プロローグ お主が妾のマスターか?
「お主が妾のマスターか?」
「……これ、なんてエロゲ?」
ダンジョンの最奥で、俺は少女と出会った。
青い癖毛。暗い洞窟の中だというのに、妙に透き通って見える白い肌。少女から大人へ移り変わる境目のような、すらりとした身体。
そして何より、目が綺麗だった。
澄み切った、何も疑っていない瞳で、彼女は俺を見下ろしていた。
ちなみに俺はというと、地面に仰向けで倒れていた。
右腕は上がらない。左足はたぶん折れている。脇腹から流れた血は、すでに服を黒く染めていた。さっきまで俺を食い殺そうとしていた痩せた狼型の魔物は、少し離れた場所で、口から焦げた煙を吐きながら痙攣している。
要するに、満身創痍。
もっと端的に言えば、死にかけだった。
「えろげ、とは何じゃ?」
「今の俺に説明させる気か……? 死ぬぞ……俺が……」
「む。死なれては困る。せっかく、ようやく妾をここまで満たしうる欲望の持ち主が来たというのに」
「何だその……上位生命体が漫画で言いそうなセリフは……」
意識が遠のく。
借金取りに追い込まれ、金目の物を探して倉庫の扉を開け、なぜか草原と洞窟をさまよい、魔物に殺されかけた挙げ句、最後に青髪の美少女からマスター認定される。
人生の終わりとしては、だいぶ意味が分からない。こんなことになるのなら、ダンジョンになど入らなければよかった。いや、扉を開けただけなので、ほとんど不可抗力なのだが。
少女は俺の傍らに膝をつくと、胸元にそっと手を置いた。
「安心せい。お主は妾の主となった。主を死なせるほど、妾は薄情ではない」
「初対面で……所有権が……確定してる……」
「逆じゃ。お主が妾を欲したから、妾はこうして生まれたのじゃぞ?」
「……意味が分からない。その言い方じゃ、俺がお前を創ったみたいじゃないか……?」
「うむ。なかなか業が深い。己の性癖とはきっちり向き合わんとな」
「死ぬ前に知りたくなかった……そんな性癖……」
少女が、無垢な顔で笑った。
その瞬間、彼女の手のひらから青白い光が溢れた。
折れたはずの足が熱を持つ。裂けた脇腹が塞がっていく。潰れかけていた肺へ空気が戻り、俺は血と土に塗れたまま、大きく咳き込んだ。
「身体が動く……?」
「直してやっただけじゃ。妾の中で死なれると、寝覚めが悪いからの」
「なんだろう、治療じゃなくて修理のように聞こえたのは? というか、妾の中……?」
「うむ。ここは妾の内側じゃ」
少女は、誇らしげに両腕を広げた。
「迷宮核たる妾の身体。その奥底へ辿り着き、妾を目覚めさせた褒美に、お主へ望むままの願いを叶えてやろう」
「願い……」
「金でも、城でも、女でも、権力でもよい。お主の欲するものを申してみよ。妾は欲望を糧に、何でも育ててみせるぞ」
その言葉に、俺の頭へ最初に浮かんだものは、世界征服でも、不老不死でも、ハーレムでもなかった。
借金。
家賃。
税金。
そして、二度と役所の窓口で頭を下げなくて済む生活。
俺は震える指で少女の手を掴み、絞り出すように告げた。
「……金だ」
「ほう?」
「借金を返せるだけの金と……誰にも奪われない家と……あと、税金がかからない収入源が欲しい……!」
少女は、一瞬だけ目を丸くした。
やがて、心底嬉しそうに笑った。
「よい。実によいぞ、我が主。小さいくせに生々しく、切実で、腹の底から煮詰まっておる。妾はそういう欲望が大好物じゃ」
「褒められてる気がしねぇ……」
「名を聞こう、主よ」
「……網代、駆」
「では、駆。妾にも名をつけよ」
息をするたび、まだ肋骨が痛む。
頭は混乱している。状況は何一つ理解できていない。
それでも確かなことが一つだけあった。
俺は、どうやら死なずに済んだらしい。
そして、祖父の家の倉庫で見つけたこの化け物じみた幸運は、俺の人生を根こそぎひっくり返す。
これは、相続したボロ家の倉庫で、魔物の内臓へつながる扉を見つけた俺が、借金取りと役所と税金――ついでに国家まで相手取ることになる物語だ。
話は、俺がまだ町役場で働いていた一か月前に遡る。




