨も血もある。飯も食える。眠れる。痛みもある。じゃが、壊れたところを補う時に、妾の知っている仕組みを少し混ぜたのじゃ」
「少し」
「少しじゃ」
おい、目が泳いでいるぞ。
「銃弾を跳ね返す身体になってるのは、少しなのか?」
「それは、主があのとき助けてと望んだからじゃ」
コアちゃんは、なぜか少し得意そうに言った。
「駆がダンジョンでなければ、これはできなかったのう」
「もうめちゃくちゃだよ……」
俺はこたつ机に額をぶつけたくなった。
だが、まだ確認しなければならない。
「で、でも、俺は物も食えるし、何も変わってないし……なにより、ダンジョンって欲望がないと死ぬんだろ!?」
「自分の欲望で十分じゃろ?」
「ちくしょう! 地産地消か!」
つーか、無限ループが完成してるじゃねえか!
俺は欲望を生む。はい。俺の身体は、その欲望で維持される。はい。俺が生きている限り欲望は出る。はい。出た欲望で俺が維持される。はいはいはいはい。
なんだその循環型社会!?
SDGsか!? 自然にお優しいですね!?
「待って」
鐘々が、ようやく再起動した。
「それじゃあ、駆も願いを叶えたりできるの?」
おい期待した目でこっちを見るな。
「それは無理じゃろ」
コアちゃんは即答した。
「なんで?」
残念そうな顔をするな。
「主は、ダンジョンの身体を使って作り直した別のナニカじゃし。妾のように迷宮核があるわけではない。入口もない。内部空間もない。欲を食べて、物を返す仕組みもない」
「結局ダンジョンですらねぇじゃねぇか!」
「だから、別のナニカと言っておる」
「もっと嫌だわ!」
俺はダンジョンですらない。そして、人間でもないかもしれない。そう、俺は別のナニカ。何だそれは?
自分の種族欄に"ナニカ"と書かれる人生、嫌すぎる。
「いや、待て。それじゃあ、どうして弾丸を跳ね返せたんだよ」
「さっき言ったじゃろ。主が望んだのじゃ。助けて、と」
「そりゃ望んだよ! 撃たれたら誰だって助けてって思うだろ! 転移してくれよ!?」
「じゃから、妾が主の身体を固くしておいた」
「しておいた」
「うむ。主の身体には、妾の迷宮の仕組みが少し混じっておる。妾の中にいる間なら、主の身体を壁や床のように扱える」
「俺を建材みたいに言うな」
「銃弾を弾けたのは、そのためじゃな。主が完全な人間のままなら無理じゃった」
「嬉しくない説明だなぁ!」
俺は頭を抱えた。助かった。それは間違いない。コアちゃんが俺の身体を固くしてくれなければ、俺は昨日、銃弾で穴だらけになっていた。感謝はしている。
しているのだが。
自分の身体を、いつの間にかダンジョン的なナニカに改造されていたという事実を、素直に受け入れろという方が無理である。
「じゃあ、俺、どこでも無敵なのか?」
「それは無理じゃと思う」
「そこは即答なのか」
「妾のダンジョンの中におらんと、妾のダンジョンは操作できぬからのう」
「都合よくスーパーマンになったわけではない、と」
「すうぱあまん?」
「忘れてくれ」
鐘々が、ノートに何かを書き始めた。
「つまり、ダンジョンの中でなら、駆は無敵?」
「妾の中にいる時だけじゃな」
コアちゃんは指を一本立てた。
「あと、妾が見ていないとたぶんできぬ」
二本目。
「欲望を使うから、無駄撃ちはされたら困る」
三本目。
「妾が疲れておる時も無理じゃな」
四本目。
「主が本気で死にたいと思っていたら、たぶん守れぬ」
五本目。
さらっと重い条件が混じった。
鐘々がノートを見ながらまとめる。
「えーと。駆は、コアちゃんのダンジョン内限定で、コアちゃんの監視下にある時だけ、欲望を消費して身体を迷宮構造として強化できる。外では普通寄り。コアちゃんが疲れていたり、駆の意思が折れていたりすると危険。こんな感じ?」
「普通寄りって何だ」
「完全に普通とは言い切れないでしょ?」
「言い返せないのが腹立つ」
コアちゃんは、ぱっと顔を明るくした。
「鐘々は説明が上手いのう」
「ありがと。駆、商品名つける?」
「つけるな」
「ダンジョン人間?」
「つけるな」
「迷宮仮面?」
「つけるなと言っている。そもそも仮面をつけてない」
「ブリック・ロード?」
「それは昔のゲームのダンジョン男の名前だろ!」
俺は、深く息を吐いた。
とりあえず、分かったことはある。
俺は完全な不死身ではない。外に出て、例えば交通事故にでもあえば、たぶん普通に死ぬ。
コアちゃんの中でも、条件が揃わなければ危ない。
だが、コアちゃんのダンジョン内で、コアちゃんが見ていて、俺が強く生きたいと望み、彼女に余力がある限り、俺の身体は迷宮の一部として守られる。
つまり、俺は無敵になったわけではない。
