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【第13話】三人目の標的

 航海日誌、Day 1558。

 後藤主任の「精神寄生体」仮説が提示されてから、僕らの関係は新たな、そしてより歪んだ局面を迎えた。

 僕らはもはや、ただのクルーではない。極限状況を生き延びようとする生存者であり、同時に、互いが“人間であるか”を監視し合う、冷酷な看守になった。


 僕の容疑者としての立場は保留されたが、自由になったわけではなかった。僕らは互いから決して目を離さないように、常に三人で行動するようになったのだ。食事も、休憩も、ステーションの各区画の点検も、全てブリーフィングルームを拠点に行われた。一見、生き残るために協力しているように見えるその光景は、その実、互いが「宿主」ではないかを探り合う、冷たい観察の連続だった。


 後藤主任の、一切の感情を排した機械のような冷静さは、もはや人間離れしているように見えた。彼は本当に人間なのか? それとも、恐怖という餌を失った寄生体が、彼の体をただの抜け殻として操っているだけではないのか?


 そして、ミサキさん。

 彼女は以前にも増して、僕に甲斐甲斐しく接してくれた。だが、その優しさには、どこか過剰で、不自然なものが混じり始めていた。

「アキトさん、顔色が悪いわ。少し横になった方が……」

「これ、私が持っていた栄養剤。あなたの食事にだけ、入れておくわね」

 僕は、彼女が差し出す錠剤を、やんわりと断った。僕の拒絶に、彼女の瞳が一瞬だけ、悲しそうに揺らぐ。その瞳を見つめながら、僕は恐ろしい考えに囚われる。彼女のこの献身は、僕を油断させるための「擬態」ではないのか? あるいは、僕という獲物を、より美味しく熟成させるための「飼育」なのではないか?


 彼女の瞳の奥に、時折ぞっとするような「空虚」さを感じるようになった。まるで、プログラム通りに優しさを演じているかのような……。僕が唯一の心の支えだと思っていた彼女の存在は、今や最大の恐怖の対象へと変貌しつつあった。


 その日、ブリーフィングルームの張り詰めた沈黙を、けたたましい警告音が切り裂いた。

 ステーション全体が、耳を塞ぎたくなるような甲高いアラームと、非常灯の赤い閃光に包まれる。


 メインディスプレイに、僕らが最も恐れていたメッセージが、血のように赤い文字で表示された。


『WARNING: LIFE SUPPORT SYSTEM MALFUNCTION. OXYGEN LEVEL DECREASING.』

(警告:生命維持システム異常。酸素濃度、低下中)


 パネルに表示された酸素濃度の数値が、コンマ一秒単位で、しかし確実に下がり続けている。20.5… 20.4… 20.3…

「そ、そんな……」

 ミサキさんが、口元を両手で覆う。僕も、急に呼吸が苦しくなったような錯覚に陥った。これまでの小さな異常とは、レベルが違う。これは、僕らの生命に直接突きつけられた、死の宣告だった。


「どうして……機関部のメインテナンスは、昨日やったばかりのはずなのに……」

 僕がパニックに陥る中、後藤主任だけが、椅子から飛び起きてコンソールに駆け寄っていた。彼は、僕らが今まで見たこともないような、猛烈な速さでシステムログを解析し始める。その指の動きは、もはや人間のそれとは思えなかった。


 酸素濃度が、20%を切った。

 頭が、じんと痺れ始める。ミサキさんの荒い呼吸が、すぐ隣で聞こえた。


 やがて、後藤主任が、ピタリと動きを止めた。

 彼は、血の気の引いた、まるで亡霊のような顔で、ゆっくりとこちらを振り向いた。


 その声は、恐怖に震えていた。

「これは……故障じゃない」


 彼は、ディスプレイに表示された、複雑なコマンドラインを指し示した。

「システムエラーに見せかけて、誰かが意図的に、メインの酸素供給バルブを、手動で少しずつ閉じようとしている」


 後藤主任の言葉に、僕の心臓は凍りついた。


犯人ホストは、もう待つつもりはないらしい」


 彼の視線が、僕と、そしてミサキさんを射抜く。

「この船の心臓部を、直接狙ってきた。我々全員を、ここで窒息させるつもりだ」


 警告音が、鳴り響いている。

 赤い非常灯が、僕ら三人の絶望的な顔を、繰り返し照らし出す。

 犯人は、この部屋にいる。

 僕か、ミサキさんか、後藤主任か。

 そして、その犯人は、今この瞬間も、僕らの命を奪うための作業を、着々と続けている。


 僕らは、互いの顔を見つめ合った。

 もう、誰も信じられない。誰もが、敵。

 ここは、宇宙に浮かぶ、巨大な密室の棺桶だった。


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