べちょべちょだ
どうやら俺は逃げ出すタイミングを失ってしまったらしい。
最初に「男性との距離感がわからない」とか言っていたけど、おっしゃる通りだ。
確かにおかしい。
そもそもこの状況自体がおかしい。
なんでスマホを拾っただけの俺に対してこんなに距離感が近いんだ!?
いつの間にか、心なしか、肉体的な距離感が近づいている気がする。
特に肌が触れるまではいっていないが、拳三個分くらいこっちにきている。
やばい。
ドキドキしてきた。
こんなやばい女にすら惹かれてしまう俺はどこまで行っても童貞だった。
「それで、手を握ってくる人もいたりしたけど、汗ばんでて、気持ち悪くて……」
「なるほど」
自分の手を見る。
べちょべちょだ。
……その男を全く笑えないな。
「恵比寿駅の前でいきなり後ろからハグされたこともあって」
「手汗と同じ人?」
「違う人です」
「それは……マナーがなっていませんね」
流石に女性にいきなり後ろから抱きつくのはマナー違反でしょう。
「それで、付き合おうって言ってくる人もいたんですけど、やっぱりなんか違うなって」
「なるほど」
「それで断ってたら、サークルで『高橋みゆきはいろんな男に手を出してる』という話になって」
「それは……ひどいですね」
『いろんな男に手を出してる』か……。
出会ってすぐにこの距離感だ。ミユキちゃんがもしかしたら呪霊たちにとって、思わせぶりな態度をとることもあったのかもしれない。
ただそれは、女性に勝手に触れていい理由にもならないし、腹いせに変な噂を流していい理由にもならない。
俺はそういうしょーもない男が嫌いだ。
しかし、ここで俺が感情的になっても仕方がない。
所詮はさっき知り合っただけの文字通り隣人だ。
だがまぁ、ちょっとは何か和らぐのならば、話を聞くくらいはしてもいいだろう。
紳士ってのはそういうもんだ。
「それどころか、学部でもなんか言われて、今度は学部の男子から『どしたん? 話聞くよ?』って」
「うわぁ……」
「さすがにもう、連絡返すのはやめたんですが……」
——ピコン
「それでもこれですか」
「はい。連絡……返さなくてもくるんです」
「ブロックしないんですか?」
「ブロックってなんですか?」
「え?」
「え?」
「ブロックすると、相手からの連絡を遮断できるんですよ」
「え?」
「相手が送ったつもりになっていても、こっちには連絡が届かなくなるやつです」
「そんな便利な機能があるんですか? スマホ、大学の入学祝いで買ってもらったので、あまり慣れていなくて」
「俺も一緒です! 高校までガラケーでした」
「えー! 珍しい! じゃあ、メッセージアプリは使えなかった感じですか?」
「俺は一応パソコンでやってたんですけど、家にいる時だけですね」
「えー! なんか親近感湧きますね!」
「そうですね! スマホ素人仲間!」
「ちょっと嬉しいかも!」
「ははは」
……。
和んでしまった。
確定だな……。
ハーレムの呪いが発動している。
くそ……。
可愛いじゃないか。
ミユキちゃん。
俺の目の前でチラチラと存在をアピールしていた『逃げる』のコマンドを殴り飛ばしてやった。
「タカシさん」
「はい」
「ブロックのやり方教えてもらえますか?」
「はい。スマホを触ってもいいですか?」
「はい」
「メッセージを見てもいいですか?」
「はい」
「失礼します。こいつはブロックしても生活に支障はないですか?」
「はい」
まず、特級呪物から祓うことにした。
「右上のハンバーガーメニューを押して、右上にあるブロックを……ヨイショ」
「これだけ?」
「これだけです。簡単でしょ」
「これでもうメッセージはこないの?」
「こいつからはこないですね」
「わー! ありがとう!」
スマホを持っている俺の手を握るミユキちゃん。
おいおい!?
俺の手はおま、さっきデートしたって言ってた男と同じ、汗でべちょべちょだぞ!
……無反応。
キモいカテゴリに入らなくて済んだのか?
あっ。
やばい。
安心したら。
……。
あーあ。
「あー。よかったです。あとはブロックして良い相手を自分でブロックしてみてくださいね」
「えー、本当に助かったよー! ありがとー!」
いつの間にかタメ口になってるミユキちゃん。
自認どおり、距離感がバグっているね。
……。
くそっ!
限界だ!
「すみません、ちょっとトイレに行ってくるので、ブロックしててください」
「あ、ごめん。わかった!」
もう、ミユキちゃんはニッコニコだ。
俺はトイレで一人でシッコシコだ。
……。
ふぅ。
さて、手を洗って戻ろう。
俺のミユキちゃんが待っている。




