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第4話 黒塚の鬼女

「おお、さすがに痛むのう……! しかもだ、朧《おぼろ》。あの女子《おなご》、後ろから現れたかと思うたら、俺の背中に抱きついてのう、俺の耳に唇を触れさせて囁《ささや》いたのだぞ。まったく、俺の何がそんなにいいのかのう」

 親光《ちかみつ》は朧に聞いたが、呆然とした顔の朧を見ると、「お前に聞いても分からぬか」と笑った。

 親光の問いに、朧は考える。その野狐《やこ》──、九尾《きゅうび》と同じあやかしの者として。

 親光の『若さ』もあるのだろうが、恐らくはその身体《からだ》が引いている、『血』なのだ。

 白河《しらかわ》結城《ゆうき》氏の一族である親光は、古《いにしえ》の藤原秀郷《ふじわらのひでさと》の流れを汲《く》んでいる。藤原秀郷は、近江《おうみ》の大百足《おおむかで》を退治した武将であり、人の世だけでなく、あやかしの世にもその名が轟《とどろ》いている。他にも、下野《しもつけ》に百目鬼《どうめき》を討った話が伝わっているが、朧が親光と出会った事もこの血筋に引き寄せられた部分が、きっと大きい。

 本来であれば、討たれてもおかしくはないのに──。

「若様が勝てぬのは美女よりも甘い物の誘惑ですからな。口の周りを甘葛《あまづら》まみれにしておりました、あの頃を思い出してしまいますなぁ」

「んん? あの頃? ……ああ、俺が三つの頃の話か。懐かしい事を言うのう」

 朧は十三年前を思い出していた──。



     *   *   *



「あにうえぇぇー!」

 ある秋の暮れ、結城宗広(むねひろ)の広大な館の庭で、年の頃は三歳ほどであろうか、幼い子が泣いていた。

 声を限りに叫ぶ幼子《おさなご》を、朧は何事かと草陰から伸び上がり見つめた。口の周りが甘葛まみれである。

「おやおや……。あれは確か……宗広様の次男坊であったか」

 ──口の周りが可愛らしいのう。

 そのような事を思いながらどうしたものかと眺めていると、庭に面した廊下を、童水干《わらわすいかん》を着た少年が歩いてきて叫んだ。

「九郎《くろう》、うるさいぞ!」

 九郎と呼ばれた幼い子は、一度ぴたりと泣き止み廊下の方を見たが、少年の姿を確認すると再び泣き出した。

「あにうぇぇぇー! うわぁぁー!」

 先ほどより、一段と声が大きい。

 兄上──親朝《ちかとも》は大きく溜息を吐《つ》くと、階《きざはし》から庭に下り立ち、幼い弟の傍《そば》に寄って身を屈《かが》めた。

「なにゆえ泣き止んだのにまた泣くのじゃ、九郎」

 見れば弟──親光の口の周りがべとべとである。

 激しく泣く子どもの声に、親朝付きの結城《ゆうき》家《け》家臣がやってきて、廊下に跪《ひざまず》いた。

「七郎《しちろう》(親朝)様、九郎殿が随分お泣きのようで。……どうかされましたか?」

「困ったやつじゃ、先ほどわしの顔を見て泣き止んだのじゃぞ。なのにまたこうじゃ」

「七郎様がお見えになって、甘えられると思うたのでしょう」

 家臣は笑ったが、親朝は「笑い事ではないわ」と困った顔をした。

「九郎、何じゃこの顔は……」

 親朝が親光の顔を覗き込むと、親光は涙と甘葛でぐちゃぐちゃの顔を兄の童水干に押しつけようとした。

「わわっ、止めろ九郎!」

 親朝は素早く立ち上がり、一歩下がった。

「あにうえぇ、くりのあまづらに……」

「……何じゃと?」

「くりのあまづらにがなくなったぁぁ」

 幼い親光は空を仰《あお》いでわんわんと泣いた。大きな涙がぼろぼろと落ちる。

「栗の甘葛煮?」

 辺りを見回すと、親光が暮らす対屋《たいのや》の廊下に何やら器がひっくり返っているのが見える。

「甘葛煮を食うていたのか、九郎?」

 兄の問いに親光は涙を零《こぼ》しながら、コクリと頷《うなず》いた。

「……九郎、食えば無くなるのじゃ、お前が食うたのであろう?」

 親光はまた頷いた。

「九郎殿は健やかにお育ちですな。鎌倉の殿がお耳にしましたら、さぞや目を細められましょう」

 廊下に控える家臣は顔を綻《ほころ》ばせた。

「こんなにひどい九郎だぞ。父上は喜ぶのかのう? まあ良い、九郎はわしが部屋まで連れて行こう。お前は下がって良いぞ」

 親朝は口の周りと同じようにべとべとになっている親光の手を取ると、腰を落として控えている家臣に言った。

 家臣は一礼して去っていく。