ただし、家の倉庫の奥にある未登録ダンジョン内限定で、銃弾を弾く程度には人間をやめている。
「……最悪だな」
「助かったのに?」
鐘々が首を傾げる。
「助かったことには感謝してる。ただ、自分の身体がどういう仕様なのか、本人が一番知らないのは普通に怖い」
「それはそう」
「じゃろうと思って黙っておった」
「「黙るな」」
俺と鐘々の声が重なった。
コアちゃんは、びくりと肩を跳ねさせた。いや、黙っていたということは少なくとも、鐘々よりも人の心がありそうだな、コアちゃんよ。
コアちゃんへの取り調べが一段落したところで、鐘々がふいに手を上げた。
「そういえばさ」
「何だ」
「ダンジョンの中に、生き物を住まわせた方がいいって話だったよね?」
「ああ」
ダンジョンは、生き物である。
そして、生き物である以上、腹が減る。
コアちゃんの腹を満たすのは、欲望だ。
命あるもの、生物であればどんな形であれ欲がある。
眠りたい。食べたい。安心したい。子孫を残したい。ここを自分の場所にしたい。明日もここで目を覚ましたい。
生き物のそういう生活の欲は、毎日生まれる。
つまり、ダンジョンの中に誰かが住めば、コアちゃんにとって安定した燃料源になる可能性がある。
もちろん、法的には地獄である。
未登録ダンジョン内居住。
安全性。
衛生。
消防。
建築基準。
賃貸契約。
役場への発覚。
資料を確認せずに少し考えただけでこれだ。どこからどう見ても面倒しかない。だが、可能性としては――考えざるを得ない。
「私、いいアイデアがあるんだけど」
鐘々が、にこりと笑った。
「奇遇だな。それについては俺も考えていた」
「それじゃあさ」
鐘々は、こたつ机に身を乗り出した。
「私、住んでみていい?」
「……」
俺は黙った。
鐘々は、にこにこしている。
コアちゃんは、興味津々でこちらを見ている。
しばらく沈黙したあと、俺はゆっくりと言った。
「まあ、この家に住んで、エッチなハプニングがあれば、その方が俺は嬉し……」
「嬉し?」
「金を取られそうだから駄目だな。ダンジョンの中に隔離しないといけない怪人だったわ」
「ひどくない?」
「自分の胸に手を当てて、昨日からの言動を思い返してみろ」
鐘々は素直に胸へ手を当てた。
そして、少し考えたあと、首を傾げる。
「うーん。優良物件?」
「自己評価が強すぎる」
「駆なら見せてあげてもいいよ?」
「笑いながら言うな。あとが怖い」
「怖くないよ。ちゃんと契約書作るし」
「それが一番怖いんだよ」
俺はこめかみを押さえた。
だが、冗談で流せる話ではない。鐘々には帰る場所がない。
異形化によって生活基盤を崩され、金を奪われ、信用を失い、異形向け金融に食い込まれた。
灰島たちとの交渉で、当面の圧力は下げられた。だが、それだけで鐘々の生活が元通りになるわけではない。
それに、彼女は金を稼ぐ能力がある。というより、金に関しては怪物である。
俺には法務の知識がある。
コアちゃんにはダンジョンがある。
鐘々には、金の流れを読む力がある。
この三つは、悪い意味でも良い意味でも噛み合っている。
「で、家賃はいくら払えばいい?」
鐘々が聞いた。
「家賃、家賃か……」
俺は腕を組んだ。
ダンジョンの中の家賃相場など知らない。
賃貸の物件情報サイトを覗いてもまずダンジョンの中にある賃貸を見つけることはできないだろう。というか、物件情報サイトに載せたら、通報ボタンの方が先に押されるだろう。
だが、逆にここにしかない価値もある。差別の強い外から隔離されている。敵が簡単には踏み込めない。部屋を増やしたければコアちゃんがなんとかしてくれる。建築費? かかりません。
鐘々のことを考えるなら、鐘々にはまとまった現金がない。
いや、厳密にはあるかもしれないが、少なくとも普通の家賃を安定して払える状態ではない。
ならば、答えはひとつだった。
「そうだな……」
俺はこたつ机の上に置かれていたペンを取った。適当な紙を一枚引き寄せ、そこに大きく書く。
賃料。
その横に、少し考えてから、文字を続けた。
俺は、書いた文字を見下ろした。
馬鹿げている。
明らかに馬鹿げている。
だが、今の俺たちには、これ以上しっくりくる契約条件もなかった。
「安いね」
鐘々が笑った。
「安くはない」
俺は言った。
もう一度紙面の文字を確認する。
賃料 欲望
「家賃は、欲望で結構です」
未登録迷宮内居住。
賃料、欲望。
管理者、コアちゃん。
貸主、網代駆。
入居者、真白鐘々。
いろいろな意味で、まともな契約ではない。
だが、俺たちはまともな場所から弾き出された者同士だった。
ならば、まともではない場所に、まともではない形で生活を作るしかない。
これが俺たちの新たな生活の第一歩だ。