 夕闇が迫り、庭は暗くなってきていた。館内でも明かりが灯る部屋がある。

 親朝は弟の手を引き、親光が暮らす対屋へ歩き出した。親光はまだ泣いてはいるが、先ほどより少しだけ落ち着いたようだった。

 庭でのやり取りをずっと見ていた朧は、兄弟が部屋に戻ろうとするのを確認し、己も寝床へ帰ろうとした。

 その時。

 一陣の生暖かい風が吹き抜け、その中に感じた気配に、朧は子ども達の方を振り返った。

「これはうまそうな子どもがおる」

 親朝は、風から庇《かば》おうと親光を身体全体で抱き締めたが、聞こえた声に顔を上げた。

 そこには──、ぼろぼろの粗末な着物を着た、白いざんばら髪の老婆が立っていた。手足の爪が長い。見えている胸元は、骨と皮だけのように見えた。

「な、なんだ、お前は……」

 親朝は親光を懐《ふところ》に抱いたまま、その奇っ怪な老婆に向けて腰の短刀を抜いた。だが、声は微《かす》かに震えている。

 兄の胸元で、腕に包まれている親光には、外の様子は分からない。

「陸奥《みちのく》の 安達ヶ原(あだちがはら)の黒塚《くろづか》に 鬼こもれりと 聞くはまことか」

 老婆は見た目とは全く違う、鈴を転がすような美しい声で句を詠んだ。

 親朝は双眸《そうぼう》を見開き、息を呑む。

 七郎、よく聞け。世が荒れる時……、各地のあやかしどもが眠りから目覚める事があるやも知れぬ。……そしてな。ここからそう遠くない黒塚に、その昔鬼女(きじょ)がいた。鬼女は討たれ封じられたが、それも蘇らぬとは言えぬ。覚えておけ、鬼女の名は、

『岩手《いわて》』ぞ──。

第4話 <黒塚《くろづか》の鬼女《きじょ》> をご覧下さり、ありがとうございます。


何と3歳の親光が登場するエピソードです。

なお、親光も親朝も実際の年齢は不明ですが、この物語では親朝は親光の6歳上という設定にしております。なので、この時の親朝は9歳ですね。まあ、この時代は数え年というのがありますが、考えるとややこしくなるので難しく考えず3歳、9歳で良いと思います(笑)。


次回 <力の使い方>

ご覧いただけましたら幸いです。


【用語】

■藤原秀郷《ふじわらのひでさと》 平安時代の武将。別名「俵藤太《たわらのとうた》」。日本史上には酒呑童子《しゅてんどうじ》退治の源頼光《みなもとのよりみつ》(頼光《らいこう》)や鵺《ぬえ》退治の源頼政(よりまさ)など有名どころが多々いますが、秀郷もその一人だと思います。史実として一番有名なのは、平将門《たいらのまさかど》を倒した人、ですかね。そんな人がご先祖様なので、今回のこの物語を思いつきました。

■近江《おうみ》 現在の滋賀県の辺りです。

■結城宗広《ゆうきむねひろ》 親朝と親光の父です。

■甘葛《あまずら》 砂糖が出てくる前までの甘味料的な存在です。貴族など身分の高い人が口にできる、高価なものでした。「枕草子《まくらのそうし》」にも「削り氷にかける」みたいなのが出てくるので、かき氷のシロップみたいにも使われていたようです。

■童水干《わらわすいかん》 元服《げんぷく》前の男の子が着ているイメージが筆者にはあります。うーん、五条大橋で弁慶と戦った時の牛若丸《うしわかまる》(後の源義経(よしつね))の格好、ですかね。

■対屋《たいのや》 ざっくりと、建物です(笑)。当時は外廊下みたいなのでそれぞれ建物が繫がっていましたが、その建物と思っていただければ。

■七郎《しちろう》 九郎《くろう》と同じく、親朝の通称(輩行名《はいこうめい》)。長男ですが、七郎。親光も次男ですが(三男説あり)、九郎。一説には「一族で」何番目か、などいろいろあるようです。他に源頼朝(よりとも)に仕えていた、結城朝光(ともみつ)が七郎だったからそこから取った説も何かで見ました(おぼろげ……)。

上の説明で出た、義経なども「九郎義経」という言い方、有名ですね(「牛若(もしくは牛若丸)」が幼名《ようみょう》です)。

■安達ヶ原(あだちがはら) 現在の福島県二本松市の辺りです。新幹線に乗っていると、窓からこの地名が見える所があります。「黒塚《くろづか》」は能などにもなっていますが、退治された鬼婆が埋められた場所です(「塚」はお墓の意味がありますね)。

ここに出ている和歌は、平安時代の歌人・平兼盛《たいらのかねもり》が詠んだものです。元の和歌は、鬼婆などの伝説ではなく、冗談や皮肉を込めたものだったようですね。

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